心斎橋の近くにあるレンタルスペースで、読書会の派生部活の1つ・哲学カフェ研究会の活動に参加した……いや、この言い方はあまり正確ではない。

 まず、哲学カフェ研究会は最近名前を改めた。すなわち、「イロソフィア」という名前になったのである。なお、これは、哲学カフェと言えばお馴染みの人・ちくわ先生の発案によるもので、「彩ふ読書会(いろふどくしょかい)」の「イロ」と、「フィロソフィア」をかけて作った名前である。

 もう1つ。このほど、イロソフィアでは部長の交代があった。そして、僭越ながら僕が新部長になったのである。したがって、「参加した」などという企画に乗っかっただけのような書き方は適当ではない。「開催した」というべきであろう。もっとも、何もかものんびりしている僕は、場所の予約や参加募集などあらゆる面で、前部長・偉大なるちくわ先生に発破をかけ続けられていたものだから、企画者を名乗るのはやはりおこがましい気もする。とりあえず、「ちくわ先生」は会長か顧問に改称せねばなるまい。

 ともあれ、この哲学カフェについてはいずれ記録をつけようと思う。が、いまの僕はそれどころではない。10月20日の読書会の記録をまだ若干残したままにしているし、その前日に参加した森見登美彦さんのトークセッションの振り返りについては、ずっと記録をつけたいと思いながらまだ書き始めることすらできていない。これらの記録をつけ切ったところで、漸く哲学カフェの話をすることになるだろう。

 とはいうものの、折角なので面白かった話を1つだけ書いておきたい。

 今回の哲学カフェのテーマは、「先入観や思い込みを抱いてしまうのはどうして?」というものだった。会が始まって間もない頃に、僕から「先入観/思い込みと聞いて思い浮かべるのは、良いイメージですか、悪いイメージですか」という問いかけをしたところ、良いイメージの1つの例として、「ギャップ萌え」が起きることが挙げられた。真面目一辺倒と思われていた人が凄くひょうきんな一面を持っていたり、コワモテの兄ちゃんが子犬をかわいがっていたり、かわいいキャラで貫いていた人がカッコイイ一面を見せたり。そんなふうに、ある人の意外な良さに気付いた時に起こるのが、「ギャップ萌え」である。

 これを先入観/思い込みの良い面として捉えた方は、まず純粋に、萌えるのが楽しいというイメージで話をしたのではないかと思う。それに対し、別の参加者から、「でも、ギャップ萌えってまず悪いイメージがあるから起きるんじゃないですか」という質問があった。ギャップ萌えのメカニズムを見てみると、先入観/思い込みの抱き方という面では、あまり良い点が見当たらなかったのだろう。

 その一連のやり取りを聞いているうちに、僕はふと、ギャップ萌えの反対があることに気が付いた。例えば、一目惚れしてしまうようなめちゃくちゃ可愛い女の子が、よくよく話を聞いてみればどうしようもないくらい高飛車だった時などは、先入観が良かったために、後からイメージが悪い方向へ塗り替えられる。先入観というと、悪いイメージがまずあって、後から良いイメージに更新される場合が想像されるけれど、その逆もあるのだ。

 その話をした時だった。また別の参加者がこう言ったのである。

「ギャップ萎えですね」

 言い得て妙とはこのことである。僕は手を叩いて笑った。こうして、ギャップ萌えの対義語、「ギャップ萎え」が爆誕した。

 読書会の人たちと話していると、しばしばこういうセンスの塊のような言葉に出会う。色んな言葉に出会っているから、言語感覚が磨かれているのだろう。これまでの読書会や諸活動を振り返っても、名言・至言・パワーワードにはとかく事欠かない。「ギャップ萎え」は、そこに見事に肩を並べた。

 そう、この話だけはどうしてもやっておきたかったので、こうして先に書いた次第である。