日中一度疲れがフッと抜けたが、夜になって来月の支出計画を練っているうちにまたイライラしてきて気持ちが沈んだ。疲れというより、ストレスが溜まっているのかもしれない。ストレスの原因が金というのは、なんともみみっちい感じがする。が、残念ながらこれが自分の現状なのだ。それを受け止めなければ、次には進めないと知れ。

 もっとも、ブログという媒体でこんな話ばかりしても仕方がない。折角だから、疲れがフッと抜けた時の話をしよう。

 前の日に激しい疲れを感じてぼうっとしていた僕は、今日も1日ほぼ何もしないで過ごそうと決めていた。何もしないと言っても、本当にぼけぇっとしているのはあまりにつまらない。そこで、読みかけの本の続きを追うことにした。しかし、暫く読み進めるうちに愕然としてしまった。内容が全然入って来ないのである。ただ文字を追うような読み方しかできていないのだ。もちろん、言葉の意味は分かる。けれども、文章の意味のほうは、ぜんぜん分かっていない。こういう読み方しかできない時は、どうしても気が滅入る。気分転換に、パソコンで幾つか動画も見てみた。それなりに面白かったが、どこか無理に笑っているような気がした。

 味気ない。そんな言葉が自然に湧いた。いったいどうしてしまったというのだろう。

 時計を見ると11時半を回っていた。昼食用の米を炊くべく、僕は流しに向かった。そして準備をしている途中で、ふと、買い置きしてあるポテトチップスを食べたいと思った。白米を入れたお釜を流し台に置いたまま、僕は一度机に戻り、ポテトチップスを食べ始めた。あっという間に、袋の殆どを平らげてしまった。

 何を読んでも、何を観ても味気ないのに、ポテトチップスは美味いのか。

 そんなことを思った。実際おかしな話だった。

 しかし同時に、ポテトチップスの美味さがわかるなら、なんとかなるんじゃないかという気がした。

 果たして、そうやって自分の現状を受け止めてみたら、急に気持ちが軽くなった。準備しかけの米をセットし、炊き上がるのを待つ間、さっきの本の続きを読んでみた。ほんの少しだけど、心に刺さるような気がした。

 極言すれば、ありのままの自分を受け容れたら気持ちが上向いたという話になるのだろう。しかし、僕はそんなカタいことが言いたわけじゃない。僕が言いたいのは、今日自分を受け容れるための鍵を握ったのがポテトチップスだったということの方である。ポテチに救われる日もある。それは僕の生活を今よりちょっとだけ豊かにしてくれる新たな気付きだと思うのだ。

 となると、幾ら出費に胃を痛めることになろうとも、僕はまたポテトチップスを買ってしまうだろうと思う。さて、代わりにどの出費を削ればいいだろう。