ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2019年06月

 数多の雑事を放ったらかして日がな長文を書き連ねている僕も、時に、ブログよりも優先すべき物事を抱えることがある。今がまさにそうである。すなわち、近々新たに入ってくる後輩への引継のことを考えなければならないのだ。仕事時間中に考えるのが本来の形であるが、いつもの仕事で時間いっぱいになってしまう。僕もゆっくり考えたいので、家で考えることにする。

 そんな次第なので、本日はこの辺で。

 突然であるが、近々初めてニコニコ生放送(ニコ生)に出ることになった。6月29日(土)の21時からの予定である。

 僕がいきなり新しいことに挑戦するというからには、もちろん彩ふ読書会が関係している。何がもちろんなのか、自分でもよくわからないけれど。

 読書会に「妄想部」という部活がある。読書会の中でやりたいことをあれこれと妄想し、テキトーな時にラインコミュニティでつぶやくという部活である。あくまで妄想であるから実現しなくても構わない。とりあえず「あれやりたい」「これやりたい」と言って楽しむというお気楽な部活である。ただ、妄想の中には、既に実現したものや、実現に向けて動き出しているものもある。つぶやいてみると、意外と賛同者が集まって力を得たように物事が動くものなのだ。

 そうして実現をみた妄想の1つが、今回のニコ生企画である。

 元々の妄想主は、京都会場の副リーダーを務める女性の方である。この方は以前から合宿企画の妄想と準備において、その妄想力と実行力を遺憾なく発揮していた。そして4月半ばのある日、「妄想思いつきました!」という突然のつぶやきと共に、ニコ生企画をどどんと打ち上げた。どうやら、元々経験があったらしい。

 ニコニコ生放送は、ニコニコ動画が提供しているサービスの1つである。そして、ニコニコ動画と言えば、動画にコメントを書き込めるというサービスにより、動画の送り手と受け手の間に双方向のコミュニケーションを実現させ、視聴者ののめり込みを生んだと言われるものである。このニコ生企画の狙いも、コメント機能を活かし、ネット上で読書会をすることにあった。もっとも、使うサービスは動画であるが、画面は静止画のままで、出演者の喋りが流れるという形になっているので、実際にはラジオに近い。

 その後、5月に第1回テスト放送が行われ、その時のことを踏まえて、ネット上で読書会をするというよりも、本や読書会にまつわる雑談を皆さんに聞いていただくものに路線変更しようという話になった。そして、第2回のテスト放送が6月29日に行われるというわけである。第1回テスト放送は、副リーダー1人が出演者だったが、今回は彼女を含め3人の出演者がいる。それぞれ家などにいて、ライン通話で音声を遠隔でつなぐ予定とのことである。生放送の名前も決まった。「彩読ラジオ」という。名前からしてラジオである。

 放送内容は「読書会の部活動について」ということになっている。が、なにぶん台本のない生放送であるうえ、出演者3人中2人は途轍もなくよく喋る人である(そのうちの1人は言うまでもなく僕である)。いつの間にかヒートアップしてあらぬ方向へ話が展開することは十分考えられるが、それも事故ではなく楽しみの1つとなればいいなと思う。

 そんなわけで、6月29日21時より、ニコ生で喋る予定ですので、気になる方、ご都合つく方いらっしゃいましたら、ぜひ聴きに来てください。お待ちしています。



★6月27日追記★

 当ブログを読んだ副リーダーより、ニコ生のアドレスを載せて欲しいという話がありましたので、追記します。

 https://sp.live.nicovideo.jp/watch/lv320719582

 ご興味持たれた方、当日はこちらのアドレスから生放送にアクセスをお願いします。なお、視聴はどなたでもできますが、コメントを投稿するためにはニコニコアカウントへの登録(無料)が必要とのことです。ご注意ください。

 京都の街を宵闇が包もうとしていた。低い西日がキンと射した時もあったが、それはほんの僅かな間のことで、程なく辺りは群青色に没した。

「辺りが暗くなるにつれて、アニメの方もだんだんシリアスになってきましたね」誰かがぽつりと言った。

◇     ◇     ◇

 6月16日夕刻、彩ふ読書会の京都会場である北山のSAKURA CAFEでは、『有頂天家族』の課題本読書会に続いて、アニメ『有頂天家族』の上映会が行われていた。京都の彩ふ読書会では、「午前の部=推し本披露会」「午後の部=課題本読書会」の二部からなる読書会の後も会場を借りており、メンバー同士が自由におしゃべりしたり、ボードゲームに興じたりする場ができている。この場は当初「ヒミツキチ」と呼ばれ、後に(といっても実施2回目のことであるが)「オトナの学童保育」と改称された。

 『有頂天家族』の上映会を企画したのは、他でもない、僕である。『有頂天家族』について大勢で話し合った後、流れで一緒にアニメを見たら面白いではないか。そして、ここSAKURA CAFEには、それができるだけの設備が整っている。やるしかない。そんな思いで、2ヶ月も前から僕は企画をあたためていた。もっとも、僕は『有頂天家族』の映像ソフトも、ソフトを再生できる機材も持ち合わせていなかった。やりたいことだけわかっているが手段を何も持たない僕に救いの手を差し伸べてくれたのは、森見登美彦作品のことなら何でも知っている生き字引氏という男性と、謎解きクイーンの異名を持つ京都サポーターの女性である。2人の絶大なサポートによって、ささやかなる我が夢『有頂天家族』上映会は実現した。

 上映会にはおよそ10名ほどの参加があった。それとは別に、会場入口から見てすぐ右側のテーブルで、ボードゲームに熱中するメンバーが5名ほどおり、時折スクリーンを覗き込んでいた。15名と言う人数は、僕の想像よりも多い人数で、それだけの人と一緒に『有頂天家族』を観られるのは、とても楽しいことだった。

 今回は時間の都合もあり、アニメ全13話中、1話・2話・4話・7話・8話・12話・13話の計7話を観ることになった。話数のセレクトを行ったのは、むろん生き字引氏である。最終13話は元々観る予定ではなかったが、12話を観終えたところでそのまま続きを観る流れが出来上がっていたので、しれっと放映してしまった。

 さて、この記事は上映会レポートの第2回に当たる。第1回では4話「大文字納涼船合戦」を観るところまでを振り返った。この話は今回繰り返さないので、気になる方はリンクで飛んでいただきたい。以下では7話以降の内容について振り返ることにしよう。

 なお、上映会の振り返りは、アニメを見ていて印象に残った点を箇条書きするスタイルを採っている。他に良い方法が思いつかなかったからである。全くの視聴メモなので、観ていない人には何が何だかわからないかもしれないが、ご容赦願いたい。どうせならあとでアニメを観たり原作を読んだりしては如何かと思う。それから、箇条書きの内容には時折周りの人の様子が混じる。折角なので、こちらもお楽しみいただければ幸いである。

◇     ◇     ◇

◆7話「銭湯の掟」

・シリアス回の序章。その割にはギャグの強い回だった。

・風呂嫌いの赤玉先生、家の中にヘンな色の空気が立ち込めていて、あまりのひどさに笑う。

・やっと銭湯に着いたと思ったら、いきなり女湯に入ろうとしたり、矢三郎たちが脱衣する中ひとり棒立ちしていたり、やっぱり赤玉先生はぶれない。

・力士の格好をして夷川親衛隊が大挙するシーンで、どこかから「原作よりキモイ」という声が挙がる。

・金閣銀閣登場。鉄のパンツで尻を守るも、腹を冷やして自滅。場内のあちこちから笑いが漏れる。

・その他数多のギャグの後、一気に矢二郎が井戸に籠った理由に話が移る。かなり急な調子の転換であった。とりあえず矢四郎は服を着なさい。

◆8話「父の発つ日」

・原作者・森見登美彦さんが泣いた回。自分の作品を見て泣いたのでは沽券にかかわるから、もう自分の作品の映像化作品は見たくないと言いながら、また他の作品を見て泣いたというエピソードが、森見さんのブログに登場する。

・「父上を死なせてしまったのは、この俺だ」矢二郎の自責の念が原作以上に痛切に描かれている。自分を責める余り虚ろになっていく矢二郎の姿は、あまりにも哀しい。

・叶わぬ片想いをしていた矢二郎に、父・総一郎は最後の晩「なんとかしてみよう」と言う。どうするつもりだったのだろうか。考えてみるが、わからない。

・赤玉先生が冥土へ発つ総一郎と出会う場面。原作再読の時から気になっていたが、このエピソード、矢三郎に向けて語られているわけではなく、どこか全然違う方を向いている気がする。それでも、赤玉先生は精一杯語ったのだという気がする。このもやもやする感じは、そう上手く消化できそうにない。

・割烹着姿の下鴨母登場。「お母さん若すぎる」という声が後で相次ぐ。

・矢一郎が泣く場面で8話はエンディングへ。ここの矢一郎には毎回もらい泣きしそうになる。後に続く矢三郎のナレーションも良い。優しくて、哀しい。

◆12話「偽叡山電車」

・一気に3話飛ばしてクライマックスへ。矢二郎覚醒回。

・冒頭で海星登場。「海星だ」と声があがる。この頃から、ボードゲーム部隊が撤退し、完全にアニメ鑑賞に移っていた。なお、海星については「思っていたより幼かった」という声も後であがる。

・金閣銀閣登場。間もなく狸姿で檻に閉じ込められる。閉じ込められた2人が登場したところで、場内で笑いが起きる。こんなオイシイ狸がほかにあるか!

・矢二郎が父の最後の言葉を思い出すシーン。8話と同じカットを使っている。8話では父が喋るカットは無音で、12話で初めて台詞に音が与えられる。あまりに巧みで憎い演出である(実際には、12話のシーンを先に知っていたので、8話を見た時点で伏線が張られていることに気付いた。「アッ」と思った次の瞬間には目に涙が溜まっていた)。

・モブの中に偽叡山電車をスマホで撮る女の人がいるのは知っていたが、この人、偽叡電が急発進しても全く動じずスマホで追っている。肝据わりすぎでは。

・鴨川へ飛び込む前に準備体操を始める金閣銀閣。また笑いが起こる。やっぱり人気である。

・飛び込む前に慌てる金閣銀閣。以下略。どこまでも人気である。

・風神雷神の扇で偽叡電が発進し千歳屋へ飛び込むシーンで大笑いが起こる。確かにこのシーンスピード感があり過ぎる。場内の笑いがそこで引く中、自分の店を壊されて呆然となる千歳屋の姿を見て、生き字引氏がひとり笑う。と言いつつ、僕も同じ箇所で笑った。

・叡山電車が先斗町の2階料亭に突っ込んでも、全く動じない寿老人。強者すぎる。

・偽右衛門選挙の会場を矢四郎が扇であおぐシーン。ここでもやはり爆笑が起きる。観る人が増えたのもあってか、この辺りから笑いが大きくなった。

・そして、偽右衛門選挙の会場と金曜倶楽部の宴席が隣り合わせになる。

◇     ◇     ◇

 ここでこぼれ話を1つ。

 ソフトとパソコンが揃い、万端整ったかに見えた上映会企画だが、実は思わぬ落とし穴があった。幸い、1ヶ月前に上映テストの際に穴は塞がったので、上映会当日の混乱は免れた。

 5月の京都読書会の学童の時間、テスト上映を試みた僕らは、「データを出力できません」という謎の表示に苦しめられていた。生き字引氏の持ってきたブルーレイは、謎解きクイーンのパソコンで確かに読み取れている。その証拠に、パソコンではちゃんと動画が再生される。ところが、パソコンをプロジェクターに接続した瞬間、映像は出力不可になった。

 生き字引氏と、読書会代表ののーさんが調べた結果、2つをつなぐケーブルがブルーレイの出力に対応していないことが分かった。そこで、備品セットの中を調べてみたが、欲しいケーブルは見当たらなかった。

 買うしかない。——すぐに北山近辺の家電量販店を調べた。あるにはあるが、徒歩で片道20分かかる。ケーブルを買って戻ってくるとなると、1時間かかる。それでは、オトナの学童保育は終わってしまう。

 だが、僕には勝算があった。ゲームテーブルへ歩み寄り、当時京都サポーターになったばかりの男性に声を掛ける。「今日自転車で来てましたよね。暫くお借りしていいですか⁉」

 久しぶりに自転車に乗り、高野川を越えた先にある家電量販店へ行き、ケーブルを買って戻ってきた。オトナの学童保育は、あとぴったり30分残っていた。

「思ったより早かったですね」と言いつつ、生き字引氏とクイーンの2人がケーブルを取り換える。そして再生すると、1話の冒頭が綺麗に映り、プロジェクターから矢三郎のナレーションが流れた。

「やりましたね!」

 椅子に座っていた生き字引氏が力を籠めて言った。そして左手を挙げた。ぼけっと立っていた僕は、彼の左手が僕に向けられたものであることに暫く気付かなかった。それから僕らは手を握りしめた。

◇     ◇     ◇

◆13話「有頂天家族」

・冒頭のナレーションが1話を彷彿とさせるものに変わる。つくづく演出が憎い。

・隣の部屋に弁天がいると気付き、化けの皮が剥がれる狸の長老たち。真っ先に化けの皮が剥がれたのが長老だけというのがなんとも情けない。

・淀川教授の転向シーン。「これはあの子だ。僕があの子だ。この子だけは渡さん」原作再読時にはここもうっかり涙が出そうなくらい感動したシーンだったが、アニメではすっかりギャグテイストになっていた。自分の中のギャップについて行けない。けれども、ギャグ展開もアリだなと思う。

・隣の部屋に金曜倶楽部がいるとわかるや、ポポポポンと音を立てて化けの皮が剥がれていく狸たち。とりあえず音がかわいい。そして、狸姿がみんなかわいい。それを見て「いくらでも鍋ができる」と言った寿老人は完全に変人。

・忘れられていた赤玉先生登場。すっかり面倒な酔っ払いに成り果てている。さらに、怒った赤玉先生の上に偽右衛門決定を祝うくす玉が落下するカットが追加。場内で笑いが起こる。

・風神雷神の扇で吹き飛ばされる仙水楼。扇はやはりウケるポイントらしい。

・無事だった下鴨母と四兄弟の電話のシーン。蛙に戻った矢二郎が泣くところでウルッときた。

・最後の初詣のシーン。矢三郎の後ろに海星が立つカットが微笑ましすぎた。

・そして、本殿へお参りするシーンでの全話回想。各話を観てきたためだろう、回想シーンが逐一泣ける。本当に綺麗な終わり方だと思った。

・「我ら一族とその仲間たちに、ほどほどの栄光あれ」

◇     ◇     ◇

 13話のエンディングと共に、上映会は幕を閉じた。「なんか締めてください」という振りがあったが、咄嗟に言葉が出なかった。「終わりです」とだけ、僕は言った。それでも、参加した方々からは拍手が起こった。

◇     ◇     ◇

 それからのことをしばし書いておこう。

 備品を片付け、机と椅子を元の位置に戻して、僕らはSAKURA CAFEを後にし、下鴨本通りの上で解散した。その後、僕、生き字引氏、クイーンの上映会チーム3人、さらに、「オトナの学童保育」の名付け親である京都サポーターの男性と、午前の部からご一緒していた歴史好きの男性の計5人で、飲みに出掛けた。

 ここでも僕はこだわりを発揮した。どうせなら、森見作品ゆかりの店へ行こう。

 森見作品には京都を舞台にしたものが多い。森見作品に触発されて京都を巡礼する人は後を絶たないという。いわゆる「聖地巡礼」である。そして、ここでいう聖地の中には、飲食店、それもバーなども含まれている。

 その1つ、三条にある「ノスタルジア」というバーに、僕らは向かった。奇しくもここは、『有頂天家族』に登場する朱硝子というバーのモデルになった場所である。僕が名前を挙げた店は他にもあったが、生き字引氏曰く「断然酒が美味いのはノスタルジアですよ」とのことであった。さらに氏は続ける。「ノスタルジアには本物の偽電気ブランがあるんです」偽電気ブランと聞けば、森見ファンでその名を知らぬ者はいない。作中に頻繁に登場する幻の酒である。嘘から出た実で、偽電気ブランと名の付く酒を提供している店は今や幾つかある。その中に1つ、森見登美彦さん自身も「ニセ」と書き加えた電気ブランの瓶に、オリジナルのブランデーを入れている店がある。それがノスタルジアだった。

「ホンモノのニセモノがあるんです!」生き字引氏はそのややこしい台詞がよほどお気に入りらしく、強い口調で数度繰り返した。

 北山から三条まではバスで出た。例の建築専門の男性が、三条の本屋に寄るというので、そこまでバスでご一緒することになった。SAKURA CAFEの前を出たバスは、下鴨神社の隣を通り過ぎ、出町柳駅の前を行き、賀茂大橋を渡った。ちょうど『有頂天家族』の舞台を巡るようだった。賀茂大橋を渡ったところにあるボンボンカフェの前で、「“お母さん”が通ったビリヤード場はここがモデルですよ」という話をすると、全員の目が輝いて見えた。京都で学生時代を過ごしたというある男性が「昔通ったなあ。女の子と一緒にやけどね」と言った。

 本屋に寄るという男性は、「第2部を買って帰ろうと思います」と話していた。作者でもなんでもないのに、嬉しくて恥ずかしくてたまらなかった。歴史好きの男性も2部を読もうと思うと話していた。思いがけず『有頂天家族』ファンが増えた。繰り返す、望外の喜びであった。

 さて、ノスタルジアである。とても落ち着きのある洒落たお店だった。案内された奥のテーブル席は、えんじ色のソファと、赤味がかった木のテーブルが、暗い照明の中にぼんやりと浮かび上がる雰囲気のある場所だった。わけてもクイーンはお気に召したようであった。

 ここでは偽電気ブラン(本物)の他にも、如意ケ嶽薬師坊(赤玉先生の本名)という名前の、ポートワインを基調としたお酒があったり、下鴨矢三郎や弁天という名前のお酒があったりした。店にいる間に、僕は偽電気ブランと薬師坊を飲んだ。偽電気ブランは、ロック・ソーダ・ジンジャー割から飲み方を選ぶことができる。僕はソーダ割にしたが、ジンジャー割にすると甘くて飲みやすいようだった。薬師坊は元々甘いポートワインが基調なので、とても飲みやすかった。

 お酒を飲み、スナックやピザを頼んでつまみながら、僕らはゲームをした。京都サポーターの男性が、とにかくゲームがしたくてたまらないらしかった。店がいかにオシャレであれ、いかに落ち着く場所であれ、我々は気付けばゲームをしている。騒いでいる。いつもと変わらぬ風景に戻る。そうして、「こういう店でやるから乙なのだ」と、わかったようなわからぬようなことを言うのだった。店員さんがとても気さくで、おすすめのスナックを教えてくれたり、ゲームに関心を示してくれたりするので、ますます僕らは盛り上がった。

 そうして2時間ほど愉しんで、僕らは帰路についた。店を出る直前に、生き字引氏から「これですよ」と声を掛けられた。見ると、「ニセ」と書かれた電気ブランの瓶があった。そして横には、森見登美彦さんのサインが入った『有頂天家族』シリーズのメニュー表があった。

「撮影していいですか?」僕は思わず尋ねた。店員さんはわけもなく「いいですよ」と答えてくださり、さらにどこからか、狸姿の矢三郎の人形を取ってきてくださった。矢三郎がメニュー表をよいしょと持ち上げる横に偽電気ブランが佇む、わくわくするような写真が、僕のアルバムに加わった。

 こうして、長い長い6月16日が更けた。

unnamed

◇     ◇     ◇

 以上をもちまして、6月16日の読書会レポート全5回を締めさせていただきます。途中数日ブランクができるなど、完成に手間取ってしまい失礼いたしました。今後は力尽きないようなレポート作成を心掛けたいと思います。何はともあれ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 読書会とは、趣味を同じくする者の集まりである——その説明は決して誤りではないが、もっと踏み込んだことを言っていいのではないかと、僕は思う。すなわち、読書会とは、妄想実現の場であると。

 我々にこのことを教えてくれたのは、偉大なるヅカ部長である。

 3月に『宝塚ファンの社会学』を課題本とする読書会が開かれたことは、当ブログで既に何度も書いた通りである。そしてこの日、「ヅカ社実行委員会」という秘密結社が暗躍し、あの手この手で読書会をヅカ化したことも、何度も書いた通りである。読書会ヅカ化計画のフィナーレを飾ったのは、ヅカ部のテーマソング「この愛よ永遠に~TAKARAZUKA FOREVER~」を参加者全員で歌うというイベントであった。宝塚の映像が映し出され、曲が流れる。全員が、片手に部長お手製シャンシャン、もう片手に部長お手製歌詞カードを持ち、歌う。その中を、実行委員会のメンバーが駆け抜け、ハイタッチしていく。

 全てが終わった時、部長は言った。

「ありがとうございました。夢が叶いました!」

 同じ日、もう1人夢を叶えた人がいたことも忘れてはならない。同日夕刻、SAKURA CAFEを会場として、カフェフィロ主催・彩ふ読書会協力という形で哲学カフェが開かれた。読書会で哲学カフェを開く。それは哲学カフェ部長ちくわさんの悲願であった。ちくわさんはその後、自身が進行役となり、完全に自前の哲学カフェをも実現する。

 読書会を通じて夢を実現し、昂る人たちを僕は見てきた。そして思った。ならば、僕もやりたいことを存分にやって悪いわけがない。

 『有頂天家族』読書会を、完全に有頂天カラーに染め上げる。それが僕の、ささやかな夢であった。そして、ヅカ社で活躍した〈映像〉を、僕も使うことを思い立つ。

 すなわち、『有頂天家族』アニメ版の上映会を企画したのである。

visual_1st
(アニメ版公式サイトより)

◇     ◇     ◇

 京都の彩ふ読書会では、午前・午後と続いた読書会の後も会場を借りていて、メンバー同士が自由に話したりゲームに興じたりする場が設けられている。この場は当初「ヒミツキチ」と名付けられていたが、先月より「オトナの学童保育」に改称されている。

 6月16日16時、読書会終了から40分が経過したSAKURA CAFEは、既に半ばボードゲームカフェと化していた。午後の部が終わった後、暫くは会場のあちこちでフリートークに花が咲いていたのだが、やがて何人かの人たちが堪え切れぬと声を掛け合い、テーブルは1つ、また1つとゲームの舞台に様変わりしていた。そんな中、僕は生き字引氏、そして謎解きクイーンに声を掛け、上映会の準備にかかった。

 アニメ上映会を企画はしたものの、僕は1人では何もできない状態にあった。まず、僕は『有頂天家族』の映像ソフトを持っていない。そもそも、アニメ版を通しで観たことすらない。キャラごとのまとめ動画をニコ動で見漁るという、ファンの風上にも置けぬやり方でのみ、僕はこの作品に接していた。そこで僕はまず、森見作品の生き字引と崇める男性にソフトをお借りすることにした。幸い、生き字引氏は快諾してくださった。4月半ばのことである。

 ところが、ここで次なる問題が起きた。生き字引氏が持っていたのはブルーレイ版で、僕のパソコンでは再生できないのである。どうしようと困っていたところへ、救いの手を差し伸べてくださる方がいた。謎解きクイーンの異名を持つ京都サポーターの女性である。「私のパソコン、ブルーレイ再生できますよ」こうして、僕・生き字引氏・謎解きクイーンの3人からなる上映会実行チームが誕生した。5月初めのことであった。

 会場中央の奥の壁にスクリーンを掛け、向かい側にパソコンとプロジェクタをセットする。その間を埋める低いテーブルの上からは、お菓子や飲み物・備品類が映写の邪魔にならないよう片付けられた。僕らがガサゴソするうち、残っていた他の人たちも一緒になって、上映会の会場づくりが始まった。大通りに面した窓のシャッターを下ろす。その上の窓から西日が射すので、ロフトへ通じる螺旋階段に幕を垂らした。スクリーンの見えやすい位置に椅子を並べていく。テーブルが邪魔なら、それも場所を動かした。「この椅子の並びじゃ動線が確保できませんよ」「そもそもそんなに椅子要ります?」わいわい言い合い、時に笑い合い、そうこうするうち、小さな上映会場が出来上がった。

「じゃあ始めましょう」

 生き字引氏がブルーレイを取り出し、クイーンがそれをパソコンに挿入する。僕はといえば、椅子に座ってスクリーンを見つめている。片手には、先にこっそり会場を抜け出してコンビニで買っておいた「赤玉パンチ」を握っている。この企画者、全てを丸投げし率先して酒を飲む気である。

 椅子の数にツッコミが入っていたとはいえ、上映会には10人近い人が参加していた。その中には、午後の部・課題本読書会で同じテーブルを囲んだ森見作品初読者の姿があり、また、森見作品のファンであり今回初めて読書会へやって来たという方の姿もあった。そんな僕らの横では、5人くらいの人たちがボードゲームを続けながら、時折スクリーンを窺っていた。

「桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年——」下鴨矢三郎の語りと共に、上映会が始まった。

◇     ◇     ◇

 アニメ版『有頂天家族』は、原作の面白さやハチャメチャぶりをそのまま留める一方で、全体的に哀愁の気色が増し、また、シリアスな場面は徹底的にシリアスに描くというように、面白一辺倒にならない作品になっている。森見作品独特の節回しにより笑いに流れがちだった原作のテイストに、落ち着きとメリハリが加わった、より深みのある作品である。少なくとも僕はそう思う。原作もいいが、アニメもいい。僕が『有頂天家族』を読めば読むほど深い作品と感じたのには、断片的なアニメ視聴歴の影響があると思う。

 今回きちんとアニメを見てなお、上記の印象に変化はなく、むしろいっそうその思いは強まった。

 大雑把に言ってしまえば、以上で感想は事足りるのだが、これでは些か味気ない。そこで、ここからは、アニメ各話を見ながら思ったことや感じたことを、箇条書き形式で書き出していくことにしようと思う。時折、一緒に見ていた人の様子なども挟んでいこうと思う。

 この箇条書きは、ハッキリ言って、本編を知っている人向けのものである。何も知らない人が読んで悪いということはないが、さっぱりわからなかったとしても責任は負いかねるので、ご了承願いたい。

 なお、アニメ上映会は、時間の都合もあり、全13話中、1話・2話・4話・7話・8話・12話・13話の計7話のみを見る形で行った(元々13話は見ない予定であったが、流れで見るしかないと思い急遽そのまま流した)。

◇     ◇     ◇

◆1話「納涼床の女神」

・1章50ページ分を1回に圧縮し、なおかつ下鴨兄弟の登場シーンを追加している。なかなかの情報量である。ここから見始めたらぽかんとする気がした。

・女子高生に化けた矢三郎普通にかわいい。男声なのに声もかわいいから困る。

・矢四郎はもっとかわいいからもっと困る。アニメ版矢四郎の「兄ちゃん」を聞くと、他の「兄ちゃん」の言い方は想像できなくなる。

・矢三郎と赤玉先生の、互いにツンデレ状態でなおかつ頑固な応酬はとにかく見ていて楽しい。ただ一点、矢三郎が赤玉先生の残したお弁当を見て、「次もこのお弁当にしましょう。半分食べてるということは結構気に入ったということでしょう」と言うのだけはいただけない。両者の関係性や赤玉先生の人となりを説明するのに必要なエピソードではあるが、矢三郎はこんなことを赤玉先生に面と向かって言いはしない(原作では地の文=心中語)。捨てられた弁当を見て独りつぶやくくらいの演出が良かった(以上、相当マニアックな感想)。

・赤玉先生と弁天が南座で邂逅するシーン、四条大橋から矢三郎が南座の屋根を覗き、2人の声をアテレコして読み上げる演出にしたのはめちゃくちゃ面白かった。矢三郎の「おーっほっほ」から弁天の「おーっほっほ」への転換が自然で気持ちいい。あと、矢三郎の赤玉先生の声マネ上手すぎる。

・1話から締めが綺麗。

◆2話「母と雷神様」

・宝塚ファン設定の下鴨母、思った以上にヅカの再現度が高くて笑う。声のトーンも溜め方も凄く男役っぽい。あと、いちいちポーズをキメてるのが可笑しい。

・蛙の矢二郎兄さん登場。喋りに落ち着く。よく見ると、前で観ている人がこくりこくりしている。

・マヌケな敵役・金閣銀閣登場。登場した瞬間、京都副リーダーの女性が笑ったのが見えた。登場しただけで笑うとは、どれほどツボなのだと思う。ボードゲーム軍団からも「あ」という声が挙がる。みんな金閣銀閣好きすぎ。まあ俺も好きだけど。

・金閣銀閣のシーンはまとめ動画で見まくったので、もはや感想なし。ただただ面白い。

・矢一郎兄さんはすぐ他人を責める。

・母捜索でテンパる矢一郎の危なっかしさと頼りなさ、原作そのままで本当に凄い。

・ラストが1話以上に綺麗。

◆4話「大文字納涼船合戦」

・絵コンテが違う人だからか、最初数分のカットのクセがやや強い(ズームインの仕方とか)。

・布袋に化けた矢一郎、全裸に兜という偽毘沙門天姿の矢四郎、タカラヅカ風美青年に化けた母が次々登場する場面。矢三郎にカメラが向いたカットで、生き字引氏が「バックがうるさい」と笑う。

・ハチャメチャな回かと思っていたが、描き方などを観ているとむしろ手堅いというイメージだった。

・夷川家との合戦中、奥座敷中見て武器を探し、ガラクタばかりとものをぽいぽい投げる下鴨母、やはり自由人である。

・風神雷神の扇のシーンは何度見ても痛快。

・そして「逃げの矢三郎」登場。

◇     ◇     ◇

 4話まで観たところで、一度休憩を挟んだ。僕らは感想を語り合ったり、余ったお菓子をつまんだり、鑑賞中につまむお菓子をかき集めたりした。僕はといえば、赤玉パンチがなくなってしまったので、次はビールを買いに出掛けた。僕のほかに、ちくわさんと歴史好きの男性がお酒を買いに出た。歴史好きの男性はつまみも買っていて、良かったらと言って僕らにもくださった。

◇     ◇     ◇

 さて、一気に書き進める予定でしたが、ここで一度話を区切ろうと思います。続きは次回。長い長い読書会レポートも、いよいよ次で最後になります。どうぞラストまでお付き合いください。

 ここに1つのアルバムがある。撮影日は全て1年前の6月23日である。その日、僕はひとりで京都へ出掛け、嵐山から嵯峨野へ抜ける道を進み、祇王寺という寺を訪れた。祇王寺は美しい苔庭があることで知られる場所である。その場所を梅雨時に訪れてみようと思ったのだ。実際、その苔庭は非常に美しく、古民家のような寺の侘しさも相まって、祇王寺とはとても静かで穏やかな場所だという印象が、僕の中に強く焼き付いた。

 当時の僕は、まだ読書会に参加していなかった。したがって、その後僕の生活が一変することなど知りやしなかった。まして、1年後、同じ京都にあるカフェの一画で、6人もの人間を相手に、自分の好きな本について語り、浮かれて騒ぐなどという、およそ穏やかならざることを仕出かす羽目になろうとは、夢にも思わなかったにちがいない。

◇     ◇     ◇

 6月16日、京都北山にあるSAKURA CAFEという場所で、彩ふ読書会の京都会が開かれた。読書会は「午前の部=推し本披露会」と「午後の部=課題本読書会」の2部構成である。さらに、午後の部の後には、メンバー同士の交流の場所である「ヒミツキチ」……もとい「オトナの学童保育」も設けられていた。

 当ブログでは先日来、この読書会の振り返りを書き綴っている。もっとも、申し訳ないことに、今回の振り返りはエラク難航しており、記事の順番も飛び飛びになっている。これまでに、「推し本編」と「課題本編①」は完成している。したがって、この記事は課題本編②である。

 今回の課題本は、森見登美彦さんの『有頂天家族』であった。京都の下鴨神社に住む狸の一家・下鴨家、その四兄弟の三男・矢三郎を主人公に、狸と天狗と人間が、京都の街で繰り広げるドタバタの日々を綴ったコメディーファンタジーである。

 この本を課題本に推したのは、他ならぬ僕であった。僕はかねてより森見作品のファンであり、幾多の森見作品の舞台である京都の地でその作品を課題本にしたいと思っていた。そして、厳正なるあみだくじの末に課題本推薦の権利を手にした時、この本を推すことに決めたのである。自分が推した本が課題本になる。これほど愉しいことはない。僕が浮かれ騒いだのにはこのような事情がある。

F6D58224-B875-4810-BFD8-936951D6801D-3165-000000A8BA666873

 それでは、ぎゃあぎゃあ騒ぐ阿呆の僕を、宥めすかしつ受け容れてくださった寛大なる皆様との話し合いの模様を振り返ることにしよう。課題本読書会は、およそ6~8名のグループに分かれて行われる。その後に、各グループの話の内容を共有する全体発表がある。

 今回僕が参加したのは、会場の最も入口に近い場所に陣を構えたAグループである。参加者は全部で7名。僕のほかの顔触れは、久しぶりに来られた歴史好きの男性、「11ぴきのねこ」のTシャツを着た参加2回目の男性、建築を専門とする常連の男性、タカラヅカをこよなく愛する初参加の女性、京都会場副リーダーの女性、イヤミスファンで名の通った常連の女性の6名である。男性4名・女性3名、初心者2名・常連5名、そして、森見作品初読者3名・ファン4名という非常に安定したグループである。この安定感がなければ、僕は受け容れられ損なって、風神雷神の扇であおがれた挙句、折しも通り雨の降り出した下鴨本通へと吹き飛ばされていたことであろう。

 参加者それぞれの感想については「課題本編①」で振り返ったので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。②ではそれ以外の話を書くことにしよう。

◇     ◇     ◇

◆推しキャラ披露大会

 『有頂天家族』の読書会の中でやりたいと思っていたことの1つに、互いの推しキャラを披露しあうというものがある。当日になって本当にやろうか迷いが生じたが、歴史好きの男性のサポートもあり、推しキャラ披露大会は実現する運びとなった。

 結果は下記のとおりである。

 下鴨矢二郎:3票
 下鴨矢一郎:1票
 下鴨家の母:1票
 下鴨矢四郎:1票
 下鴨矢一郎→下鴨矢三郎:1票

 Aグループの中で一番人気を誇ったのは、主人公の次兄に当たる矢二郎であった。矢二郎は京都で一番やる気のない狸として知られており、数年前に狸であることをやめて蛙になり、六道珍皇寺の井戸に籠ったというキャラクターである。暢気で悟ったようなところがある飄々とした狸、もとい蛙である。もっとも、彼が狸をやめたのには重大な理由がある。作中で最も強く自分を責め、辛い思いを背負ったキャラクターでもある。

 矢二郎が人気を集めた理由は、副リーダーが語ったように、その悟ったような雰囲気がいいというのもさることながら、辛い思いを背負った彼が終盤に大活躍するからというのが大きいようだった。特徴的なTシャツの男性は「最終章で矢二郎がとても生き生きしてるのがいいなと思いました」と語り、建築専門の男性は「矢二郎がお父さんの最後の言葉を思い出すシーンでグッときました」と述べた。他のキャラクターを推した人からも、「泣けるシーンは矢二郎絡みの場面が多い」という声が挙がった。

 下鴨矢一郎を推したのは、歴史好きの男性であった。四兄弟の長兄・矢一郎は、亡き父・総一郎に憧れ、京都狸界の頭領・偽右衛門になろうと躍起になっているが、一人で頑張る余り弟たちを責めたり、ピンチに陥ると途端に慌てて危なっかしくなるという、不器用極まりないキャラクターである。男性は「とにかく応援したくなっちゃうんです」と語った。その気持ちは痛いほどわかる。

 四兄弟のお母さんを推したのは、初参加の女性である。宝塚ファン設定であるお母さんにシンパシーを感じたのかしらと思ったが、そうではなく、お母さんの愛の深さや度量の大きさに感動したからのようだった。実際、お母さんは矢三郎をして「海よりも深い」愛の持ち主と言わしめ、自分の子どもたちは全員立派と信じて疑わない強さを持ったキャラクターである。

 下鴨四兄弟の末っ子・矢四郎を推したのは、イヤミスファンの女性である。理由は「とにかくかわいいから」女性はこの日間違いなく、かわいいもの好きというもう1つの面を開花させたに相違ない。実際、矢四郎はかわいい。あまりにかわいいので書きようがない。どうか本作をよんでいただきたい。

 さて、最後に、推しキャラを矢一郎から矢三郎に変更したややこしいヤツがいる。これが僕である。推しキャラ披露大会をやろうといった張本人でありながら、なんとも勝手なことを言う。しかしまあ、理由を聞いていただきたい。僕の推しキャラの変遷には、誰に自分を一番重ね合わせたかが関わっている。三兄妹の一番上で、短気で不器用で個人主義者という自覚のある僕は、長兄・矢一郎がとても好きだった。ところが、今回読書会に向けて『有頂天家族』を再読するうち、自分は矢一郎ほどの生真面目さも責任感もないと気付いた。日々のほほんと生きることを是とし、時々の己の感情に素直であろうと志す今の僕は、矢三郎に近いところもある。そして願わくば、恐れを知らず色んなことをやる矢三郎の強みを手にしたいとさえ思う。矢一郎と矢三郎を足して2:1の割合で混ぜ合わせれば、きっと僕が出来上がる。そう思うと、僕は2人のどちらも推したくて仕方がなかった。

 幸い、この自己分析は周りの評価とも一致するものだったようである。「なんかそんな感じしますね」と言われた時、僕はちょっぴり嬉しかった。

◆謎多きキャラ・弁天

 参加者それぞれの推しキャラがわかる一方、話し合いの中では、あるキャラクターの掴みどころのなさが話題となっていた。そのキャラクターとは、上記の弁天である。

 弁天は、元の名を鈴木聡美という人間であるが、高校生の時、矢三郎たちの師匠でもある天狗・赤玉先生によって琵琶湖畔から連れ去られ、先生の手で天狗としての教育を受けた。成長した弁天は師匠を蹴落とすほどの力をもち、天狗よりも天狗らしい半天狗となって、京一円を自在に巡り勝手気儘に振舞っている。矢三郎をはじめ幾人かの男を惚れさせた魔性の女であり、金曜倶楽部の一員として、四兄弟の父・総一郎を鍋にして食べた張本人でもある——と、本文から幾つかの情報を拾ってくることは容易いが、確かに弁天というキャラクターは掴みどころがない。読書会が始まる前、別のグループの参加者が持っていた『有頂天家族アニメ公式ガイド』をみると、作者である森見登美彦さんでさえ、弁天のことはよくわからないと話している。ではどうして書けたのですかと訊きたくてたまらない。

 僕自身は、弁天を読み解くカギは孤独と寂しさだと思っている。作中最強の人物として描かれる一方、弁天は月を見ては哀しいと言い、雪を見ては淋しいと言う。そして、何でも手に入れられるだけの力を手にしていながら、常に誰かから何かを与えられることを欲している。彼女の心にはぽっかりと穴が空いており、満たされなさゆえに力の限り勝手気ままなことをしているように見える。他人を不幸にして得意気に笑う彼女は、幸せになりたいと願いながら、自分でもそのことに気付いておらず、己の不幸を嘆くことしかできないでいる。もっとも、それも無理からぬことだろうと僕は思う。わけもわからず天狗に拉致され、かつていたであろう家族・友人から引き離され、普通の人間としての生活までも奪われた彼女が、我が身の孤独や不幸を嘆くことに、なんら不思議はない。そしてまた、彼女が身に降りかかる現実を直視できず、自分の感情を整理できないでいるとして、なんのおかしなことがあろう。

 自分自身に気付くことができないでいる弁天と他の登場人物との関係は、したがって、常に複雑なものとなる。例えば、師匠である赤玉先生に対する感情にも愛憎が複雑に絡み合っている。自分のそれまでとそれからを奪った張本人であり、年甲斐もなく自分に言い寄ってくる冴えないジジイである赤玉先生を、彼女はもちろん憎んでいるに違いない。しかし一方で、それまでとそれからを奪われた弁天のいまは、赤玉先生抜きにはありえないものだし、彼女に力を授けたのもまた赤玉先生である。ゆえに弁天は赤玉先生を慕う気持ちをかなぐり捨てることはできない。

 己の時々の感情に素直であること、それを仮に「阿呆の血のしからしむるところ」と呼ぶのであれば、およそ弁天ほど阿呆であることから遠い者はいない。

 以上で書いたことの中には、僕が当日喋ったことと、書きながら思いついて加筆したこととが入り乱れている。実際どこまで喋ったかは定かでないが、弁天について、ここまで複雑に結論の出ない話を喋り散らしたのは僕だけであった。

◆アニメ絵でキャラクターをなぞる

「ちょっとすいません」建築専門の男性が言った。「まだアニメ版を見てないので、どれが誰かを確認したいんですけど」

 自薦本を課題本にして浮かれていた僕は、課題本読書会の後に『有頂天家族』アニメ版の上映会を企画していた。そして、参加者を募集するためラインで告知をした際、アニメ版の様子がわかるようにネットから画像を1枚取ってきて貼り付けていた。男性はその絵を見ながら、キャラクターの整理をしようとしたのである。

visual_1st
(アニメ版公式サイトより)

 ファンが率先する形で、どれが誰かを確認していった。ここでも我々の目を引いたのは弁天であった。その他のキャラクターについては、イメージと違うところがあったとしても「なるほどなあ」「矢一郎兄さん髪型オカシイ」「赤玉先生はすごくぽい」くらいの話だったのだが、弁天だけは「え、違う」という声が相次いだ。わかりやすいところで言えば、原作では綺麗な黒髪とされていた弁天の髪色がアニメでは紫になっている。ここで違和感を持つ人が少なくないことは、僕もかねてより知っていたので、「そうですねえ」と答えていた。

 もう1人、イメージの違いが話題になったキャラクターがいる。淀川教授である。淀川教授は京都の大学の農学部で生物学を研究する人物で、金曜倶楽部の一員として矢三郎たちの父を食べた1人である。彼の信条は、狸は愛すべきものであり、愛するからこそ美味しく食べたいというものだ。屁理屈屋で変人ながら、根はとても優しい人である。淀川教授は金曜倶楽部の中で「布袋さん」と呼ばれており、そのためか原作では腹の出た中年男性として描かれている。しかし、アニメ版では腹は出ておらず、中背中肉程度の体つきをしている。

「確かに違いますねえ」という話をしていた時、件の建築専門の男性が突然言った。

「でも、フィールドワークをやってる教授って、こんな感じですよね」

 その確信はどこから来たのか。ともあれ僕らは笑った。

◆妄想・タカラヅカ版『有頂天家族』

 ここで初参加の女性の登場となる。今までしれっと書いてきたが、この方は初参加ではあるものの、僕とは初対面ではない。それどころか、お互い面識は相当ある。すなわち、この方は僕の先輩である。

 読書会に入る前、僕には読書好きの知り合いというものがあまりいなかった。その数少ない例外が先輩であった。そして先輩は大の宝塚ファンであった。読書会に入り、ヅカ部の隆盛を目の当たりにした僕は、ここへ先輩を誘ったら面白かろうと考えた。予想通り、先輩は興味を示した。

 読書会数日前、給湯室で顔を合わせた際、僕は先輩に「もうすぐですね」と話した。「そうやねえ」と先輩は言った。それからややあって、「ヅカ部に入りたいなあ」とつぶやいた。何か間違っている気がしたが、何も言わなかった。実際、僕のプロモーションもヅカに寄りすぎていた。

 読書会当日、先輩のヅカ好きは自己紹介の後さほど表に出てはいなかった。が、いよいよ読書会も終盤に差し掛かる頃、先輩はいよいよ自分を押し止めようがなくなった。奇しくも、先輩の向かいには、ヅカ部員の1人である矢四郎ファンの女性がいた。

「『有頂天家族』宝塚でできないかなあってずっと思ってたんですけど」先輩は言った。「やるとしたら、誰が主役になると思いますか?」

 果たして、この展開について行った人が何人いただろう。僕も一瞬何が起きたのかわからなかった。「どうしてもこれが訊きたくて」と先輩は言う。随分な賭けに出たものだと僕は思う。

 場内が「うーん」と静まり返ったので、僕はこの日初めて進行役らしい仕事をした。「逆に誰がいいと思います?」

「もうやめちゃった人なんですけど」先輩は言った。「早霧せいなさんかなあ」

「ああわかります」という声が挙がった。向かいに座る矢四郎ファンの女性からだった。「ほんとですか」と言い、2人は瞬く間に意気投合した。何ら驚くことのない宝塚ファンらしい光景であったが、宝塚を知らない方からみれば、偽叡山電車が先斗町の料亭に突っ込むのと大して変わらない不思議な画に映っただろう。

 折角なので、答えた女性にもキャスティングを考えていただいた。早霧さんを切り出されて相当困っている様子だったが、1人の現役ジェンヌさんの名前が出てきた。「ああ、いいですね」と先輩が言った。遂に僕にも分からなかった。

◆全てを吹き飛ばすとき

 話があちらへ飛び、こちらで深掘りされ、どこへ着地するのかわからないまま、時間だけが過ぎていく。「くたばれって表現いいですよね。私これから使いたいなって思いました」「わかります。僕こないだ使いました」「矢三郎の許嫁の海星っているじゃないですか。海星が姿を見せないのって、何か理由あるんですか?」「あー、それはこの後第2部で明らかになります」「あ、続編があるんですね」「あります!」「あの、2部を読むと、海星ますますいい子だなあって思います」「海星は、あれだけ兄がひねくれてるのに、よくまっすぐ育ちましたよね」「下鴨家のお父さん慕ってるからでしょうね」「あー」「あと、もう1人兄がいるんですよ」「え、そうなんですか」「それも2部で出てきます。ただ、よく見ると1部で伏線張ってるんですよね。えっと、ページで言うと……」「淀川教授の学生にスズキ君っているじゃないですか。で、確か弁天の元の名前って鈴木ですよね。2人は何か関係あるんですか?」「それ思ったんですけど、わかんないんですよ」「2部で出てこないですか」「うーん、何もなかったと思いますけど」「鈴木聡美は漢字で、スズキ君はカタカナじゃないですか。だからどうかなあ」——

 まったく困ったことである。収拾がつかない。進行役が率先して脱線していくから、尚更である。

 だが、よく考えてみれば、『有頂天家族』のエンディングも、決して何かが収束したわけではないのである。陰謀蠢く偽右衛門選挙当日、恐るべき因果により、狸たちの決戦の場と、金曜倶楽部の忘年会の会場は隣り合わせになる。偽右衛門選挙の場が荒れ、2つの部屋はつながり、狸は人間を見て化けの皮を剥がし、人間は狸を見てニンマリ笑う。そんな中、狸の決戦の立会を頼まれていた赤玉先生が立ち上がる。存在を忘れられ放置された赤玉先生はたいへんお怒りである。怒りに任せて、先生は風神雷神の扇を振るう。大風が起き、店も人間も狸も吹き飛ぶ。これを指して矢三郎は言う。「混乱に収拾をつけるには、より大きな混乱を引き起こして一切を御破算にするほかない」(文庫p.398-399)。

 ならば僕らも同様である。より大きな混乱を起こし、全て吹っ飛ばすべし。

 そう思った矢先、肩を叩かれた。

「ひじきさん、時間大丈夫ですか」隣のテーブルにいたサポーターの男性からだった。

「まだ3分あります」と僕は答えた。事実である。不都合はない。だがしかし、僕にももはや騒動を起こす余裕はなかった。「全体発表いけそうですか?」それが僕の最後の台詞だった。

◆全体発表

 15時になり、全体発表が始まった。僕が総合司会で前に出たので、Aグループの発表は京都副リーダーの女性が担当した。彼女はどうしたものかという表情を浮かべながら、起きた出来事をそのまま順に読み上げていった。実際、それしか方法はなかっただろう。ヅカキャストのくだりで笑いが起こったので、発表は成功だった。

 続いてBグループの発表があった。Bグループでは「面白かった」という意見が出た一方で「読みづらい」という意見も出たそうだった。このグループの発表で特に興味を惹かれたのは、「狸はそのまま鍋にできるのか?」というものだった。その意見を出した人は「塩を揉みこまないといけないんじゃないか」とも言ったらしい。笑いながらBグループをみると、中にあの方の姿があった。すなわち、前月、『砂の女』の課題本読書会で、「毎日砂を掻き出しているなら、女はきっと筋肉ムキムキだと思う」と言った方である。どうもそういうことじゃないかと、僕は思った。

 最後にCグループの発表があった。面白い作品である一方で、引っ掛かる箇所が何もない。詰まるところ、作中で出てきたように「面白きことは良きことなり」で読むのが一番いい作品だと思った、ということが澱みなく語られた。作品咀嚼レベルがダントツで高かった。Cグループにいたちくわさんが課題本読書会のレポートを書いているが、この記事と違って綺麗にまとまっている。僕のせいで迷子になった皆さま、どうぞこちらの記事で頭を落ち着かせてください。

◇     ◇     ◇

 以上で課題本読書会の振り返りを締めくくろうと思います。ハチャメチャな記事に最後までお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございました。と言いつつ、この後更に「ヒミツキチ編」がありますので、そちらも宜しくお願いします。

◇     ◇     ◇

 ここで再び先輩の登場となる。

 読書会が終わった後、僕らはそのままテーブルを囲み、色んな話をした。やがて、ゲームをやりたくてうずうずしている人たちが動き始め、フリートークもそこそこに、会場のあちこちでゲームが始まっていた。そんな中、先輩は帰り支度を始めていたが、ふと何かに気付いたように僕に話しかけてきた。

「ひじきくん、あそこにいる背の高い人って、常連さん?」

 先輩の指さす先には、午前の部=推し本披露会で『ペンギン・ハイウェイ』を紹介した人の姿があった。

「そうですよ」と僕は答えた。

「そうなんや」先輩は言った。「どっかで会ったような気がするねんなあ」

「別の集まりですか」

「うん、たぶん森見オフ会やと思う」

 森見オフ会をご存知だろうか。ご存知なくても名前をみればどんな会かはおよそ想像がつくであろう。先輩はオフ会の一員であり、僕をオフ会に誘った張本人でもある。そして、森見オフ会で幹事クラスの活躍をしているのが、午前の部で『聖なる怠け者の冒険』を紹介した生き字引氏である。生き字引氏は、ある時突然彩ふ読書会にやって来た。そして、何も気づかず「初めての方ですか」と話し掛けた僕に「ええ、ここではそうです」と返して、僕を仰天させた(その時のことはこの記事に詳しい)。

 その森見オフ会の参加者が、彩ふ読書会にもう1人いた。もっとも、僕はその方に森見オフ会でお会いしたことはない。ただ、先月来、随分森見作品に詳しい方だとは思っていた。

 いよいよ帰るという時、先輩はついと立ち上がると、その人のところへつかつかと歩み寄った。

「あの、すみません」

「はい」

「どこかでお会いしたことはないでしょうか」

 全てが唐突であった。僕はあまりに可笑しくて声を立てて笑った。一方、声を掛けられた男性は一切動じず、落ち着いた笑みを浮かべながら答えた。

「そうですよね。たぶん、3年前に花見の会で」

 ふわふわとした僕らの日常には、時々思いもよらない展開が待ち受けている。1年後の自分が予想できないとか、天狗の起こした大風に吹き飛ばされるとか、そんな大層な話をしているのではない。ほんの目と鼻の先で起きる出来事さえ、まったくもって意外で、なおかつ途轍もなく面白かったりする。僕らのなすべきことはただ1つ。それらを全て愉しむことである。

このページのトップヘ