ひじきさんという人は本当に困った人ですね。疲れた身体の言いなりになって、私情の塊がごろんと転がり出たような読者の手に余る記事を何日も書いていたかと思えば、急に浮かれたようになって、森見登美彦先生のトークセッションに行った日のことを得意気に書き出したりするのですから。なんです、あの最後の「さらばだ、読者諸賢。次回、期待して待たれよ」って。無駄にハードル上げちゃって。続きを書く人の身にもなっていただきたいものです。いや、それはまだいいとしましょう。せめて初回でトークセッションの内容を多少なりともお書きになったらいかがかしら。

 え、そういうあなたは誰? まさか歯磨きお姉さん? 残念ながらそんな良いものじゃありません。私はただの、冷製になったひじきです……間違えました、冷静になったひじきです。ツッコミは御免こうむりますよ。

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 というわけで、落ち着きを取り戻しながら、1019日に聴きに行った森見登美彦先生のトークセッションのことを振り返っていこうと思います。いよいよこの記事ではトークの中身に触れていくことにしましょう。ちなみに、突然文体を改めたのは、話の内容をちゃんと振り返るには、前回の文体はあまりにアクが強いと思ったからです。

 前回のおさらいになりますが、参加したトークセッションの概要をみておきましょう。このトークセッションは、西宮の鳴尾にある武庫川女子大学で数年前から行われている「作家と語る」というイベントの第6回として開かれたものでした。会場は同大学の公江記念講堂。13時開場、14時半開会で、予め申し上げておくと、終了は16時半過ぎでした。トークセッションは、在学生4名、大学OG4名が、それぞれ森見さんに質問をし、森見さんがそれに答えるという形式で進み、最後にサイン本の抽選会と記念撮影が行われるというものでした。来場者は全部で1,800人で、講堂の1階部分を埋め尽くすほど人が詰めかける中で、会は進行しておりました。——ああ、なんてキレイなまとめ。皆さんもう前回の記事読まなくていいですよ、はい。

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 トークセッション全体をざっくり振り返ると、終始和やかだったなあという気がします。会場全体を包むような大きな笑いが起きることもしばしばでした。

「家族でファンですって言われるのは嬉しいですね。世代を超えて愛されているっていうことですから」

「『夜は短し』の乙女を書いた時は気持ちよかったんですよ。それまで男ばかり書いててしんどかったんで、妄想の女の子を書いてみたいと思って。灰色だった小説の世界が虹色に見えました」

(『恋文の技術』に「おっぱい」という単語がやたらと出てくることについて)「あの時は、そういう時期だったんですよね」「よくあるじゃないですか、ピカソの〈青の時代〉とかって。それで言うと、あの頃は“おっぱいの時代”だったんですよ」

「クリスマスは好きですね。家族でごちそうを食べていたので。家族のクリスマスは好きです。彼女はって言うのは、うーん……家族でいいじゃんって思いますけどね」

(「女子大」と聞いて思い出すことを質問されて)「お寿司、を、配達したことがあります」「すごくドギマギしました。変な法被を着た怪しいヤツがいるとか言われないかと思って」「ノートルダムって言われたらビビりますよね」

(どんな編集者が良いかと質問されて)「次の原稿を楽しみにしてくれて、渡すと嬉しそうにしてくれる人だと、いいですね。作家によって違うんですけど、僕の場合は……ただ、小説家は都合がいいと甘えだしますから」

「腐れ大学生を書いていて、自分でもこいつウザいなと感じる時はあります」

(サイン本を当てた人が「作品を読むのは初めてなんです」と言ったのを受けて)「……最初に読むのが『熱帯』かー……!

 ここに挙げたのはあくまでほんの一部ですが、とにかくこんな話が合間合間に挟まりながら会が進んでいったと言えば、雰囲気はおわかりいただけることでしょう。ここからは僕の想像ですが、森見先生はとにかくエンターテイナーであろうとしている方、読み手や聞き手を楽しませようとしている方なのだと思います。その温かさや優しさがあってこそあの会場の雰囲気があったのだと思いますし、女子大で「おっぱい」を連呼したにも関わらず笑いが起きたのだと思います。

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 さて、全体の雰囲気をふわっと振り返ったところで、ここからはさらに本筋に踏み入って、印象に残った話を書き留めていきたいと思います。

◆小説は語り手/語り口から生まれる

 ある登壇者からこんな質問がありました。「森見さんは京都を舞台にした作品をたくさん書かれてると思うんですけど、私たちが普通に京都に行っても、あんな風に見えることはないんですよ。それで質問なんですけど、森見さんは京都を舞台にするに当たって、どんな風に街を見てるんですか?

 この質問に対する森見さんの回答は次のようなものでした。「どんな風にというか……主人公が誰か、身の回りの街を見る人が誰かによって、街は変わるんですよ。だから、語り手の語り口というか、主人公の性格が決まらないと、街は書けない。だから、この人に語らせたら面白い、こういう語り手だと京都は面白く書けるっていうので、文章が決まっていくんですね。語り口によって、どういう文章を書くかが決まる。ただ、結局身の回りの好きなものを集めているうちに、京都に落ち着くんですけど」

 この一連のやり取りから、森見さんが語り口、あるいは主人公を決めるところから文章を起こしていることがわかります。それ自体「そうなんだ」という驚きを伴う話ではありますが、ここではさらに次の点について考えを深めてみたいと思います。すなわち、〈小説家は言葉から世界を創り出す〉ということについてです。

 語り口が決まって初めて街が書けるというのは、言い換えれば、語り手の言葉によって一つの街が、さらには世界が生まれてくるということです。この時、言葉は現実を写し取るためのものではなく、現実を創造するためのものになる。

 トークセッションの半月前、坂口安吾の評論「FARCEについて」というのを読んだのですが、そこに次のような一節がありました。「代用の具としての言葉、すなわち、単なる写実、説明としての言葉は、文学とは称し難い。なぜなら、写実よりは実物の方が本物だからである」(※1)。そしてまた、次のような一節がありました。「とにかく芸術というものは、作品に表現された世界の中に真実の世界があるのであって、これを他にして模写せられた実物があるわけではない。その意味においては、芸術はたしかに創造であって、この創造ということは、芸術のスペシアリテとして捨て放すわけにはいかないものだ」(※2)

 僕はこれらの文言を熟読したわけではありませんから、ここで言われていることの妙味を深く理解したなどというつもりはありません。とりあえず僕にわかったのは、坂口安吾に言わせれば、現実を描写するのは文学や芸術ではありえず、表現によって一つの世界を創り出すのが文学や芸術のそれらたる所以なのだということでした。もっとも、僕はこれをただ一個人の思想として突き放してみることはできませんでした。つまり、文学・芸術とはそういうものだという感覚が僕の中にすっかり入ってきたのです。それくらい、安吾の文章というのは強い。

 そして、この一節に触れて「ううん」と唸りながら、僕は同時に「あっ!」と思ったことがありました。森見さんのエッセイ集『太陽と乙女』の中に、これと同じような話があったのを思い出したのです。それは、森見さんが学生時代に愛読したという内田百閒の作品について書かれた文章でした。いま、改めて読み返したので、引用したいと思います。

 当時の私がひしひしと感じたのは、百閒が文章だけで世界を作っているということである。書きたくないものは何一つ書かないという、純粋で異様な世界であるように感じられた。それは描くべき対象と描く道具がぴったり一致した世界と言ってもいいし、文章が消えれば何も残らない世界と言ってもいい。こんなにワガママな文章は読んだことがないと思ったし、こんなふうに書きたいと思った。百閒のように書けるかどうかはともかくとして、とにかく目指すべき方角はハッキリしたのだ。その頃から、自分の書くものが少しずつ変わっていき、初めて自分で満足のいく小説が書けた。(※3)

 これを読んでいると、森見さんもまた、文章だけから生まれてくる世界というものを目指して書いているのだという気がしてきます。きっとそうなのでしょう。それが、語り口から小説が生まれてくるということの意味なのだと僕は思います。

 だから、森見さんは京都を書いているわけではないのでしょう。そうではなく、言葉の力を借りて、京都を創っている。ただ、そう言うと強すぎるから、「妄想の京都」という言葉が出てくる。そんなことを僕は考えていました。

◆小説の中の言葉は、“僕の言葉ではない”

 トークセッションの後半で『有頂天家族』が話題になった時、こんな話がありました。「『面白きことは良きことなり』って、普段日常では言えない言葉じゃないですか。だからその言葉が言える世界を書きたかったんですよね」「あの、僕の作品に出てくる、いわゆる“名言風”の言葉ってあると思うんですけど、あれは僕の言葉じゃないんですよね。その世界の中で、その世界のキャラクターたちが言うための言葉なんです」

 この後半の言葉を聞いた時に、僕は「ほおォ……!」と思いました。確かに以前から、森見さんの文章は対象から距離を取っているそれだなあと思ってはいました。しかし、小説に出てくる語り手の言葉は僕の言葉じゃないという言葉には、そこまで言ってしまうのかという凄味がありました。

 本を読む上で、キャラクターと作者を切り離して考えるというのは、そんなに珍しいことではないかもしれません。ただ、僕はかつて大学院で受けた指導の影響もあって、自分がブログや何かの文章を書くとき、特にちゃんとしたものを書くときには、自分の思考や感情をじっと見つめ、それをなるべく的確に表現しようと努めるようにしています(それが誠実ということの意味だと思っているのです)。ですから、書き手が自分から一旦距離を取ってキャラクターを創造するのは、やはりすごいことだなあと思うのでした。

 ところで、ここで考えてみたいのは、この書き手とキャラクターの切り離しということが、森見さんのエンターテイナー性によく関係しているのではないかということです。今回の記事の前半でも書きましたが、トークセッションを通じて、森見さんという方は(少なくとも、小説家としての森見さんは)とにかくエンターテイナーなのだということを強く感じました。つまり、読み手や聞き手を楽しませることをとにかく考えておられるということです。その時、表現の目的としてまず浮かぶ人は受け手であり、自分自身の内にあるもごもごしたものは脇に退くことになる。上で見てきた書き手とキャラクターの切り離しは、この点に深く関わるように思われるのです。

 このようなことを考えていると、ふと、だいぶ前に読んだ、遠藤周作の手紙の書き方に関するエッセイを思い出します。遠藤周作が手紙の書き方の基本中の基本として挙げている考え方は「読む人の身になって」というものなのですが、この点に関連して、同書の解説で次のようなことが書かれています。「遠藤氏は『純文学は誰のためでもない、自分自身のために書いているんだ』とよく言っていたといわれるが、逆にいえば、純文学以外の文章、ユーモア小説や狐狸庵エッセイなどは、読む人を思いうかべ、その人の身になってその読者のために書いたといえるのではなかろうか」(※4)。そういえば、このエッセイを初めて読んだ時、『沈黙』や『深い河』から受ける印象とは対照的に、遠藤周作の言葉遣いが軽妙で、まるで森見さんの作品を読んでいる時のような気分だなあと感じたものでした。そのようなことを併せて考えてみても、自分自身のためという目的を脇にやり、読む人の身になるという立場を貫くことと、エンターテイナーになることの間には、何かしら関わりがあるように思えます。

 トークセッションの中では、他にも、森見さんのエンターテイナーぶりを伺える話というのが幾つかありました。前節で引用した「この人に語らせたら面白い」という言葉もそうですし、学生時代に明石さんという方(男性)と大親友になり、その方の言動からどういう風にすれば話が面白くなるのかを学んだというエピソードにしてもそうです。とにかく森見さんは、誰かを面白がらせたい、楽しませたいということを考えている。それが表現の出発点にある。そしてそこには、ご自身のうちにあるもごもごとしたものが、少なくとも直接的な形で反映されることはない。そんなことを考えていると、改めて、凄い話を聴いたものだという気がしてくるのです。

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 トークセッション本編の振り返りはまだまだ続きますが、一旦区切りにしたいと思います。とりあえず、僕が一番振り返りたかった部分の話は書き切ったので、ここから先は肩の力を抜いて書いていきたいと思います。読者の皆さま、引き続き、トークセッション振り返りをお楽しみください。

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 今回はイイカッコがしたかったのか、柄にもなく色んな本の文章を引用してしまいました。文中に(※)を付けた箇所について、出典を明記します。(※4)については、解説からの引用ですので、解説者の作品と判断しタイトル情報などを載せています。

(※1)坂口安吾、「FARCEについて」坂口安吾『堕落論』集英社文庫、1990年、134.

(※2)坂口安吾、同上、137-8.

(※3)森見登美彦、「四畳半の内田百閒」森見登美彦『太陽と乙女』新潮社、28.

(※4)山根道広、「天国からの贈りもの」遠藤周作『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。』新潮文庫、2009年、182.