ここに1つのアルバムがある。撮影日は全て1年前の6月23日である。その日、僕はひとりで京都へ出掛け、嵐山から嵯峨野へ抜ける道を進み、祇王寺という寺を訪れた。祇王寺は美しい苔庭があることで知られる場所である。その場所を梅雨時に訪れてみようと思ったのだ。実際、その苔庭は非常に美しく、古民家のような寺の侘しさも相まって、祇王寺とはとても静かで穏やかな場所だという印象が、僕の中に強く焼き付いた。

 当時の僕は、まだ読書会に参加していなかった。したがって、その後僕の生活が一変することなど知りやしなかった。まして、1年後、同じ京都にあるカフェの一画で、6人もの人間を相手に、自分の好きな本について語り、浮かれて騒ぐなどという、およそ穏やかならざることを仕出かす羽目になろうとは、夢にも思わなかったにちがいない。

◇     ◇     ◇

 6月16日、京都北山にあるSAKURA CAFEという場所で、彩ふ読書会の京都会が開かれた。読書会は「午前の部=推し本披露会」と「午後の部=課題本読書会」の2部構成である。さらに、午後の部の後には、メンバー同士の交流の場所である「ヒミツキチ」……もとい「オトナの学童保育」も設けられていた。

 当ブログでは先日来、この読書会の振り返りを書き綴っている。もっとも、申し訳ないことに、今回の振り返りはエラク難航しており、記事の順番も飛び飛びになっている。これまでに、「推し本編」と「課題本編①」は完成している。したがって、この記事は課題本編②である。

 今回の課題本は、森見登美彦さんの『有頂天家族』であった。京都の下鴨神社に住む狸の一家・下鴨家、その四兄弟の三男・矢三郎を主人公に、狸と天狗と人間が、京都の街で繰り広げるドタバタの日々を綴ったコメディーファンタジーである。

 この本を課題本に推したのは、他ならぬ僕であった。僕はかねてより森見作品のファンであり、幾多の森見作品の舞台である京都の地でその作品を課題本にしたいと思っていた。そして、厳正なるあみだくじの末に課題本推薦の権利を手にした時、この本を推すことに決めたのである。自分が推した本が課題本になる。これほど愉しいことはない。僕が浮かれ騒いだのにはこのような事情がある。

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 それでは、ぎゃあぎゃあ騒ぐ阿呆の僕を、宥めすかしつ受け容れてくださった寛大なる皆様との話し合いの模様を振り返ることにしよう。課題本読書会は、およそ6~8名のグループに分かれて行われる。その後に、各グループの話の内容を共有する全体発表がある。

 今回僕が参加したのは、会場の最も入口に近い場所に陣を構えたAグループである。参加者は全部で7名。僕のほかの顔触れは、久しぶりに来られた歴史好きの男性、「11ぴきのねこ」のTシャツを着た参加2回目の男性、建築を専門とする常連の男性、タカラヅカをこよなく愛する初参加の女性、京都会場副リーダーの女性、イヤミスファンで名の通った常連の女性の6名である。男性4名・女性3名、初心者2名・常連5名、そして、森見作品初読者3名・ファン4名という非常に安定したグループである。この安定感がなければ、僕は受け容れられ損なって、風神雷神の扇であおがれた挙句、折しも通り雨の降り出した下鴨本通へと吹き飛ばされていたことであろう。

 参加者それぞれの感想については「課題本編①」で振り返ったので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。②ではそれ以外の話を書くことにしよう。

◇     ◇     ◇

◆推しキャラ披露大会

 『有頂天家族』の読書会の中でやりたいと思っていたことの1つに、互いの推しキャラを披露しあうというものがある。当日になって本当にやろうか迷いが生じたが、歴史好きの男性のサポートもあり、推しキャラ披露大会は実現する運びとなった。

 結果は下記のとおりである。

 下鴨矢二郎:3票
 下鴨矢一郎:1票
 下鴨家の母:1票
 下鴨矢四郎:1票
 下鴨矢一郎→下鴨矢三郎:1票

 Aグループの中で一番人気を誇ったのは、主人公の次兄に当たる矢二郎であった。矢二郎は京都で一番やる気のない狸として知られており、数年前に狸であることをやめて蛙になり、六道珍皇寺の井戸に籠ったというキャラクターである。暢気で悟ったようなところがある飄々とした狸、もとい蛙である。もっとも、彼が狸をやめたのには重大な理由がある。作中で最も強く自分を責め、辛い思いを背負ったキャラクターでもある。

 矢二郎が人気を集めた理由は、副リーダーが語ったように、その悟ったような雰囲気がいいというのもさることながら、辛い思いを背負った彼が終盤に大活躍するからというのが大きいようだった。特徴的なTシャツの男性は「最終章で矢二郎がとても生き生きしてるのがいいなと思いました」と語り、建築専門の男性は「矢二郎がお父さんの最後の言葉を思い出すシーンでグッときました」と述べた。他のキャラクターを推した人からも、「泣けるシーンは矢二郎絡みの場面が多い」という声が挙がった。

 下鴨矢一郎を推したのは、歴史好きの男性であった。四兄弟の長兄・矢一郎は、亡き父・総一郎に憧れ、京都狸界の頭領・偽右衛門になろうと躍起になっているが、一人で頑張る余り弟たちを責めたり、ピンチに陥ると途端に慌てて危なっかしくなるという、不器用極まりないキャラクターである。男性は「とにかく応援したくなっちゃうんです」と語った。その気持ちは痛いほどわかる。

 四兄弟のお母さんを推したのは、初参加の女性である。宝塚ファン設定であるお母さんにシンパシーを感じたのかしらと思ったが、そうではなく、お母さんの愛の深さや度量の大きさに感動したからのようだった。実際、お母さんは矢三郎をして「海よりも深い」愛の持ち主と言わしめ、自分の子どもたちは全員立派と信じて疑わない強さを持ったキャラクターである。

 下鴨四兄弟の末っ子・矢四郎を推したのは、イヤミスファンの女性である。理由は「とにかくかわいいから」女性はこの日間違いなく、かわいいもの好きというもう1つの面を開花させたに相違ない。実際、矢四郎はかわいい。あまりにかわいいので書きようがない。どうか本作をよんでいただきたい。

 さて、最後に、推しキャラを矢一郎から矢三郎に変更したややこしいヤツがいる。これが僕である。推しキャラ披露大会をやろうといった張本人でありながら、なんとも勝手なことを言う。しかしまあ、理由を聞いていただきたい。僕の推しキャラの変遷には、誰に自分を一番重ね合わせたかが関わっている。三兄妹の一番上で、短気で不器用で個人主義者という自覚のある僕は、長兄・矢一郎がとても好きだった。ところが、今回読書会に向けて『有頂天家族』を再読するうち、自分は矢一郎ほどの生真面目さも責任感もないと気付いた。日々のほほんと生きることを是とし、時々の己の感情に素直であろうと志す今の僕は、矢三郎に近いところもある。そして願わくば、恐れを知らず色んなことをやる矢三郎の強みを手にしたいとさえ思う。矢一郎と矢三郎を足して2:1の割合で混ぜ合わせれば、きっと僕が出来上がる。そう思うと、僕は2人のどちらも推したくて仕方がなかった。

 幸い、この自己分析は周りの評価とも一致するものだったようである。「なんかそんな感じしますね」と言われた時、僕はちょっぴり嬉しかった。

◆謎多きキャラ・弁天

 参加者それぞれの推しキャラがわかる一方、話し合いの中では、あるキャラクターの掴みどころのなさが話題となっていた。そのキャラクターとは、上記の弁天である。

 弁天は、元の名を鈴木聡美という人間であるが、高校生の時、矢三郎たちの師匠でもある天狗・赤玉先生によって琵琶湖畔から連れ去られ、先生の手で天狗としての教育を受けた。成長した弁天は師匠を蹴落とすほどの力をもち、天狗よりも天狗らしい半天狗となって、京一円を自在に巡り勝手気儘に振舞っている。矢三郎をはじめ幾人かの男を惚れさせた魔性の女であり、金曜倶楽部の一員として、四兄弟の父・総一郎を鍋にして食べた張本人でもある——と、本文から幾つかの情報を拾ってくることは容易いが、確かに弁天というキャラクターは掴みどころがない。読書会が始まる前、別のグループの参加者が持っていた『有頂天家族アニメ公式ガイド』をみると、作者である森見登美彦さんでさえ、弁天のことはよくわからないと話している。ではどうして書けたのですかと訊きたくてたまらない。

 僕自身は、弁天を読み解くカギは孤独と寂しさだと思っている。作中最強の人物として描かれる一方、弁天は月を見ては哀しいと言い、雪を見ては淋しいと言う。そして、何でも手に入れられるだけの力を手にしていながら、常に誰かから何かを与えられることを欲している。彼女の心にはぽっかりと穴が空いており、満たされなさゆえに力の限り勝手気ままなことをしているように見える。他人を不幸にして得意気に笑う彼女は、幸せになりたいと願いながら、自分でもそのことに気付いておらず、己の不幸を嘆くことしかできないでいる。もっとも、それも無理からぬことだろうと僕は思う。わけもわからず天狗に拉致され、かつていたであろう家族・友人から引き離され、普通の人間としての生活までも奪われた彼女が、我が身の孤独や不幸を嘆くことに、なんら不思議はない。そしてまた、彼女が身に降りかかる現実を直視できず、自分の感情を整理できないでいるとして、なんのおかしなことがあろう。

 自分自身に気付くことができないでいる弁天と他の登場人物との関係は、したがって、常に複雑なものとなる。例えば、師匠である赤玉先生に対する感情にも愛憎が複雑に絡み合っている。自分のそれまでとそれからを奪った張本人であり、年甲斐もなく自分に言い寄ってくる冴えないジジイである赤玉先生を、彼女はもちろん憎んでいるに違いない。しかし一方で、それまでとそれからを奪われた弁天のいまは、赤玉先生抜きにはありえないものだし、彼女に力を授けたのもまた赤玉先生である。ゆえに弁天は赤玉先生を慕う気持ちをかなぐり捨てることはできない。

 己の時々の感情に素直であること、それを仮に「阿呆の血のしからしむるところ」と呼ぶのであれば、およそ弁天ほど阿呆であることから遠い者はいない。

 以上で書いたことの中には、僕が当日喋ったことと、書きながら思いついて加筆したこととが入り乱れている。実際どこまで喋ったかは定かでないが、弁天について、ここまで複雑に結論の出ない話を喋り散らしたのは僕だけであった。

◆アニメ絵でキャラクターをなぞる

「ちょっとすいません」建築専門の男性が言った。「まだアニメ版を見てないので、どれが誰かを確認したいんですけど」

 自薦本を課題本にして浮かれていた僕は、課題本読書会の後に『有頂天家族』アニメ版の上映会を企画していた。そして、参加者を募集するためラインで告知をした際、アニメ版の様子がわかるようにネットから画像を1枚取ってきて貼り付けていた。男性はその絵を見ながら、キャラクターの整理をしようとしたのである。

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(アニメ版公式サイトより)

 ファンが率先する形で、どれが誰かを確認していった。ここでも我々の目を引いたのは弁天であった。その他のキャラクターについては、イメージと違うところがあったとしても「なるほどなあ」「矢一郎兄さん髪型オカシイ」「赤玉先生はすごくぽい」くらいの話だったのだが、弁天だけは「え、違う」という声が相次いだ。わかりやすいところで言えば、原作では綺麗な黒髪とされていた弁天の髪色がアニメでは紫になっている。ここで違和感を持つ人が少なくないことは、僕もかねてより知っていたので、「そうですねえ」と答えていた。

 もう1人、イメージの違いが話題になったキャラクターがいる。淀川教授である。淀川教授は京都の大学の農学部で生物学を研究する人物で、金曜倶楽部の一員として矢三郎たちの父を食べた1人である。彼の信条は、狸は愛すべきものであり、愛するからこそ美味しく食べたいというものだ。屁理屈屋で変人ながら、根はとても優しい人である。淀川教授は金曜倶楽部の中で「布袋さん」と呼ばれており、そのためか原作では腹の出た中年男性として描かれている。しかし、アニメ版では腹は出ておらず、中背中肉程度の体つきをしている。

「確かに違いますねえ」という話をしていた時、件の建築専門の男性が突然言った。

「でも、フィールドワークをやってる教授って、こんな感じですよね」

 その確信はどこから来たのか。ともあれ僕らは笑った。

◆妄想・タカラヅカ版『有頂天家族』

 ここで初参加の女性の登場となる。今までしれっと書いてきたが、この方は初参加ではあるものの、僕とは初対面ではない。それどころか、お互い面識は相当ある。すなわち、この方は僕の先輩である。

 読書会に入る前、僕には読書好きの知り合いというものがあまりいなかった。その数少ない例外が先輩であった。そして先輩は大の宝塚ファンであった。読書会に入り、ヅカ部の隆盛を目の当たりにした僕は、ここへ先輩を誘ったら面白かろうと考えた。予想通り、先輩は興味を示した。

 読書会数日前、給湯室で顔を合わせた際、僕は先輩に「もうすぐですね」と話した。「そうやねえ」と先輩は言った。それからややあって、「ヅカ部に入りたいなあ」とつぶやいた。何か間違っている気がしたが、何も言わなかった。実際、僕のプロモーションもヅカに寄りすぎていた。

 読書会当日、先輩のヅカ好きは自己紹介の後さほど表に出てはいなかった。が、いよいよ読書会も終盤に差し掛かる頃、先輩はいよいよ自分を押し止めようがなくなった。奇しくも、先輩の向かいには、ヅカ部員の1人である矢四郎ファンの女性がいた。

「『有頂天家族』宝塚でできないかなあってずっと思ってたんですけど」先輩は言った。「やるとしたら、誰が主役になると思いますか?」

 果たして、この展開について行った人が何人いただろう。僕も一瞬何が起きたのかわからなかった。「どうしてもこれが訊きたくて」と先輩は言う。随分な賭けに出たものだと僕は思う。

 場内が「うーん」と静まり返ったので、僕はこの日初めて進行役らしい仕事をした。「逆に誰がいいと思います?」

「もうやめちゃった人なんですけど」先輩は言った。「早霧せいなさんかなあ」

「ああわかります」という声が挙がった。向かいに座る矢四郎ファンの女性からだった。「ほんとですか」と言い、2人は瞬く間に意気投合した。何ら驚くことのない宝塚ファンらしい光景であったが、宝塚を知らない方からみれば、偽叡山電車が先斗町の料亭に突っ込むのと大して変わらない不思議な画に映っただろう。

 折角なので、答えた女性にもキャスティングを考えていただいた。早霧さんを切り出されて相当困っている様子だったが、1人の現役ジェンヌさんの名前が出てきた。「ああ、いいですね」と先輩が言った。遂に僕にも分からなかった。

◆全てを吹き飛ばすとき

 話があちらへ飛び、こちらで深掘りされ、どこへ着地するのかわからないまま、時間だけが過ぎていく。「くたばれって表現いいですよね。私これから使いたいなって思いました」「わかります。僕こないだ使いました」「矢三郎の許嫁の海星っているじゃないですか。海星が姿を見せないのって、何か理由あるんですか?」「あー、それはこの後第2部で明らかになります」「あ、続編があるんですね」「あります!」「あの、2部を読むと、海星ますますいい子だなあって思います」「海星は、あれだけ兄がひねくれてるのに、よくまっすぐ育ちましたよね」「下鴨家のお父さん慕ってるからでしょうね」「あー」「あと、もう1人兄がいるんですよ」「え、そうなんですか」「それも2部で出てきます。ただ、よく見ると1部で伏線張ってるんですよね。えっと、ページで言うと……」「淀川教授の学生にスズキ君っているじゃないですか。で、確か弁天の元の名前って鈴木ですよね。2人は何か関係あるんですか?」「それ思ったんですけど、わかんないんですよ」「2部で出てこないですか」「うーん、何もなかったと思いますけど」「鈴木聡美は漢字で、スズキ君はカタカナじゃないですか。だからどうかなあ」——

 まったく困ったことである。収拾がつかない。進行役が率先して脱線していくから、尚更である。

 だが、よく考えてみれば、『有頂天家族』のエンディングも、決して何かが収束したわけではないのである。陰謀蠢く偽右衛門選挙当日、恐るべき因果により、狸たちの決戦の場と、金曜倶楽部の忘年会の会場は隣り合わせになる。偽右衛門選挙の場が荒れ、2つの部屋はつながり、狸は人間を見て化けの皮を剥がし、人間は狸を見てニンマリ笑う。そんな中、狸の決戦の立会を頼まれていた赤玉先生が立ち上がる。存在を忘れられ放置された赤玉先生はたいへんお怒りである。怒りに任せて、先生は風神雷神の扇を振るう。大風が起き、店も人間も狸も吹き飛ぶ。これを指して矢三郎は言う。「混乱に収拾をつけるには、より大きな混乱を引き起こして一切を御破算にするほかない」(文庫p.398-399)。

 ならば僕らも同様である。より大きな混乱を起こし、全て吹っ飛ばすべし。

 そう思った矢先、肩を叩かれた。

「ひじきさん、時間大丈夫ですか」隣のテーブルにいたサポーターの男性からだった。

「まだ3分あります」と僕は答えた。事実である。不都合はない。だがしかし、僕にももはや騒動を起こす余裕はなかった。「全体発表いけそうですか?」それが僕の最後の台詞だった。

◆全体発表

 15時になり、全体発表が始まった。僕が総合司会で前に出たので、Aグループの発表は京都副リーダーの女性が担当した。彼女はどうしたものかという表情を浮かべながら、起きた出来事をそのまま順に読み上げていった。実際、それしか方法はなかっただろう。ヅカキャストのくだりで笑いが起こったので、発表は成功だった。

 続いてBグループの発表があった。Bグループでは「面白かった」という意見が出た一方で「読みづらい」という意見も出たそうだった。このグループの発表で特に興味を惹かれたのは、「狸はそのまま鍋にできるのか?」というものだった。その意見を出した人は「塩を揉みこまないといけないんじゃないか」とも言ったらしい。笑いながらBグループをみると、中にあの方の姿があった。すなわち、前月、『砂の女』の課題本読書会で、「毎日砂を掻き出しているなら、女はきっと筋肉ムキムキだと思う」と言った方である。どうもそういうことじゃないかと、僕は思った。

 最後にCグループの発表があった。面白い作品である一方で、引っ掛かる箇所が何もない。詰まるところ、作中で出てきたように「面白きことは良きことなり」で読むのが一番いい作品だと思った、ということが澱みなく語られた。作品咀嚼レベルがダントツで高かった。Cグループにいたちくわさんが課題本読書会のレポートを書いているが、この記事と違って綺麗にまとまっている。僕のせいで迷子になった皆さま、どうぞこちらの記事で頭を落ち着かせてください。

◇     ◇     ◇

 以上で課題本読書会の振り返りを締めくくろうと思います。ハチャメチャな記事に最後までお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございました。と言いつつ、この後更に「ヒミツキチ編」がありますので、そちらも宜しくお願いします。

◇     ◇     ◇

 ここで再び先輩の登場となる。

 読書会が終わった後、僕らはそのままテーブルを囲み、色んな話をした。やがて、ゲームをやりたくてうずうずしている人たちが動き始め、フリートークもそこそこに、会場のあちこちでゲームが始まっていた。そんな中、先輩は帰り支度を始めていたが、ふと何かに気付いたように僕に話しかけてきた。

「ひじきくん、あそこにいる背の高い人って、常連さん?」

 先輩の指さす先には、午前の部=推し本披露会で『ペンギン・ハイウェイ』を紹介した人の姿があった。

「そうですよ」と僕は答えた。

「そうなんや」先輩は言った。「どっかで会ったような気がするねんなあ」

「別の集まりですか」

「うん、たぶん森見オフ会やと思う」

 森見オフ会をご存知だろうか。ご存知なくても名前をみればどんな会かはおよそ想像がつくであろう。先輩はオフ会の一員であり、僕をオフ会に誘った張本人でもある。そして、森見オフ会で幹事クラスの活躍をしているのが、午前の部で『聖なる怠け者の冒険』を紹介した生き字引氏である。生き字引氏は、ある時突然彩ふ読書会にやって来た。そして、何も気づかず「初めての方ですか」と話し掛けた僕に「ええ、ここではそうです」と返して、僕を仰天させた(その時のことはこの記事に詳しい)。

 その森見オフ会の参加者が、彩ふ読書会にもう1人いた。もっとも、僕はその方に森見オフ会でお会いしたことはない。ただ、先月来、随分森見作品に詳しい方だとは思っていた。

 いよいよ帰るという時、先輩はついと立ち上がると、その人のところへつかつかと歩み寄った。

「あの、すみません」

「はい」

「どこかでお会いしたことはないでしょうか」

 全てが唐突であった。僕はあまりに可笑しくて声を立てて笑った。一方、声を掛けられた男性は一切動じず、落ち着いた笑みを浮かべながら答えた。

「そうですよね。たぶん、3年前に花見の会で」

 ふわふわとした僕らの日常には、時々思いもよらない展開が待ち受けている。1年後の自分が予想できないとか、天狗の起こした大風に吹き飛ばされるとか、そんな大層な話をしているのではない。ほんの目と鼻の先で起きる出来事さえ、まったくもって意外で、なおかつ途轍もなく面白かったりする。僕らのなすべきことはただ1つ。それらを全て愉しむことである。