東京マラソンをTVerを使って見た。見たと言っても、掃除や洗濯をしながら流し見していただけなので、ちゃんと見たとは言い難い。ただ、僕としては、スポーツイベントをライブ中継で見るのは珍しいことなので、やはりこれは特筆すべきことである。

 見ていた感想については、他の人とそう変わらないように思う。前半は、先頭集団の前方で軽快に走る井上大仁選手を見て、「この人が日本新を出して五輪へ行くんじゃないか!」とワクワクしていた。しかし、30キロ過ぎ、集団から離れて走っていた大迫傑選手が追い付き、逆転。当座は混乱したものの、日本人トップは大迫選手で決まりとわかるや否や、応援の対象を彼に切り換え、日本新記録を出して五輪出場権を獲得してくれと念じるようになった。

 結果は周知の通りである。日本人トップは大迫選手。自身のもつ日本記録を21秒更新する2時間529秒でゴールし、五輪参加標準記録も突破した。

 これだけならただのダラダラとした観戦録で終わってしまうのだが、特筆したいことが1つある。それは、ゴール後のインタビューで大迫選手が泣いていたことだ。大迫選手のことは箱根駅伝に出ていた頃から知っているが、カメラの前で涙を見せる大迫選手を見たのは、記憶する限り初めてだった。その時、僕は、いったいどれほどの思いでこの大会に臨んでいたのだろうという想像もつかないようなことを、それでも考えながら、しばし画面に見入っていた。

 僕は走るのは好きだけれど、陸上界の動向を追うことにはまるで関心がない。大迫選手が昨年9月の代表選考レースで3位に終わり、代表内定を逃したことも、中継を見ながら知ったくらいだ(内定していないのは知っていたけれど、理由まではわかっていなかった)。その悔しさだったり、東京マラソンにかける覚悟だったりは、即席で想像するしかなかった。だから、僕がここで何を書けるわけでもないと思うのだけれど、それでも、あの涙には圧倒された。

 おそらく、僕は同時に、自分だったら何が実現した時に泣くほどの達成感や喜びを感じられるだろうと考えていたのだと思う。僕が大迫選手の涙の理由を想像できないのは、彼が目指したものが凡庸な社会人のそれと比較にならないほど難しいことだからというだけでも、その実現までの苦難の道のりを知らないからというだけでもなく、そもそも、涙を流すほどの達成感を僕が身をもって知らないからである。インタビューを見ながら、僕はふいに、そのことを何か寂しいことのように感じたのかもしれない。

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 正午まで東京マラソンを見た後昼食を摂り、その後、ずっと独房でじっとしているのも面白くなかったので外に出た。が、取り立てて面白いことも印象に残ることもなく、ただ身体を動かしたいがために放浪する格好になったので、かえってひどく疲れてしまった。独房に戻り、夕食を摂り、雑事を幾つか済ませて今に至る。

 その中で1つ、実にくだらないのだけれど、印象に残ったことがあるので書き留めておこうと思う。それは、鍋で湯を沸かす際に蓋をしてみたことである——文字にすると改めて実にくだらないが、とりあえずこのまま筆を進めてみよう。

 我が独房にはポットがない。引っ越したばかりの頃に一度電気ケトルを買って使ったことがあるが、出てくるお湯が金属臭くてたまらなかったので、すぐに捨てた。以来、独房で湯を沸かすときには、鍋に水を入れてIHコンロで熱している。ちなみに、IHコンロは一口しかないので、お湯を沸かすと他に何もできなくなる。なかなか厄介であるが、2年半もこの生活を続けているとまあいいかという気分になるから不思議である。

 ともあれ、僕は日々鍋で湯を沸かしているのだけれど、今日になって初めて、湯を沸かす時に鍋に蓋をするという、初歩的なことを実践した。やってみて驚いた。お湯の冷め具合が全然違うのである。今まではあっという間に冷めていたのに、今日は暫く経ってから鍋を持っても温かい。熱を閉じ込めるとこんなに違うのかと感動した。なんで今までやらなかったのかという反省は今更もうやらなかった。とにかく、ほんの僅かな、手間とも呼べないような所作1つで、生活は劇的に変化することもあるのだということがわかった。

 ところで、僕が鍋に蓋をした話を書こうと思ったのは、この発見だけが理由ではない。僕がこの話を書いた一番の理由、それは、蓋をした鍋のお湯が沸く時に「ピー」という音が鳴ったためである。蓋には通気口があるので、お湯が沸いてくると、やかんと同じように音が出る。その音が妙に印象に残ったのだ。なぜかは全くわからない。けれども、「ピー」という音が、台所からか細く聞こえてきた時、僕はとにかくこの話を書かねばならないと思ったのだ。

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 ※ふと思い出したのだけれど、1年以上前に一度、電気ケトルを買いたいという話を書いたことがあった。当時は電気ケトルを買わずにDVD再生用の外付けHDDを買った自分をネタにしたわけだけれど、今から振り返ってみると、結局電気ケトルもいらんかったやんという話である。実際、現在独房に電気ケトルを置けそうなスペースは見当たらない。——それにしても、鍋で湯を沸かすくだりの記述、1年前も今日も全く同じ内容とはどういうことだ。