新型コロナウイルス騒動に関連して、ティッシュペーパーやトイレットペーパーなどの買いだめが相次ぎ、小売店の在庫が品薄になっているという。昨日近所のスーパーへ様子を見に行ったという上司は「ニュースで言うから実際どんなもんかと見に行ったら、ほんまになかった」と話していた。

 僕も今日、インスタントコーヒーを買いにスーパーに寄った際に見てみたが、ティッシュとウェットティッシュの棚はすっからかんになっていた。トイレットペーパーの棚にはまだ商品が残っていたが、よく見ると、1袋当たりのトイレットペーパーの数を4ロールくらいに減らしたものが並んでいた。いつも見かけるのは12ロール入りだから、3分の1のサイズである。苦肉の策だろうか。

 その後ドラッグストアにも立ち寄ったのだが、偶然にもちょうど紙製品が届いたタイミングに居合わせた。箱詰めされたティッシュを店員さんが棚に陳列する傍から、買い物客が取っていく。トイレットペーパーの前にはおば様方が並び、「18ロールもある!」と目を見張っていた。その後暫く店内をうろついていると、「少ないわよ。入っても片っ端から売れてくんやから」という店員さんのぼやきが聞こえた。ちなみに、僕がドラッグストアに立ち寄ったのは体温計を買うためだったのだが、店員さんに訊くと、在庫切れで婦人用しか残っていないとのことだったので、仕方なく退散した。体温計も飛ぶように売れているのだ。

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 さて、マスクや体温計がどんどん売れるのはわかる。ティッシュペーパーの買いだめが起きるのもまだわかる。しかし、トイレットペーパーまで買いだめが起こるというのはどういうことなのだろう。会社の先輩は「コロナが流行ったってケツは増えへんやろうに」と独特の言い回しで不思議がっていた。僕にとっては歴史の知識になるが、石油危機の時にも、店頭から姿を消したものの1つはトイレットペーパーだったはずだ。なぜこうもトイレットペーパーなのか、まったくもって謎である。

 ともあれ、トイレットペーパーが飛ぶように売れるという不思議な事態が発生しているとなると、これはもはやパニックである。幾つかのニュースを見ているうちに、ふと、この種のパニックはどういうメカニズムで起こるのだろうと疑問に思った。心理学などが学術的知見を蓄積していそうな話ではあるが、生憎何も知らないので、折角だから自分なりに考えてみることにした。

 今回の買いだめ騒動は、紙製品の生産が途絶えるという噂が拡散されたことで起きたと言われている。このような噂が広まったのは、未知の病が流行し、外出の自粛要請や休校措置が取られるという非常事態の中で、誰もが不安になっていることと関係していることだろう。不安で不確かな状態に長く晒されることは誰にとっても辛いはずだ。だから、そこへ“ありそうな話”が転がり込んでくると、誰もがパッとそれに飛び付き、本当のことだと信じ、その情報をもとに行動を起こすようになるのだろう。

 ここで興味深いのは、噂の内容(「モノがなくなる!」)が、それ自体としては不安を低減させるものではなく、むしろ不安を煽るようなものだという点だ。こんな情報を信じるとかえって心が波立って大変そうだが、にもかかわらず少なからぬ人が噂を信じた。これはどうしてなのだろう。

 考えられることは2つある。1つは、自身が不安に囚われているような状況では、むしろ不安を煽る話のほうが、自身の思考にマッチしているため信憑性が高く思えるのだろうということ。もう1つは、一般に、楽観的になるよりも悲観的になる方が、危機管理の姿勢として正しいように思われるということだ。最近読んだ何かの本に「楽観的な意見よりも悲観的な意見のほうが賢く聞こえる」というような話が載っていたが、もしこの説が正しいとすると、賢い判断をしようとする人ほど噂を信じ、買いだめに走るということになりそうだ。

 以上は昨日僕が勝手に考えたことなのだけれど、今日になってあるネット記事(下記リンク参照)で次のような記述を見かけた。「人間は生き延びるために、新しい情報に対して感情優先の本能的反応を返すよう進化してきた。さらに私たちは、最も強力な感情的記憶や認識に基づいて判断を下す。そのため認識した危険を実際以上に過大評価するのだ」人間の認知の特性により、新しい情報への感情的な反応が起こり、危険などが過大評価されうるというのは、パニックを誘発する要因にも大きく関わる内容だと思ったので、ここにメモとして書き加えておこうと思う。



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 ともあれ重要なのは、噂に感情的に飛び付いてしまう前に、冷静に事実を掴もうとすることだと思うが、僕は何もこんなわかりきった教訓を垂れるためにこの文章を書いてきたのではない。ただ、興味を惹く出来事が起こり、それについて自分なりに考えてみたくなったので、その記録を残そうと思っただけである。有益な情報はここにはない。ここにあるのは、賢くなろうと背伸びをする、凡庸な一社会人の姿だけである。