前々回、そして前回に続き、5月26日(日)に京都のサクラカフェで開かれた彩ふ読書会の午後の部・課題本読書会の模様を振り返りたいと思います。前々回は、僕自身は課題本をどのように読んだのかについて振り返りました。そして前回から読書会本編の振り返りに入りました。今回の記事では、読書会本編の振り返りの続きをお送りします。
繰り返しになりますが、課題本と読書会の概要を確認しておきましょう。今回の課題本は、安部公房の『砂の女』です。昆虫採集のために訪れた砂丘の部落で、「男」は砂の穴の底に閉じ込められ、穴底のボロ家に住む女と共に、夜毎砂を掻き出すよう言いつけられる。あまりの仕打ちに憤慨した男は脱出を試みるが、遂に失敗し、穴の中で暮らすようになる。現実離れしていてとっつきにくい作品ですが、世の不条理や我々を取り巻く見えない力の存在を「砂」に仮託して描き出しており、主題がわかると面白くなってくる作品でもありました。
課題本読書会は13時40分ごろに始まり、1時間半ほど続きました。参加者は全体で21名で、3つのグループに分かれて感想などを話し合いました。読書会の最後には、それぞれのグループで出た話を共有するための全体発表の時間もありました。僕はCテーブルで話し合いに参加しました。
さて、今回の振り返りは、僕自身の課題本に対する感想・考察を振り返ったうえで、読書会に参加することによってそれらの感想はどう変わったか/変わらなかったか、どんな新たな発見があったのかということを確かめながら書いています。なので、これまでの話の流れを大まかに確認しておこうと思います(詳細は各記事を参照ください)。
〈前々回:僕は『砂の女』をどう読んだのか〉
▶映像を思い描きながら読むのが難しい作品で、最初のうちは放り投げたくてたまらなかった。
▶それでも読み切るため、「砂」は何の象徴/比喩なのかという問いを設定した。
▶その結果、押し応えなく流れものを腐らせてしまう砂は世間の波の象徴ではないかと考えた。
〈前回:以上のように考えていた僕にとって、読書会はどんな場だったのか〉
▶「この本わからない」という意見が複数出た。その中に「映像が浮かばない」という自分と全く同じ意見があり、共感できて嬉しかった。一方で、作中の描写からイメージを膨らませ「毎晩砂を掻き出しているということは、女は筋肉ムキムキだと思う」と発言された方がいて、思いがけず爆笑の渦が起こった。
▶〈なぜ男は逃げなかったのか〉ということが話題になり、2つの読みが提示された。1つは、男は承認欲求の強い人間で、物語の最後で自分が作った蒸留装置を部落の人に認めてもらいたくなったから残ったのだというもの。そしてもう1つは、物語の途中で一度脱出に成功するもワナにはめられて穴に連れ戻されたことにより、男の中で諦めが強くなったからというものだった。いずれの読みも、砂にばかり目がいっていた僕には新鮮で、特に男の人となりに注目する読み方はたいへん興味深かった。
今回の記事では、前回に続き、読書会の内容を振り返りつつ、その中で僕は何を感じていたのかということを書いていこうと思います。それでは、話を進めましょう。
◆「女は、男よりもずっと怖い人間なんだと思う」
上述の通り、前回の記事では、主人公「男」について読書会の中で話題になったことを取り上げましたが、その後読書会が進む中で、元々砂の中に住んでいた「女」についても幾つか意見が交わされたので、ご紹介したいと思います。
その前に、僕の中での女のイメージについて書いておきましょう。僕の見る限り、女は無気力の塊のような存在でした。砂が内に含んだ湿気を放出して周りのものを腐らせるように、女の精神をも腐らせて生気を奪っている。つまり、女は、砂=世間・空気によって自我を失い無気力に生きる者の象徴だと、僕は思っていました。
そう考えていた僕にとって意外だったのは、物語の終盤で男に強い口調で詰め寄る女の姿でした。無気力に見えた者にも、我が身を守って生きるための強さ・逞しさがあることを突然思い知らされ、驚き慌てたところで、特に考察を進めることなく、僕は読書会に向かっていきました。
さて、読書会の中で挙がった意見をここでは2つご紹介しましょう。
まず、女が周りの者を気に留めていないことが話題になりました。この話題を引っ張ったのは、件の「筋肉ムキムキ」発言の女性でした。この女性、「筋肉ムキムキ」発言以外にも女について興味深い読みをされていて、僕はこの方から「女」像について多大な影響を受けました。
物語の終盤で、掻き出した砂が工事場などに売られていることを男は知ります。塩分を含んだ土を建設材に混ぜていることに男は憤る。ところが、そこで女はこう返すのです。「かまやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!」ここは僕が女の強さや凄味を思い知ったのと同じ場面ですが、女性はここから、女が周りのことを気にかけていない様子を読み取ったのだといいます。
女は砂に囲まれた部落の中に生きており、部落の内輪事情には詳しいものの、外部社会とは隔絶されている。だから、女の視野は相当狭まっているのではないか。これが女性の展開した読みでした。さらに女性は、女が男より長く砂の中にいることから、視野の狭まりがより一層進んでいるのではないかと指摘します。そしてこう言いました。「結局、女は男よりも怖い存在なんだと思います」
女は男よりも長く砂に曝されているというのは、僕と共通する読みでもありました。けれどもこの方は、その読みを女の無気力さに結びつけるのではなく、女の視野の狭さ、そして暗黙の凶暴さに結び付けて考えていました。女は男よりも怖いという結論には、思わずハッとさせられるものがありました。
なお、女の怖さについては、他にも幾つか意見が出ていました。「男がタバコや焼酎の配給を受けていたように、女は男を配給してもらったんじゃないだろうか」「女が男に言うことが最初と最後で違っていて、無茶苦茶だとも思ったし、最初は男を信用してなくて嘘を言ったんじゃないかとも思った」もっとも、よく考えてみると、これらの意見は全部「筋肉ムキムキ」発言の女性のものでした。やっぱり僕はこの方から、女は怖いというイメージを多分に植え込まれたようです。
もう1つ、初参加の男性からのこんな意見をご紹介しましょう。「女が無気力なのは、家族を亡くしているからじゃないかと思ってました」物語の中で、女には夫と子どもがいたこと、そして2人は半年前に砂に埋もれて亡くなったことが何度か語られています。また、女が家族を亡くしたことを悲しんでいる描写もあります。ですから、この意見が出た時、僕はさほど気にも留めず「そういう面もあるよね」くらいに思っていました。
しかし、今になってふと思うのです。もし、女の無気力が砂ばかりでなく、家族を亡くしたことにも起因するのだとしたら、物語の終盤で男が共に暮らすようになったところで、女が強い一面を見せてきた理由がわかるようになるのではないか、と。思い付いたばかりなので、これ以上は書けないのですが……
◆『砂の女』は社会の縮図
グループの話し合いの最後に、『砂の女』の世界と僕らが実際に生きている世界の重なりについて話題にあがったことをご紹介したいと思います。既に述べたように、僕は『砂の女』を読む中で、砂は世間の象徴という結論に達していますから、その世界が僕らの生きている世界と重なるという話はこの結論を強めるものでした。ですので、この話はさらっと触れるに留めておこうと思います。
例えば、あるベテラン参加者の男性は、『砂の女』という作品はとことん真実が見えない作品であると指摘したうえで、それは別の社会の批判ではないかと当初は思っていたが、次第に、これは我々が生きている社会の縮図ではないかと思うようになったと話していました。確かに、僕らの生きている世界でも、真実やその全体像は見えないことが多く、僕らはその事実に適当に折り合いをつけて生きているような気がしました。
また、今回進行役を務めた男性は、具体的な描写を挙げながら、この作品が現実と被ってイヤだという話をしていました。男性が取り上げたのは、男が部落の人と言葉を交わす場面です。男は穴から抜け出すために、部落の人たちの暮らし向きを良くするための提案を次々に持ちかけますが、部落の人たちは何かと理由をつけて男の提案をぬらりくらりと交わしてしまいます。男性は強い口調になって「もう何かと言い訳がましくて腹立つんです」「しかもこういう人実際にいそうでイヤなんですよ。こういう諦めを正当化するための言い訳を並べ立てる人」と話していました。この発言はじわじわと共感を呼んでいるように思えましたし、僕自身、いるいるこういう人と思っていました(自分がそうじゃないか心配な時もありますが)。ともあれ、こうした“あるある描写”が挿入されていることによって、『砂の女』の寓話的性格が増しているのかなと、僕は思いました。
◆全体発表から
最後の最後に、全体発表の中から印象に残った意見を取り上げたいと思います。
まず印象に残ったというか「えっ⁉」と思ったのは、「読みづらいという人もいたけれど、砂だけにサラサラ読めるという意見もあった」「安部公房の作品の中では話が分かりやすく読みやすい作品」といった意見でした。Cグループでは読みづらいという声しか挙がっていませんでしたから、これらの発言が出た瞬間、僕らは「ウソやん」と言わんばかりに顔を見合わせてしまいましたし、「もう安部公房は読めない」と思ってしまいました(とか言いながら、いつかまた読むかもしれませんが)。
作品解釈について特に面白いと思ったのは、「砂の中も男が元々生きていた社会も実は同じようなもので、男が逃げるべき社会などないのではないか」という意見でした。この意見は、僕が再三繰り返している『砂の女』=社会の縮図説の延長にあるものですが、僕が砂そのものを社会の比喩と捉えていたのに対し、この意見では、砂の外に広がる世界まで射程に入れて、それこそ僕らが生きている現実ではないかということを突き付けているという意味で、より深みのある解釈だと感じ入りました。
男のことが話題にのぼっていたのはどのグループでも共通していたようです。あるグループでは、男について「性格悪い」「ちっちゃい」「常に上から目線」と辛辣な意見が次々に飛び出していたようでした。また、男と女の話がまるで噛み合っていないという指摘があり、確かにそうだなあと思いました。
そんな色んな意見が出たわけですが、憚りながら話題賞は我らがCグループがかっさらうことになります。「筋肉ムキムキ」発言に勝てるものなどないのでした。
といったところで、課題本読書会の振り返りを終えたいと思います。最後の最後にボケてしまいましたが、全体を通してみれば、色んなことを考え、読みを深めることのできる会でした。映像が浮かびづらいといった感想や、『砂の女』=社会の縮図説など、僕の見方は基本的にあまり変わっていません。そのうえで、男と女という主要な2人の登場人物の人となりを、本文に即して掘り下げられたのが、今回の一番大きな収穫だったように思います。このように、読みの幅が広がるのが、課題本読書会の良い所だなと、改めて感じる会でした。
さて、レポートが長くなり、最初から読んでいる方はそろそろお疲れではないかと思いますが、読書会の振り返りはさらにもう1回続きます。ヒミツキチ編、別名「オトナの学童保育」編です。どうぞお付き合いください。
繰り返しになりますが、課題本と読書会の概要を確認しておきましょう。今回の課題本は、安部公房の『砂の女』です。昆虫採集のために訪れた砂丘の部落で、「男」は砂の穴の底に閉じ込められ、穴底のボロ家に住む女と共に、夜毎砂を掻き出すよう言いつけられる。あまりの仕打ちに憤慨した男は脱出を試みるが、遂に失敗し、穴の中で暮らすようになる。現実離れしていてとっつきにくい作品ですが、世の不条理や我々を取り巻く見えない力の存在を「砂」に仮託して描き出しており、主題がわかると面白くなってくる作品でもありました。
課題本読書会は13時40分ごろに始まり、1時間半ほど続きました。参加者は全体で21名で、3つのグループに分かれて感想などを話し合いました。読書会の最後には、それぞれのグループで出た話を共有するための全体発表の時間もありました。僕はCテーブルで話し合いに参加しました。
さて、今回の振り返りは、僕自身の課題本に対する感想・考察を振り返ったうえで、読書会に参加することによってそれらの感想はどう変わったか/変わらなかったか、どんな新たな発見があったのかということを確かめながら書いています。なので、これまでの話の流れを大まかに確認しておこうと思います(詳細は各記事を参照ください)。
〈前々回:僕は『砂の女』をどう読んだのか〉
▶映像を思い描きながら読むのが難しい作品で、最初のうちは放り投げたくてたまらなかった。
▶それでも読み切るため、「砂」は何の象徴/比喩なのかという問いを設定した。
▶その結果、押し応えなく流れものを腐らせてしまう砂は世間の波の象徴ではないかと考えた。
〈前回:以上のように考えていた僕にとって、読書会はどんな場だったのか〉
▶「この本わからない」という意見が複数出た。その中に「映像が浮かばない」という自分と全く同じ意見があり、共感できて嬉しかった。一方で、作中の描写からイメージを膨らませ「毎晩砂を掻き出しているということは、女は筋肉ムキムキだと思う」と発言された方がいて、思いがけず爆笑の渦が起こった。
▶〈なぜ男は逃げなかったのか〉ということが話題になり、2つの読みが提示された。1つは、男は承認欲求の強い人間で、物語の最後で自分が作った蒸留装置を部落の人に認めてもらいたくなったから残ったのだというもの。そしてもう1つは、物語の途中で一度脱出に成功するもワナにはめられて穴に連れ戻されたことにより、男の中で諦めが強くなったからというものだった。いずれの読みも、砂にばかり目がいっていた僕には新鮮で、特に男の人となりに注目する読み方はたいへん興味深かった。
今回の記事では、前回に続き、読書会の内容を振り返りつつ、その中で僕は何を感じていたのかということを書いていこうと思います。それでは、話を進めましょう。
◇ ◇ ◇
◆「女は、男よりもずっと怖い人間なんだと思う」
上述の通り、前回の記事では、主人公「男」について読書会の中で話題になったことを取り上げましたが、その後読書会が進む中で、元々砂の中に住んでいた「女」についても幾つか意見が交わされたので、ご紹介したいと思います。
その前に、僕の中での女のイメージについて書いておきましょう。僕の見る限り、女は無気力の塊のような存在でした。砂が内に含んだ湿気を放出して周りのものを腐らせるように、女の精神をも腐らせて生気を奪っている。つまり、女は、砂=世間・空気によって自我を失い無気力に生きる者の象徴だと、僕は思っていました。
そう考えていた僕にとって意外だったのは、物語の終盤で男に強い口調で詰め寄る女の姿でした。無気力に見えた者にも、我が身を守って生きるための強さ・逞しさがあることを突然思い知らされ、驚き慌てたところで、特に考察を進めることなく、僕は読書会に向かっていきました。
さて、読書会の中で挙がった意見をここでは2つご紹介しましょう。
まず、女が周りの者を気に留めていないことが話題になりました。この話題を引っ張ったのは、件の「筋肉ムキムキ」発言の女性でした。この女性、「筋肉ムキムキ」発言以外にも女について興味深い読みをされていて、僕はこの方から「女」像について多大な影響を受けました。
物語の終盤で、掻き出した砂が工事場などに売られていることを男は知ります。塩分を含んだ土を建設材に混ぜていることに男は憤る。ところが、そこで女はこう返すのです。「かまやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!」ここは僕が女の強さや凄味を思い知ったのと同じ場面ですが、女性はここから、女が周りのことを気にかけていない様子を読み取ったのだといいます。
女は砂に囲まれた部落の中に生きており、部落の内輪事情には詳しいものの、外部社会とは隔絶されている。だから、女の視野は相当狭まっているのではないか。これが女性の展開した読みでした。さらに女性は、女が男より長く砂の中にいることから、視野の狭まりがより一層進んでいるのではないかと指摘します。そしてこう言いました。「結局、女は男よりも怖い存在なんだと思います」
女は男よりも長く砂に曝されているというのは、僕と共通する読みでもありました。けれどもこの方は、その読みを女の無気力さに結びつけるのではなく、女の視野の狭さ、そして暗黙の凶暴さに結び付けて考えていました。女は男よりも怖いという結論には、思わずハッとさせられるものがありました。
なお、女の怖さについては、他にも幾つか意見が出ていました。「男がタバコや焼酎の配給を受けていたように、女は男を配給してもらったんじゃないだろうか」「女が男に言うことが最初と最後で違っていて、無茶苦茶だとも思ったし、最初は男を信用してなくて嘘を言ったんじゃないかとも思った」もっとも、よく考えてみると、これらの意見は全部「筋肉ムキムキ」発言の女性のものでした。やっぱり僕はこの方から、女は怖いというイメージを多分に植え込まれたようです。
もう1つ、初参加の男性からのこんな意見をご紹介しましょう。「女が無気力なのは、家族を亡くしているからじゃないかと思ってました」物語の中で、女には夫と子どもがいたこと、そして2人は半年前に砂に埋もれて亡くなったことが何度か語られています。また、女が家族を亡くしたことを悲しんでいる描写もあります。ですから、この意見が出た時、僕はさほど気にも留めず「そういう面もあるよね」くらいに思っていました。
しかし、今になってふと思うのです。もし、女の無気力が砂ばかりでなく、家族を亡くしたことにも起因するのだとしたら、物語の終盤で男が共に暮らすようになったところで、女が強い一面を見せてきた理由がわかるようになるのではないか、と。思い付いたばかりなので、これ以上は書けないのですが……
◆『砂の女』は社会の縮図
グループの話し合いの最後に、『砂の女』の世界と僕らが実際に生きている世界の重なりについて話題にあがったことをご紹介したいと思います。既に述べたように、僕は『砂の女』を読む中で、砂は世間の象徴という結論に達していますから、その世界が僕らの生きている世界と重なるという話はこの結論を強めるものでした。ですので、この話はさらっと触れるに留めておこうと思います。
例えば、あるベテラン参加者の男性は、『砂の女』という作品はとことん真実が見えない作品であると指摘したうえで、それは別の社会の批判ではないかと当初は思っていたが、次第に、これは我々が生きている社会の縮図ではないかと思うようになったと話していました。確かに、僕らの生きている世界でも、真実やその全体像は見えないことが多く、僕らはその事実に適当に折り合いをつけて生きているような気がしました。
また、今回進行役を務めた男性は、具体的な描写を挙げながら、この作品が現実と被ってイヤだという話をしていました。男性が取り上げたのは、男が部落の人と言葉を交わす場面です。男は穴から抜け出すために、部落の人たちの暮らし向きを良くするための提案を次々に持ちかけますが、部落の人たちは何かと理由をつけて男の提案をぬらりくらりと交わしてしまいます。男性は強い口調になって「もう何かと言い訳がましくて腹立つんです」「しかもこういう人実際にいそうでイヤなんですよ。こういう諦めを正当化するための言い訳を並べ立てる人」と話していました。この発言はじわじわと共感を呼んでいるように思えましたし、僕自身、いるいるこういう人と思っていました(自分がそうじゃないか心配な時もありますが)。ともあれ、こうした“あるある描写”が挿入されていることによって、『砂の女』の寓話的性格が増しているのかなと、僕は思いました。
◆全体発表から
最後の最後に、全体発表の中から印象に残った意見を取り上げたいと思います。
まず印象に残ったというか「えっ⁉」と思ったのは、「読みづらいという人もいたけれど、砂だけにサラサラ読めるという意見もあった」「安部公房の作品の中では話が分かりやすく読みやすい作品」といった意見でした。Cグループでは読みづらいという声しか挙がっていませんでしたから、これらの発言が出た瞬間、僕らは「ウソやん」と言わんばかりに顔を見合わせてしまいましたし、「もう安部公房は読めない」と思ってしまいました(とか言いながら、いつかまた読むかもしれませんが)。
作品解釈について特に面白いと思ったのは、「砂の中も男が元々生きていた社会も実は同じようなもので、男が逃げるべき社会などないのではないか」という意見でした。この意見は、僕が再三繰り返している『砂の女』=社会の縮図説の延長にあるものですが、僕が砂そのものを社会の比喩と捉えていたのに対し、この意見では、砂の外に広がる世界まで射程に入れて、それこそ僕らが生きている現実ではないかということを突き付けているという意味で、より深みのある解釈だと感じ入りました。
男のことが話題にのぼっていたのはどのグループでも共通していたようです。あるグループでは、男について「性格悪い」「ちっちゃい」「常に上から目線」と辛辣な意見が次々に飛び出していたようでした。また、男と女の話がまるで噛み合っていないという指摘があり、確かにそうだなあと思いました。
そんな色んな意見が出たわけですが、憚りながら話題賞は我らがCグループがかっさらうことになります。「筋肉ムキムキ」発言に勝てるものなどないのでした。
◇ ◇ ◇
といったところで、課題本読書会の振り返りを終えたいと思います。最後の最後にボケてしまいましたが、全体を通してみれば、色んなことを考え、読みを深めることのできる会でした。映像が浮かびづらいといった感想や、『砂の女』=社会の縮図説など、僕の見方は基本的にあまり変わっていません。そのうえで、男と女という主要な2人の登場人物の人となりを、本文に即して掘り下げられたのが、今回の一番大きな収穫だったように思います。このように、読みの幅が広がるのが、課題本読書会の良い所だなと、改めて感じる会でした。
さて、レポートが長くなり、最初から読んでいる方はそろそろお疲れではないかと思いますが、読書会の振り返りはさらにもう1回続きます。ヒミツキチ編、別名「オトナの学童保育」編です。どうぞお付き合いください。