遅くなりましたが、1117日(日)に開催した哲学カフェのことを振り返っていこうと思います。同日夕方、京都・彩ふ読書会が開催された後、会場をそのまま利用して、読書会哲学カフェ研究会、改め「イロソフィア」の主催で、哲学カフェを行いました。

 哲学カフェとは、テーマを1つ決めて、みんなでともに考える集まりのことです。すなわち、「友だちって何?」「お金ってどれくらい大事?」「許すってどういうこと?」など、身近なテーマを扱い、日常の言葉を使って考えを深めていくという集まりです。いわゆる「哲学」の知識は一切必要ありません。大切なのは、自分の考えを表に出すことであり、他の参加者の考えを聴くことであり、それらを通じて、テーマを巡る考えを整理したり、新たな気付きを得たりすることです。

 彩ふ読書会哲学カフェ研究会、改め「イロソフィア」は、そんな哲学カフェに興味を持った読書会メンバーが集まり、1年前に読書会の部活動として誕生しました。最初のうちはメンバーが個々に参加した各地の哲学カフェの様子を紹介し合うばかりでしたが、今年の4月から自分たちでも哲学カフェをやろうということになり、読書会メンバーを対象にした哲学カフェをこれまでに4回開いてきました。そして今回、1117日夕方、満を持して、読書会の内外を問わず広く参加者を募集しての哲学カフェを開くことになったのでした。

 なあんて、随分カッコよく書いてしまいましたが、今回の哲学カフェは、イロソフィアの創設者かつ会長であるちくわ大先生の尽力により実現したものです。僕は当日の進行役を務めた以外特に何をやったわけでもないので、デカい面をひっさげなどせず、細々と振り返り記事をしたためることにしようと思います。

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 今回の哲学カフェのテーマは、「自信はどうやったらつくの?」です。テーマを提案したのは僕でした。端的に言って、僕は自分に自信がありません。「もっと自信をもてばいいのに」学生の頃から何度もそう言われ続けてきましたが、これという自信を持つことができないまま、僕は今に至っています。冴えない感じのする人を見下したり、才能溢れる人に嫉妬したり、思い切った行動を取れずにモジモジしたり……日々繰り返すそれらの行動は、つまるところ、自分に自信がないところから来るのではないか。そんなことを心のどこかで思っていたことが、今回のテーマ選定につながったような気がします。ともあれ、上のような問いを掲げたうえで、自信をテーマに哲学カフェをやるというのが、今回の目的でした。

 会場は、京都の梅小路にあるRentalSpace T7.5というところでした(普段の読書会は北山のSAKURA CAFÉというところで行われますが、今回は場所を変えての開催でした)。住宅地の中にある小さな工場みたいな建物に入り、2階にあがったところに開けていたレンタルスペースで、脱出ゲームのアジトを思わせるような秘密基地感溢れる場所でした。その場所に、14名の参加者が集まり、1610分ごろから2時間余り哲学カフェを行いました。

 さて、今回の哲学カフェの振り返りは、印象に残った話をどんどん振り返っていく前編と、それらの話を踏まえ自信についての考えを深めていく後編の二部構成でお送りしようと思います。先に書いた通り、僕は今回司会進行を担当したわけですが、同時に哲学カフェの一参加者でもあり、そして何より、上述のように自信というテーマにそれなりの関心をもつ者でもありました。ですので、この振り返りでは、司会として哲学カフェを公平かつ網羅的に振り返ることよりも、僕の心に残った内容を取り上げ、それらをもとに考え進めることを大事にしたいと思います。

 それでは、2時間にわたる哲学カフェの中で印象に残った内容を紹介するところから話を始めましょう。

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◆①「自信があるか/ないか」ではなく、「自分には何がどこまでできるのか?

 いきなりですが、「自分に自信があるかどうかなんて考えたことがない」という方の意見を振り返るところから話を始めようと思います。実を言うと、僕はこういう人のものの考え方を聴いてみたいと思っていたのです。自信の有無に拘泥せず、あっけらかんと生きている人の考え方の中にこそ、自信のなさとの向き合い方に悩んでいる自分を乗り越えていくための鍵が隠されている。そんな気がしていたのです。

 その方はこう話していました。「僕は自信があるとかないとか考えたことがなくて、ただ、自分は何がどれくらいできるのかってことを考えるだけなんですね。例えば、料理はできない、英語は道訊かれて答えられる程度、運動は走るのはできる、みたいな感じ。そうやって、自己評価を客観的な評価とつなげていくんです」

 予想していた通り、この話の中には、自信のなさに悩まないための重要なヒントが隠されているように、僕には思えました。ポイントは、自分の能力や現状について、客観的かつ具体的な分析を積み上げていくということです。僕はよく「あれはできる」「これはできない」というように、物事について「できる」「できない」という漠然とした評価だけを下していました。この漠然とした「できない」が、自信のなさにつながっていたのではないかと思います。そうではなく、何がどれくらいできないのか、逆にどこまでならできるのかを、具体的に分析していく。これだけでも、自分に対する認識は随分変わるのではないかと、僕は思いました。

 実際に、自分について詳しい理解を積み重ねていくことは、自信をつけるうえで有効な手法のようです。上の方の話に続けて、別の参加者からこんな話がありました。「自信をつける方法として、人にも自分に対してもやってきたことが2つあって。1つは、その人が行った事実を話すことなんですね。例えば、コレコレの仕事が何分でできたよとか。そういう事実を伝えると、自信がつくようになるんですね」この方法は実践するのもそれほど難しくなさそうですので、これから日々心掛けていこうと思いました。

 ところで、2番目の方の話に登場する自信をつけるもう1つの方法は、「ただひたすら、できるできる、できるって、と言い聞かせる」というもののようです(僕らはその場で「松岡修造方式」と命名しました)。何の根拠もないけれど、ただとにかくできるできると言い続け、自己暗示をかけると、本当にそれができるようになる。なんとなくわかる気はします。ただ僕は、根拠もないのにただできると言われると、自分が雑に扱われたような気になりそうだなあと思ったので、採り入れるならやはり、具体的な自己理解を深める方法にしようと思いました。

◆②自分に保険をかけるための「自信がない」

 続いて、「自信がない」という言葉の使い方に注目したやり取りをご紹介しようと思います。哲学カフェをやっていて面白いなあと思うことの1つは、テーマで取り上げた言葉を僕らは実際どのように使っているかが焦点になり、そこから議論が膨らむという展開がしばしば訪れることです。この手の話は、元々そのテーマを巡って考えたいなあと思っていたこととは違う内容になることも少なくないのですが、その分発見としては新鮮で印象に残りやすいものだったりします。ともあれ、「自信がない」という言葉を僕らが普段どのように使っているかというところから見えてきたものについてまとめてみましょう。

 「明日のスピーチ自信ないなあ」「今度のテスト自信ないよ」こんな物言いをした経験がどなたも一度はおありだろうと思います。ここで出てくる「自信がない」という言葉は、自己評価の低さからくる〈自信のなさ〉とはまた違ったニュアンスを持っているように思えます。むしろ、「自信がない」ということで、万一失敗してしまった時に傷つかないよう自分に保険をかけるという意味合いが強いのではないでしょうか。自信満々だったのに、いざスピーチをすると噛み噛みになってしまったり、テストの点数が悪かったりすると、ひどく落ち込んでしまいます。そのような事態を避けるべく、予め自己評価を低く見積もっておく。そのような心理の表れが「自信がない」という言葉なのではないか。そんなことを僕らは話し合っていました。

 もっとも、このような「自信がない」の使い方を単なる渡世術とみていいのかには一考の余地があるかもしれません。「それって、パフォーマンスと本心と半々の言葉だと思うんです」ある参加者からこのような発言がありました。つまり、もしスピーチで、テストで、失敗したらどうしようというその思いにウソはないということです。後になってみないと結果はわかりません。その結果に対して不安を抱くのは自然なことかもしれません。

 ちなみに、「自信がない」という言葉を、「面倒臭い」をオブラートに包んだ言い方として使っているという人もいました。「ちょっとこの仕事やっといてくれない?」「あーごめんなさい、自信ないです」これはまあ渡世術とみていいでしょう。

◆③何かをするのに、自信は必要か?

 哲学カフェが後半に差し掛かる頃、それまで静観してたある参加者から「自信って必要なんですかね?」という問いかけがありました。これはとても大事な問いかけだと思いますので、暫く検討してみることにしましょう。

 その方はまず、自信のなさの正体はできないことへの恐怖ではないかと指摘されました。そのうえで、ある時ヒッチハイクに出た経験をもとに、成功体験やできるという確証がなくてもいいんじゃないか、自信は必要ないんじゃないかということを話されていました。後からこの話を思い返すとき、ここで本当に問われていたことは、〈人はどうやったら新しい物事を始められるのか?〉〈どういうきっかけがあれば新しいことを始められるのか?〉ということだったように思います。確かに、新しいことにチャレンジするためには自信が必要のように思えます。しかし、別に自信があろうがなかろうが、新しいことを始める人というのもいるのです。この後、哲学カフェの中では、本当に必要なのは自信ではなく勇気ではないかという話が出たり、勇気と無謀の違いは何かというところへ話が進んで行ったりするのですが、その辺りの話はここでは置いておこうと思います。

 新しいことにチャレンジするきっかけにはどんなものがあるでしょうか。試しに、思いついたものをざっと挙げてみようと思います。①やむにやまれぬ状況になったから、②それがやりたいことだから、③人から薦められたから、④現状維持だと退屈だから……考えてみれば色々あるものです。それぞれについてより詳しくみていく必要もありそうですが、とりあえずここでは、新しい物事を始めることと、自信の有無とは、必ずしも関係がなさそうだということを確認しておくに留めたいと思います。

 そういえば、哲学カフェの中ではこんな話もありました。「自信というのは安定するために得るものだと思うんですね。なのに、なぜ安定を壊して不安定な状態に向かおうとするのか、すごく不思議ですね」不安なままだと落ち着かない、だから自信が必要なんだということであれば、自信は心を安定させるために必要なものということになります。しかし、この見方に従うと、ではなぜ自信のある人は、新しいチャレンジという成否の定まらない不安定なことに手を染めようとするのかわからなくなってしまいます。やはり、自信と行動力とがどう結びついているのかについては、丁寧に考えてみる必要がありそうです。

◆④自信は一人では身に付かない

 最後に、哲学カフェの終盤で繰り返し登場し、参加者を頷かせた話を取り上げることにしましょう。それは「自信は一人では身に付かない」という話です。

 例えば、ある参加者は「大人になってからでも、環境の力や周りの人のサポートなどで自信をつけられることもあるんじゃないかなと思いました」と話していました。ひとりであれこれ考えている時は不安でいっぱいだけれど、ここぞという場面になったら人は変われるし、誰かが手を差し伸べてくれたら安心感を得られることもある。自分のこれまでの経歴や体験にこだわらなくても、それ以外の人・ものとのかかわりの中で、自信は身に付けられるのではないか。この話からはそのようなことが伺えます。

 また、別の参加者からは「私よく人から根拠のない自信があるタイプと言われるんですけど」という話がありました。過去のことを顧みるなどせず、深く考え込まないで行動していると、周りから自信があるように見られたという話でした。この方の話の興味深い点は、自分に自信があるかどうかということに、ご自身では一切言及されなかったことです。しかしながら、この方は最後に、「自分の自信はひとりではつくれない」と話しておられました。きっと、この方は、自信があるように見えると言われることを通じて、自信がある(であろう)自分になれたのだと思います。

 自信が持てるということと、周りの人からの評価との関係については、他にも色んな話が出ていました。いずれにせよ、自分自身のこれまでから自信の有無が決定されるわけではないというのは、僕の中ではありそうでなかった発想で、興味深いものでした。

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 以上、哲学カフェの中で印象に残った話を紹介してきました。結構バラバラっとした紹介になってしまったのではないかと思います。僕自身、印象に残った話を書き出してみた時、「あれ、この話とこの話はどうつながるんだろう?」ということが気になって仕方がありませんでした。というわけで、以上のやり取りを踏まえたうえで、自信というものについてこれからさらに考察を深めていこうと思います。もっとも、振り返りも既に5,000字を超えてしまっていますので、考察は記事を改めてお送りしたいと思います。それでは。

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※哲学カフェの網羅的なまとめについては、ちくわ会長による記事をご参照ください。