三連休であった。自由な時間が長く取れるこんな日は、いつか書こうと思いながら、時間がないと言って取り置いていたネタを放出する、絶好の機会である。というわけで、この連休のうちに、半月前に聴きに行った、森見登美彦さんのトークセッションのことを漸くにして書き出した。これよりその記録をご覧に入れよう。
兵庫県西宮市、阪神甲子園球場から1駅離れた鳴尾というところに、武庫川女子大学という大学がある。森見さんのトークセッションは、10月19日、この大学の公江記念講堂というところで行われた。武庫川女子大学では、教育の一環として本を読むことを大事にしているらしく、かねてより、大学図書館の主催により、在学生と大学OGが現役作家と語り合うイベント「作家と語る」を開いていたようだ。件のトークセッションは、この「作家と語る」の第6回として開かれたもので、在学生アンケートにより森見さんを呼ぶことになったのだという。
このイベントのことを僕に教えてくれたのは父だった。さすがは父である。学生生活を京都で送った人間であり、『四畳半神話大系』のファンであり、明石さんの大ファンであるだけのことはある。と、僕はいたく感激していたのだが、最近知ったところによると、ひじき家で最初にトークセッションの情報を掴んだのは母であり、父はその情報を僕へ中継したに過ぎなかったらしい。しかしいずれにせよ、息子の好みを知ったうえで情報を回してくれるのはありがたいことである。
僕が森見登美彦作品のファンであることは、このブログを以前から読まれている方は先刻御承知であるにちがいない。とりわけ、僕の推薦により『有頂天家族』を課題本にした読書会が開かれた前後の記事には、その熱狂ぶりがよく表れているように思う。もっとも、僕は劇場版『夜は短し歩けよ乙女』から森見作品に触れるようになった人間で、愛読歴10年を超える古参ファンに比べると歴が浅い。書籍化されたものを全作読破したというわけでもなく、一部の作品にのめり込みキャッキャとはしゃいでいるだけである。早い話、純正にわかファンである。
にもかかわらず、いや、むしろそれゆえにというべきか、自分の見知った森見作品への愛をこねくり回し、しばしば妙ちくりんなことを仕出かしてきていることも、このブログを以前から読まれている方は先刻御承知に相違ない。森見先生の文章を猿真似する、猿真似に飽き足らずそっくりパクる、突然「森みが深い」という造語を作り天狗の如く鼻を伸ばして得意がる……実に手の施しようがない。手の施しようがないから、放っておいて話を先に進めることにする。
ここで歯磨きお姉さんの登場となる。
こんな名前であるが、彼女は別に歯科医院に勤めているわけでもなければ、本名が「羽貫」であるというわけでもない。取り急ぎ紹介するなら、かねてよりの友人であり、ただ一介の森見ファンである。ファン歴は僕のそれを遥かに凌ぐ。
今から1年ほど前、彼女は『ペンギン・ハイウェイ』を読み、いたく感銘を受けたらしかった。僕はその時点で『ペンギン・ハイウェイ』を2回読んでおり、読書生活の中で1、2を争う名作であると愛で回していた。その結果、1年前の一時期、我々のラインのやり取りはしばしばペンギン調になった。やがて、会話が夜更けに及ぶにつけ、彼女から、『ペンギン・ハイウェイ』に出てくる歯科医院のお姉さんよろしく「ちゃんと歯は磨いたか、少年」というメッセージが届くようになった。こうして彼女は歯磨きお姉さんになった。だから、歯磨きお姉さんを生み出した責任の一端は僕にある。なんだったら、「お姉さん、ぼくは眠い」などとアオヤマ君じみたことを言ってお姉さんをけしかけたのは僕である。まあしかし、こんなオフザケが通じる相手でもなければ、僕もトークセッションへ行くにあたり、お姉さんに声を掛けなかったに相違ない。
10月19日、12時40分、阪神本線鳴尾駅。ホームからエスカレーターを降りながら、自動改札の向こうに歯磨きお姉さんの姿を探したが、どうにも見つからない。どうしたものかと思っていると、お姉さんは改札の手前で横からひょいと現れた。気付かずに行こうとした僕は当然の如く「この腐れ阿呆が」と罵声を浴びた……というのはもちろん嘘で、お姉さんは「全然気づかないんだもの」と苦笑した程度だった。
鳴尾駅から武庫川女子大学へは、国道43号線を歩道橋で跨ぎ越して行くことになる。その歩道橋には、土曜日に似つかわしくないほど大勢の人がいた。女性が多かったが、男性も少しばかり混ざっていた。女子大に忍び込もうとする破廉恥な男性諸氏は、大方我々と目的を同じくするのであろうと僕は思った。
もっとも、僕だって人のことは言えないわけである。果たして、正門で守衛氏に「イベントでお越しですか」と確認された。あんたは不問、それでいいのかと紳士的老爺に尋ねたいのをぐっと堪え、僕は「はい」と答え、ついでに講堂までの道を尋ねた。
トークセッションは13時開場となっていた。5分前の時点で、公江記念講堂の前には50人ほどの行列ができていた。なんだか少ないなあと思ったが、それもそのはず、トークセッションの開会は14時半であり、まだ1時間半も余裕があるのだ。席にこだわる人でもなければこの時間には並ばない。ニワカの僕が席にこだわったのは、ひとえに気まぐれである。なお、トークセッションに来た人は、全部でおよそ1,800人いたという。これは「作家と語る」史上最多だったそうだ。
さて、13時に会場入りを果たした僕と歯磨きお姉さんは、前方通路脇の席に荷物を起き、昼食を摂りに行くことにした。表へ出て学食を探そうとした時だった。図書館前のスロープで、何やら見覚えのある人が写真を撮られている。
「姉さん、あれ」
僕が言うと、お姉さんも「ふん?」と言って同じ方を見た。
間違いなく、森見登美彦氏その人であった。
「ここで会ってしまった~!!」と僕は思った。むろん、興奮したのである。お姉さんも同じような気持ちらしく、「はあぁ……」と言葉にならない何かを漏らしながらそちらに釘付けになっている。
「いや、でも、肖像権とか色んな問題があるから、ここは、ね」
歯磨きお姉さんがスマホをぐっと握りしめたままそういうので、僕は胸元まで上げていたスマホをズボンのポケットにしまった。お姉さんの冷静さに、僕はいたく感服した。しかし次の瞬間、図書館の中へ入っていった森見さんを追うように、お姉さんはふらふらと図書館の入口へ向かって歩き出した。
「写真は撮らないけど追っかけはやるのか」僕は言った。
「うん、ミーハーなので」お姉さんが答える。
「前からミーハーやったっけ?」
「いまミーハーになった」
お姉さんは困った人である。
図書館に入ると、森見さんはスタッフに案内されて館内をぐるぐる回っているところだった。その手前に、特設展示スペースみたいなものがあって、森見さんの関連書籍が並べられていた。「見てみたい」とお姉さんが言う。目的がひょいひょい変わるから困ってしまう。ともあれ、僕らは入館の手続きを取ることにした。その時である。
「ああー、やっぱり居ましたねー」
何やら聞き覚えのある声がしたので振り返った。果たして、森見登美彦ファンの筆頭格ともいうべき人物、このブログではすっかりお馴染みの人、生き字引氏がいた。普通に挨拶できないのかこの人はと思いつつ、「これはこれは、やはりおいででしたか」と、こちらも普通でない受け答えをしてしまった。
それから生き字引氏は歯磨きお姉さんの方を向いて、
「あれ、初めましてですよね」
と何やら優しげな声音で尋ねた。
「初めまして、です」
お姉さんの方に疑う余地はないはずなのだが、なぜか彼女は片言だった。
「あの、えっと……」
つられてどぎまぎする僕は何なのだろう。挙句の果てに、僕はそれぞれのことを「生き字引氏です!」「羽貫さんです!」とブツ切りの単語で紹介してしまった。歯磨きお姉さんの紹介に至ってはもう色々間違っている気がする。が、お互いなぜかそれでわかったらしく、「あ、これはどうも」と言って頭を下げあっていた。
僕らは3人揃って、図書館のゲートをくぐった。展示スペースには、森見さんの作品や雑誌特集だけでなく、森見さんの愛読書も並べられていた。お姉さんはむしろ愛読書の方を見ていた。「どんなものを読んできたのか見るの面白い」とお姉さんは言った。そして、宗教学の研究書が並んでいるのを見て、「こんなのもあるんだ」と感心しているようだった。僕もどちらかと言えば愛読書の方を見ていて、エッセイ本を見つけてはフムフムとチェックしていた。
その間、生き字引氏は展示スペースの写真を撮るべく、構図を考え、ポーズをキメてカメラを構えていた。もっとも、写真を撮るのにポーズをキメる必要はないから、あれは素だったのかもしれない。暫くしてふと顔を上げた時、生き字引氏は既にいなかった。森見さんを追いかけたのか、何か別の理由があるのか、それは僕らにはわからなかった。
ほどほどに満足したところで、昼食のことを思い出した。図書館のカウンターにいた方に学食の場所を訊き、僕らは図書館を後にした。
学食は講堂の地下にあった。14時には閉まるようだったので、急いで注文して食べた。考えてみれば、学食という場所に入ったのは随分と久しぶりのことだった。注文した定食を口に運びながら、「ご飯普通でこれ?」とお姉さんは量を持て余し気味であった。僕は大盛りを平らげたものの、確かに並でも良かったかもしれないと思った。かつて古臭い価値観のはびこる大学にいた間に〈淑女たるもの小食であるべし〉という観念を植え付けられていたことに、僕らははたと気付き、「そんなのバカみたい」と言い合った。
そうこうするうち、14時半が近付いてきた。講堂へ戻ると、流石に人が増えていた。13時の段階では前数列にぽつりぽつりと人がいる程度だったのだが、今や観客の波は通用路のずっと後ろまで埋め尽くさんという勢いであった。
生き字引氏がどこにいるのかはさっぱりわからなかった。ちなみに、この会場には生き字引氏以外にも、読書会メンバーが複数いたと、後になって知ったが、当日会った人は誰もいなかった。
14時30分。開会のアナウンスが流れる。壇上にはトークセッションに参加する在学生・大学OG各4名が現れ、着席した。コーディネーターを務めるフリーアナウンサーの方が現れ、森見登美彦先生が拍手で迎えられる。長い長い前座が終わり、いよいよ、トークセッションの振り返りが本編に入る時が来た。だが待て、しかし——
既に文章量が4,000字を超えているので、一度記事を区切ろうと思う。僕と歯磨きお姉さん、それに時々生き字引氏の何がなんだかわからぬ珍道中を書くだけで振り返り第1回を終えてしまうのは、些か心苦しい気もする。しかし、既にだいぶこってりとしたものをお見せしてしまっている。ここへ本編を詰め込むのは拷問に等しい所業と判断した。
なに、『I Love Youの訳し方』課題本読書会レポートの後編は、もっとこってりしていたのに9,000字を超えていたじゃないかだと。うるさい、そんなこと今は知らぬ。今回のひじき氏は心優しいのだ。
さらばだ、読者諸賢。次回、期待して待たれよ。
◇ ◇ ◇
兵庫県西宮市、阪神甲子園球場から1駅離れた鳴尾というところに、武庫川女子大学という大学がある。森見さんのトークセッションは、10月19日、この大学の公江記念講堂というところで行われた。武庫川女子大学では、教育の一環として本を読むことを大事にしているらしく、かねてより、大学図書館の主催により、在学生と大学OGが現役作家と語り合うイベント「作家と語る」を開いていたようだ。件のトークセッションは、この「作家と語る」の第6回として開かれたもので、在学生アンケートにより森見さんを呼ぶことになったのだという。
このイベントのことを僕に教えてくれたのは父だった。さすがは父である。学生生活を京都で送った人間であり、『四畳半神話大系』のファンであり、明石さんの大ファンであるだけのことはある。と、僕はいたく感激していたのだが、最近知ったところによると、ひじき家で最初にトークセッションの情報を掴んだのは母であり、父はその情報を僕へ中継したに過ぎなかったらしい。しかしいずれにせよ、息子の好みを知ったうえで情報を回してくれるのはありがたいことである。
僕が森見登美彦作品のファンであることは、このブログを以前から読まれている方は先刻御承知であるにちがいない。とりわけ、僕の推薦により『有頂天家族』を課題本にした読書会が開かれた前後の記事には、その熱狂ぶりがよく表れているように思う。もっとも、僕は劇場版『夜は短し歩けよ乙女』から森見作品に触れるようになった人間で、愛読歴10年を超える古参ファンに比べると歴が浅い。書籍化されたものを全作読破したというわけでもなく、一部の作品にのめり込みキャッキャとはしゃいでいるだけである。早い話、純正にわかファンである。
にもかかわらず、いや、むしろそれゆえにというべきか、自分の見知った森見作品への愛をこねくり回し、しばしば妙ちくりんなことを仕出かしてきていることも、このブログを以前から読まれている方は先刻御承知に相違ない。森見先生の文章を猿真似する、猿真似に飽き足らずそっくりパクる、突然「森みが深い」という造語を作り天狗の如く鼻を伸ばして得意がる……実に手の施しようがない。手の施しようがないから、放っておいて話を先に進めることにする。
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ここで歯磨きお姉さんの登場となる。
こんな名前であるが、彼女は別に歯科医院に勤めているわけでもなければ、本名が「羽貫」であるというわけでもない。取り急ぎ紹介するなら、かねてよりの友人であり、ただ一介の森見ファンである。ファン歴は僕のそれを遥かに凌ぐ。
今から1年ほど前、彼女は『ペンギン・ハイウェイ』を読み、いたく感銘を受けたらしかった。僕はその時点で『ペンギン・ハイウェイ』を2回読んでおり、読書生活の中で1、2を争う名作であると愛で回していた。その結果、1年前の一時期、我々のラインのやり取りはしばしばペンギン調になった。やがて、会話が夜更けに及ぶにつけ、彼女から、『ペンギン・ハイウェイ』に出てくる歯科医院のお姉さんよろしく「ちゃんと歯は磨いたか、少年」というメッセージが届くようになった。こうして彼女は歯磨きお姉さんになった。だから、歯磨きお姉さんを生み出した責任の一端は僕にある。なんだったら、「お姉さん、ぼくは眠い」などとアオヤマ君じみたことを言ってお姉さんをけしかけたのは僕である。まあしかし、こんなオフザケが通じる相手でもなければ、僕もトークセッションへ行くにあたり、お姉さんに声を掛けなかったに相違ない。
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10月19日、12時40分、阪神本線鳴尾駅。ホームからエスカレーターを降りながら、自動改札の向こうに歯磨きお姉さんの姿を探したが、どうにも見つからない。どうしたものかと思っていると、お姉さんは改札の手前で横からひょいと現れた。気付かずに行こうとした僕は当然の如く「この腐れ阿呆が」と罵声を浴びた……というのはもちろん嘘で、お姉さんは「全然気づかないんだもの」と苦笑した程度だった。
鳴尾駅から武庫川女子大学へは、国道43号線を歩道橋で跨ぎ越して行くことになる。その歩道橋には、土曜日に似つかわしくないほど大勢の人がいた。女性が多かったが、男性も少しばかり混ざっていた。女子大に忍び込もうとする破廉恥な男性諸氏は、大方我々と目的を同じくするのであろうと僕は思った。
もっとも、僕だって人のことは言えないわけである。果たして、正門で守衛氏に「イベントでお越しですか」と確認された。あんたは不問、それでいいのかと紳士的老爺に尋ねたいのをぐっと堪え、僕は「はい」と答え、ついでに講堂までの道を尋ねた。
トークセッションは13時開場となっていた。5分前の時点で、公江記念講堂の前には50人ほどの行列ができていた。なんだか少ないなあと思ったが、それもそのはず、トークセッションの開会は14時半であり、まだ1時間半も余裕があるのだ。席にこだわる人でもなければこの時間には並ばない。ニワカの僕が席にこだわったのは、ひとえに気まぐれである。なお、トークセッションに来た人は、全部でおよそ1,800人いたという。これは「作家と語る」史上最多だったそうだ。
さて、13時に会場入りを果たした僕と歯磨きお姉さんは、前方通路脇の席に荷物を起き、昼食を摂りに行くことにした。表へ出て学食を探そうとした時だった。図書館前のスロープで、何やら見覚えのある人が写真を撮られている。
「姉さん、あれ」
僕が言うと、お姉さんも「ふん?」と言って同じ方を見た。
間違いなく、森見登美彦氏その人であった。
「ここで会ってしまった~!!」と僕は思った。むろん、興奮したのである。お姉さんも同じような気持ちらしく、「はあぁ……」と言葉にならない何かを漏らしながらそちらに釘付けになっている。
「いや、でも、肖像権とか色んな問題があるから、ここは、ね」
歯磨きお姉さんがスマホをぐっと握りしめたままそういうので、僕は胸元まで上げていたスマホをズボンのポケットにしまった。お姉さんの冷静さに、僕はいたく感服した。しかし次の瞬間、図書館の中へ入っていった森見さんを追うように、お姉さんはふらふらと図書館の入口へ向かって歩き出した。
「写真は撮らないけど追っかけはやるのか」僕は言った。
「うん、ミーハーなので」お姉さんが答える。
「前からミーハーやったっけ?」
「いまミーハーになった」
お姉さんは困った人である。
図書館に入ると、森見さんはスタッフに案内されて館内をぐるぐる回っているところだった。その手前に、特設展示スペースみたいなものがあって、森見さんの関連書籍が並べられていた。「見てみたい」とお姉さんが言う。目的がひょいひょい変わるから困ってしまう。ともあれ、僕らは入館の手続きを取ることにした。その時である。
「ああー、やっぱり居ましたねー」
何やら聞き覚えのある声がしたので振り返った。果たして、森見登美彦ファンの筆頭格ともいうべき人物、このブログではすっかりお馴染みの人、生き字引氏がいた。普通に挨拶できないのかこの人はと思いつつ、「これはこれは、やはりおいででしたか」と、こちらも普通でない受け答えをしてしまった。
それから生き字引氏は歯磨きお姉さんの方を向いて、
「あれ、初めましてですよね」
と何やら優しげな声音で尋ねた。
「初めまして、です」
お姉さんの方に疑う余地はないはずなのだが、なぜか彼女は片言だった。
「あの、えっと……」
つられてどぎまぎする僕は何なのだろう。挙句の果てに、僕はそれぞれのことを「生き字引氏です!」「羽貫さんです!」とブツ切りの単語で紹介してしまった。歯磨きお姉さんの紹介に至ってはもう色々間違っている気がする。が、お互いなぜかそれでわかったらしく、「あ、これはどうも」と言って頭を下げあっていた。
僕らは3人揃って、図書館のゲートをくぐった。展示スペースには、森見さんの作品や雑誌特集だけでなく、森見さんの愛読書も並べられていた。お姉さんはむしろ愛読書の方を見ていた。「どんなものを読んできたのか見るの面白い」とお姉さんは言った。そして、宗教学の研究書が並んでいるのを見て、「こんなのもあるんだ」と感心しているようだった。僕もどちらかと言えば愛読書の方を見ていて、エッセイ本を見つけてはフムフムとチェックしていた。
その間、生き字引氏は展示スペースの写真を撮るべく、構図を考え、ポーズをキメてカメラを構えていた。もっとも、写真を撮るのにポーズをキメる必要はないから、あれは素だったのかもしれない。暫くしてふと顔を上げた時、生き字引氏は既にいなかった。森見さんを追いかけたのか、何か別の理由があるのか、それは僕らにはわからなかった。
ほどほどに満足したところで、昼食のことを思い出した。図書館のカウンターにいた方に学食の場所を訊き、僕らは図書館を後にした。
学食は講堂の地下にあった。14時には閉まるようだったので、急いで注文して食べた。考えてみれば、学食という場所に入ったのは随分と久しぶりのことだった。注文した定食を口に運びながら、「ご飯普通でこれ?」とお姉さんは量を持て余し気味であった。僕は大盛りを平らげたものの、確かに並でも良かったかもしれないと思った。かつて古臭い価値観のはびこる大学にいた間に〈淑女たるもの小食であるべし〉という観念を植え付けられていたことに、僕らははたと気付き、「そんなのバカみたい」と言い合った。
そうこうするうち、14時半が近付いてきた。講堂へ戻ると、流石に人が増えていた。13時の段階では前数列にぽつりぽつりと人がいる程度だったのだが、今や観客の波は通用路のずっと後ろまで埋め尽くさんという勢いであった。
生き字引氏がどこにいるのかはさっぱりわからなかった。ちなみに、この会場には生き字引氏以外にも、読書会メンバーが複数いたと、後になって知ったが、当日会った人は誰もいなかった。
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14時30分。開会のアナウンスが流れる。壇上にはトークセッションに参加する在学生・大学OG各4名が現れ、着席した。コーディネーターを務めるフリーアナウンサーの方が現れ、森見登美彦先生が拍手で迎えられる。長い長い前座が終わり、いよいよ、トークセッションの振り返りが本編に入る時が来た。だが待て、しかし——
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既に文章量が4,000字を超えているので、一度記事を区切ろうと思う。僕と歯磨きお姉さん、それに時々生き字引氏の何がなんだかわからぬ珍道中を書くだけで振り返り第1回を終えてしまうのは、些か心苦しい気もする。しかし、既にだいぶこってりとしたものをお見せしてしまっている。ここへ本編を詰め込むのは拷問に等しい所業と判断した。
なに、『I Love Youの訳し方』課題本読書会レポートの後編は、もっとこってりしていたのに9,000字を超えていたじゃないかだと。うるさい、そんなこと今は知らぬ。今回のひじき氏は心優しいのだ。
さらばだ、読者諸賢。次回、期待して待たれよ。
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