ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2019年06月

 どうやら、今回の読書会レポートは2日に1本のペースでないと書けないらしい。もはや無理はしないぞと僕は決意した。

 課題本編②については、いま、書き出しの3段落だけ出来上がっている。どういうわけか知らないが、全く関係のない話を書いている。文章を素直に書く感覚さえも消し飛んだらしい。頭を掻きながら、流れに身を任せる。今できることはそれだけだ。

 お待たせしました。6月16日に京都北山のSAKURA CAFEで開かれた彩ふ読書会の振り返りの続きを書いていこうと思います。京都の彩ふ読書会は、①午前の部=推し本披露会、②午後の部=課題本読書会の2部構成で、さらに、夕方の時間帯に有志のためのフリータイム、通称「オトナの学童保育」の時間が設けられています。このうち、午前の部=推し本披露会については2日前に書きましたので、この記事では、午後の部=課題本読書会についてお話しようと思います。

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 課題本読書会は、13時40分ごろに始まり、1時間半余り続く。参加者はおよそ6~8名のグループに分かれて着座し、司会から読書会の流れや注意事項について説明があった後、グループの中で課題本の感想などを話し合う。15時ごろになるとグループでの読書会は終わり、司会の旗振りのもと全体発表が始まる。全体発表は各グループで出た意見を共有するために行うもので、グループの代表1名が発表する形式である。全体発表が終わると、今後の読書会や部活動についてのお知らせがあり、読書会は終了となる。これが一連の流れである。

 今回の課題本は、森見登美彦さんの『有頂天家族』であった。

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 京都の下鴨神社に、狸の家族が住んでいる。その名もズバリ下鴨家という。——『有頂天家族』は、下鴨家四兄弟の三男・矢三郎を主人公に、彼らをはじめとする京都の地を這う狸と、京都の天空を自在に駆ける天狗と、京都の街に暮らす人間の三つ巴の日常を描いたドタバタコメディーファンタジーである。力を失った老天狗の若き人間への勝ち目のない恋、大文字焼の日に京都の上空で起こる狸共の納涼船合戦、忘年会の狸鍋の具を物色する7人の人間集団「金曜倶楽部」の会合、狸の頭領・偽右衛門を決めるための選挙活動とその裏で動く陰謀。数多の不思議な出来事が、一般に「森見節」と呼ばれる軽妙洒脱な文体で綴られる。

 あらゆる話に通底するのは、「面白きことは良きことなり」という矢三郎の人生訓(狸生訓?)であり、また、狸鍋に落ち不慮の死を遂げた先代偽右衛門・下鴨総一郎(すなわち主人公たち四兄弟の父)の面影である。先にコメディーと記したが、些か言葉が足りない。思わず笑ってしまう話に、ほろりと涙を誘う物悲しさが通底する、痛快にして深遠なるエンタメ小説、それが『有頂天家族』である。

 『有頂天家族』を課題本に推したのは、何を隠そう僕である。僕は森見登美彦さんの作品が好きである。そしてまた、多くの森見作品は京都を舞台としている。彩ふ読書会が京都に会場を定めてより半年、僕はかねがね、この京都会場で、森見さんの作品を課題本に読書会をやりたいと思っていた。厳正なるあみだくじの結果、課題本推薦の権利を得た僕は、迷わず森見作品を推すことに決めた。そして、せっかく大勢で読むのだから、とにかく面白い作品を選ぶに越したことはない、そう判断し、『有頂天家族』を推薦したのであった。

 自分の推した本が課題本になるというのは、なんと面白いことであろうか。読書会の日が近付くにつれ、僕は身体中を駆け巡る興奮を抑えきれなくなっていった。勢い込んで、総合司会とグループ内の司会進行を兼任すると申し出、実際両司会を兼ねることになった。当日、僕は張り切って前に出た。

 しかし、今になって思い返してみるに、その日の僕はあまりに興奮しすぎていた。興奮のあまり、総合司会では司会原稿を森見節風にアレンジしようとして見事にスベり、グループ進行では進行役自ら好き放題喋りに喋って参加者を混乱の渦に叩き込んだ。総合司会でのスベりぶりについては、未だに傷が癒えないのでここでは一切触れないことにする。一方、グループ進行については、「いやでも面白かったですよ」と皆さまが口を揃えてくださったので、ひとまず事無きを得た。

 そんな心優しいグループの皆さまとのやり取りを、これから振り返ろうと思う。

◇     ◇     ◇

◆司会進行の迷走

 SAKURA CAFEの玄関を開けてすぐ右手、下鴨本通に面して開いた大きな窓の手前に、午後の部Aグループのテーブルはあった。参加者は全部で7名。男性4名・女性3名というバランスの取れた構成である。森見作品愛読歴別構成をみても、初読3名・ファン4名で、やはりバランスが良い。読書会参加歴をみると、初参加が1名、2回目の参加が1名で、その他はお馴染みのメンバーであった。すなわち、非常に安定している。

 そんな申し分ないグループで、開口一番ふにゃふにゃしたことを口走った者がいた。「進め方なんですけどね、いつもやったら順番に感想を言っていただくんですけれど、ちょっと今回どうしようかなあと迷っていて」云々……優柔不断なその進行役の名はひじき氏という。すなわち僕である。

 僕にとって、『有頂天家族』は単なるオモチロイ作品であった。あまりにオモチロ過ぎるので、逆に感想を言うのに困る作品であった。したがって、僕は当初、読書会でも込み入った話は避けて、推しキャラ披露大会でもやろうと目論んでいた。ところが、読書会を前に『有頂天家族』を再読して、僕は気付いた。この作品は深い。人物関係が非常に複雑で、読めば読むほど思うところが出てくる。ゆえに考え直した。これはやはり、ちゃんと感想を話し合った方がいいのではないか。だが待てしばし。推しキャラ披露大会をかなぐり捨てるのは、あまりにも惜しい。

 読書会が始まってなお、僕は話の進め方を決めかねていた。そして、己が逡巡を打ち明け、さらに迷い迷った挙句、「とりあえず、我々ちょうど7人なので、今から『金曜倶楽部』と名前を変えましょう。誰がどの役やりますか」という、限りなくどうでもいい話から読書会を始めようとした。

 慌てて宥めに入った者がいた。隣の席に座っていた、歴史好きの男性である。「まあまあ。それやったら、全員に感想を聞いていって、その時に好きなキャラクターも言うてもらったらええんちゃいます?」

 「そうだ。それが先決だ」と僕は思った。「では俺が指揮をとろう!」——危なっかしきこと、下鴨兄弟の長兄・矢一郎の如し。ともあれ、何とか読書会が始まった。

◆参加者の感想

 というわけで、ここからは参加者7名の感想を順番にみていくことにしよう。話す順番は、上述の歴史好きの男性から始まり、最後が僕であった。感想と同時に推しキャラについても話していただいたが、その話は別でまとめることにしたい。

 歴史好きの男性は、今回初めて森見作品を読んだと言った。思考をまくし立てる文章で、風景描写がゴーッと起こる独特の文体だと感じたそうである。男性の話の中で興味深かったのは、「なんで狸の物語にしたのか」という問いかけであった(僕は一度も気にしたことがなかった)。そして曰く、狸は身近な動物であり、ゆえに書きやすかったのではないかとのことであった。——以上の話をする間、男性は傍らにスマホを置き、画面を覗き込みながらスクロールしていた。おそらく喋る内容をメモしていたのであろう。几帳面な方である。

 続いて話したのは、「11ぴきのねこ」のTシャツを着た男性だった。参加2回目の男性とはこの方のことである。男性はまず森見節の魅力について語った。その魅力を一言で表して曰く、「声に出して読みたい日本語」であるという。森見節に傾倒し、「マネちゃいたいほど好きなのだもの」とばかりパクったりアレンジしたりしている僕にとっては、全く頷ける感想であった。作品の内容については「家族っていいな」と思ったそうである。「いま一人暮らししてるんですけど、家族に会いに行きたいなって思いましたぁ」というその喋りは、語尾がふわりと広がる独特なもので、ですます調の堅さから語尾一点でもって逃れんとするかのようであった。

 3番目に話したのは、常連の男性であった。この方は森見作品を読んだのは初めてだったが、「すごく楽しかったです」と話していた。一方で、話の内容については「感想を絞りづらい」「深読みできない」と言っていて、すぐに推しキャラの話に移ってしまった。読んでいる間、男性はずっと狸の姿をイメージしていたとのことであった。

 4番目に話したのは、初参加の女性であった。「私は『有頂天家族』を読むのはもう何回目かになるんですけど、何度読んでも河原町に行きたくなるなあと思いました」そんな話であった。印象に残った場面としては、4章の名前が挙がった。4章は、矢三郎が初恋の相手である人間かつ半天狗・弁天に捕まって金曜倶楽部で芸をさせられる章であるが、途中で矢三郎は弁天に誘われて会合を抜け出し、寺町通の屋根の上を月を見ながら歩き出す。ワイワイした場面からしんみりした場面への転換ぶりが鮮やかで、ぐっとくる話のようであった。

 5番目に話したのは、京都読書会の副リーダーを務める女性であった。「私は今回読むの2回目なんですけど」女性は言った。「本を取り出した瞬間、あれ、ブアツイなと思って。だからちゃんと読んでなくて」大胆な告白である。もっとも、これには事情がある。女性は『有頂天家族』のアニメ版を見たことがあり、そのため、登場人物の台詞や主人公・矢三郎の語りがアニメの声で再生されてしまい、どうしても読み進めるのに時間がかかってしまったらしい。同じ現象に陥り、1ページ2分という遅さで読み進めた僕は、そりゃあ仕方がないと思った。

 6番目に話したのは、普段は大阪に参加している常連の女性であった。この方は森見作品が初めてであるばかりでなく、ファンタジーを読むのも珍しく、新鮮な思いで読み進めたそうである。その感想は「とにかくかわいい」であった。キャラがかわいいばかりでなく、表現もいちいちかわいい。怒ることを「ぷりぷり」と表現するのが面白かったそうである。なお、森見作品に触れたことのなかったこの方は、アニメ版も知らない。そのため、「平成狸合戦ぽんぽこのイメージで読んでました」とのことであった。

 その時である。3番目に話した男性が急に「あ」と言った。どうしたんだとばかりに我々の目線が集中したところで、彼は語った。「さっき、狸の姿をイメージしながら読んだって言ったんですけれど、すいません、僕がイメージしてたのアライグマでした」我々はしばしポカンとして、それから笑い出した。なにゆえ気付いたのか、そしてなぜここで気付いたのか、一切は男性のみぞ知るところである。とにかく、一度気付くと撤回の余地はないようで、男性はその後しきりに「アライグマ」を連呼した。

 さて、僕である。僕は初めて読んだ時と、今回改めて読んだ時の印象の違いについて話した。その概要は前節で書いた通りであるが、多少詳しく話したのでその一部を書き留めておく——登場人物の中に、矢三郎たち狸のかつての師匠であり、現在は力を失って出町柳のアパートに隠遁している老天狗・赤玉先生という者がいる。天狗だけにエラそうであるが、その実自分では何もできないので、矢三郎が面倒をみることになったというキャラである。先生は狂言回しとして相当コケに書かれている。初めて読んだ時には、ただただ可笑しくて仕方がなかった。ところが、改めて読むと、先生を描写する文章の中には、矢三郎の尊敬の念がきっちり入っているのである。尊敬や憧れの念があるからこそ、落ちぶれた先生の姿が情けなく映る。笑いは、その落差から生まれている。この回りくどい感情こそは、物語世界を優しいものにする重要なポイントである。かつて我が友人は語った。愛のない森見節はただの悪口であると。愛あるところに笑いは生まれるのだ。

 参加者の感想については以上である。流れるように振り返ってきたので、これらがどうまとまるかはイマイチわからない。ただ、七者七様に作品を面白がっていたことだけは確かである。それは僕にとって、何より喜ばしいことであった。

 さて、続いては推しキャラの話である。と、言いたいところだが——

◇     ◇     ◇

 案の定感想の振り返りが長くなったので、続きは次回に回したいと思います。次回も“あの人”が名言を生みます。そして、ある参加者が趣味全開で突っ走り始めます。さらに、僕は僕で作品の深層を敢えて複雑に語り出します。

 初心者とファンと多趣味人の三つ巴。それがこの読書会の小さな車輪をぐるぐる廻している。廻る車輪に巻き込まれるのが、どんなことより面白い。とはいうものの、事態はどこへ収束するのか。全ての結末は次回。どうぞご期待ください。

 「昨日に引き続き、6月16日の読書会の模様を振り返ろう」今ごろ私はそう書いているはずではなかったか。

 現状をお伝えしよう。振り返りの書き出しを決めあぐねた私は、話し合い本編に踏み込む手前でウンウン唸ってしまった。漸く書き出す糸口を掴んだが、今度は時間がない。いよいよ観念して、振り返りは明日に回すことにし、私は言い訳の執筆に取り掛かることにした。

 時々、「あのブログを書くのって結構大変なんですね」と言ってくださる方がいる。有難い話である。実際、記事によっては本当に書けない時もある。

 実を言うと、課題本読書会の振り返りは書けなくなることが多い。推し本披露会の振り返りは、ただ本を紹介するだけだから、当日出た話をそのまま書けばモノになる。これは簡単である。しかし、課題本読書会の振り返りではこの手が使えない。当日、参加者は本を読んだうえで集まっていて、諸々承知の上でテンポよく喋る。それこそが課題本読書会の魅力でもある。ところが、これをレポートに書き起こす時には、課題本のことを知らない人も読むことを前提に、本の内容に関する情報を補うことになる。ここでいつも躓く。「ああ書き足りない。でもこれ以上書くと本編どころの騒ぎじゃなくなってしまう。てかテンポ悪っ!」そんなことを思い悩むうちに、無情にも時間が過ぎてしまうのである。

 おや、なんで言い訳の方はこんなにすんなり書けるんだろう。

 ともあれ、皆さま、課題本読書会振り返りは今しばらくお待ちください。

 6月16日日曜日、京都北山にあるSAKURA CAFEにて、今月の京都の彩ふ読書会が開催されました。というわけで、毎月恒例・読書会の振り返りを、これから数回にわたってお送りしたいと思います。

 読書会は、「午前の部」「午後の部」の二部構成となっています。①午前の部は、参加者がそれぞれ好きな本を紹介する「推し本披露会」、②午後の部は、1冊の課題本を事前に読んできて感想などを自由に話し合う「課題本読書会」です。また、京都の読書会では、午後の部の後も会場を借りていて、残った参加者同士が雑談に花を咲かせたり、ゲームに夢中になったりできる場が設けられています。これは先月まで「ヒミツキチ」と呼ばれていましたが、今月から「オトナの学童保育」に改称しました。ともあれ、「推し本編」「課題本編」「オトナの学童保育編」の2+1部構成で、読書会の様子を振り返っていこうと思います。まずこの記事では「推し本編」をお送りしましょう。

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 推し本披露会は、10時40分ごろに始まり、12時ごろまで続きます。参加者はおよそ6~8人ずつのグループに分かれて座り、司会から読書会の流れや注意事項についてアナウンスがあった後、グループの中で持ってきた本の紹介を行います。そして、全ての本の紹介が終わったところで、グループの中で「最も読みたいと思った本」を1冊決めます。11時45分をメドにグループでの話し合いは終了し、司会の旗振りのもと全体発表に移ります。全体発表では各グループで出た「最も読みたいと思った本」が、参加者全員に紹介されます。全体発表の後、今後の読書会や部活動についてのお知らせがあり、読書会は終了になります。終わった後も会場は借りているので、午後の部が始まるまで長いフリートークが繰り広げられることになります。

 今回の推し本披露会には22名の参加者があり、4つのグループに分かれて本の紹介を行いました。京都会場では最近推し本披露会の参加者数が多くなっており、先月以降グループの数が3から4に増えています。玄関から一番奥までの動線を確保しつつ、テーブルや椅子を並べ替え、4つの島を作った時には、幾分ぎうぎうの感が出ています。

 もちろん、それは喜ばしいことなのですが、今回ちょいと問題が起きてしまいました。不肖ワタクシ、タイヘンに声が大きく、わけても笑い声がよく通るのですが、今回、そのワタクシが真ん中のグループに着座してしまったのでございます。そして、不肖ワタクシ、空気を読むのをタイヘン苦手としているもので、所かまわずいつもの通り大いに喋り大いに笑っておりました。何が起きたかはご想像の通り。想像できなかったのは当日のワタクシだけでございます。

 読書会が終わってから複数の方に言われました。

「ヒジキさんを真ん中のグループにしたのは、失敗でしたねえ」

 ここに、彩ふ読書会は新たな教訓を得ることになるわけですが——随分話が脱線したようです。

◇     ◇     ◇

 僕が場所柄、そしてサポーターという役柄さえもわきまえずはしゃいでしまったBグループは、会場真ん中の、玄関から一番近い場所にありました。参加者は、男性4名・女性2名の計6名。うち1名が初参加、1名が推し本披露会初参加(課題本読書会は経験あり)で、あとの4名は常連さんでした。進行役を務めたのは先月大阪サポーターになったばかりの女性でした。初めての進行役で緊張している様子でしたが、同時に、「特に仕切ったりするつもりもなくて……まあ、なんとかなるでしょ」と物凄く割り切ってもいました。そして実際、なんとかなりました。恐るべし、彩ふ読書会。(僕の大はしゃぎも、グループの中に限って言えば、場の盛り上げとして受け容れられていました。いやはやありがたい話……反省します。)

 紹介されたのは写真の6冊です。では、それぞれどんな本なのか、披露会の中でどんな話が出たのか、順にみていくことにしましょう。

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◆『ここは、おしまいの地』(こだま)

 進行役の女性の推し本です。タイトルを口に出して言いづらい“あの話題本”の著者・こだまさんによる日常エッセイ集です。シリアスなタイトルに反して、笑える話が多く、さらにはほっこりする話もあるといいます。著者・こだまさんは自称「不幸体質」なのだそうですが、身に降りかかる不幸を「なんで自分だけ」と嘆くのではなく、むしろ笑いに変えていく。それがこの本の魅力なのだと、紹介した女性は話していました。

 特に印象深かったのは、高校の時に著者をからかってきた男の子の話だといいます。あまり関わらずにいた彼と、大人になってから電車で再開した際、彼が知人に「あの子は高校で一番頭が良かった人」というのを聞いて涙ぐむという、ただそれだけのエピソードなのですが、とてもジーンとくる話に仕上がっているようです。

 紹介の後、イメージを膨らますため、みんなで目次をみることにしました。最終話のタイトル「父のシャンプーをぶっかけて走る」に「なんやそれ!?」と声が挙がるなど、それぞれが気になる話を見つけていたようでした。

◆『死ねばいいのに』(京極夏彦)

 初参加の女性からの推し本です。京極夏彦さんのミステリー。一人の女性が殺され、その人はどんな人かについて、ヤクザの端くれである主人公が6人の人に聞いて回るという物語。もっとも、6人は誰も殺された女性について知りません。そこから話は発展していき、なぜ主人公がこの事件のことを聞いて回っているのかの謎も解き明かしながらラストへと向かっていくそうです。

 タイトルの「死ねばいいのに」は、主人公が他の人たちに向ける台詞からきているとのことです。生きるのがイヤになっている人々に対して、主人公は「だったら死ねばいいのに」という言葉を突き付けます(「(ヤクザが言うんだから)なんか凄味がありますね」という意見もありました)。

 紹介した女性は、実はこの言葉に救われたのだといいます。社会人になって間もなく、「つらい」「やめたい」と思っていた時期に、彼女はこの本を手に取ります。そして、「死ねばいいのに」という言葉を自分に突き付けながら、「死にたいと思っていないから大丈夫」と思ったそうです。「ミステリーとしても一級なんですけど、それ以上に、これは私を救ってくれた本です」という言葉がとても印象的でした。

◆『「罪と罰」を読まない』(岸本佐知子・三浦しをん・吉田篤弘・吉田浩美)

 午前の部初参加の男性からの推し本です。『罪と罰』を読んだことのない作家4人(え、この人読んでないの、という人ばっかり)が集まって、断片的な情報をもとに内容を推理する、そんな座談会の模様を収録した1冊です。なんでも、「『罪と罰』って読んでも内容を覚えてない人多いし、だったら読んでなくても語れるだろ」というノリでできちゃった1冊なのだとか。発刊の経緯からもうおかしい。

 流石に全く内容を見ないで推理するわけにもいかないので、コーディネーターが「この1ページだけ読んでみましょう」と言ってヒントを出していくそうですが、出てくる推理はトンチンカンなものばかり。かと思いきや、意外と惜しい推理も出てきたり。そんな座談会の様子がとても面白いといいます。また、最後には、結局『罪と罰』を読み切った4人が再び集まった事後座談会の様子も収録されているそうで、こちらは、作家ならではの着眼点が非常に楽しい座談会になっているそうです。

 紹介した男性は『罪と罰』を読んだことがあり、推理パートについては高みの見物をしていたそうですが、事後座談会の内容については、読んだことがあるからこそ「そこを見るんだ!」と驚くことがたくさんあったそうです。『罪と罰』を読んだことがある人も、読んでいない人も、読む予定のない人も楽しめる1冊だといいます。

 ちなみに、グループの中で『罪と罰』を読んだことがあったのは、紹介した男性と僕の2人でした。僕が読んだのは中3の時。夏休みの課題図書で『罪と罰』を出したのは、いくら中高一貫校とはいえ無謀だったろうと今では思います。実際、内容はすっかり忘れてしまいました。おかしいと書いた発刊の経緯も、我が身に照らせば頷けるものでした……

◆『聖なる怠け者の冒険』(森見登美彦)

 僕が「森見作品の生き字引」と崇める男性からの推し本です。午後の部の課題本が森見登美彦さんの『有頂天家族』だったので、それに絡めて森見作品を持ってきたということでした。

 物語の主人公は2人。1人は、突如京都に現れてなぜか善行をして回る謎の怪人「ぽんぽこ仮面」、そしてもう1人は、怠け者の社会人「小野田くん」です。小野田くんはぽんぽこ仮面から跡を継ぐよう執拗に迫られますが、怠け者ゆえ断固拒否を続けます。そんな中、祇園祭宵山の晩に飲んでいた小野田くんは、翌朝目覚めると、小学校の校庭で椅子に縛り付けられており、その状況でぽんぽこ仮面の“脅迫”を受けることに。そこへ、ぽんぽこ仮面を追う謎の女子学生が現れて……と、聞いた話を幾ら書いてもまとまるどころかむしろ拡散し続けるこの感じ、まさに森見作品だなあという感じです。

 生き字引氏曰く、この作品は森見作品の中では人気のない作品だそうですが、その最たる理由は、主人公が全く動かないことだそうです。小野田くんは校庭で縛り付けられた状態のまま、作中朝9時から夕方16時まで寝続けます。しかも、物語は宵山の翌日1日を描くだけで終わる。つまり、主人公は作中殆ど寝ているのです。ナンジャソリャ。もっとも、彼をはじめ登場人物たちが怠け者であるのには、それぞれ理由があるそうですが……果たしてどんな話なのやら……

◆『世界の名前』(岩波書店辞典編集部編)

 久々登場、歴史・社会科好きが高じてなかなか文学に手を伸ばせないでいる男性からの推し本です。普段は辞典を作っている言葉の専門家たちが書いた、世界各国の名前にまつわる四方山話集です。各話とても短いので読みやすく、内容もトリビア的に楽しく読めるものばかりだと言います。

 披露会の中では、姓に関する色んな話を紹介していただきました。世界には名前に姓のない国が沢山あるそうです。例えばミャンマーもその1つで、「アウンサンスーチー」も1つの名前なのだといいます。また、近代国家誕生と同時に突然国民に名字の届け出を指示したトルコでは、名字とは何かをわかっていない人たちがあだ名をそのまま名字にしてしまったため、「怠け者さん」「豚のエサさん」など残念な名字の人が大勢いるそうです。確かに、全然知らないことばかりです。

 世界各地でキラキラネームが増えているという話もありました。僕の知っているキラキラネームは「悪魔」「光宙(ピカチュウ)」が限度だったのですが、今では「星の王子様」なんていう名前まで出てきていると聞き、衝撃で頭がフリーズしてしまいました。名前は慎重につけたいものですね。

◆『太陽の塔』(森見登美彦)

 僕からの推し本です。午後の部の課題本が森見登美彦さんの『有頂天家族』だったので、それに絡めて森見作品を持ってきました……あれ、こんな話さっきもありましたね。

 何を隠そう『有頂天家族』を課題本にしたのは僕だったのですが、実は隠れた課題本候補がありました。それがこの『太陽の塔』です。

 華のない大学生活、とりわけ女性と縁のない大学生活を送っていた「私」は、3回生の時、水尾さんという後輩と付き合うことになった。ところが、事もあろうに水尾さんは「私」を袖にする。それから2年。休学中の大学5回生になった「私」は未だに失恋を引きずり、クリスマスを前に浮かれる京都の街外れで、虚しい妄想に身を焦がす。——プライドが高いくせにモジモジしてばかりで何もできない腐れ大学生の、呆れるほど馬鹿馬鹿しい日常に、イライラを通り越して大笑いする物語であるとともに、一部の(僕のような)人間にとっては、青春のほろ苦さを思い起こすような、辛く懐かしい物語になっています。

 特に最後の、クリスマスイブの四条河原町で「ええじゃないか騒動」が勃発する場面が大好きです。笑いに笑っていたはずなのに、最後にはもう切なさが全身を駆け巡ります。僕はあの場面で何度脳内絵コンテを切ったか……気になった方はとにかく本を手に取ってください。

◆投票タイム

 以上、Bグループで登場した6冊の本について紹介してきました。それでは、6冊の中からこの日「最も読みたいと思った本」に選ばれた1冊をご紹介したいと思います。

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 ……勿体ぶってもしょうがないですね。

 午前の部初参加の男性の推し本『「罪と罰」を読まない』です。

 6票中5票獲得。票を投じなかったのは紹介者だけという、事実上の満場一致で、この本に決定しました。やはりコンセプトの面白さや、紹介者の話術が僕らの興味を惹きつけたのでしょう。個人的には他に幾つか気になる本もあったので、もう少し票は割れると思っていましたが、蓋を開けてみればこの結果でした。

 ちなみに、控えめな紹介者がこっそり指差した1冊は、なんと『太陽の塔』。推し本投票形式が始まって3ヶ月、初めて僕の推し本に票が入りました。ありがとうございます。ランキングとは全く関係ありませんが、記念すべき出来事として書き留めさせていただきます。

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 最後に、全体発表で紹介された、他のグループの「一番読みたいと思った本」についてざっと見たうえで、今回の推し本披露会で紹介された全ての本を写真でまとめたいと思います。

 Aグループの「一番読みたいと思った本」は、先日結婚した南キャン山ちゃんの『天才はあきらめた』。京都読書会では記念すべき第1回の課題本としてもお馴染みの1冊です(当日のレポートはこちら)。紹介者は先月から来てくださっている男性の方。「クズだけど努力家。読んでいて、これは山ちゃんモテるだろうなあと思える1冊でした」とのことでした。

 Cグループの「一番読みたいと思った本」は、澤田瞳子さんの『腐れ梅』。1人の巫女と菅原道真の関係を描いた平安絵巻。タイトルも秀逸な1冊だそうです。謎解き部を席巻した謎解きクイーンとしてもお馴染み、京都サポーターの女性からの推し本でした。

 Dグループの「一番読みたいと思った本」は、藤田里奈さんの『フランスはとにっき』。作者が実際にフランス・パリに住んでいた時のことを綴ったコミックエッセイだそうです。「フランスってこんな国だっけ?」という驚きに満ちたエッセイなのだとか。読書会常連で、先月戻ってきた女性の方からの推し本でした。

 その他の推し本は写真の通りです。それぞれ紹介カードもありますので、気になる本があれば拡大してご覧になってみてください。

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 おやおや、Aグループの推し本の中にも森見作品がありますね。それも、僕が参加2回目に紹介した『ペンギン・ハイウェイ』ではありませんか。この本の紹介者については、午後の部の最後にある事実が明らかになるのですが、その話はまた後日。

 それでは、午前の部・推し本編の振り返りはここまで。次回は午後の部・課題本編をお送りします。読者諸賢、いざ待てしばし。

 「6月16日、京都北山で読書会が開かれた。よって、これから暫くその振り返りを書こうと思う」今ごろ私はそう書いているはずではなかったか。

 現状をお伝えしよう。私は今日、朝から眠くてたまらず、退社するなり何度も仮眠を取った。いよいよ仮眠と本眠の区別がつかなくなる頃に漸く起きる気になったが、あいにくそれからでは全うなレポートを書くだけの時間が取れない。よし、今日は休養日である。そう私は断じて、もう一度寝た。妙な悪夢にうなされて非常に寝付きが悪かった。夢の中で幻術にかけられ、タネを明かされる。そんなことをされると起きた気になるが、タネ明かしもまた夢の中の話で、現実はそのさらに外にあった。もっとも、お陰で助かった。幻術には1つだけ幻ならざるものが混じっていて、夢の中で覚めた私は153万ものクレジットカード不正利用請求を前にわななき焦っていたところだった。

◇     ◇     ◇

 よく寝た話をした後に言うのも些か妙な言葉だろうが、今日1日、私は夢から醒めたみたいな日だなと感じていた。

 『有頂天家族』の読書会を前に、私はわくわくを抑えきれず、その感情の昂ぶりは当日に絶頂を迎えた。しかし、読書会が終わり、今日になってみると、興奮は潮が引いたように去ってしまった。ぼんやりとした頭に流れ込んでくるのは、打って変わって真面目な考えばかりだ。

 興奮に駆られた私は、とにかくオモシロオカシイことが言いたくてぎゃあぎゃあ騒ぎ立てており、時には自虐に走ることさえ厭わなかった。そのことを、冷静になって振り返る。「自分を大切に、何事も丁寧に」あの誓いはどこへ行ったのか。まず思ったのはそれであった。さて心を入れ替えよう。私は落ち着かねばならぬ。反省の弁を心中で繰り返す度、興奮は引きに引いていく。

 こんなことは珍しい。読書会翌日の私は、たいてい興奮を引きずっていて、半日から1日かけて「平日に帰ってきたのだぞ」という事実を受け容れていく。しかるに、今日、私は最初から平日の中にいた。読書会の一切は、幻影のようにあやふやになって、その映像は記憶の中でゆらゆら波間に漂った。

◇     ◇     ◇

 面白く生きるとはどういうことであろう。

 それはただオカシイということではないのだろうと私は思う。正確に言えば、最近になって、そのように考えを改めた。

 真に面白く生きるには、時に苦労を厭わぬことも必要だし、知恵を巡らすことも肝要だ。時々の感情に素直であることは大事だけれども、感情に身を任せるだけでは、享楽に流れ着くのがオチだ。

 樹木希林さんの語録の中に、人生は楽しむよりも面白くということが書かれているらしい。26の誕生日に母からこのことを聞いて以来、その意味するところをぼんやりと考え続けている。むろん、未だに答えは出ない。そもそも、性急に答えを出そうという気もない。

 『有頂天家族』の興奮から醒めた今、改めてそんなことを思う。

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