ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

2018年12月

 少し日が経ってしまったが、今日は日曜日に行われた、彩ふ読書会・謎解き部の活動をレポートしようと思う。

 今から1ヶ月ほど前、参加者同士の交流の機会を増やすべく、読書会内で部活を立ち上げようという動きが出た。以来、参加者がそれぞれの趣味を生かした部活を作り、興味を持った人が入部している。これまでに誕生した部活には、神社仏閣部、ビジネス書・自己啓発書部、妄想部、写真部、ヅカ部、JOJO部などがあり、彩ふ読書会の名に違わず多彩である。そして、その中に、謎解き部もある。

 読書会謎解き部といっても、推理小説を携えてカフェに集まる安楽椅子探偵の密会ではない。あちこちで行われている謎解きゲームに参加して楽しもうという集まりである。そして、その第1回の部活が、去る3連休の日曜日に開かれた。人もすなる謎解きというものを、我もしてみんとてするなり、的な感覚で謎解き部に参加した僕にとっては、初めての謎解き挑戦でもあった。

 参加したのは、梅田・茶屋町で開催されていた「記憶を失くした雪だるま」というまち歩き型の謎解きゲームである。参加者は「謎解きキット」を購入し、様々なアイテムを駆使しながら、キット内の冊子のストーリーに沿って茶屋町界隈を歩き、謎を解いていく。家族で楽しめるのがウリのイベントだったが、我々は大人9名でこのイベントに乗り込んだ。

 さて、ここからは時系列叙述でお楽しみいただこう。なお、幸か不幸か、僕が年賀状作成に追われている間にイベント期間が終わったので、堂々とネタバレしながら書き進めることにしたい。

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 日曜日11時、僕らは阪急梅田駅の1階にある紀伊国屋書店の前で集合した。それからキットを購入すべくアズナスへ向かう。ここで、9人の大人たちは3人ずつ3つのグループに分かれることになった。謎解き経験者がそれぞれグループリーダーになり、あとのメンバーはグー・チョキ・パーで分かれる。なんだか懐かしい感じのする幕開けである。結果、僕は男性3人からなるパーチームの一員となった。

 「同じゲームをやってるんだし、そのうちどっかで会うでしょ。では、解散!」という謎解き部長の挨拶と共に、僕らは梅田駅をあとにした。

 キットはプラ製の手提げ袋に入っており、その中身は、3章からなる物語が書かれた冊子、地図、コースターのような丸い紙、そしてメモ用の鉛筆だった。僕らはまず、地図を頼りに、1章の物語に記された3つの場所へ向かう。それぞれの場所にある手がかりをもとに、僕らは謎を解いていく。

 例えば、下の写真に登場するホテル阪急インターナショナルには、北側エントランスのツリーの根元にメッセージボードが置かれていて、そこには「かたのちからをぬいて答えてね」と書かれている。そこで、冊子に記されたひらがなの文字列を「かたのちから」をぬいて読むと、「きやんでい」=「キャンディ」という言葉が浮かび上がる。こんな調子で、次の章につながるヒントを明かしていくのだ。

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 「よーし、一番に謎を解くぞ!」と、リーダーC氏が意気込む。「折角班分けしたんやし、優勝したらなんかもらえるといいですね」と言うのは、実は飛び入り参加だったMさんだ。「ランチのドリンクバーおごってもらうとかですかね」僕も負けじと続ける。「それええやん」とC氏が言った時だった。

 目の前に、見慣れた3人組の姿が見える。

 1章のヒントが隠された3地点は、茶屋町北側に集中している。歩き回っていれば、他のチームに遭遇することだって十分あるのだ。

 「いま幾つ目ですか?」と尋ねてみる。「2つ目」と答えが返ってくる。僕らはこれから2つ目へ向かおうというところだ。「ホテルのヒントむずいですよ。僕らそこで1時間考え込んでました」と、Mさんがとりあえず煽る。集合からまだ30分しか経っていないから、明らかに辻褄が合わない。ともあれ、3人の姿が見えなくなると、僕らは少し急ぎ足になった。

 こうして、1章に記された3つの地点を巡り、僕らは次の章へ進む手掛かりを得た。

 みどりのきゃんでぃを3つ同時につくったとき、紫が示す場所

 ここに、次の章へ進むためのヒントが隠されている。

 場所と言われて、地図を取り出す。すると、地図の右上に、緑色の矢印のようなものが3つあった。この矢印の交わる点がその場所ではないかと思い、線を引く。しかし、3本の線はニアミスしていて1点で交わることはなかった。それに、このやり方だと、謎が1つ残ってしまう。「紫が示す場所」紫とは、いったい何を意味しているのだろう。

 その時、僕はふと、キットの底に転がっているコースターのような丸い紙に目を留めた。その瞬間、謎が解けた。

 コースターの片面には、縁に向かって矢印がいっぱい打たれていた。その中に、緑の矢印が3本、そして、紫の矢印が1本ある——

「わかりましたよ!」

 興奮気味に声をあげ、僕は説明を始めた。地図の上に丸い紙を置き、それぞれの3つの緑矢印を向い合せる。その時、紫の矢印は、ある神社の名前を指し示していた。

「行きましょう!」

 Mさんが言い、僕らは神社へ向かって歩き始めた。

「いい感じですね。ほんと何気ないところにヒントが隠されてるんです。それで全部使うんで」

 経験者のC氏が話す。そして、「例えば、これとかめっちゃ怪しいでしょ」と言って、キットを入れた手提げ袋の模様を指差した。その瞬間、僕は解散前の輪の中で聞いた会話を思い出した。「この袋、クリアファイルになるみたい」確かに、袋には切り取り線のようなものがあった。

 これも切って使うに違いない!

 僕はだんだん楽しくなってきた。

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 もうちょっと書き進めたいところですが、時間が遅いので、この記事は連載ものにします。しかしこれ、2回は覚悟していたけど、3回以上コースやなあ……とりあえず、次回をお楽しみに。

 クリスマスの日も、僕は四苦八苦していた。

 仕事の進捗を思えば頭が痛くなる。年賀状のことを考えれば、裏面どころか頭の中まで真っ白になる。そして、年末の大掃除をいつやるか思案すれば、景色反転、お先真っ暗だ。こんな案配なので、今日も短い日記をやっとこさ書いて、自己満足に浸るので精一杯である。

 もっとも、日付が変わる頃になって、年賀状だけは何とか完成した。少し気分が晴れやかになった。

 明日は多少長いのを書きたい。そんなことを思いつつ寝ることにする。

 今夜はクリスマス・イヴである。特に何の予定もなかったし、食べたものもチキンではなく刺身の盛り合わせだったが、そうであるからこそ、景気づけにちょっと特別なものを書こうと思う。

 そう言って長い記事を書き始めてやろうなどと思っていた時が私にもあった……

 現実をお伝えしよう。私はいま、年賀状の作成に追われている。とても何かを書いている場合ではない。よしんば時間ができたとしても、今日は本が読みたい。最近読書がかなりいい加減なのである。平均して1日10ページ。決して難解な古典や哲学書の類に手を出しているわけではない。ただ本を手に取る時間が短いのである。これは看過できない。

 というわけで、本日はここまで。

 昨日の天気予報に、「明日は寒暖差に注意、5℃高い予報です」とあった。きっとそれは正しかったことだろう。ただ、僕は今日独房の中にいて、妙に肌寒いなと感じた。なんでだろうと思い、少し考えて気付く。僕の体感温度の基準が、暖房でぬくぬくの会社事務所だからだ。正確に何℃かはわからないが、20℃をゆうに超えていることは確かだろう。だから、暖房を切っていて19℃を示している部屋が、妙に寒いのだ。

 さて、そんな寒い思いをしていると、時々これを思い出す。
そすそすそす
 ご存知、こうの史代さんのまんが『この世界の片隅に』で、主人公すずさんが手に息を吐いて擦り合わせるシーンだ。実際、手を擦り合わせていると、「あ、すずさんみたいだな」と思う。余談ながら、このシーンの擬音、「さすさす」だと思っていたのだが、実際は「そすそすそす」だった。どうやったらそんな音が思い付くのだろう。それにしても、クセになる。そすそすそす……

 この話を書きたいがために、数か月ぶりに『この世界の片隅に』の上巻をパラパラめくった。写真のシーンは、「波のうさぎ」という、物語序盤のとても印象深い話に登場する。説明が難しいので、詳しくはまんがかアニメ映画を観てほしい(「波のうさぎ」は、映画版の描写もたいへん素敵である。僕はその描写で映画に、そしてこの作品にハマったように思う)。この時すずさんは小学校の6年生。季節は2月で、すずさんがそすそすしているのも、やはり寒いからである。

 折角なので言っておくと、そすそすの描写はもう一度、すずさんが18歳になった話で登場する。季節は12月で、そすそすしたすずさんは、その手で海苔を漉いている。繰り返されるそすそすの描写を見ていると、すずさんの人生がずっと続いているのが感じられて、僕はそれもなんだか好きだ。ちなみに、2回目のそすそす描写の直後、すずさんの家へ周作さんがやって来て、程なくしてすずさんは広島の江波から呉へ嫁ぎに行くことになる。

 『この世界の片隅に』は、一言で説明するのが難しい作品だし、じっくり味わって咀嚼したという自信もないけれど、敢えて一言だけ言うならば、これはすずさんという人の物語なのだと思う。つまり、戦争の時代を生きた人々の物語ではなく、一人の人生の中にある戦争という出来事の物語なのだと思うということだ。いま敢えて戦争のことに触れたけれど、実際の物語の中には、いわゆる戦争ものに括るには無理のあるエピソードが幾つもある。それらのごった煮こそが一人の人生であるということ、そして、それらは複雑でとっ散らかっているようで、でもどこかで結び合わさって一本の線になっているということを、この作品は教えてくれる気がする。

 思わず色々書いてしまった。キーボードに手をかけている限り、締めどころを求めて手が際限なく文章を打ってしまうらしい。そろそろ切り上げることにしよう。キーボードから手を放して、折角だからそのまま擦り合わせてみようか。そすそすそす……

 最近、「疲れた、寝る」で終わるような日記を書きたくないなという思いが強くなった。パッと見たネットニュースの話題を拾う、通勤路の軒先の吸い殻入れのことを書く、年賀状が書けないでいることの言い訳を綴る、そんな些細なことでいいから、何か書きたい、書かなきゃいけない、そんな気持ちになっている。初心に帰ると言っておきながら、気負わず書くという初心はどこかへ行ってしまったらしい。困ったものである。

 こんなことを書いているということは、今日は「疲れた、寝る」とだけ書いてとっとと切り上げたいということである。なにしろ僕は今疲れ切っている。昨日大阪で忘年会があり、その後二次会に行って終電まで飲んだ。そして駅に着いた途端、一緒にいた先輩が口元に手を押し当てたので、これはまずいと、もう一人別の先輩と共に駅前のトイレに駆け込んだ。そんなこんなで、昨日は26時帰り。そして、今朝は8時過ぎから仕事であった。流石に寝たい。昼間からずっと思い続けている。

 書きたいことがないわけじゃない。むしろ、書きたいことが溜まっていて、消化もできないうちから消し飛んでしまっているくらいだ。それで、時折、以前友だちがツイッターに書いていた言葉を思い出す。勝手に載せるが許してほしい。

「消えたアイディア達は私の頭のどこに眠ってるんだろうか。どうやったら叩き起こせるんだろう」

 疲れた、寝る。そして、誰も叩き起こすなかれ。

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