お待たせしました。721日に開かれた京都・彩ふ読書会、その午後の部=課題本読書会の振り返りの続きをお届けしたいと思います。

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 今回の課題本は夏目漱石の『こころ』でした。先生と私の交流、そして先生から私に宛てられた遺書の内容を通じ、人間の欲や醜さをあぶりだした作品——およそ10年ぶりに本書を手に取った僕が感じたのはそのようなことでした。しかし、読書会では僕の持ちえなかった様々な視点が提示され、大勢の力でより立体的な読みが組み上がっていくことになります。この記事では、先生・私・Kという3人の登場人物について、読書会の中でどんな話が出たかを中心にお話することにいたしましょう。

 なお、課題本読書会は1340分ごろに始まり、1時間半余り続きました。今回の読書会には22名の参加者がおり、3つのグループに分かれて感想などを話し合いました。僕はBグループに参加し、進行役も担当しました。グループのメンバーは全部で7名で、男性3名・女性4名、ベテラン3名・ビギナー4名というバランスの良い構成でした。その他読書会全体の流れに関することや、当日の進行方法については、課題本編①で詳しく書いていますので、気になる方はそちらをご覧ください。



 それでは、上述のテーマに沿う形で、読書会を振り返ってまいりましょう。

◆先生への共感とその限界

 前回お話ししたとおり、僕らの話し合いはまず奥さんと御嬢さん(=先生の妻)について掘り下げるところから始まったのですが、御嬢さんについて話していたために、自然と先生のことへと話が移っていきました。

 まず、参加2回目の女性の方から「先生が一番誰にでも共感できる要素をもっている」という話がありました。金に欲がくらんだり、思わぬ恋敵になった親友Kに嫉妬したり、そんな先生のことが分かるというのです。これは僕も同感でした。恋に悩むKを助けるどころか追い詰めてしまうところを含め、先生はとても人間らしい。些か人間の醜い部分を煎じ詰め過ぎた感はありますが、いずれにせよ、先生の醜さは人間誰しも程度の差はあれ持っているものである。先生を中空から指弾できる者など誰もいないとさえ、僕は思っています。

 しかし一方で、先生に同調しきれない部分もあると、僕はずっと感じていました。僕はその醜さをずっと悔やみながら生き続けることはできないし、まして自ら死を選ぼうとは思わないわけです。もちろん、僕と先生は別の人間ですから、分かれ道があって当然なのですが、その分岐はしこりとなって僕の中に残っていました。

 すると、参加3回目の男性から次のような発言がありました。「共感しきれないようにするのが漱石の狙いだと思うんですよ」男性は、『こころ』というのは、江戸から明治へ、武家社会から近代国家へという時代の移り変わりによる価値観の変容を描いた作品なのだと話していました。2つの時代の分かれ目は、近世の価値観を引きずる先生と、近代に生まれた私の間にある。そして、現代を生きる我々は、私の側に立って、“旧い人間”である先生を見ている(先生の“旧さ”は、最後の殉死という選択に特によく出ている)。そこに違和感の根があるというのです。

 この話を聞いた時、僕はただなるほどと圧倒されていたのですが、今になって振り返ると、一連のやり取りはもっと興味深く精査すべきものだったように思えます。つまり、先生という人物の中には、時代を超えて共感できる要素と、時代の境目で共感できなくなった要素が含まれているということです。時代を超えて人間は同じだといえる一方、でもやはり時代によって人間は変わるともいえる。今僕に言えるのはこんなありきたりなことだけですが、突き詰めて考えてみると面白いように感じます。

 ところで、先生がKへの罪悪感を抱き続けている理由については、「Kが絶妙なタイミングで自殺したからだ」という意見もありました。先生と御嬢さんの結婚が決まった瞬間にKが自殺したために、先生は御嬢さんをみるにつけ、恋敵だったKの影を見続けることになる。そんな状況になったら、自分でもずっと思い悩むに違いないと、この意見を出した人は続けていました。

◆先生の遺書へのツッコミ

 さて、この後、話し合いは思わぬ方向へと進んでいきます。先生の遺書に対し現実的なツッコミが相次ぎ、メンバーが次々に笑い出すことになるのです。読書会が終わった後、ある参加者からは「『こころ』の読書会でこんなに笑うことになるとは思いませんでした」という感想が漏れていました。僕も同感です。恐るべし、彩ふ読書会。

 もっとも、ツッコミの火付け役となったのは、上の感想を言った当人でした。「先生の遺書って、冊子にすると週刊少年ジャンプ1冊分くらいの厚さになるんですよね。実の父親が死にかかっているところへそんなもの送られたら迷惑ですよ。ちゃんと会って伝えろよって話ですよ」

 この発言を聞いた瞬間、僕の中で眠っていた先生の遺書へのツッコミ欲に火が点いてしまいました。実は僕も、先生の遺書は長すぎると思っていたのです。新潮文庫版の解説によると、先生の遺書の長さは400字詰め原稿用紙に換算して200枚超、すなわち8万字を超える大部です。その大部を、先生はわずか10日余りの間に手書きでしたためているのです。おまけに、執筆に費やせた時間は妻が外出している間のみ。僕は疑問でした。果たして、そんなことが物理的に可能なのかと。

 こうしてツッコミが2つも続くと、もう流れは止まりません。別の参加者からも、「先生は妻が帰ってくると遺書を隠したってありますけど、どうしても見つかる気が……」と控えめなツッコミが入ります。「あれだけ長い遺書を書いて、先生はスッキリしたと思います」という話が出たかと思えば、「でも自分だけスッキリしてサヨナラっていうのもどうかと思いますよ」と、先生に向いているのかメンバーに向いているのかわからないツッコミが出るという一幕もありました。かくして、グループは一時騒然となったのでございます。

 先生に関する話し合いの記録の最後に、以上のツッコミからは少し話が逸れるのですが、ある印象的な発言を取り上げておこうと思います。それは、「現代で言ったら先生はYouTuber」というものです。自分の考えを広め私のような信奉者を生み出す先生が、その方にはYouTubeやブログを通じて人気が出る人と被って見えたようです。世捨て人である先生がどれくらいのフォロワーを獲得できるのかはわかりませんが、とにかく「そうきたか!」と思える発言でした。

◆私について

 先生についての話し合いが落ち着いたところで、話の焦点は私へと移っていきました。が、この部分について、僕は自分でも驚くほど何も書き留めていませんでした。先生に注目する一方で、私にはさして関心を払っていなかったのでしょう。というわけで、公平性を欠くかもしれませんが、私については、幾つかの発言をごく簡単にだけ書き留めておこうと思います。

 まず、「私が危篤のお父さんを放って先生のもとに駆け付けようとするのは、やっぱりおかしい」という話が出ました。これに対しては、「まあでも私は、東京で教育を受けて、両親を含む田舎の人を全員見下してますから」という意見がありました。

 また、私くらいのお子さんがいるというある女性からは、「どうしても親目線で読んでしまうと、私のことは本当に心配になりますよね。仕事に就いてって思いますし」という発言がありました。この発言は結構印象に残っていて、『親目線で読む「こころ」』という本があったら面白そうだなあなどと妄想していましたが、ともあれ私という人物については、そこから深掘りするには至りませんでした。

Kについて

 グループトークの振り返りの最後に、Kについての話し合いを取り上げたいと思います。Kのことがあまり話題にならなかったのを不思議に思い、僕から皆さんにKの印象を尋ねてみたのですが、一度話題にのぼると色んな話が出てきました。

 例えば、件のジャンプ発言の方からは、「Kが人間的に一番良い奴で純粋」という話がありました。そのうえで、生家と断絶され、理想に生きる道も断たれ、恋人も友人も失った果てに自殺したKの境遇は同情するに余りあると話していました。僕はこの話によって、Kの置かれた境遇を多角的にみることができたと感じました。

 また、参加2回目の女性からは、「Kと先生は正反対ですよね」という話がありました。そのうえで、正反対の2人が共に自殺という選択に至るところに、この作品の不思議さがあると話していました。

 そんな話が出ていた矢先、初参加の女性から他の女性参加者に向けて、「Kは彼氏にしたいと思いますか?」という凄い質問が飛び出しました。これに対する反応は様々でした。「誠実で、イケメン描写もあるから、私はアリです」という人もいれば、「うーん……あんまり……カタブツそう」という人もいました。「先生がひねくれてKを見上げているだけで、実はKも大したヤツじゃないのかなと思います」という辛辣な意見もありました。そこへなぜか男性陣も加わり、「僕はアリです」「見下されそうなのでイヤです」と喧々諤々の議論をしていたところ、時間が来て話し合いはお開きとなりました。

◆全体発表

 グループでの話し合いが終わった後に、各グループで出た話の内容を紹介し合う全体発表の時間がありました。振り返りの最後に、他のグループの話し合いの内容を少し覗いてみることにしましょう。

 Aグループでは、作品の内容に関する話だけでなく、「表現が好き」「台詞が好き」と、文体などに関する話が出ていたようです。また、先生について、日本の古い思想の擬人化ではないかという意見が出たそうで、この話が挙がった時には会場中が「おぉー」とどよめいていました。「今も昔も恋の悩みは同じ」「遺書を書いて先生はスッキリしたと思う」など、Bグループで出たのと同じような意見もあったようで、グループをまたいで意見が一致するのは面白いと感じました。

 一方、Cグループは、『こころ』は先生と私・先生とKの二重BL小説であるという話で盛り上がっていたようです(白状すると、話し合いの途中からその手の話はまあまあ聞こえていました)。『こころ』については、私・K・御嬢さんの三角関係の話というのがよくある理解だと思うのですが、Cグループの方々は、改めて読んだ結果、先生とK、先生と私の関係に目が釘付けになったようでした。なお、課題本編①で取り上げた、「漱石は女性を一段下に見ているのでは」という意見はCグループの全体発表で聞かれたものでした。

 ざっくりまとめると、Aグループが一番手堅い話し合いをし、Bグループはキャラクターの掘り下げに専念し、Cグループは真剣に話し合った結果BLトークに行き着いたということでしょう。それぞれに特徴があり、一方で、グループを跨いで似たような話になっている面もある。読書会の良さがよく表れた回だったのかなと、個人的には思います。

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 といったところで、午後の部=課題本編の振り返りは以上になります。もっとも、読書会の振り返りはまだ終わりません。次回、「オトナの学童保育編」をもって完結となります。「楽しみ!」という方も「なんじゃそれ」という方も、最後までぜひお付き合いください。