読書会とは、趣味を同じくする者の集まりである——その説明は決して誤りではないが、もっと踏み込んだことを言っていいのではないかと、僕は思う。すなわち、読書会とは、妄想実現の場であると。
我々にこのことを教えてくれたのは、偉大なるヅカ部長である。
3月に『宝塚ファンの社会学』を課題本とする読書会が開かれたことは、当ブログで既に何度も書いた通りである。そしてこの日、「ヅカ社実行委員会」という秘密結社が暗躍し、あの手この手で読書会をヅカ化したことも、何度も書いた通りである。読書会ヅカ化計画のフィナーレを飾ったのは、ヅカ部のテーマソング「この愛よ永遠に~TAKARAZUKA FOREVER~」を参加者全員で歌うというイベントであった。宝塚の映像が映し出され、曲が流れる。全員が、片手に部長お手製シャンシャン、もう片手に部長お手製歌詞カードを持ち、歌う。その中を、実行委員会のメンバーが駆け抜け、ハイタッチしていく。
全てが終わった時、部長は言った。
「ありがとうございました。夢が叶いました!」
同じ日、もう1人夢を叶えた人がいたことも忘れてはならない。同日夕刻、SAKURA CAFEを会場として、カフェフィロ主催・彩ふ読書会協力という形で哲学カフェが開かれた。読書会で哲学カフェを開く。それは哲学カフェ部長ちくわさんの悲願であった。ちくわさんはその後、自身が進行役となり、完全に自前の哲学カフェをも実現する。
読書会を通じて夢を実現し、昂る人たちを僕は見てきた。そして思った。ならば、僕もやりたいことを存分にやって悪いわけがない。
『有頂天家族』読書会を、完全に有頂天カラーに染め上げる。それが僕の、ささやかな夢であった。そして、ヅカ社で活躍した〈映像〉を、僕も使うことを思い立つ。
すなわち、『有頂天家族』アニメ版の上映会を企画したのである。
京都の彩ふ読書会では、午前・午後と続いた読書会の後も会場を借りていて、メンバー同士が自由に話したりゲームに興じたりする場が設けられている。この場は当初「ヒミツキチ」と名付けられていたが、先月より「オトナの学童保育」に改称されている。
6月16日16時、読書会終了から40分が経過したSAKURA CAFEは、既に半ばボードゲームカフェと化していた。午後の部が終わった後、暫くは会場のあちこちでフリートークに花が咲いていたのだが、やがて何人かの人たちが堪え切れぬと声を掛け合い、テーブルは1つ、また1つとゲームの舞台に様変わりしていた。そんな中、僕は生き字引氏、そして謎解きクイーンに声を掛け、上映会の準備にかかった。
アニメ上映会を企画はしたものの、僕は1人では何もできない状態にあった。まず、僕は『有頂天家族』の映像ソフトを持っていない。そもそも、アニメ版を通しで観たことすらない。キャラごとのまとめ動画をニコ動で見漁るという、ファンの風上にも置けぬやり方でのみ、僕はこの作品に接していた。そこで僕はまず、森見作品の生き字引と崇める男性にソフトをお借りすることにした。幸い、生き字引氏は快諾してくださった。4月半ばのことである。
ところが、ここで次なる問題が起きた。生き字引氏が持っていたのはブルーレイ版で、僕のパソコンでは再生できないのである。どうしようと困っていたところへ、救いの手を差し伸べてくださる方がいた。謎解きクイーンの異名を持つ京都サポーターの女性である。「私のパソコン、ブルーレイ再生できますよ」こうして、僕・生き字引氏・謎解きクイーンの3人からなる上映会実行チームが誕生した。5月初めのことであった。
会場中央の奥の壁にスクリーンを掛け、向かい側にパソコンとプロジェクタをセットする。その間を埋める低いテーブルの上からは、お菓子や飲み物・備品類が映写の邪魔にならないよう片付けられた。僕らがガサゴソするうち、残っていた他の人たちも一緒になって、上映会の会場づくりが始まった。大通りに面した窓のシャッターを下ろす。その上の窓から西日が射すので、ロフトへ通じる螺旋階段に幕を垂らした。スクリーンの見えやすい位置に椅子を並べていく。テーブルが邪魔なら、それも場所を動かした。「この椅子の並びじゃ動線が確保できませんよ」「そもそもそんなに椅子要ります?」わいわい言い合い、時に笑い合い、そうこうするうち、小さな上映会場が出来上がった。
「じゃあ始めましょう」
生き字引氏がブルーレイを取り出し、クイーンがそれをパソコンに挿入する。僕はといえば、椅子に座ってスクリーンを見つめている。片手には、先にこっそり会場を抜け出してコンビニで買っておいた「赤玉パンチ」を握っている。この企画者、全てを丸投げし率先して酒を飲む気である。
椅子の数にツッコミが入っていたとはいえ、上映会には10人近い人が参加していた。その中には、午後の部・課題本読書会で同じテーブルを囲んだ森見作品初読者の姿があり、また、森見作品のファンであり今回初めて読書会へやって来たという方の姿もあった。そんな僕らの横では、5人くらいの人たちがボードゲームを続けながら、時折スクリーンを窺っていた。
「桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年——」下鴨矢三郎の語りと共に、上映会が始まった。
アニメ版『有頂天家族』は、原作の面白さやハチャメチャぶりをそのまま留める一方で、全体的に哀愁の気色が増し、また、シリアスな場面は徹底的にシリアスに描くというように、面白一辺倒にならない作品になっている。森見作品独特の節回しにより笑いに流れがちだった原作のテイストに、落ち着きとメリハリが加わった、より深みのある作品である。少なくとも僕はそう思う。原作もいいが、アニメもいい。僕が『有頂天家族』を読めば読むほど深い作品と感じたのには、断片的なアニメ視聴歴の影響があると思う。
今回きちんとアニメを見てなお、上記の印象に変化はなく、むしろいっそうその思いは強まった。
大雑把に言ってしまえば、以上で感想は事足りるのだが、これでは些か味気ない。そこで、ここからは、アニメ各話を見ながら思ったことや感じたことを、箇条書き形式で書き出していくことにしようと思う。時折、一緒に見ていた人の様子なども挟んでいこうと思う。
この箇条書きは、ハッキリ言って、本編を知っている人向けのものである。何も知らない人が読んで悪いということはないが、さっぱりわからなかったとしても責任は負いかねるので、ご了承願いたい。
なお、アニメ上映会は、時間の都合もあり、全13話中、1話・2話・4話・7話・8話・12話・13話の計7話のみを見る形で行った(元々13話は見ない予定であったが、流れで見るしかないと思い急遽そのまま流した)。
◆1話「納涼床の女神」
・1章50ページ分を1回に圧縮し、なおかつ下鴨兄弟の登場シーンを追加している。なかなかの情報量である。ここから見始めたらぽかんとする気がした。
・女子高生に化けた矢三郎普通にかわいい。男声なのに声もかわいいから困る。
・矢四郎はもっとかわいいからもっと困る。アニメ版矢四郎の「兄ちゃん」を聞くと、他の「兄ちゃん」の言い方は想像できなくなる。
・矢三郎と赤玉先生の、互いにツンデレ状態でなおかつ頑固な応酬はとにかく見ていて楽しい。ただ一点、矢三郎が赤玉先生の残したお弁当を見て、「次もこのお弁当にしましょう。半分食べてるということは結構気に入ったということでしょう」と言うのだけはいただけない。両者の関係性や赤玉先生の人となりを説明するのに必要なエピソードではあるが、矢三郎はこんなことを赤玉先生に面と向かって言いはしない(原作では地の文=心中語)。捨てられた弁当を見て独りつぶやくくらいの演出が良かった(以上、相当マニアックな感想)。
・赤玉先生と弁天が南座で邂逅するシーン、四条大橋から矢三郎が南座の屋根を覗き、2人の声をアテレコして読み上げる演出にしたのはめちゃくちゃ面白かった。矢三郎の「おーっほっほ」から弁天の「おーっほっほ」への転換が自然で気持ちいい。あと、矢三郎の赤玉先生の声マネ上手すぎる。
・1話から締めが綺麗。
◆2話「母と雷神様」
・宝塚ファン設定の下鴨母、思った以上にヅカの再現度が高くて笑う。声のトーンも溜め方も凄く男役っぽい。あと、いちいちポーズをキメてるのが可笑しい。
・蛙の矢二郎兄さん登場。喋りに落ち着く。よく見ると、前で観ている人がこくりこくりしている。
・マヌケな敵役・金閣銀閣登場。登場した瞬間、京都副リーダーの女性が笑ったのが見えた。登場しただけで笑うとは、どれほどツボなのだと思う。ボードゲーム軍団からも「あ」という声が挙がる。みんな金閣銀閣好きすぎ。まあ俺も好きだけど。
・金閣銀閣のシーンはまとめ動画で見まくったので、もはや感想なし。ただただ面白い。
・矢一郎兄さんはすぐ他人を責める。
・母捜索でテンパる矢一郎の危なっかしさと頼りなさ、原作そのままで本当に凄い。
・ラストが1話以上に綺麗。
◆4話「大文字納涼船合戦」
・絵コンテが違う人だからか、最初数分のカットのクセがやや強い(ズームインの仕方とか)。
・布袋に化けた矢一郎、全裸に兜という偽毘沙門天姿の矢四郎、タカラヅカ風美青年に化けた母が次々登場する場面。矢三郎にカメラが向いたカットで、生き字引氏が「バックがうるさい」と笑う。
・ハチャメチャな回かと思っていたが、描き方などを観ているとむしろ手堅いというイメージだった。
・夷川家との合戦中、奥座敷中見て武器を探し、ガラクタばかりとものをぽいぽい投げる下鴨母、やはり自由人である。
・風神雷神の扇のシーンは何度見ても痛快。
・そして「逃げの矢三郎」登場。
4話まで観たところで、一度休憩を挟んだ。僕らは感想を語り合ったり、余ったお菓子をつまんだり、鑑賞中につまむお菓子をかき集めたりした。僕はといえば、赤玉パンチがなくなってしまったので、次はビールを買いに出掛けた。僕のほかに、ちくわさんと歴史好きの男性がお酒を買いに出た。歴史好きの男性はつまみも買っていて、良かったらと言って僕らにもくださった。
さて、一気に書き進める予定でしたが、ここで一度話を区切ろうと思います。続きは次回。長い長い読書会レポートも、いよいよ次で最後になります。どうぞラストまでお付き合いください。
我々にこのことを教えてくれたのは、偉大なるヅカ部長である。
3月に『宝塚ファンの社会学』を課題本とする読書会が開かれたことは、当ブログで既に何度も書いた通りである。そしてこの日、「ヅカ社実行委員会」という秘密結社が暗躍し、あの手この手で読書会をヅカ化したことも、何度も書いた通りである。読書会ヅカ化計画のフィナーレを飾ったのは、ヅカ部のテーマソング「この愛よ永遠に~TAKARAZUKA FOREVER~」を参加者全員で歌うというイベントであった。宝塚の映像が映し出され、曲が流れる。全員が、片手に部長お手製シャンシャン、もう片手に部長お手製歌詞カードを持ち、歌う。その中を、実行委員会のメンバーが駆け抜け、ハイタッチしていく。
全てが終わった時、部長は言った。
「ありがとうございました。夢が叶いました!」
同じ日、もう1人夢を叶えた人がいたことも忘れてはならない。同日夕刻、SAKURA CAFEを会場として、カフェフィロ主催・彩ふ読書会協力という形で哲学カフェが開かれた。読書会で哲学カフェを開く。それは哲学カフェ部長ちくわさんの悲願であった。ちくわさんはその後、自身が進行役となり、完全に自前の哲学カフェをも実現する。
読書会を通じて夢を実現し、昂る人たちを僕は見てきた。そして思った。ならば、僕もやりたいことを存分にやって悪いわけがない。
『有頂天家族』読書会を、完全に有頂天カラーに染め上げる。それが僕の、ささやかな夢であった。そして、ヅカ社で活躍した〈映像〉を、僕も使うことを思い立つ。
すなわち、『有頂天家族』アニメ版の上映会を企画したのである。
(アニメ版公式サイトより)
◇ ◇ ◇
京都の彩ふ読書会では、午前・午後と続いた読書会の後も会場を借りていて、メンバー同士が自由に話したりゲームに興じたりする場が設けられている。この場は当初「ヒミツキチ」と名付けられていたが、先月より「オトナの学童保育」に改称されている。
6月16日16時、読書会終了から40分が経過したSAKURA CAFEは、既に半ばボードゲームカフェと化していた。午後の部が終わった後、暫くは会場のあちこちでフリートークに花が咲いていたのだが、やがて何人かの人たちが堪え切れぬと声を掛け合い、テーブルは1つ、また1つとゲームの舞台に様変わりしていた。そんな中、僕は生き字引氏、そして謎解きクイーンに声を掛け、上映会の準備にかかった。
アニメ上映会を企画はしたものの、僕は1人では何もできない状態にあった。まず、僕は『有頂天家族』の映像ソフトを持っていない。そもそも、アニメ版を通しで観たことすらない。キャラごとのまとめ動画をニコ動で見漁るという、ファンの風上にも置けぬやり方でのみ、僕はこの作品に接していた。そこで僕はまず、森見作品の生き字引と崇める男性にソフトをお借りすることにした。幸い、生き字引氏は快諾してくださった。4月半ばのことである。
ところが、ここで次なる問題が起きた。生き字引氏が持っていたのはブルーレイ版で、僕のパソコンでは再生できないのである。どうしようと困っていたところへ、救いの手を差し伸べてくださる方がいた。謎解きクイーンの異名を持つ京都サポーターの女性である。「私のパソコン、ブルーレイ再生できますよ」こうして、僕・生き字引氏・謎解きクイーンの3人からなる上映会実行チームが誕生した。5月初めのことであった。
会場中央の奥の壁にスクリーンを掛け、向かい側にパソコンとプロジェクタをセットする。その間を埋める低いテーブルの上からは、お菓子や飲み物・備品類が映写の邪魔にならないよう片付けられた。僕らがガサゴソするうち、残っていた他の人たちも一緒になって、上映会の会場づくりが始まった。大通りに面した窓のシャッターを下ろす。その上の窓から西日が射すので、ロフトへ通じる螺旋階段に幕を垂らした。スクリーンの見えやすい位置に椅子を並べていく。テーブルが邪魔なら、それも場所を動かした。「この椅子の並びじゃ動線が確保できませんよ」「そもそもそんなに椅子要ります?」わいわい言い合い、時に笑い合い、そうこうするうち、小さな上映会場が出来上がった。
「じゃあ始めましょう」
生き字引氏がブルーレイを取り出し、クイーンがそれをパソコンに挿入する。僕はといえば、椅子に座ってスクリーンを見つめている。片手には、先にこっそり会場を抜け出してコンビニで買っておいた「赤玉パンチ」を握っている。この企画者、全てを丸投げし率先して酒を飲む気である。
椅子の数にツッコミが入っていたとはいえ、上映会には10人近い人が参加していた。その中には、午後の部・課題本読書会で同じテーブルを囲んだ森見作品初読者の姿があり、また、森見作品のファンであり今回初めて読書会へやって来たという方の姿もあった。そんな僕らの横では、5人くらいの人たちがボードゲームを続けながら、時折スクリーンを窺っていた。
「桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年——」下鴨矢三郎の語りと共に、上映会が始まった。
◇ ◇ ◇
アニメ版『有頂天家族』は、原作の面白さやハチャメチャぶりをそのまま留める一方で、全体的に哀愁の気色が増し、また、シリアスな場面は徹底的にシリアスに描くというように、面白一辺倒にならない作品になっている。森見作品独特の節回しにより笑いに流れがちだった原作のテイストに、落ち着きとメリハリが加わった、より深みのある作品である。少なくとも僕はそう思う。原作もいいが、アニメもいい。僕が『有頂天家族』を読めば読むほど深い作品と感じたのには、断片的なアニメ視聴歴の影響があると思う。
今回きちんとアニメを見てなお、上記の印象に変化はなく、むしろいっそうその思いは強まった。
大雑把に言ってしまえば、以上で感想は事足りるのだが、これでは些か味気ない。そこで、ここからは、アニメ各話を見ながら思ったことや感じたことを、箇条書き形式で書き出していくことにしようと思う。時折、一緒に見ていた人の様子なども挟んでいこうと思う。
この箇条書きは、ハッキリ言って、本編を知っている人向けのものである。何も知らない人が読んで悪いということはないが、さっぱりわからなかったとしても責任は負いかねるので、ご了承願いたい。
なお、アニメ上映会は、時間の都合もあり、全13話中、1話・2話・4話・7話・8話・12話・13話の計7話のみを見る形で行った(元々13話は見ない予定であったが、流れで見るしかないと思い急遽そのまま流した)。
◇ ◇ ◇
◆1話「納涼床の女神」
・1章50ページ分を1回に圧縮し、なおかつ下鴨兄弟の登場シーンを追加している。なかなかの情報量である。ここから見始めたらぽかんとする気がした。
・女子高生に化けた矢三郎普通にかわいい。男声なのに声もかわいいから困る。
・矢四郎はもっとかわいいからもっと困る。アニメ版矢四郎の「兄ちゃん」を聞くと、他の「兄ちゃん」の言い方は想像できなくなる。
・矢三郎と赤玉先生の、互いにツンデレ状態でなおかつ頑固な応酬はとにかく見ていて楽しい。ただ一点、矢三郎が赤玉先生の残したお弁当を見て、「次もこのお弁当にしましょう。半分食べてるということは結構気に入ったということでしょう」と言うのだけはいただけない。両者の関係性や赤玉先生の人となりを説明するのに必要なエピソードではあるが、矢三郎はこんなことを赤玉先生に面と向かって言いはしない(原作では地の文=心中語)。捨てられた弁当を見て独りつぶやくくらいの演出が良かった(以上、相当マニアックな感想)。
・赤玉先生と弁天が南座で邂逅するシーン、四条大橋から矢三郎が南座の屋根を覗き、2人の声をアテレコして読み上げる演出にしたのはめちゃくちゃ面白かった。矢三郎の「おーっほっほ」から弁天の「おーっほっほ」への転換が自然で気持ちいい。あと、矢三郎の赤玉先生の声マネ上手すぎる。
・1話から締めが綺麗。
◆2話「母と雷神様」
・宝塚ファン設定の下鴨母、思った以上にヅカの再現度が高くて笑う。声のトーンも溜め方も凄く男役っぽい。あと、いちいちポーズをキメてるのが可笑しい。
・蛙の矢二郎兄さん登場。喋りに落ち着く。よく見ると、前で観ている人がこくりこくりしている。
・マヌケな敵役・金閣銀閣登場。登場した瞬間、京都副リーダーの女性が笑ったのが見えた。登場しただけで笑うとは、どれほどツボなのだと思う。ボードゲーム軍団からも「あ」という声が挙がる。みんな金閣銀閣好きすぎ。まあ俺も好きだけど。
・金閣銀閣のシーンはまとめ動画で見まくったので、もはや感想なし。ただただ面白い。
・矢一郎兄さんはすぐ他人を責める。
・母捜索でテンパる矢一郎の危なっかしさと頼りなさ、原作そのままで本当に凄い。
・ラストが1話以上に綺麗。
◆4話「大文字納涼船合戦」
・絵コンテが違う人だからか、最初数分のカットのクセがやや強い(ズームインの仕方とか)。
・布袋に化けた矢一郎、全裸に兜という偽毘沙門天姿の矢四郎、タカラヅカ風美青年に化けた母が次々登場する場面。矢三郎にカメラが向いたカットで、生き字引氏が「バックがうるさい」と笑う。
・ハチャメチャな回かと思っていたが、描き方などを観ているとむしろ手堅いというイメージだった。
・夷川家との合戦中、奥座敷中見て武器を探し、ガラクタばかりとものをぽいぽい投げる下鴨母、やはり自由人である。
・風神雷神の扇のシーンは何度見ても痛快。
・そして「逃げの矢三郎」登場。
◇ ◇ ◇
4話まで観たところで、一度休憩を挟んだ。僕らは感想を語り合ったり、余ったお菓子をつまんだり、鑑賞中につまむお菓子をかき集めたりした。僕はといえば、赤玉パンチがなくなってしまったので、次はビールを買いに出掛けた。僕のほかに、ちくわさんと歴史好きの男性がお酒を買いに出た。歴史好きの男性はつまみも買っていて、良かったらと言って僕らにもくださった。
◇ ◇ ◇
さて、一気に書き進める予定でしたが、ここで一度話を区切ろうと思います。続きは次回。長い長い読書会レポートも、いよいよ次で最後になります。どうぞラストまでお付き合いください。
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