皆さまこんにちは、ひじきでございます。
いよいよこれが、2019年最後の記事になります。予告通り、この1年全体を振り返り、来年へ繋げられるような内容にしたいと思います。もしかしたら、今まで表に出さないようにしてきた事柄がボロッと出てしまうかもしれませんが、その時はその時です。大目に見てください。そもそも、これは僕の“日記”なのですから。
12月が始まったばかりの頃、僕は愕然として日々震えていたように思う。「今年が、もう終わる」そのことが、俄かには信じられなかったのだ。
2019年を振り返ってまず思うのは、あっという間の1年だったということだ。僕は決して、過ぎてしまったことは何もかもあっという間なのサという類の一般的な感覚の話をしているのではない。この1年は、今までのどの1年よりも、圧倒的に短かった。
それと同時に、僕は不思議な焦りを覚えていた。それはすなわち、「何もしていないうちに1年が終わってしまう」という焦りだった。
そういうと、いやいや何を言う、あんたは色んなことをして、沢山のブログを書いてきたじゃないかという声が聞こえてきそうである。確かにその通りだ。この1年、僕は色んなことをやってきた。毎月のように読書会に参加し、レポートを書いてきたし、哲学カフェ研究会やヅカ部をはじめ、幾つかの部活動にも顔を出してきた。哲学カフェについて言えば、読書会とは関係のない別の会にも、不定期ながら顔を出すようになった。友だちや家族と旅行に出掛けたことだって1度や2度ではないし、会社の人に誘われて福井県で開催しているマラソン大会にも参加した。大掛かりな旅行でなくても、京都・大阪・奈良・和歌山と、関西一円に向かって出掛ける機会があった。仕事について言えば、7月に後輩ができ、立場が変わることによる気の持ちようの変化も味わった。そう、振り返ってみれば、本当に色んなことがあった。むしろ、ありすぎたくらいである。週末のスケジュールが今年ほど沢山埋まっていた年は、未だかつてなかったのだ。
それにもかかわらず、この1年を振り返った時に“何もなかった”というような感想が浮かんできてしまうのは、つまるところ、人として変化した・成長したという実感が湧かないからではないかと思う。確かに沢山のことを経験した。しかし、その結果僕はどうなったというのだろう。多忙化した日々にただただ流されるうち、一切が惰性で回るようになる。そうしてぼんやりしているうちにも時は流れ、気が付いた時には年の瀬になっていた。そんなところだろうか。
実を言うと、その時点で目に付く変化が1つだけあった。しかしそれは決して良い変化ではなかった。すなわち、その時気付いたことというのは、苛立ちやすい人間になったということだった。今年の僕、とりわけ後半の僕は、イライラしていることが多くて、何か気に食わないことがあるとそのイライラを人にぶつけるようなところがあった。そういう時の僕はきっと、疲れ切ったような顔をしていて、何もかも面白くないという雰囲気を漂わせていたのではないかと思う。
そのことにハタと気付いた時、激しい自己嫌悪に苛まれた。始終面白くなさそうな顔をして周りに当たる大人など、一番なりたくないものだったからだ。そのなりたくないものに自分がどんどん近付いているとわかった時、あまりの情けなさに打ちひしがれる思いがした。
11月から12月初めというのはまさに、僕がこうした己の暗部に気付き、頭を抱えていた頃であった。自分の変化・成長を実感できず、時の流れの速さを嘆くばかりになっていたのには、こうしたタイミングの問題もあったのかもしれない。
12月に入って、ブログの更新を、それまでのほぼ毎日更新するスタイルから、書きたいことがある時に限定するやり方に変更したのは、正しい選択だったと思う。それはすなわち、日々の生活の中で抱えている“やるべきこと”の総量を減らすという選択だった。これにより僕は、毎日何かを書かなければならないというプレッシャーから解放されると同時に、何かを書く楽しさを久しぶりに味わうことができた。元々やりたくて始めた日記風ブログは、この1年の間に“楽しみ”から“タスク”へと変質していた。何の予定もない休日を、ブログ用の原稿を数千字書き進めるためだけに費やしたことも何度もあった。そういうものだと思ってやっていたけれど、しんどい面もあったのだと思う。いつの間にか自分を縛り付けていた義務感を取り払うことで得られたものは多かった。
色んな方からお褒めの言葉を頂いた「彩読京都推し本大賞2019」のプレゼンは、こうした時間の使い方の変化の賜物として生まれたものである。12月の上旬、僕はブログの更新を放棄し、プレゼンのためにたっぷり(必要以上の)時間を確保していた。そのような生活の変化を伴っていたこともあり、推し本大賞の成功は、とりわけ感慨深い思い出となった。
いきなり具体的な話を書いてしまったが、2019年というあまりに早すぎた1年を反省し、2020年に取り組みたいことの1つは、こうしたスケジュール管理の強化である。その中には、〈時間の使い方を考えること〉に加え、〈やることの総量を調整すること〉などが含まれている。折しも、会社において、段取り力をテーマに自分で調べ物をして発表する機会というのもあった。そこで「使える!」と思ったことを積極的に取り入れて、ささやかな自己改革に取り組みたいと思う。もっとも、〈やるべきことをメンドクサがって後回しにしない〉という戒めも、セットで叩き込まなければならないのだけれど。
折角なので、2020年に取り組みたいことをもう1つ挙げておこう。今やすっかり惰性に陥っている日常に新鮮なものを取り入れていくことだ。もっとも、それは何も目新しいことでなくてもいいのかもしれない。いまやっていることにちょっとした工夫を加えるだけで、新鮮さは十分採り入れられるのではないかと思う。例えば、本の選び方を変えてみるとか、そういったことだ。
少し前に、彩読ラジオ(読書会メンバーが月1回程度行っているニコニコ生放送。僕も数度の出演歴がある)の中で面白い話があった。「何か新しいものに手を出すときは、怖いと思った方を選べ」という話だ。恐怖や不安を覚えるものの中にこそ、それまでの自分にない新しいものがあるのだから、自分を変えたいと思うのならば怖いと思うものにこそチャレンジしてみた方がいいという。聴きながら「なるほどなぁ」と思った。これを新しい行動基準の1つにしてみようというのが、いまの僕の考えである。
このように、予定に追われ苛立ちにまみれながら日常に流されていくのと並行して、僕はまた別の問題とも向き合っていた。それは自分のキャラクターの問題である。
僕はいわゆる“いじられキャラ”である。仕事でも趣味の世界でもその点については変わらないし、なんだったら学生時代から一貫して同じであるから、キャラとは言うものの作っているという感覚はもはやない。僕自身、避けられるくらいならいじられる方がよほどいいという思いがあったので、このキャラクターを受け容れている面があった。
しかし、2019年には、いじられるのがしんどいと思ったことが何度もあった。ただしんどいというだけでなく、自分が雑に扱われているような気がして腹が立った。人からなんやかんやと構われるのは愛されている証拠だと言ってくれる人もいたが、その言葉を素直に受け止めることは、当時の僕にはできなかった。むしろ、都合の良い言葉に丸め込まれてたまるかという反発心で怒りと苛立ちを増幅させるばかりであった。
だからといって、人に対して「いじるな!」と言うのは憚られた(そういうストレートな要求はむしろナメられる原因にしかならないような気もした)。そのため、自分を変えることによって、状況を変えようと試みることになった。ムリにウケ狙いに走って半ば道化のようになるからいけないのだと思って、笑いを封印しクソ真面目な風を装ったこともあったし、面倒臭がりだったりウッカリしていたりといった欠点を無くそうと躍起になったこともあった。どちらもある程度必要なことだったかもしれない。が、そうやって無理矢理自分を変えようとすると、逆にムリが祟った。
このようなムリもまた、ストレスや苛立ちの要因になっていたのではないかと、僕は思う。そして、それはただ単に慣れないことを強いたからだけではなかったようにも思う。自分を変えようと試みる中で、僕は自分自身の弱さに蓋をしようとしていた。ぶくぶくした承認欲求を抱え期待される役割(それでも“いじられる”)に沿おうとしてしまう自分、ウッカリが多い自分、不精な自分……そんな弱い自分を悉く否定し、欠点のない立派な存在になろうという力みが、僕をますます硬直させた。
それは、一言でいえば、〈バカでいられなくなる〉ということだったのかもしれない。〈バカになれ〉という言葉を、社会人になる前にある人から贈られた。その言葉の意味を、僕はずっと勘違いして、道化になる道を突き進んできた。それこそバカの極みであるということに、最近になって漸く気付いた。〈バカになる〉というのは、つまるところ、己の弱さに対し素直になることだったのだと思う。弱さを無闇矢鱈と隠そうとせず、欠点だらけの自分を受け容れること、それが〈バカになる〉の意味だったのだと思う。……なんだかバカバカと書いていると語感がきつくてウンザリしてきたので、ここからはいつも読み慣れ使い慣れている〈阿呆〉に改めよう。
己が阿呆ぶりを受け容れ、そこから全ての言動を立ち上げるにあたって、一番参考になったのは、前回の記事でも取り上げたさくらももこさんのエッセイだった。「阿呆」は元々森見登美彦さんの文章から取ってきた言葉であるが、森見さん流の阿呆の表現は生身の人間としての僕が現実を生きるにあたって援用できるものではなかった。それはすなわち、自分というものを徹底的に覆い隠し、別個のキャラクターを通じて阿呆ぶりを描くという方法だった。しかし、僕にはどうしたって、自分を隠すことができない。自分自身から切り離されたところにある純粋な“面白さ”の世界へ突き進むのは、僕にとってはあまりに困難なことだった。そこへ現れたのが、さくらももこさんのエッセイだった。自分を正直に曝け出しながら、人に対しても鋭い目を向ける。それでいて決して冷笑的にならず、双方を包み込もうとする。人間皆阿呆であり、而して亦愛すべき存在である。自他に対するそのような視線の向け方を、僕はさくらももこさんのエッセイに強く感じた。自分が範とすべきものはこれだと思った。
このことにきちっと気付けたのもまた、年が暮れようとする頃だった。だから、12月を迎えたばかりの頃の僕はまだ逡巡の最中だった。2019年の終わりが近づき呆気に取られながら、僕はようようラストスパートにかかった。間に合ったかどうかはわからない。ただ、自分が書いたものをもとに判定するなら、12月の僕は、ちゃんといい阿呆になっていたように思う。
2020年も僕は阿呆でいようと思う。それはつまり、情けないところもある自分をそういうものとして受け容れるということである。もちろん、受け容れるということは現状維持ではない。ここの区別は難しい。一旦自分を許してしまうと現状維持に流れやすいからだ。変えるべきところは変えねばならぬ。重要なのは、変わるべき自分とはそもそも何者なのかを知るということだ。ふと、学生時代に読んだ論文の端にあった言葉を思い出した。“共感も否定も、まずは理解から”。
さくらももこさんのエッセイが支えになるのは、当面の間変わらないという気がする。自分の世界を広げることは大事だけれど、その一方で、ずっと支えになるものを持っておくのも大切なことだと思う。変わることも変わらないことも、どちらも人には必要なのだ。
さて、まとまっているのかいないのか、てんでわかりませんが、以上をもちまして、2019年の振り返りを終えたいと思います。やはり、2019年はあっという間に流れた一年だったような気がします。文中で逡巡という言葉を使いましたが、その実、ぐるぐる思い惑うている余裕もなかったのが2019年だった、そんな風に思えるのです。しかし、こうして腰を据えて振り返ってみれば、今後につながる重要なポイントも見えてくる。1年を終える前にそのことに気付けたのは、ラッキーだったように思います。
2020年の抱負は年が明けてからまた改めて書くことになると思いますが、2019年を踏まえつつ、また次の一歩を踏み出せるようにしたいなと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。ひとまず、今年1年お世話になり、ありがとうございました!!
いよいよこれが、2019年最後の記事になります。予告通り、この1年全体を振り返り、来年へ繋げられるような内容にしたいと思います。もしかしたら、今まで表に出さないようにしてきた事柄がボロッと出てしまうかもしれませんが、その時はその時です。大目に見てください。そもそも、これは僕の“日記”なのですから。
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12月が始まったばかりの頃、僕は愕然として日々震えていたように思う。「今年が、もう終わる」そのことが、俄かには信じられなかったのだ。
2019年を振り返ってまず思うのは、あっという間の1年だったということだ。僕は決して、過ぎてしまったことは何もかもあっという間なのサという類の一般的な感覚の話をしているのではない。この1年は、今までのどの1年よりも、圧倒的に短かった。
それと同時に、僕は不思議な焦りを覚えていた。それはすなわち、「何もしていないうちに1年が終わってしまう」という焦りだった。
そういうと、いやいや何を言う、あんたは色んなことをして、沢山のブログを書いてきたじゃないかという声が聞こえてきそうである。確かにその通りだ。この1年、僕は色んなことをやってきた。毎月のように読書会に参加し、レポートを書いてきたし、哲学カフェ研究会やヅカ部をはじめ、幾つかの部活動にも顔を出してきた。哲学カフェについて言えば、読書会とは関係のない別の会にも、不定期ながら顔を出すようになった。友だちや家族と旅行に出掛けたことだって1度や2度ではないし、会社の人に誘われて福井県で開催しているマラソン大会にも参加した。大掛かりな旅行でなくても、京都・大阪・奈良・和歌山と、関西一円に向かって出掛ける機会があった。仕事について言えば、7月に後輩ができ、立場が変わることによる気の持ちようの変化も味わった。そう、振り返ってみれば、本当に色んなことがあった。むしろ、ありすぎたくらいである。週末のスケジュールが今年ほど沢山埋まっていた年は、未だかつてなかったのだ。
それにもかかわらず、この1年を振り返った時に“何もなかった”というような感想が浮かんできてしまうのは、つまるところ、人として変化した・成長したという実感が湧かないからではないかと思う。確かに沢山のことを経験した。しかし、その結果僕はどうなったというのだろう。多忙化した日々にただただ流されるうち、一切が惰性で回るようになる。そうしてぼんやりしているうちにも時は流れ、気が付いた時には年の瀬になっていた。そんなところだろうか。
実を言うと、その時点で目に付く変化が1つだけあった。しかしそれは決して良い変化ではなかった。すなわち、その時気付いたことというのは、苛立ちやすい人間になったということだった。今年の僕、とりわけ後半の僕は、イライラしていることが多くて、何か気に食わないことがあるとそのイライラを人にぶつけるようなところがあった。そういう時の僕はきっと、疲れ切ったような顔をしていて、何もかも面白くないという雰囲気を漂わせていたのではないかと思う。
そのことにハタと気付いた時、激しい自己嫌悪に苛まれた。始終面白くなさそうな顔をして周りに当たる大人など、一番なりたくないものだったからだ。そのなりたくないものに自分がどんどん近付いているとわかった時、あまりの情けなさに打ちひしがれる思いがした。
11月から12月初めというのはまさに、僕がこうした己の暗部に気付き、頭を抱えていた頃であった。自分の変化・成長を実感できず、時の流れの速さを嘆くばかりになっていたのには、こうしたタイミングの問題もあったのかもしれない。
12月に入って、ブログの更新を、それまでのほぼ毎日更新するスタイルから、書きたいことがある時に限定するやり方に変更したのは、正しい選択だったと思う。それはすなわち、日々の生活の中で抱えている“やるべきこと”の総量を減らすという選択だった。これにより僕は、毎日何かを書かなければならないというプレッシャーから解放されると同時に、何かを書く楽しさを久しぶりに味わうことができた。元々やりたくて始めた日記風ブログは、この1年の間に“楽しみ”から“タスク”へと変質していた。何の予定もない休日を、ブログ用の原稿を数千字書き進めるためだけに費やしたことも何度もあった。そういうものだと思ってやっていたけれど、しんどい面もあったのだと思う。いつの間にか自分を縛り付けていた義務感を取り払うことで得られたものは多かった。
色んな方からお褒めの言葉を頂いた「彩読京都推し本大賞2019」のプレゼンは、こうした時間の使い方の変化の賜物として生まれたものである。12月の上旬、僕はブログの更新を放棄し、プレゼンのためにたっぷり(必要以上の)時間を確保していた。そのような生活の変化を伴っていたこともあり、推し本大賞の成功は、とりわけ感慨深い思い出となった。
いきなり具体的な話を書いてしまったが、2019年というあまりに早すぎた1年を反省し、2020年に取り組みたいことの1つは、こうしたスケジュール管理の強化である。その中には、〈時間の使い方を考えること〉に加え、〈やることの総量を調整すること〉などが含まれている。折しも、会社において、段取り力をテーマに自分で調べ物をして発表する機会というのもあった。そこで「使える!」と思ったことを積極的に取り入れて、ささやかな自己改革に取り組みたいと思う。もっとも、〈やるべきことをメンドクサがって後回しにしない〉という戒めも、セットで叩き込まなければならないのだけれど。
折角なので、2020年に取り組みたいことをもう1つ挙げておこう。今やすっかり惰性に陥っている日常に新鮮なものを取り入れていくことだ。もっとも、それは何も目新しいことでなくてもいいのかもしれない。いまやっていることにちょっとした工夫を加えるだけで、新鮮さは十分採り入れられるのではないかと思う。例えば、本の選び方を変えてみるとか、そういったことだ。
少し前に、彩読ラジオ(読書会メンバーが月1回程度行っているニコニコ生放送。僕も数度の出演歴がある)の中で面白い話があった。「何か新しいものに手を出すときは、怖いと思った方を選べ」という話だ。恐怖や不安を覚えるものの中にこそ、それまでの自分にない新しいものがあるのだから、自分を変えたいと思うのならば怖いと思うものにこそチャレンジしてみた方がいいという。聴きながら「なるほどなぁ」と思った。これを新しい行動基準の1つにしてみようというのが、いまの僕の考えである。
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このように、予定に追われ苛立ちにまみれながら日常に流されていくのと並行して、僕はまた別の問題とも向き合っていた。それは自分のキャラクターの問題である。
僕はいわゆる“いじられキャラ”である。仕事でも趣味の世界でもその点については変わらないし、なんだったら学生時代から一貫して同じであるから、キャラとは言うものの作っているという感覚はもはやない。僕自身、避けられるくらいならいじられる方がよほどいいという思いがあったので、このキャラクターを受け容れている面があった。
しかし、2019年には、いじられるのがしんどいと思ったことが何度もあった。ただしんどいというだけでなく、自分が雑に扱われているような気がして腹が立った。人からなんやかんやと構われるのは愛されている証拠だと言ってくれる人もいたが、その言葉を素直に受け止めることは、当時の僕にはできなかった。むしろ、都合の良い言葉に丸め込まれてたまるかという反発心で怒りと苛立ちを増幅させるばかりであった。
だからといって、人に対して「いじるな!」と言うのは憚られた(そういうストレートな要求はむしろナメられる原因にしかならないような気もした)。そのため、自分を変えることによって、状況を変えようと試みることになった。ムリにウケ狙いに走って半ば道化のようになるからいけないのだと思って、笑いを封印しクソ真面目な風を装ったこともあったし、面倒臭がりだったりウッカリしていたりといった欠点を無くそうと躍起になったこともあった。どちらもある程度必要なことだったかもしれない。が、そうやって無理矢理自分を変えようとすると、逆にムリが祟った。
このようなムリもまた、ストレスや苛立ちの要因になっていたのではないかと、僕は思う。そして、それはただ単に慣れないことを強いたからだけではなかったようにも思う。自分を変えようと試みる中で、僕は自分自身の弱さに蓋をしようとしていた。ぶくぶくした承認欲求を抱え期待される役割(それでも“いじられる”)に沿おうとしてしまう自分、ウッカリが多い自分、不精な自分……そんな弱い自分を悉く否定し、欠点のない立派な存在になろうという力みが、僕をますます硬直させた。
それは、一言でいえば、〈バカでいられなくなる〉ということだったのかもしれない。〈バカになれ〉という言葉を、社会人になる前にある人から贈られた。その言葉の意味を、僕はずっと勘違いして、道化になる道を突き進んできた。それこそバカの極みであるということに、最近になって漸く気付いた。〈バカになる〉というのは、つまるところ、己の弱さに対し素直になることだったのだと思う。弱さを無闇矢鱈と隠そうとせず、欠点だらけの自分を受け容れること、それが〈バカになる〉の意味だったのだと思う。……なんだかバカバカと書いていると語感がきつくてウンザリしてきたので、ここからはいつも読み慣れ使い慣れている〈阿呆〉に改めよう。
己が阿呆ぶりを受け容れ、そこから全ての言動を立ち上げるにあたって、一番参考になったのは、前回の記事でも取り上げたさくらももこさんのエッセイだった。「阿呆」は元々森見登美彦さんの文章から取ってきた言葉であるが、森見さん流の阿呆の表現は生身の人間としての僕が現実を生きるにあたって援用できるものではなかった。それはすなわち、自分というものを徹底的に覆い隠し、別個のキャラクターを通じて阿呆ぶりを描くという方法だった。しかし、僕にはどうしたって、自分を隠すことができない。自分自身から切り離されたところにある純粋な“面白さ”の世界へ突き進むのは、僕にとってはあまりに困難なことだった。そこへ現れたのが、さくらももこさんのエッセイだった。自分を正直に曝け出しながら、人に対しても鋭い目を向ける。それでいて決して冷笑的にならず、双方を包み込もうとする。人間皆阿呆であり、而して亦愛すべき存在である。自他に対するそのような視線の向け方を、僕はさくらももこさんのエッセイに強く感じた。自分が範とすべきものはこれだと思った。
このことにきちっと気付けたのもまた、年が暮れようとする頃だった。だから、12月を迎えたばかりの頃の僕はまだ逡巡の最中だった。2019年の終わりが近づき呆気に取られながら、僕はようようラストスパートにかかった。間に合ったかどうかはわからない。ただ、自分が書いたものをもとに判定するなら、12月の僕は、ちゃんといい阿呆になっていたように思う。
2020年も僕は阿呆でいようと思う。それはつまり、情けないところもある自分をそういうものとして受け容れるということである。もちろん、受け容れるということは現状維持ではない。ここの区別は難しい。一旦自分を許してしまうと現状維持に流れやすいからだ。変えるべきところは変えねばならぬ。重要なのは、変わるべき自分とはそもそも何者なのかを知るということだ。ふと、学生時代に読んだ論文の端にあった言葉を思い出した。“共感も否定も、まずは理解から”。
さくらももこさんのエッセイが支えになるのは、当面の間変わらないという気がする。自分の世界を広げることは大事だけれど、その一方で、ずっと支えになるものを持っておくのも大切なことだと思う。変わることも変わらないことも、どちらも人には必要なのだ。
◇ ◇ ◇
さて、まとまっているのかいないのか、てんでわかりませんが、以上をもちまして、2019年の振り返りを終えたいと思います。やはり、2019年はあっという間に流れた一年だったような気がします。文中で逡巡という言葉を使いましたが、その実、ぐるぐる思い惑うている余裕もなかったのが2019年だった、そんな風に思えるのです。しかし、こうして腰を据えて振り返ってみれば、今後につながる重要なポイントも見えてくる。1年を終える前にそのことに気付けたのは、ラッキーだったように思います。
2020年の抱負は年が明けてからまた改めて書くことになると思いますが、2019年を踏まえつつ、また次の一歩を踏み出せるようにしたいなと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。ひとまず、今年1年お世話になり、ありがとうございました!!