お待たせいたしました。先日予告していた園田哲学BARの振り返りをお送りしたいと思います。

 園田哲学BARは、あるテーマについてみんなで話し合う哲学カフェの1つで、毎月第一金曜日の19時から21時まで、阪急園田駅から歩いて10分程のところにある園田東生涯学習プラザ(旧:園田地区会館)にて開催されています。メンバーはそれぞれ持ち込んだ食べ物や飲み物を口にしながら、その日のテーマについて自由に話し合います。ちなみに、お酒の持ち込みもOKです(そりゃ「哲学BAR」ですからね)。

 今回のテーマは「ケッとおもうこと」でした。風変わりなテーマですね。園田哲学BARでは、最近、ありきたりなテーマに飽きてしまった主催者の意向により、一癖ないし二癖あるテーマが採択されやすくなっています。そのため、参加者前には「これどんな回になるの?」と不安や戸惑いを覚えることも正直あります。もっとも、フタを開けてみると、意外と話が深まり、色々と考えさせられることもあります。そして、今回の「ケッとおもうこと」は、まさにそのような深みのある回でした。

 それでは、「ケッとおもうこと」を巡りどのような話し合いが展開したのか、そして、一連の話し合いを踏まえて僕自身はどんなことを考えたのか、これから順番に見ていくことにしましょう。なお、参加者は全部で14人で、殆どが常連さんでした。

◆話が盛り上がるまで

 はじめに、「ケッとおもうこと」という風変わりなテーマに、僕らがどうやって取り掛かっていったのかをご紹介しましょう。

 話し合いの口火を切ったのは、「皆さんは『ケッ』という言葉を使うことはありますか?」という質問でした。今回のテーマは「ケッ」ですが、よく似た表現として、「チェッ」「チッ」「クソッ」などがあるというのは、皆さんもなんとなく勘付かれていたと思います。質問された方は、「私は『チェッ』と思うことはありますけど、『ケッ』は使わないので、他の方はどうかなあと思って」と話していました。

 この質問に答える形で、幾つかの意見が出てきました。「口に出すことはないけど、心の中で思うことはありますね」「自分自身のしょうもないミスに対して『ケッ』と思うことがあります」「僕は逆に、自分のミスには『クソッ』て思うけど、人に対して『ケッ』と思うことがありますね」「自分は使わないですけど、ニュアンスはわかりますね」——

 ここから、「ケッ」については、使う人と使わない人がいること、また、感覚としてわかるという人とわからない人がいることが伺えます。ここでポイントになるのは、〈「ケッ」を言葉として使うことはないけれど、感覚としてわかる〉という人が少なからず存在することです。では、ここでいう〈感覚〉とはどういうものなのか、ということが問題になるわけですが、この点については次節で詳しく見ることにして、今しばらく話し合いの立ち上がりを追いかけてみましょう。

 少しずつ場が温まり始める中で、どんな場合に「ケッ」と思うかについて、具体的な例が幾つか挙げられるようになりました。「静かにするべき図書館の中で騒いでいるヤツがいた時」「電車に乗り間違えた時」「彼女と部屋でデートしている最中に友だちから電話がかかってきた時」「話し合いの場でテーマと関係のないしょうもない話を延々続けているヤツを見た時」——もちろん人それぞれ感じ方は違うわけですが、だいたい今挙げたような場面で「ケッ」という感情が起こるようです。ある参加者はこれらの例を踏まえ、「ケッ」と思うのは、①順調に進んでいたものが邪魔された時と、②しょうもないものをみた時だという風にパターン化していました。

 このようにして、僕らは徐々に「ケッ」というテーマについて語る糸口を掴んでいきました。そして、更に話題は膨らんでいくのですが、この先も同じように場の展開をひたすらなぞるだけでは、「ケッ」という〈感覚〉のイメージは拡散してしまって掴みづらくなるように思います。そこで、次の節では思い切って、2時間の話し合いの中から見えてきた「ケッ」という〈感覚〉の姿に、いきなり目を向けてみようと思います。

◆「ケッ」という感覚の4つのポイント

 「ケッ」というのはどういう感覚なのか、そのポイントは大きく4つにまとめられるように思います。以下、順番にみていきましょう。

 まず、①「ケッ」という感覚の核にあるのは、怒りに似た攻撃的な感情である、ということが言えそうです。先に挙げた具体例を振り返ってみると、いずれも腹の立つこと・ムカつくことであるというのが伺えます。また、この後のくだりで更に幾つかの具体例に言及しますが、その例から垣間見えるのも、軽蔑や嫉妬といった負の感情、それも、相手に対して向けられる感情です。それらのことを踏まえると、「ケッ」というのは、ある種の攻撃的な感情を表すものだと言えそうです。

 これは実際に僕が言及したことなのですが、「ケッ」であれ、あるいは「チェッ」や「チッ」であれ、実際に声に出そうとすると、前に向かっていこうとするような強い音になります。もっと具体的に言えば、ツバを飛ばすような音になるのです。この〈ツバを飛ばす〉あるいは〈ツバを吐き掛ける〉というものこそ、「ケッ」や「チェッ」といったものの根底にある感覚ではないかと、僕は思います。

 しかし、この攻撃的な感情は、決して強いものではありません。「ケッ」のイメージの2つ目のポイントは、②大したことじゃないけど腹が立つといった具合の軽い感情である、ということです。つまり、通りすがりの人やたまたま居合わせた人に対して、あるいはごく些細なトラブルに対して向かう感情であって、絶対に許せないような致命的な出来事が起きた場合や、毎日顔を合わせる人にずっと腹を立てているような場合には「ケッ」とは違う感情が起こるということです。このように「ケッ」というのは軽い感情なわけですが、感情として軽いからこそ抱いてしまった時にモヤモヤするという側面もあるようです。これについては後で詳しく見てみたいと思います。

 3つ目に、③「ケッ」というのは反射的な感覚だという点が挙げられます。その理由や背景が具体的な言葉となる前に、ポッと出てくる感覚が「ケッ」なのだということです。ある参加者は「僕は気持ちがもぐってしまうから『ケッ』は使わない」と話していました。ここでいう“気持ちがもぐる”というのは、言葉や感情が具体的な形をとるまでにあれやこれやと考え込んでしまうという意味だろうと察していますが、たしかに、そのように気持ちがもぐり込みがちでは「ケッ」には至らないように思います。

 さて、1つ目と3つ目のポイントで述べたことを合わせると、「ケッ」というのは攻撃的に相手に向かっていこうとする感情で、なおかつ反射的に浮かんでくるものということになりますが、話し合いの中では「ケッ」について、こうした動きとは対照的なイメージも提示されました。これが4つ目のポイントになります。すなわち、④「ケッ」は表に出ない感情なのです。そして、これは「ケッ」を、「チェッ」や「チッ」といったよく似た表現ないし感覚と区別するうえで特に重要なポイントになります。

 声に出そうとするとわかるのですが、「ケッ」というのは「チェッ」「チッ」に比べて喉の奥の方で引っ掛かる音で、発声しづらく、そして、相手にも届きづらいという特徴があります。相手に向けて発せられるはずの音が、実際に相手に届く前に自分の中でつっかえて籠ってしまう感覚、これが「ケッ」に特有の感覚なのです。

 実際、ある参加者は「『ケッ』という感情は抱いた瞬間負けみたいなもので、どうしたってこっちが損をする。相手に対して言うことなんてできない」と話しています。「ケッ」を最終的に「ケッ」ならしめるのは、表へ出ようとする感情を押し止めるブレーキの感覚にある。これは思わず「なるほど!」と唸ってしまうほどの気付きでした。

 まとめてみましょう。「ケッ」というのはどのような感覚なのかについて、ここでは4つのポイントから整理してきました。まず、①その核にあるのは、怒りに似た攻撃的な感情であること。次に、しかしながら、②それは通りすがりの他人や些細な出来事に対してのみ向けられる軽い感情であること。続いて、③ある種の反射的な感情であること。最後に、それでいて、④実際には表に出ることのない抑えを伴った感情であること。以上の4つが「ケッ」という感覚のポイントだと、僕は考えています。また、このうち①~③のポイントについては、類似表現である「チェッ」や「チッ」とも共通するのに対して、最後のポイントである④抑制の感覚については、「ケッ」に特有のものであると思っています。

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 さて、ここで一度記事を区切ることにしたいと思います。次の記事では、以上で見てきた「ケッ」のイメージを押さえたうえで、ある1つの事例を掘り下げる形で「ケッ」について更に考えてみたいと思います。先にお断りしておきますが、次回紹介するのは「ケッ」という感情全体を代表するような事例ではなく、あくまで「ケッ」の1つのバージョンに過ぎません。ですが、僕にとってはこれ以上なく興味深い事例であり、なんとも考えてみたくなる事例なのです。それはいったいどんな事例なのか、そして、そこからどのような考えが導き出せるのか——皆さま、次回もぜひご覧ください。