ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2019年12月

 皆さまこんにちは、ひじきでございます。

 いよいよこれが、2019年最後の記事になります。予告通り、この1年全体を振り返り、来年へ繋げられるような内容にしたいと思います。もしかしたら、今まで表に出さないようにしてきた事柄がボロッと出てしまうかもしれませんが、その時はその時です。大目に見てください。そもそも、これは僕の“日記”なのですから。

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 12月が始まったばかりの頃、僕は愕然として日々震えていたように思う。「今年が、もう終わる」そのことが、俄かには信じられなかったのだ。

 2019年を振り返ってまず思うのは、あっという間の1年だったということだ。僕は決して、過ぎてしまったことは何もかもあっという間なのサという類の一般的な感覚の話をしているのではない。この1年は、今までのどの1年よりも、圧倒的に短かった。

 それと同時に、僕は不思議な焦りを覚えていた。それはすなわち、「何もしていないうちに1年が終わってしまう」という焦りだった。

 そういうと、いやいや何を言う、あんたは色んなことをして、沢山のブログを書いてきたじゃないかという声が聞こえてきそうである。確かにその通りだ。この1年、僕は色んなことをやってきた。毎月のように読書会に参加し、レポートを書いてきたし、哲学カフェ研究会やヅカ部をはじめ、幾つかの部活動にも顔を出してきた。哲学カフェについて言えば、読書会とは関係のない別の会にも、不定期ながら顔を出すようになった。友だちや家族と旅行に出掛けたことだって1度や2度ではないし、会社の人に誘われて福井県で開催しているマラソン大会にも参加した。大掛かりな旅行でなくても、京都・大阪・奈良・和歌山と、関西一円に向かって出掛ける機会があった。仕事について言えば、7月に後輩ができ、立場が変わることによる気の持ちようの変化も味わった。そう、振り返ってみれば、本当に色んなことがあった。むしろ、ありすぎたくらいである。週末のスケジュールが今年ほど沢山埋まっていた年は、未だかつてなかったのだ。

 それにもかかわらず、この1年を振り返った時に“何もなかった”というような感想が浮かんできてしまうのは、つまるところ、人として変化した・成長したという実感が湧かないからではないかと思う。確かに沢山のことを経験した。しかし、その結果僕はどうなったというのだろう。多忙化した日々にただただ流されるうち、一切が惰性で回るようになる。そうしてぼんやりしているうちにも時は流れ、気が付いた時には年の瀬になっていた。そんなところだろうか。

 実を言うと、その時点で目に付く変化が1つだけあった。しかしそれは決して良い変化ではなかった。すなわち、その時気付いたことというのは、苛立ちやすい人間になったということだった。今年の僕、とりわけ後半の僕は、イライラしていることが多くて、何か気に食わないことがあるとそのイライラを人にぶつけるようなところがあった。そういう時の僕はきっと、疲れ切ったような顔をしていて、何もかも面白くないという雰囲気を漂わせていたのではないかと思う。

 そのことにハタと気付いた時、激しい自己嫌悪に苛まれた。始終面白くなさそうな顔をして周りに当たる大人など、一番なりたくないものだったからだ。そのなりたくないものに自分がどんどん近付いているとわかった時、あまりの情けなさに打ちひしがれる思いがした。

 11月から12月初めというのはまさに、僕がこうした己の暗部に気付き、頭を抱えていた頃であった。自分の変化・成長を実感できず、時の流れの速さを嘆くばかりになっていたのには、こうしたタイミングの問題もあったのかもしれない。

 12月に入って、ブログの更新を、それまでのほぼ毎日更新するスタイルから、書きたいことがある時に限定するやり方に変更したのは、正しい選択だったと思う。それはすなわち、日々の生活の中で抱えている“やるべきこと”の総量を減らすという選択だった。これにより僕は、毎日何かを書かなければならないというプレッシャーから解放されると同時に、何かを書く楽しさを久しぶりに味わうことができた。元々やりたくて始めた日記風ブログは、この1年の間に“楽しみ”から“タスク”へと変質していた。何の予定もない休日を、ブログ用の原稿を数千字書き進めるためだけに費やしたことも何度もあった。そういうものだと思ってやっていたけれど、しんどい面もあったのだと思う。いつの間にか自分を縛り付けていた義務感を取り払うことで得られたものは多かった。

 色んな方からお褒めの言葉を頂いた「彩読京都推し本大賞2019」のプレゼンは、こうした時間の使い方の変化の賜物として生まれたものである。12月の上旬、僕はブログの更新を放棄し、プレゼンのためにたっぷり(必要以上の)時間を確保していた。そのような生活の変化を伴っていたこともあり、推し本大賞の成功は、とりわけ感慨深い思い出となった。

 いきなり具体的な話を書いてしまったが、2019年というあまりに早すぎた1年を反省し、2020年に取り組みたいことの1つは、こうしたスケジュール管理の強化である。その中には、〈時間の使い方を考えること〉に加え、〈やることの総量を調整すること〉などが含まれている。折しも、会社において、段取り力をテーマに自分で調べ物をして発表する機会というのもあった。そこで「使える!」と思ったことを積極的に取り入れて、ささやかな自己改革に取り組みたいと思う。もっとも、〈やるべきことをメンドクサがって後回しにしない〉という戒めも、セットで叩き込まなければならないのだけれど。

 折角なので、2020年に取り組みたいことをもう1つ挙げておこう。今やすっかり惰性に陥っている日常に新鮮なものを取り入れていくことだ。もっとも、それは何も目新しいことでなくてもいいのかもしれない。いまやっていることにちょっとした工夫を加えるだけで、新鮮さは十分採り入れられるのではないかと思う。例えば、本の選び方を変えてみるとか、そういったことだ。

 少し前に、彩読ラジオ(読書会メンバーが月1回程度行っているニコニコ生放送。僕も数度の出演歴がある)の中で面白い話があった。「何か新しいものに手を出すときは、怖いと思った方を選べ」という話だ。恐怖や不安を覚えるものの中にこそ、それまでの自分にない新しいものがあるのだから、自分を変えたいと思うのならば怖いと思うものにこそチャレンジしてみた方がいいという。聴きながら「なるほどなぁ」と思った。これを新しい行動基準の1つにしてみようというのが、いまの僕の考えである。

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 このように、予定に追われ苛立ちにまみれながら日常に流されていくのと並行して、僕はまた別の問題とも向き合っていた。それは自分のキャラクターの問題である。

 僕はいわゆる“いじられキャラ”である。仕事でも趣味の世界でもその点については変わらないし、なんだったら学生時代から一貫して同じであるから、キャラとは言うものの作っているという感覚はもはやない。僕自身、避けられるくらいならいじられる方がよほどいいという思いがあったので、このキャラクターを受け容れている面があった。

 しかし、2019年には、いじられるのがしんどいと思ったことが何度もあった。ただしんどいというだけでなく、自分が雑に扱われているような気がして腹が立った。人からなんやかんやと構われるのは愛されている証拠だと言ってくれる人もいたが、その言葉を素直に受け止めることは、当時の僕にはできなかった。むしろ、都合の良い言葉に丸め込まれてたまるかという反発心で怒りと苛立ちを増幅させるばかりであった。

 だからといって、人に対して「いじるな!」と言うのは憚られた(そういうストレートな要求はむしろナメられる原因にしかならないような気もした)。そのため、自分を変えることによって、状況を変えようと試みることになった。ムリにウケ狙いに走って半ば道化のようになるからいけないのだと思って、笑いを封印しクソ真面目な風を装ったこともあったし、面倒臭がりだったりウッカリしていたりといった欠点を無くそうと躍起になったこともあった。どちらもある程度必要なことだったかもしれない。が、そうやって無理矢理自分を変えようとすると、逆にムリが祟った。

 このようなムリもまた、ストレスや苛立ちの要因になっていたのではないかと、僕は思う。そして、それはただ単に慣れないことを強いたからだけではなかったようにも思う。自分を変えようと試みる中で、僕は自分自身の弱さに蓋をしようとしていた。ぶくぶくした承認欲求を抱え期待される役割(それでも“いじられる”)に沿おうとしてしまう自分、ウッカリが多い自分、不精な自分……そんな弱い自分を悉く否定し、欠点のない立派な存在になろうという力みが、僕をますます硬直させた。

 それは、一言でいえば、〈バカでいられなくなる〉ということだったのかもしれない。〈バカになれ〉という言葉を、社会人になる前にある人から贈られた。その言葉の意味を、僕はずっと勘違いして、道化になる道を突き進んできた。それこそバカの極みであるということに、最近になって漸く気付いた。〈バカになる〉というのは、つまるところ、己の弱さに対し素直になることだったのだと思う。弱さを無闇矢鱈と隠そうとせず、欠点だらけの自分を受け容れること、それが〈バカになる〉の意味だったのだと思う。……なんだかバカバカと書いていると語感がきつくてウンザリしてきたので、ここからはいつも読み慣れ使い慣れている〈阿呆〉に改めよう。

 己が阿呆ぶりを受け容れ、そこから全ての言動を立ち上げるにあたって、一番参考になったのは、前回の記事でも取り上げたさくらももこさんのエッセイだった。「阿呆」は元々森見登美彦さんの文章から取ってきた言葉であるが、森見さん流の阿呆の表現は生身の人間としての僕が現実を生きるにあたって援用できるものではなかった。それはすなわち、自分というものを徹底的に覆い隠し、別個のキャラクターを通じて阿呆ぶりを描くという方法だった。しかし、僕にはどうしたって、自分を隠すことができない。自分自身から切り離されたところにある純粋な“面白さ”の世界へ突き進むのは、僕にとってはあまりに困難なことだった。そこへ現れたのが、さくらももこさんのエッセイだった。自分を正直に曝け出しながら、人に対しても鋭い目を向ける。それでいて決して冷笑的にならず、双方を包み込もうとする。人間皆阿呆であり、而して亦愛すべき存在である。自他に対するそのような視線の向け方を、僕はさくらももこさんのエッセイに強く感じた。自分が範とすべきものはこれだと思った。

 このことにきちっと気付けたのもまた、年が暮れようとする頃だった。だから、12月を迎えたばかりの頃の僕はまだ逡巡の最中だった。2019年の終わりが近づき呆気に取られながら、僕はようようラストスパートにかかった。間に合ったかどうかはわからない。ただ、自分が書いたものをもとに判定するなら、12月の僕は、ちゃんといい阿呆になっていたように思う。

 2020年も僕は阿呆でいようと思う。それはつまり、情けないところもある自分をそういうものとして受け容れるということである。もちろん、受け容れるということは現状維持ではない。ここの区別は難しい。一旦自分を許してしまうと現状維持に流れやすいからだ。変えるべきところは変えねばならぬ。重要なのは、変わるべき自分とはそもそも何者なのかを知るということだ。ふと、学生時代に読んだ論文の端にあった言葉を思い出した。“共感も否定も、まずは理解から”。

 さくらももこさんのエッセイが支えになるのは、当面の間変わらないという気がする。自分の世界を広げることは大事だけれど、その一方で、ずっと支えになるものを持っておくのも大切なことだと思う。変わることも変わらないことも、どちらも人には必要なのだ。

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 さて、まとまっているのかいないのか、てんでわかりませんが、以上をもちまして、2019年の振り返りを終えたいと思います。やはり、2019年はあっという間に流れた一年だったような気がします。文中で逡巡という言葉を使いましたが、その実、ぐるぐる思い惑うている余裕もなかったのが2019年だった、そんな風に思えるのです。しかし、こうして腰を据えて振り返ってみれば、今後につながる重要なポイントも見えてくる。1年を終える前にそのことに気付けたのは、ラッキーだったように思います。

 2020年の抱負は年が明けてからまた改めて書くことになると思いますが、2019年を踏まえつつ、また次の一歩を踏み出せるようにしたいなと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。ひとまず、今年1年お世話になり、ありがとうございました!!

 読者諸賢ごきげんよう、ひじきである。

 以上、久しぶりに森みの深い挨拶でした(結局流行らなかったなぁこのフレーズ)。

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 今更僕が言うまでもなく、2019年も残すところあと僅かである。年末最後のゴミの日を前に、なんとか独房の大掃除も済み、旅行中の家族と大晦日に合流するまで久しぶりに自由な時間を謳歌できることになった。そこで、この機会を利用して、2019年を振り返る記事を2本ほど書いてみようと思う。1本は総括編で、これは最後に取っておくことにする。もう1本、すなわちこの記事では、今年読んだ本をテーマに書いてみたい。

 ご存知の通り、僕は「彩ふ読書会」という読書会に参加しており、京都会場でサポーターもやっている。サポーターとしてなるべく読書会に顔を出そうとしてきたため、毎月課題本を含め、平均して4冊程度コンスタントに読んできた。決して数は多くないが(たくさん読もうなどと数値目標を立てると読書が楽しくなくなりそうなので、気ままに読んでいる)、安定して本を読めていること自体は誇っていいだろうと勝手に思っている。

 ともあれ、年間で50冊程度の本を読んだわけであるが、この記事では、その中でも特に「読んで良かった!」と強く思える本を5冊紹介しようと思う。うち4冊(2冊+2冊)は、本単独での紹介ではなく「この作者の本!」という形での紹介になるが、まあそんな体裁にこだわる人などそうそういるまいと思うので、好きなように書くことにしよう。

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◆さくらももこさんの本(『もものかんづめ』『そういうふうにできている』)

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 はじめに紹介するのは、さくらももこさんのエッセイである。表題に2冊タイトルを挙げたが、今年読んだのがこの2冊というだけで、特に深い意味はない。逆にどちらか1冊だけ紹介しろと言われると、それはそれで困ってしまう。要するに、本というより、さくらももこさんの文章そのものが良かったのである。

 とにかく僕が驚いたのは「自分をとことん正直に曝け出しながら、こんなにも面白いものが書ける人がいるのか!」ということだった。さくらももこさんの文章には、思わず笑ってしまうものが多い。そのどれもが、自身の体験を基にしているのが、本当に凄いと思う。だからといって、無理にウケを取ろうとしているわけではないし、自分自身を笑いのネタにするからといって、他人に遠慮することもない。鋭い観察眼と巧みなワードセンスでもって、自分も他人もバッサバッサと斬っていく、そんな痛快さがどの文章にもある。つまるところ、人間はすべからく阿呆であり、而してかつ愛すべき存在であるということだろうか。

 ファーストエッセイである『もものかんづめ』の記念すべき第1話は、高校生の時に水虫にかかってしまった体験を基にした「奇跡の水虫治療」という話である。まず着眼点が凄い。そのうえ、これを1つ目に持ってくるものだから、「つ、強い……!」という感じがする。この「奇跡の水虫治療」は、自分が水虫になったという“恥ずかしい”体験を曝け出しながらも、それに対する家族の反応を淡々と描写していて、上述の痛快さに一気に惹き込まれる文章になっている。

 また、同じく『もものかんづめ』に収録されている「メルヘン翁」は、おじいさんが亡くなった時のことを書いた話であるが、どうやらこのおじいさん、『ちびまる子ちゃん』の友蔵とは正反対の陰険でイヤな人だったようで、その大往生から葬式までの一部始終がすっかりオカシイ話になっている。「身内のことを、こんなふうに書くなんて、さくらももこってひどい」という反応もあったそうだが(『もものかんづめ』集英社文庫、p.226)、そういう反応を引き起こす文章だからこそ、人が死んだら悲しみを滲ませながらしんみりと故人を偲ぶものだという社会通念を吹き飛ばす痛快さと、その大元になっている正直さの粋が詰まっているのではないかと思う。この話を読んだ時、僕はその、何も恐れず正直に書くという姿勢の徹底ぶりにただただ驚嘆したものだった。

 第一子の妊娠から出産までの綴った『そういうふうにできている』も、面白い着眼点や鋭い人間観察などがびっしり詰まったエッセイである。特に、「妊娠判明」と「便秘」の2本が大好きだ。「妊娠判明」には、子どもが欲しいとただただせがむ夫の我儘さ、対して基礎体温の記録をサボり嘘八百の折れ線グラフを書き続けるさくらさんの奇妙な苦労話、そして、妊娠がわかった時の不安・歓喜、さらには歓喜の後の目を疑うべきぐちゃぐちゃな部屋の中などが全てつぶさに描かれている。これも面白さのギュッと詰まった話である。

 「便秘」の方は、生まれてこの方便秘に苦しんだことのなかった「快便女王」(『そういうふうにできている』新潮文庫、p.53)のさくらさんが、1時間半にわたり便と格闘した時のことを延々と書いた話である。題材といい自分の二つ名といい、センスが最高にぶっ飛んでいて面白い。いつまでも出ない便のことをさくらさんは遂に「悪魔の封印石」と名付けるのであるが、この「悪魔の封印石」のイメージ画像(p.63)はもうたまらない。何がどうたまらないのかはまるで説明できないので、ぜひとも本編を読んで欲しい。

 ちなみに、独身野郎の僕は妊娠に関する話を耳目にする機会が全くないので、『そういうふうにできている』は、女性が妊娠してから出産するまでにどういうことが起きるのかを知る上でも貴重な一冊だった。

 改めて言うまでもなく、僕は日記書きであり、自分自身のことを文章に書くタイプの人間である。そんな僕だからこそ、さくらももこさんの文章には特別魅かれるところもあったのだと思う。以前にも書いたことだが、現在のブログのタイトル「ひじきのごった煮」は、『もものかんづめ』に影響されて生まれたものである。かんづめのフタについた汁を舐めることすら叶わなかったほどに出来不出来の差はあるが、ともあれそれだけ影響を受けたことは確かである。

 これだけあれこれ書けるうえに、ブログでも過去何度か取り上げているというのに、僕は未だに読書会でさくらももこさんのエッセイを紹介したことがない。不思議なことである。別に出し惜しみをするつもりはないので、単に巡り合わせの問題だと思うが、もしかしたら密かな対抗意識が不遜にも芽生えていて推させまいとしているのかもしれない。真相の判定は皆さんにお任せしようと思う。

【さくらももこさんの本について触れた記事】







 リンクを貼りながら改めて内容を見返してみたが、言っていることが全く変わっていなくて驚く。ここ数ヶ月進歩がないということだろうか……

◆星野道夫さんの本(『旅をする木』『長い旅の途上』)

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 続いて、星野道夫さんの本を紹介しよう。星野道夫さんの本も、今年読んだのは表題に挙げた2作である。こちらはいずれも読書会で紹介しており、振り返りの中でちゃんと触れているので、ご覧になった方も多いのではないかと思う(『旅をする木』は4月に京都会場で、『長い旅の途上』は12月に東京会場で紹介)。どちらかと言えば『旅をする木』の方をオススメしたいとハッキリ言えるし、星野さんの本を全く読んだことがないという人には、とにかく『旅をする木』を読んで欲しいという気持ちでいっぱいだが、『長い旅の途上』にも大好きな文章が入っているので、ここではどちらも取り上げた。詰まるところ、星野さんの文章が好きだという点は、さくらももこさんの場合と同様である。

 もっとも、星野道夫さんの文章は、面白おかしさとはあまり縁がない。写真家としてアラスカを旅し、その雄大な自然の美しさや厳しさ、また、そこに住む人々の温かさや逞しさを撮り続けた氏の文章を読んでいると、まず何よりも自然や人に向き合う姿勢の真摯さ、そしてそこから生まれてくる言葉の素晴らしさに息を呑む。この国でぼんやりと日々を過ごしていたのでは決して気付けない沢山のことを、氏の文章は教えてくれる。それから、これは先日読書会で話し合いながら気づいたことであるが、詩的な美しさを帯びているというのも、氏の文章の魅力の1つである。ロマンチックで、それでいてリアルな、まさに写真的な文章と言ってもいいのかもしれない。

 説明的に書いても全然魅力を伝えられる気がしないので、好きな文章を幾つか紹介しようと思う(そういえば、読書会で紹介した時にも、良さを上手く表現できないのでめちゃくちゃ音読した覚えがある)。まずは、『旅をする木』の冒頭の一節。正直な話、僕が氏の文章に魅せられるには、この一節だけで十分だった。ぜひ情景を思い浮かべながら読んでみて欲しい。

 フェアバンクスは新緑の季節も終わり、初夏が近づいています。
 夕暮れの頃、枯れ枝を集め、家の前で焚き火をしていると、アカリスの声があちこちから聞こえてきます。残雪が消えた森のカーペットにはコロコロとしたムースの冬の糞が落ちていて、一体あんな大きな生き物がいつ家の近くを通り過ぎていったのだろうと思います。
 頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。アラスカに暮らし始めて十五年がたちましたが、ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆくこの土地の季節感が好きです。
 人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右される一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。
(「新しい旅」『旅をする木』文春文庫、p.12-13)

 『旅をする木』の中で、もう1つ特に印象深かったのは、結婚した星野道夫さんが、奥さんと共に初めて開いたホームパーティーの中で、友人が奥さんに贈ったという次の言葉である。僕は何度もこの言葉の意味を想像しようとしているが、未だにぼんやりとしか掴めないでいる。

「いいか、ナオコ、これがぼくの短いアドバイスだよ。寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ」
(「アラスカに暮らす」『旅をする木』文春文庫、p.175)

 『長い旅の途上』からも文章を1つ紹介しよう。エスキモーの狩人の墓を訪ねた時のことを綴った短いエッセイに出てくるものである。生と死とが揺らぎながら融け合っていくような、不思議な読後感を覚えた文章で、初めて触れた時には鳥肌が止まらなかったことを今でも思い出す。

 私たちが生きていくということは、だれを犠牲にして自分が生き延びるか、という日々の選択である。生命体の本質とは他者を殺して食べることにあるからだ。それは近代社会が忘れていった血のにおいであり、悲しみという言葉に置き換えてもいい。その悲しもをストレートに受け止めなければならないのが狩猟民なのだ。人々は自らが殺した生き物たちの霊を慰め、再び戻ってきて犠牲になってくれることを祈る。
  (中略)
 クジラと共に生き、クジラと共に大地へ帰ってゆく人々。ベーリング海から吹き寄せる霧が大地から突き出たクジラの骨を優しくなでてゆく。美しい墓の周りに咲き始めた小さな極北の花々をながめていると、有機物と無機物、いや生と死の境さえぼんやりとしてきて、あらゆるものが生まれ変わりながら終わりのない旅をしているような気がしてくる。
(「狩人の墓」『長い旅の途上』文春文庫、p.165-166)

【星野道夫さんの本について触れた記事】











◆『恋文の技術』(森見登美彦)

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 最後に紹介するのは、11月の大阪会場の課題本だった、森見登美彦さんの小説『恋文の技術』である。この本を取り上げる理由はシンプルである。これまで読んだ中で一番笑い転げた本だからだ(星野道夫さんの本からの流れでこの話すると、テンションの上げ下げで精神的に混乱しそうだけれど。というより、書いている僕自身がいまたいへん混乱しているけれど)。

 好きな作家を訊かれると、森見登美彦さんと答えているし、実際同じ作家の作品で一番沢山読んでいるのは森見さんの本だと思う。これまでに読んだ本が7冊あり、今年に入ってさらに4冊読んだ。2019年単独で見ても、一番読んだのが森見さんの本であるというのには、今更ながら驚いた。その中でも、『恋文の技術』はズバ抜けて面白かった。

 『恋文の技術』については、課題本読書会の振り返りの中でイヤほど書いたので、リンクだけ貼ることにして、ここで繰り返し書くのは控えようと思う。というより、面白いには面白いし、この世界にドップリ浸かりたいとも思うのだけれど、一度潜り抜けてしまうと書くべきことが見当たらないので、過去の記録にすがるしかないのである。

【『恋文の技術』課題本読書会振り返り記事】





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 以上、今年読んだ本の中から特に「読んで良かった!」と思う本を5冊紹介した。いずれも、思い出そうとするまでもなく読んだことを覚えている本で、それだけ心に深く刻まれている本である。逆にいえば、本当の意味で心に残る本と出会うというのは、それだけ難しいことであり、それ故に嬉しいことであるのかもしれない。来年もそういう本に出会えるのだろうか。楽しみにしたい気持ちと、期待値を上げすぎないよう自重せねばという思いを抱えつつ、臨みたいと思う。

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 さて、予告していた内容は以上であるが、ここから番外編をお送りしたい。読書というジャンルには当てはまらないものの、やはり大変印象に残った作品との出会いが2019年にはあった。その作品については是非とも触れておきたいと思うのである。

 まず、読書でないなら何の話かということを明らかにしておこう。

 ヅカである。

 2018年12月に読書会ヅカ部になんとな~く入部したことがきっかけになり、2019年にはタカラヅカに触れることが少なくなかった。改めて振り返ってみると、観劇2回、ライブビューイング1回、DVD鑑賞10作品という触れっぷりで、ガチ勢とは言い難いものの、人並以上にはタカラヅカと接する機会も多かったように思う。さらに、これは決して褒められたことではないが、作中の曲を聴き直すためにネット動画を見た日が何日もあったので、それらを含めるとヅカに触れていた時間はまあまあ長かったように思う。

 ともあれ、今年出会ったタカラヅカ作品の中には、印象深いものが幾つもあった。そもそもタカラヅカにここまでハマるきっかけとなった『BADDY~悪党(ヤツ)は月からやって来る~』、オープニングの壮麗さにより一瞬で心を奪ってきたショー『クルンテープ~天使の都~』、かねてより評判を聞いていた『ルパン三世~王妃の首飾りを追え!~』、妹に薦められて鑑賞し「これは文学だ」とまで思った『金色の砂漠』、オープニングにハマりすぎて僅か2日で風呂場で歌えるレベルに至った『EXCITER!!』、トップコンビの歌唱力に感激しながらストーリーに涙した『ファントム』……(結局観たもの半分近く紹介した気がする)。しかし、今年の自分への影響度という点で考えるなら、やはりこの作品を挙げるべきではないかと思う。

◆『ME AND MY GIRL』(略して『ミーマイ』)

 理由は単純明快、脳内BGM再生率の高さである。2月に初めてDVDで鑑賞して以来、事あるごとに脳内再生されたので、もはや生活の一部のような気さえする(どんな作品か知っている人は、この時点で、僕の楽天家具合に呆然としたことだろう)。とりわけ、先週先輩と友人の結婚式に出て以来リバイバルが激しく、目下僕の頭の中では『ミーマイ』と『EXCITER!!』が代わる代わる鳴り響くという困った状態になっている。どう困った状態なのかを説明するのは容易ではないが、前者に転べば色ボケし、後者に転べば脳が弾け飛ぶと言えば、そう大きな誤りなく事の深刻さを伝えられるのではないかと思う。

 『ME AND MY GIRL』は、元々イギリスで上演されたミュージカルを翻訳・潤色したもので、宝塚では1987年に初演され、以来数回にわたり上演されている(僕が観たのは2013年の月組版である。当時のトップコンビは龍真咲さんと愛希れいかさん)。ざっくり言えば、イギリスの名門貴族へアフォード家の跡継ぎとして見つけ出された、ロンドンの下町育ちの隠し子・ビルを主人公に、彼が貴族教育を受ける中での、ガールフレンド・サリーとの恋の行方を描いたラブコメである。ビルもサリーも互いを想い合っているが、へアフォード家の関係者はビルを貴族にするためにサリーとの引き離しを画策し、やがてはサリー自身がビルのもとを離れ下町へ帰ることを考え始める……筋書き自体は単純明快で、エンディングも視聴者を裏切らないお決まりの話であるが、それだけに、何も考えなくても内容がスッと入ってくるし、何より明るい話なので、あっという間に魅了されてしまう。ハッピーエンドに薄気味悪さを感じるひねくれ者以外は誰でも等しく楽しめる作品ではないかと思う。

 ビル・サリーをはじめ、登場するキャラクターが個性豊かなのも楽しいし、劇中曲もそれぞれ魅力的だ。そろそろ紹介の言葉も尽きそうなので(もとより、元々『ミーマイ』はいいぞぅ! くらいしか言葉が出ないところをここまで書いたのだから頑張った方である)、気になる方はぜひ本編をご覧いただきたい。

【『ME AND MY GIRL』に触れた記事】





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 というわけで、今度こそ本当にこの記事を締めくくることにしよう。さて、最初にも書いた通り、年内にはもう1本、今年1年を総括する記事を書いて、来年につなげられたらと思う。年末まだ忙しい方もおられるだろうが、願わくば最後までお付き合いを。

 お待たせいたしました。1222日に参加した彩ふ読書会・東京会場の振り返りの続きをお届けいたします。前の記事では、午前中に行われた推し本披露会の様子を紹介しました。この記事ではその後の出来事について書き綴っていこうと思います。

 通常であればこの後、昼休憩を挟んで午後の部=課題本読書会が開催されるのですが、この日1222日の読書会はちょっと様子が違いました。代わりに「東京会場ほぼ1周年半イベント」というのが企画されていたのです。

 東京の彩ふ読書会は、読書会が大阪で産声をあげて間もない20182月に早くも第1回が開催されました。そこを起点に考えれば、東京会場は誕生してほぼ2年ということになります。しかし、東京での開催は、台風による中止や会場選びの難航などが重なって飛び飛びになり、この12月で漸く15回目を迎えたとのことでした(この辺りの紆余曲折は、関西でぬくぬくギャハギャハしていた僕は想像できないほどのものだったようです)。「ほぼ1周年半」というネーミングは、この通算開催回数にちなんだものだったそうです。

 さて、「ほぼ1周年半イベント」は、宅配で届いた食事をみんなでつまみながら歓談、途中にお楽しみ企画でゲームを挟み、最後に読書会主催者・のーさんの挨拶で締めるという流れで進んで行きました。会場は推し本披露会に引き続き、馬喰町にある「STUDIO777」というレンタルスペース。参加者は25名で、ゲームの都合上4つのテーブルに分かれて着席という形になっていました。

 イベントは12時半スタートの予定でしたが、推し本披露会の途中から料理が届いていたようで、準備は当初、読書会のアフタートークとぐるぐる入り混じりながら進行していました。やがて、たくさんある料理をテーブルごとに配るのは難しいという話になり、ビュッフェ形式用のテーブルをアドリブで用意。この頃になると、手の空いている参加者が続々準備に回ったことで、みるみるうちに会場が整っていきました。咄嗟の判断が必要だった関係で僅かに遅れが出たものの、1240分ごろに乾杯の発声があり、イベントは無事スタートしました。

 それでは、「ほぼ1周年半イベント」の様子を詳しく見ていくことにしましょう。

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 ……と言ったものの、フリートークの模様をどう振り返ったらいいのでしょう。ゲームや挨拶の振り返りならそんなに難しくありません。イベント感が出ますから。けれども、フリートークとなると、ただただ面白い話というだけで、イベントそのものとは何も関係がなかったりします。そんな話をしても、お前は何をやっていたんだと言われるのがオチではないでしょうか。

 ひとまず、東京会場のサポーターが撮ってくださった料理の写真を見ていただくことにしましょう。

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 うむむ……改めて見ても思いますが、料理がめちゃくちゃオシャレ。そして、見掛け倒しなどではなく、ちゃんと美味でした(特にカップに入ったマカロニとトマトソースの料理が好きでした)。聞いたところによると、料理はサポーターの皆さんがかなりこだわって選び抜いた逸品ぞろいとのことでした。いやはや、ご馳走さまでした。

 この他にも、お菓子が幾つか振舞われました。まずは、のーさんが大阪で買ってきたカール。関東ではカールが終売しているので、折角の機会にとメンバーからリクエストがあったそうです。販売地域に住んでいながらカールを食べない僕は、ここでいつぞやぶりにカールとご対面しました。オシャレな料理の前にスナック菓子がぽんとあるのは不思議な光景でしたが、置かれると食べたくなるもので、気付けば皆さん手に取って口に運んでいました。

 それから、駄菓子の定番・マルカワのフーセンガムも登場しました。もっとも、こちらはただのフーセンガムではありません。フーセンガムのラッピングを自分たちでデザインできるサービスを提供しているお店があるそうで、彩ふ読書会限定ラッピングのフーセンガムになっていたのです。折角ですから、写真でみていただきましょう。

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 こんな感じです。一番左のラッピングは、全て違う色で「彩ふ読書会」と書かれたもので、彩読らしいデザインでした。その右隣のものは、今回の「ほぼ1周年半イベント」仕様の包装。こちらは落ち着きのあるシンプルなデザインですね。さて、注目していただきたいのが、右から2番目のデザインです。現在彩ふ読書会が開催されている会場名を並べ、最後に「IRODOKU(彩読)」と書いたものなのですが、実はこれ、文字の配置をずらすことにより、「KYOTO(京都、2018年12月~)」「KOBE(神戸、2019年12月~)」「OSAKA(大阪、2017年11月~)」「NAGOYA(不定期、2020年1月~定期開催予定)」という4つの会場の上に、東京会場の「TOKYO」が浮かび上がるようになっているのです。何とも洒落たデザインではありませんか! 考えた人のセンスに驚嘆です。ガムは1人1個持ち帰ってよいということでしたので、僕は迷わず、この会場名ラッピングを取りました。

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 オシャレな料理の話を書いていたら、何でも書ける気がしてきました。ここでちょっとだけ、僕の周りで起きたフリートークの内容に触れておきたいと思います。

 やはり珍客到来とあって、僕の周りでは自然と、関西と関東の彩読の雰囲気の違いが話題となりました。読書会そのものの雰囲気については、推し本披露会の振り返りでみたように、誰でも受け容れるというアットホームな場づくりがなされている点、そのためにとても話しやすい場になっている点など、大事なポイントがよく似ていると感じましたが、読書会以外に行われるいわゆる部活動については、関西と関東では雰囲気に違いがあるようです。とにかく、関西は部活の数も活動回数も多く、関東のメンバーは「すごいなあ」と思いながら見ているようです。

 関西・関東どちらのメンバーも入っている彩読のコミュニティラインというものがあるのですが(読書会に3回以上参加した方だけが入ることのできるグループラインです)、ここにメッセージを書き込んでいるのは、8割がた関西のメンバーです。よく書き込む人はバッチリ名前を覚えられています。かくいう僕も、読書会レポートをアップする関係で、割と目立った動きを見せる1人になっていたようでした。一応「すいません、うるさくて」と謝りはしたものの、顔に満面の笑みを浮かべていたので、謝罪はするけど反省はしない気だと丸バレだったことでしょう。

 もっとも、話をしているうちに、関西の活発さを羨む関東の皆さんの中にも、多趣味な人や、何かにのめり込んだ“沼の深い人”が少なくないことが分かってきました。カラオケでアニソンを熱唱し続けた人がいたり、嵐のファンがいたり。イベントに先立って忘年会が一度開かれた際には、ボードゲームの面白さに目覚めた人が続出したらしく、ボードゲームをやりたいという機運も高まっているようです。何かのきっかけで、それぞれの好きを持ち寄り、興味の輪が広がっていけば、きっとますます面白いことが待ち受けているだろうなあと、僕は思ったものでした。

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 それではここで、お楽しみ企画として用意されていたゲームの話をしましょう。今回実施されたのは「フレーズ☆トレジャーハンティング」というゲームでした。全然耳慣れないので、どういうものか説明したいと思います。

 全員に同じ文章をプリントしたテキストとマーカー1本が配られ、さらに、グループに1枚ずつ、フレーズと得点が書かれた紙が配られます(写真を撮り忘れたので、例を載せます)。

  ぼくら…3点(〇箇所)
  檸檬…3点(△箇所)
  クリーム…5点(◇箇所)
  東京…10点(×箇所)
  丸善…20点(☆箇所)
  十円…100点

 この紙に書かれたフレーズを、配られたテキストの中から制限時間内に見つけ出し、マークしていくというのが、ゲームのあらましです。そして、グループごとに見つけたフレーズの種類や数に応じて得点を算出、得点の最も高かったグループが勝利となります。観察力だけでなく、グループ内での役割分担や協力がカギを握るゲームとなっていました。

 本番に入る前に、例題が1問ありました。夏目漱石『坊ちゃん』の一節がプリントアウトされた紙の中から、問題のフレーズを見つけるというものでした。ここで僕は大失態を犯してしまいます。「おれは」というフレーズがお題にあがっていたのですが、すっかり勘違いしてしまい、「おれ」と書かれた箇所全てにマーカーを引いてしまったのです(当然のことながら、「おれが」「おれの」「おれに」といったフレーズは見つける対象から除外されます)。これはいかん、注意深くやろうと思ったところで、いよいよ本番が始まりました。

 本番で渡されたのは、宮沢賢治『注文の多い料理店』と梶井基次郎『檸檬』という2つの有名な短編の全文でした。この2作ですが、同じ1つのテキストセットとしてホッチキス留めされており、前半が『注文の多い料理店』、後半が『檸檬』という構成になっていました。そのため、表紙を見た限りでは、『檸檬』の存在がわからず、お題に入っている「檸檬」や「丸善」が、『料理店』のどこに出てくるのかと訝しがったメンバーもいたそうでした。幸い、僕が参加したグループでは、テキストの前半担当と後半担当を分けていたので、結果的にはそれぞれの担当が各作品の中からフレーズを探し出すという展開になりました。「話の筋はだいたい覚えてるけど、どこにどんな言葉が出てきたかなんて覚えてないよ~」そんなことをぼやきながらも、みんな血眼になってフレーズを探し、制限時間内にお題の9割以上の言葉を探し出すことができました。

 これだけ見つけたのだから勝っただろうと思ったのですが、勝負はかなりの接戦で、タッチの差で優勝を逃してしまいました。とはいうものの、満足のいく結果を残せたわけで、悔いはこれっぽっちもありませんでした。

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 楽しい時はあっという間に過ぎていくものです。気がつけば14時半。イベントの締めの時間が近づいてきました。

 ここで、読書会主催者であるのーさんから挨拶がありました。のーさんはまず、いつも読書会の最後にやる締めの挨拶を読み上げた後で、2018年2月に東京で初めて読書会を開催してからの歩みを、順にご紹介されました。冒頭でも述べたように、東京での開催は飛び飛びになっている時期があったため、いつ読書会を開催したか、そして、各回の課題本は何だったのかということが順に紹介されていきました。その中で、僕が驚いたのは、サポーターやリピーターを中心に、誰がいつ初めて読書会に来たのかを、丁寧に振り返られていたことです。そこには、参加する全ての人に居場所となる場を提供したい、そして、参加者は皆同じように大切にしたいというのーさんの想いが込められているようでした。

 その話に続けて、東京で読書会を続けるにあたって最も苦労した話の紹介がありました。のーさん自身が読書会2周年を記念する記事の中で触れられていることなので、書いても問題なかろうと思うのですが、東京では今年の初め、当日朝に会場のダブルブッキングが発覚し、サポーターの咄嗟の行動により何とか読書会を実現できたという大変な出来事が発生しました。それから暫くの間、新たな会場探しが難航し、東京での読書会は途絶。その時のーさんは、果たして再開できるだろうか、再開したとして人が集まるだろうかと、本当に不安だったそうです。そんな窮地を乗り越え、5月に東京会場は再開。その後毎月開催を重ね、部活動やサークル活動も少しずつ行われるようになり、この日に至ったということでした。

 話を一通り終えたところで、のーさんからこんな話がありました。

「私は基本的に、読書会に参加する人のことは皆さん平等に扱っていきたいとおもっているんですけれども、今日だけは、特別に、名前をお呼びしたい方がいます。一番大変だった時に、メンバーを集めてサークル活動を企画してくださったり、わざわざ大阪まで来てくださったりした方がいます。その方のお陰で、東京での読書会は続けられたのだと思います。——KJさんです!」

 のーさんが信念を曲げてまで名前を挙げて感謝を伝えたかった相手、それは、東京会場のリーダーを務めるKJさんでした。そしてこの場で、KJさんには、関西メンバーからの寄せ書きが渡されました。これは、関西が誇る彩読アンバサダー・momomotokazuさんの発案により、京都会場の1周年イベントの裏で書き上げられたものでした。「KJさんを泣かせたい」という関西勢の悲願こそ達成されなかったものの、寄せ書きを受け取ったKJさんの表情は、僅かに崩れたように、僕には見えました。

 ここで、今度はそのKJさんからのーさんに、東京メンバーのメッセージを集めた寄せ書きが贈られました。今から考えれば感動的な光景なのですが、僕はよほど浮かれていたのでしょう、その場では「相思相愛だ!」などと騒いでおりました。ちなみに、この寄せ書きは、とあるサポーターの手作りで、箱の形をしており、開くと箱のあちこちにメッセージが貼られている、さらに箱の真ん中からは万国旗のように連なる旗が出てくるという仕掛けになっていました。色紙とノート以外に寄せ書きの方法を知らなかった僕には斬新な方法で、東京会場の面白さをまた1つ感じました。

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 最後に、今後の東京、さらには関東での読書会の展開について、この日発表があったのでご紹介しましょう。勿体つけても仕方がないので、まずはこちらをご覧ください。

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 バァーン!

 ということで、のーさんがこの紙を持ち、サポーターズがなぜかジョジョ立ちするという不思議な光景と共に、横浜で新たに彩ふ読書会が始まることが告知されました。第1回は来年1月19日。課題本は、季節柄そして土地柄でしょう、箱根駅伝をテーマにした三浦しをんさんの小説『風が強く吹いている』だそうです。僕は参加できませんが、近くにお住いの方は足を運んでみては如何でしょうか。

 更にもう1つ、これは正式に発表があったわけではないですが、この日の会場だった馬喰町の「STUDIO777」が、東京会場として継続的に使われるようになる予定という話も出ていました。会場問題が起きた1年の終わりに、彩読東京の新たな会場が決まるというのは、なんともめでたい話だなあと僕は思いました。

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 といったところで、彩ふ読書会東京会場ほぼ1周年半記念イベントの振り返りを締めくくりたいと思います。この後のーさんとサポーターズはスイーツ会を催したそうですが、僕は旅費をケチって帰りの新幹線をこだまで取っていたので、一足先に馬喰町を後にしました。

 おそらく、これが今年最後の彩ふ読書会日誌になると思います。皆さま、この1年、毎度毎度長い日誌に目を通してくださいましたこと、改めて感謝申し上げます。そして、来年もどうぞ引き続きお付き合いくださいませ!

 土曜日に先輩と友人の結婚式が東京であり、2年ぶりに東京を訪れた。偶然にも、その翌日は第4日曜日であり、東京の彩ふ読書会が開催される日であった。折角なので、一泊して読書会に参加することにした。というわけで、京都会場の振り返りに続き、12月の東京会場の読書会の模様についても振り返りをつけていこうと思う。

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 東京の読書会も、通常時は関西の会場(大阪・京都)と同じく、午前の部=推し本披露会と、午後の部=課題本読書会の二部構成を取っている。ただ、僕が参加した12月の読書会は、いつもとは違う構成であった。午前の部が推し本披露会であるのは変わらないのだが、その後、「東京会場ほぼ1周年半イベント」ということで、デリバリーの食事を食べたりゲームをしたりしながらワイワイ楽しむ会が催されたのである。“ほぼ一周年半”というのは何とも中途半端なネーミングであるが、その理由についてはいずれ述べる機会があるだろうから、ひとまずそういうものだと呑み込んでいただきたい。

 この記事では推し本披露会の模様を振り返ることにしよう。推し本披露会とは、参加者がそれぞれお気に入りの本を紹介し合う形式の読書会である。通常は全く自由に本を紹介すればいいのであるが、今回の推し本披露会にはテーマが設けられていた。「好きだけど、人にはオススメできない本」というものである。

 このテーマに僕はいきなり戸惑った。「ないぞ、そんな本」と思ったのである。僕は遅読だから読んだ本の冊数は決して多くない。それでいて「面白い!」と思った本は片っ端から紹介している。専門的な本かどうかということも一切考慮に入れない。そんな次第なので、ある時かつての自分の専門に近い推し本を人に貸したところ、「よくもこんな難しい本を読ませましたね」というコメントが返ってきたことさえある(普段は物腰の柔らかい方なので、よほど難しかったか、虫の居所が悪かったかのどちらかだと思っている)。

 ともあれ、かくいうわけで、オススメできない本などそうそうないのである。考えてもどうしようもないので、「未だにオススメできていない本」を持っていくことにした。何とかこじつけられたつもりだったが、よくよく考えてみれば、これはただの推し本披露である。もっとも、同じようにテーマに苦しめられ、普通に推し本を持ってきた人は少なくなかったので、事なきを得た。

 読書会の会場は、馬喰町にある「STUDIO777」というレンタルスペースだった。うっかり写真を撮り忘れてしまったのだが、木張りのフローリングに、これまた木製の机と、緑や茶色など落ち着いた色の椅子が配置された暖かみのある場所だった。会場の奥には大型のテレビがあり、その前にはカーペット敷きの一画がしつらえられていて、それがいっそうアットホームな雰囲気を醸し出していた。

 会場全体の形を見ると、鰻の寝床とは言わないまでも、久方ぶりにその言葉を思い出すくらいには縦に長い形をしていた。僕はAグループという、会場の一番奥のテーブルを使うグループに案内された。関西地区では、ひじきはよく喋る上に声が大きいから、会場の端のグループに配置するという暗黙のルールがあるのだが、まさか東京でも同じルールが適用されているとは思いも寄らなかったので、大変に面喰ってしまった。どこから情報が漏れたのか考えてみたところ、どうもこのブログではないかという気がしてきた。なんでもかんでも書き立てるのも考えものである。

 おっと、ウケを狙うあまりとんでもないウソをついてしまった。席の配置は偶然の帰結と聞いている。初めて参加した会場について書くのにこんな失礼極まることはない。お詫びして誠実なレポートを心掛けよう。もっとも、これくらいオフザケしてもいいかなあと思えるくらい、初参加とは思えないほど居心地が良かったのも確かなことである。とりわけ、「京都のサポーターをしているひじきです」と名乗ったところ、「あぁ! いつもレポート読んでますよ!」と返ってきた時には、ここでもやっていけそうだという安心感に包まれた。どんな人にも興味を持ち、受け容れるという彩ふ読書会のスタンスは、関の東西を問わず根付いているらしかった。

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 さて、推し本披露会は1040分過ぎに始まり、1時間半余り続いた。参加者は全部で25名おり、4つのグループに分かれて本の紹介を行った後、1145分過ぎから全体発表を行うという流れであった。東京会場では、普段は全体発表では自分の名前と本のタイトルだけを紹介しているそうだが、この日はそれに加え、メッセージカードに書いた本の概要も読んでよいことになっていた。

 僕は前述の通りAグループに参加した。メンバーは全部で6名。男性3名、女性3名というバランスの良いグループであった。紹介された本の一覧は写真の通りである。それでは、それぞれの本の内容について詳しくみていくことにしよう。

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◆①『火蛾』(古泉迦十)

 グループ進行を担当されたサポーター男性からの推し本です。一応ミステリーの範疇に入る小説で、殺人が起き、謎が解決されるというプロットはある。ただし、この小説のポイントはそこではなく、世界観の面白さだ。紹介した方はそのように話していました(そのため、いわゆる謎解きミステリーを好む人には「オススメできない」とのことでした)。

 舞台は中東で、宗教色の強い世界が描かれており、とても独特でファンタジックだと言います。パッと読んだだけで惹き込まれる世界観で、作者は天才だと思ったとのことでした。ちなみに、作者である古泉迦十さんの本は、この1冊しか出ていないそうです。それもまた本のミステリアスな趣を深める話だと思いました。

 男性の自己紹介の中に「最近はゲームばかりやっていて本があまり読めていません」という言葉があったのですが、ゲームと独特の練られた世界観を持つ小説とは親和性が高いのかなあなどと思いながら、話を聞いておりました。

 以下は全く余談ですが、紹介者の男性の方を見ていると、角の取れた生き字引氏に会っているような感じがしました。背格好が似ているだけでなく、いいカメラをお持ちで構図にこだわるというところまで同じ。関西から飛び出てきたのにこの不思議なデジャブはなんだろうと、頭に湧いた疑問符が取れないひじき氏でした(すいません、関西ローカルネタです)。

◆②『医学生』(南木佳士)

 3ヶ月に1回程度、主に課題本読書会に参加されているという女性からの推し本です。テーマに合わせられなかったので、最近読んだ、むしろ「オススメしたい」という小説を紹介されていました。

 作者の南木佳士さんは秋田大学の医学部出身の芥川賞作家だそうで、この小説は、自身の経験を投影しながら、秋田大学の医学部に通う4人の男女の青春を描いた作品とのことです。憧れの医学部に入った者、希望の大学に落ち不本意ながら入学した者、親が医者なのでなんとなく医学部に進学した者、それぞれの立場で青春の物語が展開します。秋田を最後まで好きになれなかった作者の姿が投影されているため、自然の厳しさなどの描写も多いそうですが、最後まで読んでみると爽やかな青春小説になっているそうです。ちなみに、「強いてオススメできない理由を挙げるとすれば……解剖の描写などがかなりリアルで、ちょっと気持ち悪いので、そういうのが苦手な人には向かないかな」とのことでした。

 話し合いの中では「地方の学生生活を描いているというのが面白いですね。東京の大学の物語と違いがありそうで」という話が出ていました。また、作者が大衆向けを意識して書いたという話が出たところでは「そうですよね、芥川賞作家と爽やかな青春小説ってなんか結びつかないなあと思ったんです」という返しで笑いが起きていました。

◆③『BANANA MOON GOLD 10 YEARS BOOK』ほか、バナナマン関連書籍・DVD

 参加3回目という女性から、大好きな芸人バナナマン関連の本・DVDがドーンと紹介されました。関西だとヅカ部長や特撮隊長が時折矢鱈と大きなトートバッグを持っている印象がありますが、ハマるものがあると荷物が増えるのは、どこでも起きる現象のようです。

 メインの推し本は、バナナマンが毎週金曜日にやっているラジオの放送10周年を記念したフォトブックと、お便り代わりに届けられるメールの傑作選。オススメできない理由は、自分の愛の重さを悟られたくないから……ではなく(ええ、そんなことで人は怖気づきませんとも!)、「下ネタがキツいから」とのことでした。開いてみると、メール傑作選は冒頭から下ネタだし、フォトブックは矢鱈と肌色成分が多いしで、確かに日曜午前に持ち歩きやすい本では到底ありませんでした。もっとも、その分話は盛り上がりを見せました。

 バナナマンの良い所は、コントが面白いからとのこと。日村のイメージが強いバナナマンですが、コントは会話劇のような調子で、キャラを売りにするのではなく展開で魅せるもののようです。「東京03やおぎやはぎが好きな人はハマると思う」そうです。

 話の中で印象的だったのは、「ラジオについては、2人の会話を聞いているだけで、何をやっているのか様子が見える。はんたいに、写真集については、見ているだけで会話が聞こえる」というものでした。そういうイメージ喚起力をもった人というのは本当に凄いと思いましたし、その言葉で語れる紹介者の感性も鋭いなあと思いました。

◆④『長い旅の途上』(星野道夫)

 わたくし・ひじきの推し本です。4月に京都で紹介した『旅をする木』の著者であり、本業は写真家であった星野道夫さんの遺稿からなるエッセイ集です。遺稿集という性質上、内容の重複が多く、後半やや飽きが来てしまうものの(強いて言うなら、この点に関してはオススメできない)、アラスカの自然や人々と真摯に向き合い続けた氏の文章は、新鮮な驚きと計り知れない説得力に溢れていて、何かハッとさせられるものがあります。特に、「狩人の墓」というエッセイの末尾にある「美しい墓の周りに咲き始めた小さな極北の花々をながめていると、有機物と無機物、いや生と死の境目さえぼんやりとしてきて、あらゆるものが生まれ変わりながら終わりのない旅をしているような気がしてくる」という一文を読んだ時には、「どうやったらこんな文章が書けるのだろう!」というくらい衝撃を受けたものでした。

 紹介が終わったところで、「とても詩的な文章ですね」というコメントが寄せられました。確かに、星野道夫さんの文章はロマンチックで、それが僕の好きなポイントなのかなと気付かされました。また、この本には氏の撮ったカラー写真が何点か収録されているのですが、「カラー写真入りで定価780円は安い!」という現実的なコメントもありました。

◆⑤『デジタルネイチャー』(落合陽一)

 東京会場のリーダーで、大阪にも何度かいらしたことのあるKJさんの推し本です。メディアの寵児となった落合陽一さんが、一般向けなど考えず、とにかく書きたいことを詰め込んだ1冊とのことです。

 メインテーマになっているのは〈人工と自然の対立からの超克〉です。僕らは、人工と自然、アナログとデジタルといったものを対立的に捉えがちですが、情報社会の進展と共に、例えば目に見える景色よりもカーナビの位置情報に頼るようになった人間は、アナログな情報よりもデジタルなそれに依存する存在になってきています。このように人工物と自然なものとの境界が曖昧になったこれからの時代においては、あるがままの姿にこだわらず、テクノロジーを駆使して、個々の人間性を発揮できるようにすることが重要だというのは、この本の主張のようです。単にテクノロジーの問題を論じた本ではなく、社会の在り方や人間の生き方など、幅広い分野にまたがって論が展開されている感じがします。

 注釈が多いため、専門書等を読み慣れていない方にはオススメできないとのことでしたが、内容を聞いているととても面白そうで、気になりました。

◆⑥『アンと青春』(坂木司)

 普段は小説をよく読んでいるという女性からの推し本です。この方もテーマに合った本を持ってくるのが難しかったそうで、最近良かった本を紹介されていました。

 『和菓子のアン』という本が、坂木司ファンである某Mさんの熱烈な宣伝により関西会場に知れ渡ったことがかつてありましたが、『アンと青春』は、この『和菓子のアン』の続編にあたる作品だそうです。主人公は、デパートの和菓子売り場で働く、食べるのが大好きでちょっとぽっちゃりとした女の子。彼女が各章ごとに日々の生活の中で出会う謎を解き明かしながら成長していく姿が描かれており、とてもほのぼのした気分になれるそうです。七夕の短冊を書くときに、「痩せたい」って書こうとして、「痩せたいは努力だ」と思い留まるというシーンが話し合いの中で紹介されたのですが、確かに可愛らしいなあと思いました。

 ちなみに、強いてオススメできないポイントを挙げるとすれば、和菓子が食べたくてたまらなくなってしまう点だそうです。要するに、飯テロ小説ということですね。ここから話はどんどん料理のことに流れていきます。折角なので「料理系の本っていう縛りで推し本やってみたら面白そうですね」と言ったところ、「人肉食をテーマにした本とか持ってくる方がいたらどうしましょう」という想定外の懸念が提示されました。そんな本持ってくる人がいたら本当にテロだと思いました。

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 以上、Aグループで紹介された推し本6冊について見てきました。その他のグループの推し本は写真の通りです。いずれも東京のサポーターさんが撮影されたものですが、拝借させていただきます。

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 さて、これらの本についても全体発表を通じて少し話を聞くことができました。もっとも、個々の内容についてはうろ覚えなので、とても何か書ける状態ではないのですが……全体発表を通じて印象深かったのは、「オススメできない」の意味づけがそれぞれ違っていたことです。多かったのは、「変わったミステリーなので、本格的な推理小説が好きな方にはオススメできません」というように、オススメできない読み手を特定するタイプの発表でした。これには「なるほど! そうすれば良かったのか!」と目からウロコが落ちる思いでした。また、ある本のメッセージカードに「充実した人生を送ってきた人にはおすすめしません。読んでも得るものがないからです。コンプレックスを抱えている人にもおすすめしません。自分の卑屈さと向き合うことになるからです」と書かれているのですが、これはとても面白くて、印象に残りました。

 そんな中、全体発表でとんでもないインパクトを残した方が一人おりました。敢えて名前は申し上げません。でも、きっと誰のことか察しがつくだろうと思います。

 その人は、開口一番「彩ふ読書会の谷崎潤一郎」という全く耳慣れない通り名を口にしたかと思うと、『よむタイツpalette』という写真集を取り出しました。この時点で既に相当インパクトがあるのですが、さらにこの方、内容紹介をすべて終えた後に、握りこぶしを控えめに突き上げながら「タイツ最高!」と叫んだのです。

 瞬間、僕の脳裏をよぎったものがありました。11月の大阪会場の課題本だった『恋文の技術』に登場する迷言の1つ、「おっぱい万歳」です。彩ふ読書会の谷崎潤一郎だかなんだか知りませんが、言ってることもやってることもほぼほぼ『恋文』の主人公・守田一郎です。合っているのは一郎だけですよ。

 何はともあれ、こんなブッ飛んだ発表でさえ受け容れられるのが彩ふ読書会である、序盤にも書いた通り、誰でもなんでもウェルカムなのが彩読の良さである、という真面目なオチがついたところで、推し本披露会の振り返りを締めようと思います。さて、最初に書いた通り、この後会場では「東京会場ほぼ1周年半イベント」が開かれるのですが、その模様は記事を改めてお伝えすることにいたしましょう。皆さま、次回もどうぞご期待ください。

 大変お待たせいたしました(体調を崩し、執筆が滞っておりました……)。1215日の京都・彩ふ読書会の振り返り、残された最後の一幕をご覧に入れたいと思います。

 ここまで、①午前の部=課題本読書会(課題本:遠藤周作『沈黙』)、②午後の部=推し本披露会の振り返りをお届けしました。これで読書会そのものの振り返りは終わるのですが、1215日にはもう1つ重要なイベントがありました。それは、彩ふ読書会・京都会場の1周年記念イベントです。

 彩ふ読書会は201711月に大阪で始まりました(意外と若い!)。当初は参加者数1ケタ台の小さな読書会だったそうです。しかし、その規模はみるみる拡大し、やがて申し込み殺到により募集から1週間と経たないうちに定員に達するのが当たり前になってきました。そこで、より多くの人に参加してもらうため、201812月、京都会場での読書会が新たに始まりました。

 それから1年。宝塚ファンによる読書会乗っ取り、ボードゲームの流行による読書会目的の倒錯、彩読ラジオ電波遮断など、様々な事件に見舞われながらも、プロジェクターを使った上映会の実施、推し歌詞披露会・哲学カフェの開催などにより可能性を拡大しながら、読書会は毎月開催されてきました。参加メンバーも増え、新たなリピーターも続々と誕生し、大阪参加者の受け皿から、また1つ新たな顔をもった会場へと、京都・彩ふ読書会は着実に進歩を遂げてきたように思います。ともあれ、京都会場1周年を記念し、会場リーダーであるちくわさんの声掛けのもと、パーティー形式の特別なイベントを行うことになりました。

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(画像は彩ふ読書会HPより引用)

 イベントは、いつもの読書会会場であるSAKURA CAFÉで、16時半から行われました。参加者は、これまでに読書会に参加したことのある方30名。大阪会場の第1回を知る超ベテランメンバーから、この日初めて読書会に参加した方まで、本当に様々なメンバーが集まってくださいました。会場には4つのテーブルが用意されており、参加者は予め決められたグループに従って自分のテーブルに着席。これは、後で述べるようにグループ対抗で行うゲームが用意されていたためで、ゲーム参加時以外は自由に移動してフリートークに花を咲かせる姿が会場のあちこちで見られました。宅配で届いたオードブルをつまみ、各自用意した飲み物を口にしながら、絶えずワイワイした雰囲気の中でイベントは進行していきました。

 総合司会は、読書会随一の“ええ声”の持ち主として知られる、通称フリーアナウンサー氏が担当してくださいました。フリーアナウンサー氏は評判の“ええ声”を惜し気もなく披露し、さらに「シラフだけどテンションMAXだよ~!!」と不思議な踊りを踊りながら、プロ顔負けの名進行で会場を盛り上げておられました。

 さて、そんな1周年イベントについては、書き出せばキリがないほど色んなエピソードがあるのですが、この記事では、イベント内で実施された出し物を中心に話を進めたいと思います。先に述べたグループ対抗ゲームをはじめ、1周年イベントでは幾つかの出し物が行われました。いずれも、京都会場のサポーターが企画・段取りを進めてきたものですが、自分が担当していた企画以外については当日まで殆ど様子が分からなかったので、一参加者として大いに楽しませていただきました。

 それでは、プログラム順に出し物を振り返っていきましょう。

◆プログラム①:彩読京都推し本大賞2019

 最初の出し物は「彩読京都推し本大賞」でした。これは、201812月から201911月までの1年間に、京都・彩ふ読書会で紹介された推し本の中から、最も気になる1作を投票で決定するというものです。もっとも、紹介された全作品の中から大賞を決定するのはあまりに大変なので、京都会場のサポーターに予め候補作を推薦していただき、その中から大賞を決定するという方式を採用しました。

 準備と当日の進行は、ワタクシ・ひじきが担当しました。11月の半ば、1周年イベントの打ち合わせが終わると同時に、サポーターに候補作推薦のお願いをし(読書会主催ののーさんが、予め推し本リストを作ってくださっていたので、すぐに動くことができました)、連絡があったものから随時、発表用のパワーポイントを作成していきました。パワーポイントについては打ち合わせの時点では決まっていなかったのですが、候補作をわかりやすく、かつ効果的に紹介するにはこれしかないと思い、独断で作っていきました。盛り込んだ内容は、①候補作のタイトル・作者、②HPに掲載されている推し本の写真、③候補作の概要(主に紀伊国屋書店のHPから引用)、④サポーターからの推薦文(長いものは一部省略)の4つ。さらに、公平性を期すため、推薦順で一度スライドをつくった後、あみだくじで順番を並べ替えたりもしました。

 これで準備は万端。パソコンの手配もお願いし、後は当日を待つばかりでした。1年間に読書会で紹介された推し本はのべ269作。その中から候補作は9作に絞られました。送られてくる候補作と推薦文の内容をみながら、確信めいたものが心の底から湧き上がってきました。

 これは、ゼッタイに面白くなる——

 当日、候補作の発表は盛況のうちに進んでいきました。タイトルを見て「おー」という声を挙げる人。自分の推し本がノミネートされていて思わず照れ笑いする人。自分が推薦した本のところで思わず声をあげてしまったサポーター。推薦文の内容でおこる笑い声。そして、「これだけ推薦文長い!」というツッコミ。色んな反応を巻き込みながら、持ち時間の30分はあっという間に過ぎていきました。

 プレゼンターだった僕はスライドの内容を読み上げるので精一杯だったのですが、ありがたいことに全候補作のスライドの写真を撮ってくださった方がいましたので、拝借して紹介したいと思います。

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 こうなると投票の結果が気になるところですが、大賞の発表はイベントの最後に行いましたので、ブログでも最後にご紹介したいと思います。乞うご期待!

◆プログラム②:横暴編集長

 続いての出し物は「横暴編集長」というゲームでした。これは、本や映画・曲のタイトルの一部が書かれた短冊を組み合わせて、新しいタイトルを1つ作り、その面白さを競い合う大喜利系ゲームです。彩ふ読書会では本編とは別に、「平日会」という週半ばの夜に開催される活動があるのですが、以前その平日会で実施して面白かったこと、そして、読書会らしいゲームであることから、出し物として企画されました。

 企画・準備・進行を取り仕切ったのは、彩読ボードゲームブームの火付け役であり、一時期「本読んでる場合じゃねぇ」という勢いでゲームに勤しんでいた、横暴ボードゲーマーのBさんでした(誤解のないように申し添えますが、Bさんは哲学にも精通し、読書会では忌憚なく本質を突こうとする鋭いコメントで知られる方です)。「横暴編集長」には市販のキットもあるのですが、今回はBさんオリジナルでタイトルの一部が書かれた短冊を用意してくださいました。人数が少なければ全員でゲームするのですが、イベントでは参加者が多かったため、グループ内で最も面白いタイトルを1つ選び、その後グループ対抗頂上決戦により、最も気になるタイトルを選ぶという流れで進行していきました。

 それでは、頂上決戦で紹介された各グループの代表作をみてみましょう。なお、発表の際には考えた本の内容についても発表がありました。メモを取っていないので記憶が朧気なのですが、ざっくり書き記そうと思います。

▶Aグループ:『土の中の惑星』

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 人類が地中で生を営むようになった近未来を舞台としたSF小説。これだけしか覚えていないのがつらいくらい、設定やプロットが作り込まれた一作で、発表時には「おー」という声が上がっていました。

▶Bグループ:『愛を叫ぶのは楽しいかね?

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 恋愛をテーマにした自己啓発本。こちらも実際の発表はたいへん詳しく、本当に誰か書いているんじゃないかと思えるほどでした。僕がそうガヤを入れると、『やっぱり愛を叫ぶのは楽しいかね?』『それでも愛を叫ぶのは楽しいかね?』という続編が予定されているという返事がありました。秀逸すぎる回答がいっそう笑いを誘いました。

▶Cグループ:『利己的な世界がデンデケデケデケ』

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 2人の中二病患者が出会うことにより“デンデケデケデケ”が起こるという、不可解コメディー。「デンデケデケデケ」は肩を力ませながら早口で読まないといけないそうです。詳しくはフリーアナウンサー氏まで。

▶Dグループ:『フェルマーの泥棒マニュアル』

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 17世紀の天才数学者フェルマーが遺した完全なる泥棒マニュアル、その在処を巡り全世界を巻き込んだ争奪戦が展開するというエンタメ小説。メインタイトルに「ルパン三世」を入れるとめちゃくちゃしっくりきそうな一作でした。

 さて、以上4作の中から、最も面白いと思った作品を選ぶべく、投票が行われます。拍手の音の大小で勝敗を決定するという「さんまのスーパーからくりテレビ」方式が採られました。

 見事1位に選ばれたのは、Aグループの『土の中の惑星』でした。作り込まれた設定とその文学的な美しさが参加者の心を惹きつけたようです。

 Aグループには商品としてゴーフレットが贈られました。皆さん喜んでその場で食べておられました。

 Dグループでルパンごっこに勤しんでいた僕は、グランプリこそ逃したものの、代表作選びや頂上決戦の発表などで大いに楽しむことができました。ちなみに、僕らのグループではもう1つ、『テロリストのソクラテス』という、これまた恐ろしくパンチの利いたタイトルが出ていたのですが、内容を考える段階で泥棒マニュアルに流れてしまいました(『テロリストのソクラテス』については、欺瞞に満ちた現代日本に転生したソクラテスが「無知の知」を説くべくユーチューバーになるというところまで決まっていたのですが、肝心のテロが起きず……)。他のグループでどんな話し合いが展開していたのかも気になりますね。

◆プログラム③:推し歌詞グランプリ

 最後の出し物は「推し歌詞グランプリ」でした。タイトルの通り、お題に合わせた推し歌詞を紹介し一番いいと思った歌詞を選ぶゲームで、こちらもグループ対抗で行われました。進行役は、10月に「推し本披露会」を企画・開催したみっちーさんでした。

 お題は2つ出されました。最初のお題は、1周年イベントに合わせて「記念日」。記念日ソングというと、定番は結婚ソングですが、色々調べていると、卒業ソングだったり、誕生日の歌だったり、色んな曲が見つかります。どの曲を推すか……グループでの話し合いは長期戦の様相を呈しました。全体発表に移ったのは、たっぷり20分後だったと思います。

 全体発表は、推し歌詞を画用紙に書いて読み上げるという形式でした。歌ってもいいという話でしたが、恥ずかしいのでしょう、歌った人は誰もおりませんでした。残念ながら全歌詞の写真が残っていないので、優勝作だけご紹介したいと思います。ちなみに、投票方法はこちらも「からくりテレビ」方式でした。

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 テーマ「記念日」の優勝作は、Bグループが紹介した「勇気の鐘」でした。アニメ『魔法陣グルグル』の曲を結婚ソングようにアレンジしたものとのことですが、記念日のそれからに向けてエールを送る力強く優しい歌詞が参加者の胸に響いたようでした。

 続いてのお題は、「胸キュン」。結果的に結婚ソングの後に「胸キュン」が続くあたりに、『I Love Youの訳し方』課題本読書会以来続く彩読色ボケの系譜を感じますが、それはともかく。胸キュンを歌うのは女性の方で、男性シンガーは失恋の歌が多いなど、ちょっとした考察を挟みながら、曲選びは続きました。

 さて、こちらも優勝作だけご紹介したいと思います。選ばれたのは、Cグループの「未来予想図Ⅱ」でした。これが選ばれたのには、歌詞の良さに加えもう1つ理由があったように思います。それは、画用紙の使い方です。

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 「未来予想図Ⅱ」の歌詞発表では、このように表裏に歌詞を配置し、「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」のところで画用紙をクルッと回転させるという手法が使われました。これは全く思いつかなかったキャッチーな発表方法でした。アイデアが進化していく様が楽しい発表でした。

 最後に、この日一番の推し歌詞を選ぶため、「勇気の鐘」と「未来予想図Ⅱ」で決選投票が行われました。拍手が多かったのは「未来予想図Ⅱ」。定番の歌詞と発表のインパクトで見事グランプリに輝きました。「横暴編集長」の時と同様に、Cグループにはゴーフレットが贈られました。

◆発表、彩読京都推し本大賞2019

 さて皆さん、お待たせいたしました。ここで、最初に投票を行った「彩読京都推し本大賞2019」の結果発表をしたいと思います。プレゼンターは先ほどに続き、僕が担当しました。

 実を言うと、「横暴編集長」が始まるよりもずっと前に集計が終わっていて、意外な結果に僕は「おお!」と興奮を隠しきれないでいました。その意外さをどうしても出したくて、第3位から順に発表する形式を採りました。それでは、ここでも同じく3位から発表したいと思います。

▶第3位:『左利きの人々』(4票)

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 僕が推薦した『左利きの人々』が3位に選ばれました(ちょっぴり誇らしかったです)。突飛すぎないけれど意外な着眼点が面白かったということでしょうか。

▶第2位:『I Love Youの訳し方』(6票)

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 さあ意外な展開になりました。大阪会場にまで影響を与え、前代未聞の寸劇実施に至った話題作『I Love Youの訳し方』がまさかの2位。発表した時点でベテラン陣は早くも「これを超えた1位がある」ということに驚きを隠せない様子でした(狙い通り!)。では『I Love You』を押さえ、栄えある推し本大賞に輝いたのは何だったのか。

▶第1位:『わたしの名は赤』(8票)

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 なんとなんと、11月に紹介されたばかりのトルコの歴史ミステリーが、全体の4分の1の票を獲得し、見事今年の京都推し本大賞に輝きました。もともと紹介してくださったのは、海外在住経験が長く、日本ではマイナーだけど海外では人気が高い作品を毎度紹介してくださるチャーミングなご婦人。残念ながらイベントには参加されていなかったのですが、商品として後日図書カードが渡されることになりました。おめでとうございます。

◆最後に:夢が叶う場所

 あっという間に時間が過ぎ、イベント終了時刻の20時がやって来ました。フリーアナウンサー氏が締めに入ったところで、思いがけない出来事が2つ起こりました。1つは、のーさんへの色紙の贈呈です。これは、この日初めてSAKURA CAFÉを訪れた大ベテラン・momomotokazuさんが会場入りしてから準備したものでした。

 そしてもう1つ。いよいよ締めというところで、「すいません」と手を挙げた方がおりました。それは、京都会場のリーダーを務めるちくわさんでした。ちくわさんからは、この1年の歩みの振り返りと、それらを辿りながら思ったことについて話がありました。

 1年の歩みの振り返りについては、ご本人のブログにまとめがありますのでそちらをご覧いただくとして、ここではちくわさんからのメッセージをご紹介したいと思います。

 1年を振り返ってみて、何より思うことは、彩ふ読書会は「夢が叶う場所」だということです。読書会をタカラヅカ化したいという夢が叶い、ボードゲームをしたいという夢が叶い、ニコニコ生放送が実現し、推し歌詞会が開催される。そして、自分自身、哲学カフェというものに興味を持ち、そこから僅か1年で、彩読主催の哲学カフェを実現することができました。やりたいことを提案したら、どんどん実現していく自由な場、それが彩ふ読書会の良い所だと思います。ですから、皆さんもぜひ、やりたいと思うことがあったら、提案してみてください。

 ちくわさんが自分の想いを長文で語るということは、今まで滅多にありませんでした。しかし、京都立ち上げから1年、思うところは色々とあったのでしょう。そのエッセンスが、このメッセージの中に凝縮されていると僕は感じました。

 夢が叶う。本当にその通りだと思います。僕もまた、『有頂天家族』アニメ版上映会を通じ、ずっと観たかった作品を観るという願いを、それも大勢で笑い、泣きながら見るという願ってもない形で実現できた一人です。それから、ここで紹介した推し本大賞についても、いつか読書会で本をテーマにしたグランプリを開催したいという、何人かがずっと抱いていた妄想を漸く形にできたという達成感がありました。

 この日の午後、推し本披露会後のフリートークで、ある方から興味深い提案がありました。その話を聞いた時、「この読書会の夕方の部を使えば実現できると思いますよ。ぜひまた来て話してみては如何ですか」とお伝えしました。自分一人ではできないことも、彩読の中なら形にできる。そんな場所として、色んなアイデアを取り入れながら、読書会がより豊かになればいいなあということを、これを書きながら、僕も改めて思いました。

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 以上をもちまして、彩ふ読書会京都会場1周年イベントの振り返りを締めくくりたいと思います。ここまでお読みくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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