遂に独房の暖房のスイッチを入れてしまった。ここまで何とか暖房を使わずに凌いできたのだが、今日はもう耐えられなかった。もっとも、一日で気温が5℃も下がったのである。適応しきれないのも無理はない。問題は、いずれここから更に気温が下がるであろうということだ。その時に、外を出歩けるように、今の気温にある程度慣れないといけないのではないか。そんな気がしてならないのだが、発想として正しいのだろうか。

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 先日少し紹介した『東京の空間人類学』であるが、「そうなのか!」と思う知見がたくさん載っていて、とても面白い。特に、江戸の下町の経済・流通・宗教・娯楽などのあらゆる面と、川・堀・海・池などの〈水〉との関係を解き明かす第2章は、全てのページに付箋を貼りたいくらい面白かった。それに続く第3章は、明治の東京の街が、近世の江戸のまちに近代的要素をどのように取り入れていったかを考察する章で、まだ全部読めたわけではないが、ここもあちこちに付箋をベタベタ貼りたくなってくる。

 面白いと感じる一番の理由は、都市の空間構造を読み解こうという試みの中から、そこに生きる人間の姿が浮かび上がってくることである。例えば、江戸の盛り場は都市周縁部の〈山の辺〉か〈水の辺〉に立地し、さらに寺社の近くにできることが多かったという話が出てくるのだが、ここからは、そこに住む人が各々の内に籠るエネルギーを発散する場が日常生活から離れた「ハレ」の空間にあったということ、したがって、人々にとって娯楽や解放もまた、日常生活の場を離れた場所にあるものとして想起されたことが伺える。日々の生活の中でくすぶっている何かを、日常生活を離れたどこかで発散させたいという気持ちは僕も持っているのだけれど、上の一節を読んでいると、そんな自分の心情と、都市の要素の空間配置に関する話とに、関係があるような気がしてくるのだ。空間を読むことが人を見ることにつながるのだということが、この本を読んでいるとよくわかる。それが、ただ空間を読む以上の面白さにつながっているように、僕には思えるのだ。

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 とはいうものの、ずっと東京の空間構造の話ばかりに触れているとだんだん疲れてくるのもまた事実である。僕はだいたい、一度に一冊しか読まない人なのだけれど、読書仲間には、複数の本を同時に読み進めるという人も少なくない。実際、1つのことに囚われるのがイヤな人は、こういう読み方のほうが向いているんだろうなあと思う。それを言うと僕も同時進行派のはずなのだけれど、遅読が祟っているのか、一度に一冊という読み方が基本になっている。

 しかし、今日ばかりは、さすがの僕も別の本を手に取りたくなった。もとより、読まないといけない本もある。近々会社の部署内勉強会で、段取り力について話すことになっている。決して僕が段取り上手だからではない。むしろ逆で、段取り下手だからこそ、自分のために買った段取り力の鍛え方に関する本を、この機会にちゃんと読もうと思い、話してみますと申し出たのだ。そんなわけで、段取り力に関する本を手に取ってみたのだが、ハウツー本あるあるでとにかく目次が長いので、それを見たところで本を閉じてしまった。

 もっとも、本を閉じた理由の中には、目次をみているうちに、いまそれを読むより先にやるべきことがあるような気がしてきたからというのが3割ほど含まれる。果たしてその後幾つかの雑事を済ませた。ちょっとだけ、物事が捗ったような気分になった。