隠遁生活3日目、僕・父・妹の3人は車の運転練習を兼ねて、鳥羽市相差(おうさつ)町にある石神さんへ参詣した。石神さんは、相差町の氏神様を祀る神明神社の境内にあるお社で、海神の娘で神武天皇の母とされている玉依姫命を御祭神としている。相差町は海女のまちで、玉依姫命は海女の守護神として信仰を集め、現在は女性の願いを叶えてくれる神様とされている——ということは、すなわち僕個人とは実に縁遠い神様ということになるが、まあ己の願掛けが叶わぬことなどどうでもいい。石神さんは一度訪れてみたかったし、行くからには身近な方々の健康と面白き日々を願うことにした。
駐車場に車を停め、旅館や小さな商店に囲まれた細い道を進んでいくと、青々とした木々に囲まれた慎ましい境内が現れた。決して小さな神社ではないが、ささやかというか慎ましいという表現がしっくりくるように思われる場所であった。曇天であったが、雲は厚くなく、ほのかな光が辺りを包んでいるように感じられた。
手水舎で手を清めた後、まず神明神社の本殿に詣で、敷地をぐるりと回る。それから本殿を離れ、石神さんのお社に詣でた。石神さんは参拝方法に独特の取り決めがある。専用の紙に名前と願い事を書いてからお社に向かい、参拝の前に賽銭箱の隣の箱にその紙を入れるのだ。あとは二礼二拍手一礼というお馴染みの作法で詣でる。
僕は先の願いを心の中でそのまま唱え、すっと顔を上げるとお社を後にした。
それから御朱印をいただきに行った。御朱印を授かるのは2月に淡嶋神社を訪れて以来である。習字のことはてんでわからないが、やはり見栄えするものだと思った。そして何より、「平成三十一年四月二十九日」という日付が、なんとも貴重に思えて嬉しかった。
境内にいたのは30分ほどのことで、旅館と商店の並ぶ道を通って再び駐車場へ戻った。海産物を売っている店が多く、海女に伝わる紋章が随所で見られるなど、なるほどここは海女の町なのだという気がした。
石神さんから戻ると、朝目が早く覚めてしまった反動で長い昼寝をしてしまい、気付いたら夕方であった。時間が飛ぶように速く過ぎていく。隠遁生活など3、4日もあれば足りると思っていたが、まだまだ隠遁し足りない気がしてならない。あと10日でも足りないかもしれない。
夕食を摂り、しばしゲームをしたところで、最後に到着した母と下の妹を迎えに出た。帰ってきた後、妹の希望で夜遅くまでカラオケをしていた。僕の時間感覚はじわじわと狂いつつある。
※石神さんに関する説明は下記のサイトを参考にしました。
http://www.toba.gr.jp/spot/5061/
駐車場に車を停め、旅館や小さな商店に囲まれた細い道を進んでいくと、青々とした木々に囲まれた慎ましい境内が現れた。決して小さな神社ではないが、ささやかというか慎ましいという表現がしっくりくるように思われる場所であった。曇天であったが、雲は厚くなく、ほのかな光が辺りを包んでいるように感じられた。
手水舎で手を清めた後、まず神明神社の本殿に詣で、敷地をぐるりと回る。それから本殿を離れ、石神さんのお社に詣でた。石神さんは参拝方法に独特の取り決めがある。専用の紙に名前と願い事を書いてからお社に向かい、参拝の前に賽銭箱の隣の箱にその紙を入れるのだ。あとは二礼二拍手一礼というお馴染みの作法で詣でる。
僕は先の願いを心の中でそのまま唱え、すっと顔を上げるとお社を後にした。
それから御朱印をいただきに行った。御朱印を授かるのは2月に淡嶋神社を訪れて以来である。習字のことはてんでわからないが、やはり見栄えするものだと思った。そして何より、「平成三十一年四月二十九日」という日付が、なんとも貴重に思えて嬉しかった。
境内にいたのは30分ほどのことで、旅館と商店の並ぶ道を通って再び駐車場へ戻った。海産物を売っている店が多く、海女に伝わる紋章が随所で見られるなど、なるほどここは海女の町なのだという気がした。
石神さんから戻ると、朝目が早く覚めてしまった反動で長い昼寝をしてしまい、気付いたら夕方であった。時間が飛ぶように速く過ぎていく。隠遁生活など3、4日もあれば足りると思っていたが、まだまだ隠遁し足りない気がしてならない。あと10日でも足りないかもしれない。
夕食を摂り、しばしゲームをしたところで、最後に到着した母と下の妹を迎えに出た。帰ってきた後、妹の希望で夜遅くまでカラオケをしていた。僕の時間感覚はじわじわと狂いつつある。
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※石神さんに関する説明は下記のサイトを参考にしました。
http://www.toba.gr.jp/spot/5061/