ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2020年01月

 知らなかったことに出会うのは、とても難しいことだ。例えばここで、最近起きた出来事や目にしたものについて考えを巡らしたとする。ある程度考えていれば、漫然とそれらを眺めていただけでは分からなかったことが見えてくる。しかし、そこで見えてくるものは、大抵の場合、知らなかったことではなく、知っていたことだ。もう少し正確に言うなら、知っていたけれど意識しないでいたことだ。僕らは詰まるところ、自分に見えている世界しか見ることができない。紙に滲むインクのシミが文字や数字に見えるのが、僕らがそれらを字として知っているからであるのと同じように。僕らは簡単には、自分の世界から抜け出すことができない。

 自分が知らないことと言うのは、自分の理解の及ばない何か難しいものであるような気がする。少なくとも僕はそうである。だから、出会った事柄を振り返る時、僕はいつも、それらの出来事の奥にある意味を見つけ出そうと、難しく考え込んでしまう。しかし、その尖った思考の先に見えるのは、既知の概念で埋め尽くされた味気ない事柄でしかない。そして、自分の知らなかったことと言うのは、上記のような考えが取りこぼしてしまったとても素朴な事柄のうちにある。それは、我々をすぼまった思考へと誘うべくきゅっと締まった肩の、その力を抜いた時に初めて見えてくるものだ。

 先日読書ノートをつけたことを書いた。そしてそこに、自分が発見したと信じたもののことを書いた。物語の主軸とディテールの関係がどうとか、面白いプロットのテンプレはどういうものだとか。けれども、それらは発見というにはあまりにお粗末な代物だった。そのことを無意識のうちに感じ取っていたがために、僕は却ってお粗末な思考の残骸に縋りついたのかもしれない。

 その時振り返っていたのは、ある知り合いの方から借りた、祭りをテーマにした短編集だったのだけれど、僕がこの短編集から得た一番大きな発見は“祭りが嫌いな人もいる”ということだった。僕は雰囲気に流されやすい人間で、祭りの日になれば自然にテンションが上がり、内でくすぶっていたエネルギーを発散させる。けれども、祭りが持っているその熱量を嫌う人や苦手とする人も世の中にはいる。考えてみれば、中高時代、文化祭や体育祭をイヤイヤこなしていたヤツは少なくなかったし、大学時代について言えば、僕だって、自分の大学も含めおよそ世の中で行われている学祭というものを疎んじていた。それなのに、祭りが嫌いな人もいるという、単純極まりない事実に、僕は全く気付かないでいた。そして、単純すぎるがゆえに、一度気付いてしまうと、それはとてもちゃんとした形で、自分の内に根付いたように思えた。

◇     ◇     ◇

 自分が本当に思っていることを表現するのも、これまた難しいことだ。これが難しいのは、自分が本当は何を思っているのかに気付くこと自体が難しいからだ。僕らはその時々の身の回りの出来事や状況に左右されて、早まった決断をしてしまうことがある。けれども、そこで考えていることというのは、本心とあべこべだったりするのだ。

 疲れてきたので詳しくは書かないが、僕はここ数日、この早とちりにより随分苦しめられてきた。冷静になったと思っても、また気が立ってしまったり、つまらない言動に走ったりしてしまった。その度になんだかイヤな気分になった。けれども、そこで終わっていけなかった。じゃあどうしたかったのか。大切なのはそこだった。そして、それを考え、己の本心に気付くと、やるべきことは自ずと見える気がした。

◇     ◇     ◇

 ここ数日、何度も気の滅入りを感じながら、僕はいつになく真面目なことを考えていた。もちろん、それは立派な事でもなんでもない。ただ、そういう時も、人には必要というだけのことだ。

 先日書きたいと言っていた読書ノートを、漸く書き始めた。その時読んでいたのは短編集だったので、1作品ごとに少しずつ書いている。全体の印象をザクッと書き留めるだけではなく、作品のテーマや、面白さの元になっている要素は何かといったことを自分なりに考えながら書くというのが、今回意識していることだ。お陰で、物語の仕組みについて、今まで気付かなかったことが見えてきたような気がする。

 例えば、物語の本筋とは大きく異なる要素をディテールに加えることによって、作品が面白くなるのではないか、というようなことが見えてくる。現実離れしたハチャメチャな作品ならば、舞台設定や登場人物の人間臭さであるある感を出す。コメディを基調とする作品には、意図的に人間のキタナさや人間関係の哀しさを書く、といったように。また、喜びを生み出すと思われたものが争いの引き金になったり、一途な恋が破滅につながったりといった、期待を裏切る展開というのは、ベタかもしれないが、やはりかなりの説得力がある。物語に触れる時に、僕らが暗に求めているものが“納得感”なのだとしたら、この点は見逃せないだろう。

 いずれも大して深い考察とは言い難いが、これまで漫然と作品全般の感想を振り返るばかりだった僕にとっては大きな発見だった。とにかくやってみるものである。

 来月の課題本を取りに実家へ帰った。課題本は、カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』である。社会人になる前の春休みに、買って一度読んだことがある。それでいて独房にないということは、実家にあるに相違なかった。

 果たして本は実家にあった。もっとも、僕の本棚ではなく、妹の本棚に入っていた。元々僕が買った本なので、当然の如く抜き取り、親に伝言を依頼した。

 実家にはいま、父・母・妹が暮らしているが、僕が帰った時には父しかいなかった。その父も、日曜の午後から何やら仕事をしているらしく、僕は放っておかれたので、独房にいる時よろしくゴロゴロしながら本を読んでいた。実家には満11歳になるヨークシャーテリアもいて、僕が帰ると出迎えの挨拶だけはしてくれるのだが、一通り歓迎が済むとどこかへすっ込んでしまう。ちょっと探しに出てみると、寝室の蒲団の上でとぐろを巻くようにして寝ていた。「犬は喜び庭かけまわり、猫はこたつで丸くなる」というが、我が家の犬は昔から蒲団の上で丸くなっている。血統書付きのクセに“ダックスヨーキー”と渾名されたくらいに胴長で、色合いも焦げた鰻の蒲焼きのような具合だから、ぐるぐる寝ているヤツのことを僕は「マムシ」と呼んでいる。

 ともあれ僕は暫く本を読んでいた。読みながらふと、久しぶりに読書ノートをつけた方がいいんじゃなかろうかと考えた。独房を発つ直前、僕はふいに「最近何も勉強してないな」と思い、なんだかマズいなという焦りのようなものを感じていた。それでいて、僕には自分が何を勉強したいのか、てんでわからないのだった。ただ、何も学ばず、目の前にあるものをいい加減に受け流すばかりでは、生活が停滞してしまうような気がして、というよりもいま実際長い停滞を続けているのではないかという気がして、それだけは何とか改善せねばならぬという思いに駆られたのである。そこへ来て目の前に本があったものだから、せめて本を読んで気付いたことについて、ただぼんやりと感じるだけではなく、あれこれメモを残しておけばいいかもしれないと思ったのだ。

 そんなことを考えながら読んでいると、どうも気が張ったらしく、パタリと閉じてテレビでも見ようという気分になった。独房にはテレビがないから、実家でテレビを見る時間は意外と貴重なのである。テレビの電源をつけ、適当にチャンネルを変え、それから、なんだか寒くなってきているなと感じたので、ヒーターの電源を入れた。

 すると、チャチャチャという軽快な足音を立てながらマムシワンコが下りてきた。そして、ヒーターの前に寝そべる僕の上へどっかと乗ってきた。この犬はぐうたらすることにかけては恐ろしく秀でた才能を持っていて、夏には床の一番冷えている場所を探り当てて絨毯のようにベタリと広がり(そしてそこが己の体で温まるとどこか余所へ移っていく)、冬には家じゅうで一番温かい場所を探してとぐろを巻く。それにしても、今しがたつけたばかりの電気ヒーターに勘付いて、上階からやって来るとは驚いた。「なんで気付いたんや?」と思わず訊いてしまったが、答えが返ってくるわけもなく、身体をまっすぐヒーターに向けたまま、顔だけ声のする方に向けている。なんだか神々しさを失ったシシ神様のようであった。

 とりあえず、そんな珍客を乗せたまま、僕は何を見るあてもなく、夕方のニュース番組をつけたままに見ておいた。そこへ父が下りてきて、「大相撲はどうなった?」と訊くので、チャンネルをNHKに変えた。幕尻力士で優勝という最大の下克上をやってのけた徳勝龍が、インタビューに応えているところだった。後になって最後の一番を見ると、手に汗握る展開でとても面白い取組だった。

 夕飯はポトフと、父がひとりでスキーに行った先で買ってきたハムだった。「おでんを洋風にすりゃあポトフだよなあ」というようなことを考えながら、美味かったのでお椀3杯分食べた。それから『ザ!鉄腕!DUSH!!』を見て、大河ドラマを見た。実家のいつもの日曜日だった。

 21時を回ったところで、父が風呂に入ると言い出したので、帰ることにした。玄関を出たところで、仕事から帰ってきた母とすれ違った。簡単な会話をして程なく別れた。用事で出掛けたという妹とは会えず仕舞いだった。

◇     ◇     ◇

 などという話も取り留めもなく書いてみる辺り、僕のいまの生活は本当に行き当たりばったりなのだなあと思う。それが絶対に悪い事だとは言わない。しかし、それだけでいいものかと、僕はやはり思ってしまう。

 ひどく長い時間寝ていたようだ。理由はわからない。

 ゆうべ食事を摂った後、本でも読もうと思い蒲団に身体を横たえてページをめくり出した途端、眠気が襲ってきた。必死に抵抗したつもりだったが、気付けば日が変わる直前になっていた。それでどうやら気が抜けたらしく、次に気が付いた時には、掛け布団の上に身を投げ出したまま転がっていて、時刻は夜の1時を回っていた。深い溜息が漏れたものの、過ぎたことをとやかく言っても仕方がないので、そのまま寝ることにした。

 不規則ではあるが、ともあれ寝ていたわけで、翌朝の目覚めは早かろうと思っていた。確かに、7時前に一度目覚めた。が、そこで安心感を覚えたのがいけなかったらしく、次の瞬間、時計は9時半を指していた。

 何が何やらわかったものではない。

 まあしかし、考えても仕方がないから、とにかくよく寝たということにしておく。

 久しぶりに、仕事帰りに友人と飲みに出掛けた。数日前急に連絡が来た。もっとも、彼からの誘いは大概突然なので、驚くことはなかった。時間もちょうど空いていたので、すぐに「行こう」と返事した。

 前から気になっていた店があるというので、そこへ一緒に行くことにした。新梅田食道街の中にある「たこ梅」というおでん屋だった。なんでも、彼のお父さんのオススメらしい。着いてみると、全席カウンターの店である。創業170年を超える老舗で、僕らが入った店舗も1950年にオープンしたという。確かに、いい意味で年季の入った趣のある店だった。

 「たこ梅」という名前だけあって、たこの甘露煮を推していたので、とりあえずそれを食べ、あとはおでんを適当に頼んだ。どれも味がよくしみていて美味しかった。ちなみに、たこを出しているから「たこ梅」なのかと思ったら、そうではなく、その昔効率よく料理を出すためコの字型に席を配置し、その真ん中でおでんを煮て四方八方へ提供する様を「たこ」と呼んだのが名前の由来だそうだ(ということは、たこ料理は後から付けたのかしらん)。コの字型のカウンター席は今ではそれほど珍しくない印象だが、当時としてはアイデアの賜物だったのだろう。

 僕と彼が飲みに行くと、大概両方べろべろになる。どちらかが悪いというわけではない。強いて言うなら、どちらも勝手に悪いのである。ともあれ僕は今回も相応の覚悟をして臨んだ。が、最初の生中が減ってきた頃に彼に「次どうする?」と尋ねると、「ちょっと去年酒の失敗が相次いだから、今年はペースを落とす」という。僕も何やら思い出すことがあって、一緒にのんびり飲むことにした。僕らは酒を舐めるようにしながら、どちらからともなく過ちを語り出し、互いの傷を舐めた。

 それでも、錫の容器で適温にされた山田錦だけはどうしても飲みたいと思ったので、ビール2杯の後に思い切って頼んだ。その時、きっと2人とも1合ずつ飲むだろうと思って2合注文したら、「試し飲みの量じゃないな」と苦笑された。もっとも、彼も苦笑はするが止めないし、いざお酒が出てきたらよく飲む。つまるところ、好きなのである。

 そうやって飲んでいると、入口ののれんの方から運ばれてきた料理がある。これはなんだろうと思って尋ねてみると、斜め向かいの別店舗に調理場があって、おでん以外の料理を頼むとそうして運んできてくれるのだという。「出前みたいなもんよ」と言って女将さんが笑う。これは面白いと思った僕らがメニュー表を覗き込んでいると、「その気になってきたやん」とまた笑う。結局僕らは刺身と茶碗蒸しを頼んだ。味もさることながら、こうしてひょっこり運ばれてくる料理を食べているのだということが、何か特別なことのように思われた。

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 ところで、僕も彼も1つ所で飲み続けるより、23軒渡り歩いて飲むのを好むタイプである。どれだけ店が良くても、滅多なことで長居はしない。これは性分だから仕方がない。ともあれそんな次第で、2時間ほどで僕らは「たこ梅」を出て、次を探すことにした。その段に至って、僕はふいに、大阪駅で気がつけば辿り着いている店と言えば、あそこしかあるまいというものに思い当たった。それは、読書会の帰りによく飲みに行く「なじみ野」という大衆居酒屋であった。これは大阪駅前ビルの地下街にあるのだが、聞けば彼はこの地下街を開拓したいと思いつつ手を出しかねていたというから、好都合であった。

 「なじみ野」はとにかく安くて美味い。コスパが最高に良いのである。僕自身は平日に訪れるのは初めてだったが、読書会メンバーの中にはずっと前から平日にも言っている人もいる。その人から「2日で3回行った」という勘定の合わない話を聞いたこともある。なんでも、ある日仲の良い人と2人で「なじみ野」で飲んでいて、それから2軒目へ行こうということになったが、結局いい行き先が見つからず、2軒目も「なじみ野」に入った、そしてその翌日も別のメンバーで「なじみ野」に来たから、こういうことになったそうだ。

 それほど病みつきになる人も現れる店であるが、気付けば彼も「1ヶ月以内にまた来ると思う」と言いながら飲んでいた。幸いなことに、この店は23時閉店で、22時過ぎに食事のラストオーダー、22時半にドリンクのラストオーダーとなる。ドハマりしても後ろが決まっているから安心である。

 そんなわけで、僕らはどちらも気が確かなうちに店を出た。「この2人でこんなに健全に飲んだのは初めてや」と言いながら、僕らは東西線の改札をくぐった。

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