去る128日(日)、尼崎市にある園田競馬場で開催された「第5回ダートランinそのだけいば」に、リレーマラソンの部で出場した。この大会には、昨年・一昨年も会社の有志チームで出場しており、出場するのは3年連続3回目であった。その名の通り、競馬場のダートコース、つまり通常は競走馬が駆け抜ける厚い砂のコースを人間が走るという大会である。話をすると、ランニングをしている人より競馬ファンの方が話に乗ってくるという不思議な大会でもある。もっとも、競馬ファンの方々は話には乗ってくるが走ってくれるということはない。さしずめ、誰が一番速いか賭けながら観客席で酒を飲む夢が見られればそれでいいのだろう。

 まあそんなことはどうでもいい。僕はランナーとして、自分の出た大会の記録をつけたいだけだ。というわけで、これより園田競馬場のダートコースを舞台に行われたリレーマラソンのことを振り返っていこうと思う。

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 「ダートランinそのだけいば」は、上で述べた通り、園田競馬場のダートコースを使って行われるランニングイベントである。キッズランの部(客席前の直線コースを300m走る)、ファンランの部(ダート上の特設コースを3周する、約5.3km)、リレーマラソンの部(412人のチームで特設コースを合計12周する、約21km)の3つの部が設けられており、この順に競技が行われる。リレーマラソンの開始時間は昼の12時半である。

ダートラン

 大会要綱に特設コースの図が載っているので、上に抜粋してみた。リレーマラソンの場合、第1走者と他の走者とではコースが若干異なる。第1走者は、競走馬の出走ゲート前からスタートし、ホームストレートを走り抜け、そのまま第1・第2コーナーへ差し掛かる。その後、まっすぐバックストレートを抜けるのではなく、一度ダート中央の芝生広場を周回する。これにより1周の距離はそれなりに伸びるが、砂の上をひたすら走っても地獄を見るばかりだから、この周回にはむしろオアシス的な心地良さがある。芝生広場を抜けると、バックストレートの残りを走り、第3コーナーから第4コーナーへとカーブを曲がっていく。図を見ればわかる通り、園田競馬場は第3・第4コーナーの方が第1・第2コーナーに比べ半径が大きく、カーブが長いというつくりになっている。オアシスを抜けた後に待ち構えているこの長いカーブは、コース最大の正念場である。第4コーナーを抜けた後、ランナーはダートコースを跨ぎ越して観客席前の舗装された路面に出る。そしてここで襷リレーとなる。したがって、第2走者以降のランナーは、ホームストレートのダートを走ることはない。その代わりに、観客席前の舗装面上を走り抜け、一度観客席の裏手に回って、入場口らしきところからいきなり第1コーナーへ飛び出していくことになる。あとのコースは第1走者と同じであるから省略する。

 いま、コースの説明の中で、やれ砂地獄だオアシスだという表現を使ったが、まだピンと来ていない方もおられるだろうから、ここではっきり申し上げたい。ダートコースを走るというのは、砂浜を走るようなものである。着地をすると地面が沈んで身体がよろける。その地面を蹴って推進力を得ようとしても、砂がふにゃりと身をかわすので、思ったほど前に進まない。実にオモシロクないコースである。それにもかかわらず、毎年100チームをはるかに超える参加があり、大勢が勇んでダートへ飛び出していくのは、ひとえに物好きの賜物であろう。僕だって、会社の有志チームがこの大会を選んでいなければ、一生御縁がなかったにちがいない。まあ、ものは考えようで、こんな不思議な解説を長々と書けるのは、変わりばえのない日々に飽いた日記書きにとっては有難い話である。

 ところで、僕をこの大会に3年続けて誘ってくれた会社有志チームは、今年大きな危機を迎えていた。1つは、大ベテランとして存在感を放ってきた課長の異動によるチーム離脱であり、また1つは、とある先輩の体調不良に伴う出走停止である。さらに、去年助っ人的に参加してくれたあるメンバーは、いつの間にか新婚さんになっていて、休みの日に呼べる身ではなくなってしまった。新入社員が1人メンバー入りしてやっと、我々はメンバー4人を確保できたという状況であった。

 このようにメンバーが減ってくると、陸上経験者である僕に白羽の矢が立つのは必至である。全12周のうち、いったい何周走ることになるのかと、僕はドキドキしていた。かくいう僕も、直前に一度「今回はヤバい」と感じる出来事に直面していた。もともと僕は今年あまり走れていなかったのだが、大会1週間前に一度ジョギングしてみた際、いつも走るコースで未だかつてないようなワーストレコードを叩き出してしまったのである。そのコースは全長9.6kmのコースで、普段なら45分、調子の良い時なら43分程度で走れるのだが、その日僕はこのコースに47分かけてしまった。おまけに、その時の疲労感はいつもよりずっと重かった。これはおかしい。もしこれがいまの実力だとしたら、翌週のダートランは惨憺たる結果になる。そうは思ったものの、現実を受け容れるより他になす術はなく、とにかく無理なく走ろうと心に決めて、何とか平穏を保ったものだった。もっとも、このままではいけないと、3日後に調整練習をしてみると、タイムは一気に45分まで上がった。というわけで、幾らか希望が見えた状態で、僕は当日を迎えることになった。

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 それではいよいよ、大会当日の模様に話を移していくことにする(というか、前置き長くなり過ぎた)。結局僕は4周走ることになった。メンバーの平均周回数は3周であるから、決してびっくりするような数ではなく、これなら大丈夫だろうと思った。

 第1走者としてスタートに立つのが、僕の最初の役目であった。1215分、シールタイプのゼッケンをTシャツに貼り(競走馬が走るコースを使うので、安全ピンなどの使用は禁止されているのだ)、青色の襷をかけ、「ではそろそろ行ってきます」と言い残して、招集地点に向かった。招集地点には既に大勢のランナーが集まっており、係員の指示に従いながらスタート地点に向かって移動を始めようというところであった。

 さて、ここからは1周ごとの僕の走りを中心に記録をつけていくとしよう。他の人の話もチラホラ挟むつもりであるが、あまり書き立てるのも如何なものかと思うので、僕の話中心で書くことにしたい。

1周目(第1走者)

 先に書いた通り、第1走者は競馬の出走ゲートから走り始める。もっとも、安全上の考慮があったのか、今年は昨年までとは違い、ゲートの数m手前のところにスタートが設けられていた。僕らランナーは、係員に誘導されてゲートの裏へ回り込んだ後、ETCレーンを抜ける車のようにそろそろとゲートを歩いて抜け、だだっぴろい砂地の上に立たされた。なんだか惜しいような気もしたが、場内実況を担当するお姉さんが盛り上げてくれたお陰で、僕らのテンションは高まっていた。

 スタート1分前に合図があった。観客席の方ではファンファーレが流れ、競馬実況を本業とするアナウンサーが渾身の中継を行っているらしい。が、スタート地点にその音は全く聞こえない。聞こえるのは、係員の指示と、ランナーのささやき声と、ストップウォッチをセットするための電子音くらいだ。

 30秒前、20秒前、10秒前……10秒ごとにカウントダウンがあった。僕は少なからず興奮していたが、気持ちは至って平静だった。とにかくムリなく、自分がいまできる走りをすればいい。そんな風に気持ちが吹っ切れていたからこそ、気楽だったのだろうか。

 パン!!

 号砲が鳴って、ランナーが駆け出した。ふかふかの砂の上で精一杯足を動かしながら、皆一斉に前を目指す。スタートで勢いをつけたいと、無意識に思っているのだろう。前を目指すランナーは、誰しも勇んでいるように見える。

 けれど、僕はここで焦ってはいけないと思っていた。僕には1年前、このスタートでスピードを出しすぎ、1周の半分もいかないうちにペースダウンしてしまった苦い思い出がある。周りにつられず自分のペースを守ることを、僕は何より優先した。そもそも、万全の準備が積めていない状態でレベルの高い競り合いに乗り込むのは無謀である。果たして、目立つことよりも堅実さを取った僕のこの作戦は功を奏することになる。

 もう1つ、僕がこの段階で重視したことがある。それは、ファンランの部でランナーにより踏みしめられているであろう、コース内側のラインにいち早く乗ることであった。先ほど強調したように、ダートコースを走るというのは砂浜を走るのに匹敵する。しかし、多くのランナーによって踏みしめられた場所だけは、地面が硬くなり、他の場所に比べて格段に走りやすくなっているのだ。有難いことに、このラインは周りに比べ砂の色が茶色くなっているので、見た目にも分かりやすい。とにかく早くそのラインに乗って走りを安定させることを、僕は大切にした。

 そして、実際に内側のラインに乗ってみた時——驚いた。思っていた以上に、その土は堅かったのである。その一線だけは、学校のグラウンドと遜色ないくらいの踏み加減だった。しっかり着地できるし、蹴った力がちゃんと推進力になって返ってくる。これはしめたぞと僕は思った。お陰で、ホームストレート上の随分早い段階で、走りを安定させることができた。

 第1コーナーに差し掛かる頃から、スタートで勢いをつけすぎたランナーに追い付くようになってきた。何度か追い抜こうと試みたが、そうするとラインの外側に出ざるを得ず、走りにくくて仕方がない。僕はグッと堪えて、芝生広場の周回で一気に抜き去る作戦に切り換えた。一気にと言っても、そんなゴボウ抜きをしたわけではないが、一番内側のラインを走り続けるうえで交わしておきたいダンゴ集団を追い抜くことくらいはできた。

 問題は第3・第4コーナーだった。少しずつペースダウンしてきたランナーが内側のラインにぽつぽつと連なっている。交わさなければならない。かといって、一人抜くたびにラインに戻ったり外へ出たりを繰り返すのも面倒だ。しかし幸いなことに、この区間には内側のラインの外にもう1本、うっすらとしたラインが出来上がっていた。このラインは、一番内側に比べると幾分ふにゃふにゃしているが、それなりに硬くもあり、勢いつけて走るには十分だった。僕は敢えてそのライン上を走り続け、ぽつり、またぽつりとランナーを追い抜いていった。逆に抜かれたこともあったかもしれないが、抜いたランナーの方が数的には多かったと思う。何とも言えない爽快な気分だった。なにしろ、1年前はここではすっかりへばっていて、何人ものランナーに抜かれるという辛い目を見たのである。雪辱の時は来れり。

 僕のペースは最後まで落ちることなく、十分に勢いもついたままリレーゾーンまで帰ってくることができた。第2走者を務める、有志チームのリーダーが手を挙げて迎えてくださったところへ、僕は勢いよく飛び込んでいった。そして、勢い余ってランナー退場口と反対側へ走り抜けてしまい、戻るのに苦労した。

 記録は657秒だった。1年前の記録がブログに残っているのだが、その時は同じコースを走って725秒かかったらしい。砂の具合など色んな要因があるのだろうが、タイムを30秒近く縮め、なおかつ目標にしていた730秒を大幅に上回るタイムが出たことに、僕は激しい喜びを感じた。誰も見ていないところで、僕はひとりガッツポーズし、手を叩きながら、チームのメンバーの待つ観客席へと戻っていった。

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 あらあら、随分たいそうな記録になってしまいました。1回で終わらせるつもりだったんですよ。いやホントに。困ったなあ……

 まあでも仕方がありません。2周目以降の記録は次回お送りしたいと思います。

 毎日書くのやめるって言ったばっかりなんだけどなあ……