ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2019年09月

 諸般の事情により、明日5時半に会社に着かねばならない。もっとも、これも経験と引き受けたのだから不満はない。ただ1つ、起きれなかったらどうしようということが心配でならない。

 ひとまず、睡眠時間をずらし、早く寝て早く起きてみようと思う。睡眠時間を確保するという意味では間違いなくこれが上策である。しかし、寝る時間さえ確保できれば、いつでも起きられるものなのだろうか。そのまま長寝して、いつもの会社の時間にさえ遅れかけるなんてことにならないだろうか。不安は尽きない。

 だからといって寝ないわけにはいかないし、であるならばここで長々と不安を書き出している場合ではない。急ぎ布団に潜り込むとしよう。それでは。

 日中一度疲れがフッと抜けたが、夜になって来月の支出計画を練っているうちにまたイライラしてきて気持ちが沈んだ。疲れというより、ストレスが溜まっているのかもしれない。ストレスの原因が金というのは、なんともみみっちい感じがする。が、残念ながらこれが自分の現状なのだ。それを受け止めなければ、次には進めないと知れ。

 もっとも、ブログという媒体でこんな話ばかりしても仕方がない。折角だから、疲れがフッと抜けた時の話をしよう。

 前の日に激しい疲れを感じてぼうっとしていた僕は、今日も1日ほぼ何もしないで過ごそうと決めていた。何もしないと言っても、本当にぼけぇっとしているのはあまりにつまらない。そこで、読みかけの本の続きを追うことにした。しかし、暫く読み進めるうちに愕然としてしまった。内容が全然入って来ないのである。ただ文字を追うような読み方しかできていないのだ。もちろん、言葉の意味は分かる。けれども、文章の意味のほうは、ぜんぜん分かっていない。こういう読み方しかできない時は、どうしても気が滅入る。気分転換に、パソコンで幾つか動画も見てみた。それなりに面白かったが、どこか無理に笑っているような気がした。

 味気ない。そんな言葉が自然に湧いた。いったいどうしてしまったというのだろう。

 時計を見ると11時半を回っていた。昼食用の米を炊くべく、僕は流しに向かった。そして準備をしている途中で、ふと、買い置きしてあるポテトチップスを食べたいと思った。白米を入れたお釜を流し台に置いたまま、僕は一度机に戻り、ポテトチップスを食べ始めた。あっという間に、袋の殆どを平らげてしまった。

 何を読んでも、何を観ても味気ないのに、ポテトチップスは美味いのか。

 そんなことを思った。実際おかしな話だった。

 しかし同時に、ポテトチップスの美味さがわかるなら、なんとかなるんじゃないかという気がした。

 果たして、そうやって自分の現状を受け止めてみたら、急に気持ちが軽くなった。準備しかけの米をセットし、炊き上がるのを待つ間、さっきの本の続きを読んでみた。ほんの少しだけど、心に刺さるような気がした。

 極言すれば、ありのままの自分を受け容れたら気持ちが上向いたという話になるのだろう。しかし、僕はそんなカタいことが言いたわけじゃない。僕が言いたいのは、今日自分を受け容れるための鍵を握ったのがポテトチップスだったということの方である。ポテチに救われる日もある。それは僕の生活を今よりちょっとだけ豊かにしてくれる新たな気付きだと思うのだ。

 となると、幾ら出費に胃を痛めることになろうとも、僕はまたポテトチップスを買ってしまうだろうと思う。さて、代わりにどの出費を削ればいいだろう。

 土曜出勤を終え、家に帰ってきてから、ずっとぼうっとしていた。なんだかひどく疲れていた。大飯ぐらいで名の通る僕が、スーパーに寄っても食べたいもの1つ見つけられずにそのまま帰ったと言えば、どれほど疲れていたかお察しいただけるだろう。幸い、暫くぼうっとしているうちに食欲は戻ってきた。無性に粉ものを口にしたくなったので、お好み焼きと、焼きそばとたこ焼きのセットを買ってきて2つながらに食べた。

 もちろん、1日でこれほど疲れるわけがない。日々の中で、疲れはじわりじわりと蓄積していたにちがいない。いま、これを書きながら、改めて原因を探ろうとしてみたが、正直どうしてこんなに疲れているのかはさっぱりわからない。わからないから、とりあえず休むしかないだろうと思っている。

 ふと、僕はいったいこの日記で何回「あー疲れた」というただそれだけのことを綴った記事を書いたのだろうと考えた。2回や3回では決してない。ある時期を境にして、書いているものの3分の1くらいは「あー疲れた」になっているのではないかという気さえする。なんとまあ中身のないことを書いているのだろうと思う。一方で、同じ「あー疲れた」でも毎回違う書き方をしてきたんだろうなあとも思う。凄いんだか凄くないんだかよくわからない。というか、いったい何考えてんだ、俺?

 やっぱり休むしかないらしい。皆さま素敵な週末を。

 三連休中の旅行の思い出を綴る日記、その最後の章をお届けしようと思う。お墓参りのため土曜日に広島にある生口島を訪れた僕と両親の3人は、帰る途中岡山の鷲羽山で一泊し、翌日曜日を観光に充てた。元々倉敷の美観地区を訪れることを楽しみにしていた僕らだったが、ひょんなことから児島のジーンズストリートへ立ち寄ることになる。そして、ショッピングに夢中になる余り、3時間もジーンズストリートに滞在してしまう。

 そんなわけで、当初の観光の狙いであった倉敷の美観地区に着いたのは14時を回ってからであった。おまけに、それから昼食を食べたので、美観地区を回るのに充てられた時間はせいぜい2時間半ほどであった。この地区には、エル・グレコの『受胎告知』をはじめ、国内外の貴重な美術品を多数所蔵していることで有名な大原美術館がある。できることなら入りたいと思っていたが、これは時間の関係で断念せざるを得なかった。

 はっきり言って、この地区が持つ観光資源に対して、僕らに残されていた時間はあまりに乏しかった。そのため、美観地区の観光は不完全燃焼の感が否めない。街を去る時既にリベンジを誓っていたといえば、その名残惜しさは察するに余りあるだろう。

 とはいえ、倉敷観光に何ら感じるところがなかったわけではない。特に、街のあちこちから感じられる表現・創作の息吹は、僕の心を静かに昂らせるのに十分だった。

◇     ◇     ◇

 JR倉敷駅から美観地区に向かって、アーケード商店街が伸びている。テイクアウトの飲食店やジーンズショップが目立つ辺りは観光地の様相を呈しているが、建物の昭和感などはむしろ日常の延長を思わせるようなところがあった。

 そんな商店街を歩いていると、至る所に絵が展示されているのが目についた。そのうちの幾つかは大原美術館に所蔵されているのであろう著名な画家の絵画の複製であったが、残りはどうやら地元の人たちが描いたものらしかった。描き手は小学生から、趣味で書いている大人まで様々である。全くのオリジナル作品もあれば、美術館の絵の模写もある。模写では圧倒的に『受胎告知』を題材にしたものが多い。1キロに満たない商店街を抜ける間に、いったい何枚“受胎告知”を見たかわからないくらいである。

 ともあれ僕は、商店街の中にイーゼルに置かれた絵がさも当然のように並んでいることに、ささやかな感動を覚えた。この街には芸術が根付いていて、その風土が街に住むごく普通の人々とも溶け合っている。それはとても素晴らしいことのように思えた。

 アーケード通りを抜けると、美観地区に通じる白壁の通りが始まる。ここにも様々な店が並んでいる。その中に、少なからず手工芸品の店があった。中には入らなかったものの、工芸品の看板を見つける度に、僕の胸は小さく躍った。絵のみならず、ここには、人の手からなる作品が幾つも並んでいる。街全体が、表現を、創作を、受け容れ、促し、1つのうねりをなしている。そんなことを考えるだけで、僕はたまらなくわくわくするのだった。

◇     ◇     ◇

 道に並べられた様々な絵を見ている中で、1枚とても魅かれた作品があった。花に彩られた若緑色の生け垣の真ん中に、白い着物を着た少女がいて、何かを舞うようなポーズで背伸びをしているという絵だ。後で知ったのだが、それは児島虎次郎という洋画家の『朝顔』という作品だった。

 児島虎次郎は洋画家として名を馳せると同時に、海外の有名絵画のコレクターでもあった。彼の死後、その作品やコレクションを集めてできたのが大原美術館である。僕は全く期せずして、大原美術館に最もゆかりのある人物の絵に、すっかり見惚れていたらしかった。

 先に書いた通り、今回の旅行で大原美術館に行くことは叶わなかったが、ギャラリーショップには立ち寄ることができた。僕はしばらく迷った末に、『朝顔』の連作3枚の絵葉書を自分へのお土産に買った。

◇     ◇     ◇

 倉敷のことで印象深いことと言えばこれくらいのものである。美観地区を流れる川が綺麗だったとか、アイビースクエアの企画ブースに出店していた足袋の店が気になったとか、他にも書けることはありそうだけれど、あんまりあれこれ書くと取っ散らかってしまいそうなので、これ以上書くのはやめておこう。とにかく、表現のうねりという1点が、僕の心に深く刺さった。次に行く時も、いわゆる倉敷にではなく、街のあちこちに芽吹く表現・創作の様を感じてみたいと思う。

 そんなところで、旅日記・倉敷美観地区編は短く締めようと思う。そして、以上をもって、3回に及んだ旅日記全編を締めくくることにしたい。

 前回に引き続き、三連休中の旅行の記録をつけていこうと思う。広島の離島・生口島で祖父の墓参りを終えた僕と両親の3人は、土曜日の晩、岡山の鷲羽山にある瀬戸大橋の見えるホテルで一泊した。そして翌日曜日の午前中、ホテルから車で20分ほどのところにある児島のジーンズストリートを訪れた。

 児島というと、僕の中では瀬戸大橋の本州側の入口という以外特に印象がなかったのだが、実は国産ジーンズ発祥の地として有名な街なのだそうだ。したがって、ジーンズストリートは、そんな児島の街を象徴するエリアということになる。場所は、JRの児島駅から北西に1.5キロほど離れた辺り。400メートルにわたるメインストリートと、そこから南に分岐した2本の短い通りからなり、その一画だけで30余りのジーンズショップを擁している。

 ところで、僕は元々ジーンズストリートにさほど興味があったわけではない。当初の予定では、2日目の朝にホテルを出た後、僕らは鷲羽山の展望台へ行って瀬戸大橋を一望し、それからすぐに倉敷の美観地区へ向かうことになっていた。しかし、1日目の夜に、母がジーンズストリートに行きたいと強く主張したので、ホテルから距離も近いしちょっと寄っていこうかという話になった。そう、この時点でも、僕はジーンズストリートを“ちょっと寄る”だけの場所と捉えていて、滞在時間もせいぜい1時間くらいと見積もっていた。母は「えーもっとかかると思うよ」と反論したが、僕にはどうしても長居の想像はつかなかった。もとより、その時の僕は、ビールと日本酒のちゃんぼんですっかり酔ってしまっており、目は回っても頭は回らないという有様だったが……

 結論からいうと、僕らはジーンズストリートに3時間滞在している。予定をあっさり無視してそれだけ長居をするに至った理由、それは、最初に入ったショップとの偶然の出会いだと僕は思う。

◇     ◇     ◇

 922日、岡山南部では朝から雨が降っていた。折角の瀬戸大橋も灰色の空の下で雨に霞んでおり、僕らは「やっぱり晴れてるところが見たかったなあ」「昨日天気をもたせるのでおじいちゃんは疲れちゃったんだね」などと話し合っていた。もっとも、雨は激しく降りしきっていたわけではなく、サーという降り方を断続的に繰り返していた。

 9時過ぎにホテルをチェックアウトした僕らは、一応展望台を経由し(といっても、車を一時的に停めて降りることもなく写真を撮っただけだ)、30分ほどかけてジーンズストリートに着いた。駐車場に車を停めた時、雨はちょうど止んでいた。まだ10時前で、ショップはほとんど開いておらず、すっかり暇を持て余した僕らは、ストリートの範囲を確認するように端から端までぼんやり歩き、それからまた引き返し始めた。すると、再び雨が降り出した。それも、ちょっと強い降り方だった。

 その時僕らがいた場所のすぐ脇に、既に営業しているジーンズショップが一軒あった。ここへ入って、暫く中の売り物を見てみよう。そのうち雨も止むだろうから。そう考えて、僕らはその店に入っていった。

 そして、そのままたっぷり魅了されてしまったのである。

 最初に魅了されたのは母だった。店の奥でマネキンが穿いていたスカートを面白がったのがきっかけである。女性の服のことはさっぱりわからないのだが、そのスカートは、一見ズボンかスカートかわからないようなデザインで、母はそれを妹が着たら似合いそうだと言って非常に面白がっていた。それから周りの服を順番に見ていき、色々と気になるものを発見したらしかった。

 父がその間母の傍らにいたので、僕はひとりぽつんと取り残される格好になった。仕方がないのでそこいらの棚に置かれていた服をぼんやり眺め、都度値札を手に取っては「うっ」と思うというのを繰り返していた。すると、店員さんに話しかけられた。

「何かお探しですか」

 ごくありきたりな問い掛けだ。僕もそれなりに慣れたもので、

「あ、いえ、見ているだけですから」

 とやんわりと応えた。しかし、ここからが違った。

「折角なので、ちょっと説明だけさせてもらってもよろしいですか」

 こういうものがあるんだって、頭の片隅に置いといてもらうだけでいいんで、と店員さんは続けた。先ほどまでいた別のお客さんが出て行ったところで、店内に暫くいるのは僕ら親子だけだった。僕はどのみち手持ち無沙汰なので、それなら説明を聞いてみようという気分になった。

「じゃあ、折角ですから」

 結果、僕は色んなものを紹介された。まずジーンズ、それからシャツやジャケット。店員さん曰く、このお店はトップスにも力を入れているのが特徴で、インディゴ染めの服を他店に比べて沢山取り揃えているとのことだった。生地による見た目・質感の違いや、インディゴ染め特有の色褪せの楽しみ方などについても説明があった。僕はわかったようなわからないような感じになりながら、ひとまず新しい言葉に触れる楽しさと、服11点の青の濃淡や雰囲気の違いの面白さに身を任せていた。

 すると、店員さんから急に尋ねられた。

「お客さん、ロングコートとかって着られます?

 僕はすぐに「いえ全然」と答えた。手に取ってみたこともないように思う。

 店員さんは意外そうな表情を浮かべてから、「これ、ぜひ手に取ってみて欲しいんですけど」と言って、1点のコートを示した。それは剣道などで使う胴着の生地を織って作ったというコートで、濃く、しかし明るい青で染め上げられたものだった。

「ご試着だけでもいかがですか?

 と店員さんが言う。暫くそのコートを見ていた僕は、ふと、これなら試着してみようかなという気分になった。

「とりあえず、着てみていいですか?

「もちろんです」

 僕はバッグをカゴに置かせてもらい、コートに袖を通した。そして姿見の前に立つ。

 思わず息を呑む。

 いい……

 心からそう思った。

 これで終わったらただのナルシシストだが、コートに身を包んだ僕を見て「おっ」と思ったのは僕だけではなかった。「いいやん」という声が後ろから聞こえる。両親が顔を揃えて感心していた。店員さんも「めっちゃ似合ってますよ」と言っていた。その言葉は単なる売り文句などではなく、この人ならこれが似合うという確信に満ちていた。

 いつもなら試着をした後、はあんという素気ない感想と共にすぐに服を脱いでしまう。けれど、このコートはなかなか脱げなかった。「ええやん」というレベルではなく、これを身に付けてみたいと強く感じたのだと思う。

 とはいうものの、やはり値の張るものだったし、それに、30余のショップがある中の最初に入った1店舗で即決してしまうより、もっと色んなショップを回って他に良いものがあるかどうか見てみたいという気持ちもあった。気付けば僕らは20分以上も店にいたようで、外の雨は止んでおり、また、他のショップも次々開き始めていた。

 僕らは店員さんにお礼を言って店を出た。もっとも、色々見た後でまたこの店に戻ってくるんじゃないかという予感は既にあった。

◇     ◇     ◇

 それから2時間近くかけて、僕らはストリートに立ち並ぶショップの多くに入り、並べられたジーンズの幾つかを手に取ってみた。最初の方に入った店で、母はたいへんお気に入りの服に出会ったらしく、早々とそれだけ買っていた。一方、僕のほうは、何点か手に取ってはみるものの、試着することもなく、イメージ写真などにも目をやりつつ、殆ど通り過ぎるように見て回るばかりだった。

 中にはたいへん目を引くものもあった。ストリートの北の端の方にあるショップで売られていた、サメの形をしたバッグがそれである。デザインから察するに、デニムの端材などを繋ぎ合わせて作ったものらしかったが、とにかく発想と形状が可愛らしくて、すっかり魅入ってしまった。言うまでもなく、僕が身に付けるには可愛すぎるのだが、だからこそ魅入る。ぬいぐるみで遊んでいた小さい頃から、僕の感性は基本的に全く変わっていない。

 サメのバッグを売っていたショップの店長さんは、自分の作った作品をこよなく愛する職人といった趣の、独特の人だった。僕らのことなんかそれほど気に掛けていないんじゃないかとも思えたが、作品を笑顔で紹介する様には人柄の良さがありありと滲み出ていて、不思議と惹き込まれる感じがした。独特と言えば、この人は自分の作った作品にそれぞれ名前を付けていた。サメのバッグも例外ではない。このバッグには、ペットボトルケース大のものから、下手すりゃ体が呑み込まれるんじゃないかと思うほど大きなものまで、大小幾つかのサイズがあったのだが、そのうちの1つの名前が「ちいサメ」だと分かった時には思わずクスッと笑ってしまった。そして、「じゃあこの一番大きいヤツは何て言うんですか?」と尋ね、「でかザメ」と返ってきた時には、あまりの捻りのなさに却ってウケてしまった。

 そんなサメで盛り上がる一幕もあったものの、結局僕らが一番気に入ったのは、最初に入ったあの店であった。そして、僕が思わず欲しいと感じたものも、あの店で試着したロングコートだけだった。

 「ほんと偶然よねえ」と口を揃えて言いながら、僕らは歩いてきた道を最初の店に向かって引き返していった。実際その通りだと思う。偶然雨が降って、偶然その店の前にいて、僕らはその店に入った。さらに言えば、ジーンズストリートに来たこと自体、僕からしてみれば計画の外にあること、すなわち偶然であった。ここまで偶然が重なると、何かに導かれていたのではないかという気がしてくる。

「もしかして、おじいちゃんわざと雨降らせたんちゃう?

 そんなことを言ってみた。ややあって母から、「おじいちゃんはオシャレな人だったのよ」という言葉が返ってきた。

 2時間ぶりにお店に戻る。案の定、店員さんは僕らのことを覚えていて「あっ」と微笑みながら軽く頭を下げられた。僕らも笑いながら「戻ってきました」と挨拶した。

 それぞれ気になる服は既に決まっていたようなものだったが、改めて見てみると他にも気になるものが出てきて、僕らはまたしても長居をしてしまった。もっとも、面白いもので、いざ買う段になると、やっぱり最初に手に取ったものがいいということになるのだった。僕は父との間で、時々貸すから折半しようという交渉を成功させ、例のロングコートの購入に踏み切った。もとより、父も僕に続いてコートを試着しており、たいそう気に入っていたらしかったので(そして、実際父のコート姿もカッコよかった)、交渉成立に持ち込むのはそう難しいことではなかった。

 余談であるが、母が色んな服を物色している間に、店員さんは「お父さんにぜひ来て欲しいものがあるんです」と言って幾つかの服や小物を父に身に付けさせていた。決してノリの良い方ではない父が、その言葉に乗ってあれこれ試している姿は、新鮮であり、面白くもあった。

 長居しているうちに、店員さんとは商品のことを超えて色んな話をしていた。今回の旅行のことが話題にあがった時、店員さんは「仲いいですね~羨ましい」と言った。もっとも、その方も近々故郷の両親と旅行に出掛けるのだと言っていた。実家まで電車で30分の距離でひとり暮らしをしている僕と違い、親元を随分離れて働いているその方は、よほど思うところ、目指すものがあって児島のジーンズショップにいるのだろうと思った。

 小一時間ほどして、漸く僕らは買うものを決めた。本場でちゃんとしたものを買うだけあって、ユニクロ・GU族の僕からみれば目の玉が飛び出そうな値段になったが、これもまた貴重な経験と思うことにした。なにより、お気に入りのショップができたこと、また訪れたい場所ができたことは、とても良い事だと思った。

 僕らが気に入ったのは、「Blue Trick」というショップである。

◇     ◇     ◇

 旅日記・児島ジーンズストリート編は以上である。次回は倉敷・美観地区編をお送りしようと思う。この美観地区編をもって、今回の旅日記は完結するので、もうちょっとだけお付き合い願いたい。

 ジーンズストリート編では、服の話をするという慣れないことに挑戦した。もっとも、最近の僕に足りないのは、こうやって新しいことをやって気付きを積み重ねることではないかという気がする。であるならば、拙いなりに本編を書いたのは意味のあることだったにちがいない。

このページのトップヘ