ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2019年03月

 明日は彩ふ読書会@京都の日である。今回の課題本は『宝塚ファンの社会学』(以下、『ヅカ社』)。サポーター推薦枠を獲得したヅカ部長が、いっそひと思いにと課題本に推薦。内輪では発表と同時に一同騒然となったが、一方で、得体の知れない期待と興奮が全員の胸の内を駆け抜けたこともまた確かであろう。

 そんな読書会を目前に控えた本日、僕は朝8時に宝塚大劇場の前にいた。『ヅカ社』で説明されていたファンクラブの活動「入り待ちガード」を観に来たのだ。「宝塚の生徒[注:出演者のことをファンは生徒と呼ぶらしい]が公演や稽古で楽屋に入るときにファンが見送ることを『入り待ち』といい」、この時に一般のファンなどがスターに群がるなどの混乱が起きないよう、ファンクラブが組織的に作り出す「整然とした列」のことを「ガード」という(『ヅカ社』p.75-77)。もちろん、解説がなければ何もわからないが、幸いなことに、ヅカ部長が本日観劇予定で、入り待ちから行くという話だったので、ご一緒させていただいた。

 余談であるが、僕がこんな突拍子もない“観察”に出掛けたのは、読書会の中に先達がいたからである。「面白いことがあったらとにかくやる」が信条のこの方は、『ヅカ社』を読み終えたある日、面白いことを求めてファンクラブの活動の様子を観に行った。ヅカ部長によると、その時の先達氏の様子は、明らかに他の人とは異なっていたという。一般のファンが当然ながらトップスターに注目する中、先達氏はただ一人、トップスターに付添うファンクラブの代表を見て「ああ、代表だ!」と感激したそうだ。もっとも、先達氏も自分だけヅカへの興味があらぬ方向へ向かっていることは承知のようで、ある時飲み屋で、「僕は宝塚のファンじゃなくて、宝塚のファンのファンなんやと思う」と話していた。ともあれ、この方のお陰で、僕のファン観察の道は開けたのである。

 もちろん、『ヅカ社』を読めば、宝塚ファン——とりわけ、ファンクラブおよびその会員——がどのような活動をしているかはある程度わかる。が、百読は一見に如かず。そもそも僕は読書百遍などという柄でもない。とにかく、実際に現場を見にいくと、いろいろと発見があった。

 中でも面白かったのは、〈ファンクラブの方々は、ジェンヌさんが楽屋口に来ると座るが、誰も来ていないときは立っている〉ということであった。『ヅカ社』を見返すと、p.126-127にこの“屈伸運動”についての説明が載っていたが、僕はうっかり、ファンクラブの方々はガード中ずっと座っているのだとばかり思っていたから、新鮮な気付きであった。ちなみに、ファンクラブの方々は、ジェンヌさんが自分たちの前を通り過ぎる時だけではなく、後ろを通って楽屋入りする時でも座る。座るのはもともと、一般のファンがジェンヌさんを見るのを妨げないための行動のはずだから、ジェンヌさんが後ろを通る時まで座り込むのは何のためかよくわからないが、素人にはわからない深淵なる理由があるのだろう。

 しかし、この場面で僕が最も注目したのは、座るタイミングの不思議さではない。立ったり座ったりという行動が軍隊もかくやというほど統制の取れたものである一方、その中にいる一人一人は、意外と雑談に花を咲かせていたことだった。最前列の人でも、座っている最中にまあまあ喋っている。わざわざ座って見送っているのに、ジェンヌさんの目の前で喋ったら失礼じゃないかという気がするが、ヅカ部長曰く、おしゃべりは当たり前の光景だそうだ。

 後になって、僕はこの発見をもとに、『ヅカ社』の内容を踏まえつつ考察を加えた。が、その話はここでは控えておこう。課題本読書会を控えた前日に手の内を全て明かしてしまうのは、阿呆にも程がある。

◇     ◇     ◇

 ところで、僕は決してファンクラブの活動ばかりを観に行ったわけではない。今朝来られたジェンヌさんは、昨日から大劇場での公演が始まった月組の方々であるが、僕が最初にドハマりしたヅカのショー『BADDY』が月組公演だったこともあり、この方々はなんとなく名前がわかる。舞台メイク前なので、誰が誰だかサッパリだが、そこは部長の手ほどきを受ける。『BADDY』で羽根をつけて大階段を降りていた誰それが今来たなんてわかろうものなら、興奮は止められない。僕はずっと、明日の読書会に持っていこうと思って楽屋口前の出来事を資料映像に収めていたのだが、その方々が来たときは直接見たいので、ああもどかしいと思った。

 中でも、特に見たかったのは、今回の公演を最後に退団する二番手スター・美弥るりか様の見送りだった。僕をめくるめくヅカの世界に叩き入れたのは読書会ヅカ部であるが、そもそも僕がヅカを意識するようになったのは、数年前に妹がヅカに傾倒したからである。そして、妹をヅカ道に引き込んだのは、関東に住み、大劇場での公演を見るたびに実家に泊まりに来ていた親戚であった。最近分かったことなのだが、この親戚が美弥様のファンだったらしく、その影響を受けた妹も見事に美弥様ファンになった。要するに、美弥様がいなければ、僕はヅカに触れることがなかっただろうし、よしんば触れる機会があったとしても、一度きりで受け流していたに違いないのだ。

 退団が決まったスターの見送りは、人手も多く壮麗だった。美弥様は見送りに来たファン全員が体勢を整えるのを待ってから、通用口先と、楽屋の扉の前とで2回手を振っていかれた。

◇     ◇     ◇

 まったく、最近の僕は自分でもどうしたんだろうと思うくらいヅカヅカ言っている気がする。まだあれこれ語る域には達していないはずなのに、生来の言葉数の多さが祟って矢鱈と饒舌である。畏れ多いことこの上ない。が、正直言って、書いている時は楽しい。不思議なものである。

 何はともあれ、明日の『ヅカ社』読書会も、めいっぱい楽しむとしよう。

 朝目が覚めて暫く、ふくらはぎを覆うジーンという痛みに驚き、布団の中で悶えていた。

 原因ははっきりしている。昨日のジョギングだ。

 来週、会社の人たちと大阪城リレーマラソンに出ることになっている。わかっていながら、走るのをサボりにサボっていたが、流石に足を慣らしておかないとマズい。おまけに、直前になって「今回メンバーめっちゃ少ないから、ほんま頑張ってな」と、プレッシャーのかかることを言われてしまった。というわけで、ペースは気にせず、とにかく長く走っておくことにした。

 2週間半のブランクがあったが、いざ走ってみるといい感じで、思わず調子に乗ってしまった。

 終わってみれば、16キロも走っていたのだ。

 当然、終わってすぐに筋肉痛の覚悟はできた。だから、朝目が覚めたら足が痛いなんて、何も驚くことじゃないはずだった。けれど、実際に鈍痛がやって来ると、最近なかった感覚だけに、「うわっ、怖っ」となってしまった。

 起き上がってみると、筋肉痛は足の表裏の至る所で起きていた。それは、足を万遍なく使って走れたという証拠でもあり、ちょっぴり誇らしい気持ちにもなった。が、とにかく歩きにくいことこの上ない。足は上がらないし、着地は不安定。それでも、朝はまだ良かった。

 会社に着いて仕事を始め、1、2時間ほど経って、資料を出すべくコピー機に向かって歩き出した時だった。出来損ないのロボットにでもなったかというくらい、動きがぎこちなくなった。ああつらい。こればかりは油断があったと言わざるを得なかった。

 振り返ってみれば、足に限らず、全身よく疲れていたように思う。10時を少し回るまでは、「できるようにやろう」とフワフワ考えてばかりいた。そこから何とか立て直し、時間を意識して仕事を進められたので、今日は自分を褒めてやりたい。

 月末の出張の振替で1日休みをいただいた。昨日の日記で、今日のことはノープランだと書いたが、結果的に、とても濃密な1日になった。長い時間を読書に充てたり、2週間半ぶりにジョギングに出掛けたり。途中何度かドライブに出ることを画策しかけたが、時間と金の節約を優先し、独房とその周辺で休日を満喫した。

 もっとも、この記事の狙いは今日の行動をつぶさに振り返ることにあるわけではない。そんな濃密な1日の中、ほんの30分ほどの間に書き殴ったメモの内容を反芻することが、ここでの狙いである。

 このメモは、最近起きた印象深い出来事のうち、日記に書けないままになっている事柄を忘れないようにするために書いたものである。実を言うと、他の話題を優先したり、なんとなく表に出すのをためらったり、単純に書くのをメンドクサがったりした結果、記事になっていないことが幾つかある。

 例えば、今週末の読書会の課題本である『宝塚ファンの社会学』を読んでいた時の話。ファンクラブが制作・販売するグッズを紹介するくだりで「トートバッグ」という単語を目にした瞬間、「トート」の3字に意味なく反応してしまい、「エリザベートかい?」とツッコミを入れてしまった。宝塚歌劇でトートと言えば、定番演目の1つ『エリザベート~愛と死の輪舞~』で各組のトップスターが演じる黄泉の帝王「トート閣下」であろう。ということで、つい過剰反応してしまった。

 この話が今日までお蔵入りになっていたのは、僕が『エリザベート』を通しで観たことがないためである。本であれDVDであれ、ちゃんと通しで見ていない作品のことをとやかく言わないというのが僕のポリシーなのだ。にもかかわらず、今日ポリシーを崩してお披露目してしまったのは、やっぱり言ってみたかったからである。

 ちなみに、トートバッグ事件が起きたのは、読書会ヅカ部のラインにて「日常に潜むヅカ」なる言葉が誕生した日であった。部員の1人が、ベルばら風にラッピングされた阪急電車の写真を挙げたのをきっかけに、今まで何気なく見ていた風景の中にヅカが紛れ込んでいることに気付いた部員たちがやり取りを交わしていたのである。考えてみれば、トートバッグだって「日常に潜むヅカ」に違いないのだが、当日はまだポリシーに固執して出し損ねてしまった。時流に乗り遅れるのは、僕の悪い常である。

 それから、プロ野球のオープン戦を観た帰りに居酒屋で先輩と交わしたこんなやり取り。——僕はだいたいどんなコミュニティでもいつの間にかいじられキャラになってしまうのだが、最近一度だけ、「あっちでもこっちでもいじられてたら時々身が持たなくなりますよ」とグチったことがある。すると、話を聞いてくれた方から、「じゃあ耐えられなくなったら言ってくださいね。もし欲しいものとかあったら言ってください」と思わぬ言葉をかけられた。「いいんですか」と舞い上がった僕は、咄嗟に「じゃあアルフォートくださいって言いますね」と言ってしまい、「え、そんなんでいいんですか」と逆に相手の方を驚かせてしまったものだった。——僕の話を聞いていた先輩は笑いながら一言だけ感想を述べた。「ほんと、キャラがブレてないわ」

 この話がお蔵入りになっていたのは、単純にオープン戦の記録を優先したためである。結局その記録は薄っぺらいものになってしまったが、それでも人生初のオープン戦観戦だったので、居酒屋での会話劇よりはそちらを優先すべきかなと思ったのだ。あと、我が身を削ってでもウケを狙いたいと思うあまり、書き出しが決まらなかったというのもある。いつの間にか構成にこだわってしまい、結果自縄自縛に陥るのも、僕の悪い常である。

 他にも、書けないままになっている話が幾つかあるが、今日はそれらの話をする気分じゃないので、またの機会に譲るか、このまま流してしまうか、どちらかにしようと思う。まあ大方流れてしまうだろうけれど。

 といったところで、この記事はおしまい。

 月末に出張に行くことになり、その振替休日を明日いただくことになった。明日を希望したのは僕である。月間予定表を見ながら、まだ仕事量がそれほど多くない今週のうちに、休みを取っておくことにしたのだ。

 しかし、こういう時に限って、思いがけない仕事が幾つも降りかかってきて、今日の昼頃には僕はすっかりアップアップしていた。昨日終える予定だった仕事に、今日の午後になっても着手できない。机の上にはなお、横から滑り込んできた仕事が積まれている。目が回るという言葉があるが、本当に目の前がクルクル回ってしまうんじゃないかというくらいには焦った。今にもはあはあ言いそうな顔になっているのが自分でもわかったし、言葉は既にしどろもどろになっていた。恥ずかしくないと言えば嘘になるが、なりふり構っていられるほど結構な身分ではなかった。

 幸い、昨日から積み残していた仕事を先に片付けられる算段がついたところで、目が回るより先に手が回るようになった。ひとまず、明日は心を落ち着けて休めるだろうという状態に達したところで、会社をあとにした。

◇     ◇     ◇

 そんなわけで、明日は休みであるが、なにせ急に取った休みなので予定が全くない。どうしようと考えていると、急に「ノープランだ」という単語が頭に浮かんだ。おまけに、なぜかいい声で再生されるので思わず笑いそうになった。

 そのイケボ・ノープランにどうも聞き覚えがあり、暫く記憶を辿ってみたところで、ははーん、元ネタは『おそ松さん』だなということに気が付いた。1期第2話アバンタイトル。釣り堀に一緒に来た末弟・トド松に「仕事探せって言われたでしょ」と迫られた次男・カラ松が返したのが、「仕事のことは、ノープランだ」という台詞だった。そんな細かいことはともかく、久しぶりに『おそ松さん』を思い出したので、懐かしいなと思った。

 1期が放送されていたのは、大学院1年目の時だ。同期に勧められて見始め、結局誰よりもハマってしまい、事あるごとに話題にしたのは、イタくて苦くて良い思い出だ。考えてみれば、僕は今も一度何かにハマると抜け出せなくなる性分で、しかも、ハマる対象が妙にストンと細い。2月末のミーマイ事件は、まさにその典型であった、という話はともかく。

 この話をダラダラと書いたのは、思い出に浸りながら家に帰って、何の気なくニコ動にアクセスしたら、なんと上述の1期第2話のリンクがトップ画面に出ていたからだ。「なんたる偶然!」と心の中ではしゃぎながら、数年ぶりに観た。やっぱり面白かった。

 結局、明日のことはノープランである。

 つくづく、僕の一番悪い癖は、「やろうやろう」と思っていることを悉く後回しにしてしまうことだと思う。後に取っているのは、なにも楽しみばかりとは限らない。時にはやらなければならないことさえ、後で後でやろうとしてしまう。それが自分にとってどれだけ損な癖か分かっているにもかかわらず、である。それとも、この癖の本当の怖さを、僕はまだ知らないのだろうか。ともかく——

 問題は、なぜ「やろう」と思っていることを後回しにしてしまうのかである。単純に考えればメンドクサイからだが、ここはもう少し腰を据えて考えてみよう。

 あることをメンドクサイと思ってしまうのは、それが時間や手間のかかる大変なことに思えてしまうからである。では、その時間や手間とは、およそどれくらいのものなのか——思い返せば、僕はこの問いを毎度考えるという習慣がない。おそらく、問題の根っこはここにある。だから、ちゃんとやれば5分でできることであっても「なんか大変そうだし、後にしよ」となってしまうのではなかろうか。

 ——驚いた。自分でも思いがけず、現実的な思考に辿り着いた。

 最初の一文を書き出した時、僕は全然違うことを書く気でいた。〈あることをメンドクサイと思ってしまうのは、それが何かとても大切なことのように思えて身構えてしまうからだ。だから、ナンダこんなもんクダラネエと、あらゆるものを見下しながらやったらさっさとできる〉これが最初書こうとしていたことだ。書こうとしておいて言うのもなんだが、恐ろしく実現性に乏しい。そんな発想の転換が簡単にできるなら、今頃こんな記事を書いてなどいないはずではないか。

 さて、皆さんもうお気付きのことであろう。今日僕は、書こうとしていた記事をすっぽかし、溜まっているネタを整理することをすっぽかし、家計簿をつけることをすっぽかし、読書会のサークル活動への参加申し込み(10秒でできる)をすっぽかし、ひたすらGoogle Mapを見ていたのである。ここまで事細かく気付かれては困るが、要するに、いろいろすっぽかしてイタズラに時間を浪費したのである。いったい何をそんなに大儀がっているだろう。

 とりあえず、コスト計算という概念に辿り着いたので、今日は成果があったということにして、寝るとしよう。

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