読書会ヅカ部の活動に参加して雪組公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』を観劇し、さらにその足で、手塚治虫記念館で開催中の企画展「手塚治虫のニャンコ展」を観に行った。

ヅカとテヅカをハシゴする

 宝塚大劇場で生の舞台を見るのは、昨年ゴールデンウィークに観に行った宙組公演『オーシャンズ11』以来である。久しぶりの観劇を思い立ったきっかけは、先月ヅカ部のDVD鑑賞会で雪組の『ファントム』を観たことだった。トップコンビの歌がはちゃめちゃに上手く、演技力も凄い。とにかく作品の完成度が高かったのだ。トップコンビの歌唱力について以前から高い評価を聞いていたこともあり、「これは生で見なければならぬ!」と思った。ファンの方は先刻御承知と思うが、雪組の現トップスターは望海風斗さんで、通称を「だいもん」という。『ファントム』を観終わるや、僕は狂ったように「部長、生だいもんが観たいです!」と叫び、観劇会の最後の一枠を手に入れた。

IMG_1545 (2)

 今回の演目『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』は、192030年代のアメリカ・裏社会で暗躍したギャングたちの姿を描いた物語である。服役を終え出所した貧民街出身のヌードルスは、将来表社会のビジネスで一山当てることを夢見ながら、少年時代の仲間だったマックスらと共に、裏社会を渡り財をなしていく。しかし、禁酒法の廃止により酒の密輸という重要な資金源を失ったところから、彼らの人生は大きく変転していく。このギャングたちの物語と並行して、ヌードルスの恋の物語も展開する(ストーリーに恋愛が絡むのは宝塚のお約束である)。幼馴染で小さい頃から女優を目指し、ブロードウェイの女神として名を馳せたデボラに、ヌードルスは恋心を抱いていた。しかし、ヌードルスに陽の当たる世界で生きることを望むデボラは、裏社会で次第に力をつけていく彼から離れ、ハリウッドへ旅立つ。もっとも、そんな彼女を待ち構えていたのも、スキャンダラスで苛酷な芸能界だった——

 皆の人生の歯車が狂っていき、誰も報われることのない結末へと向かうという展開に、なんとなくアメリカ的だなあという感想が沸き上がったものである。あまりにも呆気ない幕切れにポカンとさえしてしまったが、序盤から中盤までの盛り上がりはとても面白かった。ストーリーはスッキリしていて、初見でも展開をさらっと追えたので、見やすい作品だと思う。

 最大のお目当てだったトップコンビの歌は、本当に素敵だった。トップ娘役である真彩希帆さんの伸びる高音、そして、トップスター望海風斗さんの、安定してよく通り、なおかつ感情が籠った歌い方。どちらもグッと胸に響くものがあった。生だいもんはダテじゃなかった。他の方々の演技も全体的にクオリティが高く、逆に自然に観てしまうくらいだった。

 ところで、望海さんはしばしば、劇中でやたらと苦しむ役に当たるらしい。『ファントム』も苦しみ悶える役どころだったし、また別の作品ではとにかく望海さんが舞台上にはいつくばっていたという話も聞いている(会社の後輩が大のヅカファンで、ある時、「○○先生[演出家の名前]はとにかくだいもんを傷めつけることに定評があるんですよ!」と教えてくれたのだ。しかし、とんだ定評もあったものである)。今回の舞台についても、数日前に観に行った人から「精神的にきますよ」という話があったので、僕の中には軽い胸騒ぎのようなものがあった。

 果たしてその予感は的中する。望海さんは舞台上で大変苦しんでいた。ただ、1つだけ救いがあったように僕には思えた。終演後、親子三代にわたりDNAレベルでヅカファンという御大を前にして、僕は言った。

「今回はだいもんが死ななくて良かったです」

 御大は何事にも動じない構えのまま「あー」と笑った。

◇     ◇     ◇

 11時からの公演を観たので、14時過ぎに観劇は終わった。一緒に観劇した他のメンバーはそれぞれ予定があるらしく、駅前であっさり解散の流れになった。もとより、それは予めわかっていたことだった。だからこそ、帰りにニャンコ展へ行こうというプランも立てられたわけである。解散まで流れについていったあと、僕は元来た道を引き返し、大劇場の前を通り越して、手塚治虫記念館へ向かった。

 手塚治虫記念館を訪れるのは初めてだったので、常設展示も律儀にみてから企画展へ向かった。会場である2階に着くと、メインポスターが現れ、さらに、毛でもこもこに覆われた入口が現れた。壁の装飾までこだわっていることに、僕は早くも企画者の意気込みを見る思いがした。

IMG_1551

 ニャンコ展は、その名の通り、手塚治虫の作品から猫が登場する作品・場面をセレクトし、順に紹介していくというものだった。猫ではなく「ニャンコ」というくらいだから、可愛らしい猫たちを想像して向かったのだが、その予想は良い意味で裏切られることになる。もちろん、可愛らしいニャンコの絵も沢山あったのだが、それ以外にも、狡猾そうな笑みを浮かべるメス猫や、怨念を抱いた化け猫、面倒見のいい母猫、山賊のボスのようなふてぶてしい猫など、色んな猫が登場する。僕にとって一番印象的だったのは、そのバリエーションの豊富さだった。同じ猫という生き物を、これだけ多様に描けるのかということに、僕はただただ驚いた。さらに、手塚作品に登場する猫は、単に猫であるだけでなく、人と言葉で会話したり、人間に化けたり、逆に人間が化けた姿だったりする。人と動物という垣根を越え、類似点を見出しながら縦横無尽に想像力を働かせていることがすぐさま感じ取れた。その想像力の豊かさを思うだけで、やはり手塚治虫は天才だったのだという畏れがフツフツとしてくるのであった。

 写真撮影OKだったので、何枚か画像を挙げておこうと思う。可愛いニャンコはもちろん好きだが、僕は結構、妖しさや恐ろしさを纏う化け猫にも魅力を感じていた。

IMG_1555

IMG_1554

IMG_1562

IMG_1570

IMG_1579

 よほど想像力の広さに魅了されたのだろう、こんなものまで買ってしまった。

IMG_1590

 1月に読もうと思う本を12月末に買い込んだうえ、それでなくても積読が溜まっているような状況で、これ以上本を買ってどうするのかという思いもあったものの、今買わなきゃという思いの方が勝ったのだ。

◇     ◇     ◇

 手塚治虫記念館を閉館時間である17時の直前に出ると、辺りはもうすっかり夕暮れだった。