お待たせしました。6月16日に京都北山のSAKURA CAFEで開かれた彩ふ読書会の振り返りの続きを書いていこうと思います。京都の彩ふ読書会は、①午前の部=推し本披露会、②午後の部=課題本読書会の2部構成で、さらに、夕方の時間帯に有志のためのフリータイム、通称「オトナの学童保育」の時間が設けられています。このうち、午前の部=推し本披露会については2日前に書きましたので、この記事では、午後の部=課題本読書会についてお話しようと思います。
課題本読書会は、13時40分ごろに始まり、1時間半余り続く。参加者はおよそ6~8名のグループに分かれて着座し、司会から読書会の流れや注意事項について説明があった後、グループの中で課題本の感想などを話し合う。15時ごろになるとグループでの読書会は終わり、司会の旗振りのもと全体発表が始まる。全体発表は各グループで出た意見を共有するために行うもので、グループの代表1名が発表する形式である。全体発表が終わると、今後の読書会や部活動についてのお知らせがあり、読書会は終了となる。これが一連の流れである。
今回の課題本は、森見登美彦さんの『有頂天家族』であった。
京都の下鴨神社に、狸の家族が住んでいる。その名もズバリ下鴨家という。——『有頂天家族』は、下鴨家四兄弟の三男・矢三郎を主人公に、彼らをはじめとする京都の地を這う狸と、京都の天空を自在に駆ける天狗と、京都の街に暮らす人間の三つ巴の日常を描いたドタバタコメディーファンタジーである。力を失った老天狗の若き人間への勝ち目のない恋、大文字焼の日に京都の上空で起こる狸共の納涼船合戦、忘年会の狸鍋の具を物色する7人の人間集団「金曜倶楽部」の会合、狸の頭領・偽右衛門を決めるための選挙活動とその裏で動く陰謀。数多の不思議な出来事が、一般に「森見節」と呼ばれる軽妙洒脱な文体で綴られる。
あらゆる話に通底するのは、「面白きことは良きことなり」という矢三郎の人生訓(狸生訓?)であり、また、狸鍋に落ち不慮の死を遂げた先代偽右衛門・下鴨総一郎(すなわち主人公たち四兄弟の父)の面影である。先にコメディーと記したが、些か言葉が足りない。思わず笑ってしまう話に、ほろりと涙を誘う物悲しさが通底する、痛快にして深遠なるエンタメ小説、それが『有頂天家族』である。
『有頂天家族』を課題本に推したのは、何を隠そう僕である。僕は森見登美彦さんの作品が好きである。そしてまた、多くの森見作品は京都を舞台としている。彩ふ読書会が京都に会場を定めてより半年、僕はかねがね、この京都会場で、森見さんの作品を課題本に読書会をやりたいと思っていた。厳正なるあみだくじの結果、課題本推薦の権利を得た僕は、迷わず森見作品を推すことに決めた。そして、せっかく大勢で読むのだから、とにかく面白い作品を選ぶに越したことはない、そう判断し、『有頂天家族』を推薦したのであった。
自分の推した本が課題本になるというのは、なんと面白いことであろうか。読書会の日が近付くにつれ、僕は身体中を駆け巡る興奮を抑えきれなくなっていった。勢い込んで、総合司会とグループ内の司会進行を兼任すると申し出、実際両司会を兼ねることになった。当日、僕は張り切って前に出た。
しかし、今になって思い返してみるに、その日の僕はあまりに興奮しすぎていた。興奮のあまり、総合司会では司会原稿を森見節風にアレンジしようとして見事にスベり、グループ進行では進行役自ら好き放題喋りに喋って参加者を混乱の渦に叩き込んだ。総合司会でのスベりぶりについては、未だに傷が癒えないのでここでは一切触れないことにする。一方、グループ進行については、「いやでも面白かったですよ」と皆さまが口を揃えてくださったので、ひとまず事無きを得た。
そんな心優しいグループの皆さまとのやり取りを、これから振り返ろうと思う。
◆司会進行の迷走
SAKURA CAFEの玄関を開けてすぐ右手、下鴨本通に面して開いた大きな窓の手前に、午後の部Aグループのテーブルはあった。参加者は全部で7名。男性4名・女性3名というバランスの取れた構成である。森見作品愛読歴別構成をみても、初読3名・ファン4名で、やはりバランスが良い。読書会参加歴をみると、初参加が1名、2回目の参加が1名で、その他はお馴染みのメンバーであった。すなわち、非常に安定している。
そんな申し分ないグループで、開口一番ふにゃふにゃしたことを口走った者がいた。「進め方なんですけどね、いつもやったら順番に感想を言っていただくんですけれど、ちょっと今回どうしようかなあと迷っていて」云々……優柔不断なその進行役の名はひじき氏という。すなわち僕である。
僕にとって、『有頂天家族』は単なるオモチロイ作品であった。あまりにオモチロ過ぎるので、逆に感想を言うのに困る作品であった。したがって、僕は当初、読書会でも込み入った話は避けて、推しキャラ披露大会でもやろうと目論んでいた。ところが、読書会を前に『有頂天家族』を再読して、僕は気付いた。この作品は深い。人物関係が非常に複雑で、読めば読むほど思うところが出てくる。ゆえに考え直した。これはやはり、ちゃんと感想を話し合った方がいいのではないか。だが待てしばし。推しキャラ披露大会をかなぐり捨てるのは、あまりにも惜しい。
読書会が始まってなお、僕は話の進め方を決めかねていた。そして、己が逡巡を打ち明け、さらに迷い迷った挙句、「とりあえず、我々ちょうど7人なので、今から『金曜倶楽部』と名前を変えましょう。誰がどの役やりますか」という、限りなくどうでもいい話から読書会を始めようとした。
慌てて宥めに入った者がいた。隣の席に座っていた、歴史好きの男性である。「まあまあ。それやったら、全員に感想を聞いていって、その時に好きなキャラクターも言うてもらったらええんちゃいます?」
「そうだ。それが先決だ」と僕は思った。「では俺が指揮をとろう!」——危なっかしきこと、下鴨兄弟の長兄・矢一郎の如し。ともあれ、何とか読書会が始まった。
◆参加者の感想
というわけで、ここからは参加者7名の感想を順番にみていくことにしよう。話す順番は、上述の歴史好きの男性から始まり、最後が僕であった。感想と同時に推しキャラについても話していただいたが、その話は別でまとめることにしたい。
歴史好きの男性は、今回初めて森見作品を読んだと言った。思考をまくし立てる文章で、風景描写がゴーッと起こる独特の文体だと感じたそうである。男性の話の中で興味深かったのは、「なんで狸の物語にしたのか」という問いかけであった(僕は一度も気にしたことがなかった)。そして曰く、狸は身近な動物であり、ゆえに書きやすかったのではないかとのことであった。——以上の話をする間、男性は傍らにスマホを置き、画面を覗き込みながらスクロールしていた。おそらく喋る内容をメモしていたのであろう。几帳面な方である。
続いて話したのは、「11ぴきのねこ」のTシャツを着た男性だった。参加2回目の男性とはこの方のことである。男性はまず森見節の魅力について語った。その魅力を一言で表して曰く、「声に出して読みたい日本語」であるという。森見節に傾倒し、「マネちゃいたいほど好きなのだもの」とばかりパクったりアレンジしたりしている僕にとっては、全く頷ける感想であった。作品の内容については「家族っていいな」と思ったそうである。「いま一人暮らししてるんですけど、家族に会いに行きたいなって思いましたぁ」というその喋りは、語尾がふわりと広がる独特なもので、ですます調の堅さから語尾一点でもって逃れんとするかのようであった。
3番目に話したのは、常連の男性であった。この方は森見作品を読んだのは初めてだったが、「すごく楽しかったです」と話していた。一方で、話の内容については「感想を絞りづらい」「深読みできない」と言っていて、すぐに推しキャラの話に移ってしまった。読んでいる間、男性はずっと狸の姿をイメージしていたとのことであった。
4番目に話したのは、初参加の女性であった。「私は『有頂天家族』を読むのはもう何回目かになるんですけど、何度読んでも河原町に行きたくなるなあと思いました」そんな話であった。印象に残った場面としては、4章の名前が挙がった。4章は、矢三郎が初恋の相手である人間かつ半天狗・弁天に捕まって金曜倶楽部で芸をさせられる章であるが、途中で矢三郎は弁天に誘われて会合を抜け出し、寺町通の屋根の上を月を見ながら歩き出す。ワイワイした場面からしんみりした場面への転換ぶりが鮮やかで、ぐっとくる話のようであった。
5番目に話したのは、京都読書会の副リーダーを務める女性であった。「私は今回読むの2回目なんですけど」女性は言った。「本を取り出した瞬間、あれ、ブアツイなと思って。だからちゃんと読んでなくて」大胆な告白である。もっとも、これには事情がある。女性は『有頂天家族』のアニメ版を見たことがあり、そのため、登場人物の台詞や主人公・矢三郎の語りがアニメの声で再生されてしまい、どうしても読み進めるのに時間がかかってしまったらしい。同じ現象に陥り、1ページ2分という遅さで読み進めた僕は、そりゃあ仕方がないと思った。
6番目に話したのは、普段は大阪に参加している常連の女性であった。この方は森見作品が初めてであるばかりでなく、ファンタジーを読むのも珍しく、新鮮な思いで読み進めたそうである。その感想は「とにかくかわいい」であった。キャラがかわいいばかりでなく、表現もいちいちかわいい。怒ることを「ぷりぷり」と表現するのが面白かったそうである。なお、森見作品に触れたことのなかったこの方は、アニメ版も知らない。そのため、「平成狸合戦ぽんぽこのイメージで読んでました」とのことであった。
その時である。3番目に話した男性が急に「あ」と言った。どうしたんだとばかりに我々の目線が集中したところで、彼は語った。「さっき、狸の姿をイメージしながら読んだって言ったんですけれど、すいません、僕がイメージしてたのアライグマでした」我々はしばしポカンとして、それから笑い出した。なにゆえ気付いたのか、そしてなぜここで気付いたのか、一切は男性のみぞ知るところである。とにかく、一度気付くと撤回の余地はないようで、男性はその後しきりに「アライグマ」を連呼した。
さて、僕である。僕は初めて読んだ時と、今回改めて読んだ時の印象の違いについて話した。その概要は前節で書いた通りであるが、多少詳しく話したのでその一部を書き留めておく——登場人物の中に、矢三郎たち狸のかつての師匠であり、現在は力を失って出町柳のアパートに隠遁している老天狗・赤玉先生という者がいる。天狗だけにエラそうであるが、その実自分では何もできないので、矢三郎が面倒をみることになったというキャラである。先生は狂言回しとして相当コケに書かれている。初めて読んだ時には、ただただ可笑しくて仕方がなかった。ところが、改めて読むと、先生を描写する文章の中には、矢三郎の尊敬の念がきっちり入っているのである。尊敬や憧れの念があるからこそ、落ちぶれた先生の姿が情けなく映る。笑いは、その落差から生まれている。この回りくどい感情こそは、物語世界を優しいものにする重要なポイントである。かつて我が友人は語った。愛のない森見節はただの悪口であると。愛あるところに笑いは生まれるのだ。
参加者の感想については以上である。流れるように振り返ってきたので、これらがどうまとまるかはイマイチわからない。ただ、七者七様に作品を面白がっていたことだけは確かである。それは僕にとって、何より喜ばしいことであった。
さて、続いては推しキャラの話である。と、言いたいところだが——
案の定感想の振り返りが長くなったので、続きは次回に回したいと思います。次回も“あの人”が名言を生みます。そして、ある参加者が趣味全開で突っ走り始めます。さらに、僕は僕で作品の深層を敢えて複雑に語り出します。
初心者とファンと多趣味人の三つ巴。それがこの読書会の小さな車輪をぐるぐる廻している。廻る車輪に巻き込まれるのが、どんなことより面白い。とはいうものの、事態はどこへ収束するのか。全ての結末は次回。どうぞご期待ください。
◇ ◇ ◇
課題本読書会は、13時40分ごろに始まり、1時間半余り続く。参加者はおよそ6~8名のグループに分かれて着座し、司会から読書会の流れや注意事項について説明があった後、グループの中で課題本の感想などを話し合う。15時ごろになるとグループでの読書会は終わり、司会の旗振りのもと全体発表が始まる。全体発表は各グループで出た意見を共有するために行うもので、グループの代表1名が発表する形式である。全体発表が終わると、今後の読書会や部活動についてのお知らせがあり、読書会は終了となる。これが一連の流れである。
今回の課題本は、森見登美彦さんの『有頂天家族』であった。
京都の下鴨神社に、狸の家族が住んでいる。その名もズバリ下鴨家という。——『有頂天家族』は、下鴨家四兄弟の三男・矢三郎を主人公に、彼らをはじめとする京都の地を這う狸と、京都の天空を自在に駆ける天狗と、京都の街に暮らす人間の三つ巴の日常を描いたドタバタコメディーファンタジーである。力を失った老天狗の若き人間への勝ち目のない恋、大文字焼の日に京都の上空で起こる狸共の納涼船合戦、忘年会の狸鍋の具を物色する7人の人間集団「金曜倶楽部」の会合、狸の頭領・偽右衛門を決めるための選挙活動とその裏で動く陰謀。数多の不思議な出来事が、一般に「森見節」と呼ばれる軽妙洒脱な文体で綴られる。
あらゆる話に通底するのは、「面白きことは良きことなり」という矢三郎の人生訓(狸生訓?)であり、また、狸鍋に落ち不慮の死を遂げた先代偽右衛門・下鴨総一郎(すなわち主人公たち四兄弟の父)の面影である。先にコメディーと記したが、些か言葉が足りない。思わず笑ってしまう話に、ほろりと涙を誘う物悲しさが通底する、痛快にして深遠なるエンタメ小説、それが『有頂天家族』である。
『有頂天家族』を課題本に推したのは、何を隠そう僕である。僕は森見登美彦さんの作品が好きである。そしてまた、多くの森見作品は京都を舞台としている。彩ふ読書会が京都に会場を定めてより半年、僕はかねがね、この京都会場で、森見さんの作品を課題本に読書会をやりたいと思っていた。厳正なるあみだくじの結果、課題本推薦の権利を得た僕は、迷わず森見作品を推すことに決めた。そして、せっかく大勢で読むのだから、とにかく面白い作品を選ぶに越したことはない、そう判断し、『有頂天家族』を推薦したのであった。
自分の推した本が課題本になるというのは、なんと面白いことであろうか。読書会の日が近付くにつれ、僕は身体中を駆け巡る興奮を抑えきれなくなっていった。勢い込んで、総合司会とグループ内の司会進行を兼任すると申し出、実際両司会を兼ねることになった。当日、僕は張り切って前に出た。
しかし、今になって思い返してみるに、その日の僕はあまりに興奮しすぎていた。興奮のあまり、総合司会では司会原稿を森見節風にアレンジしようとして見事にスベり、グループ進行では進行役自ら好き放題喋りに喋って参加者を混乱の渦に叩き込んだ。総合司会でのスベりぶりについては、未だに傷が癒えないのでここでは一切触れないことにする。一方、グループ進行については、「いやでも面白かったですよ」と皆さまが口を揃えてくださったので、ひとまず事無きを得た。
そんな心優しいグループの皆さまとのやり取りを、これから振り返ろうと思う。
◇ ◇ ◇
◆司会進行の迷走
SAKURA CAFEの玄関を開けてすぐ右手、下鴨本通に面して開いた大きな窓の手前に、午後の部Aグループのテーブルはあった。参加者は全部で7名。男性4名・女性3名というバランスの取れた構成である。森見作品愛読歴別構成をみても、初読3名・ファン4名で、やはりバランスが良い。読書会参加歴をみると、初参加が1名、2回目の参加が1名で、その他はお馴染みのメンバーであった。すなわち、非常に安定している。
そんな申し分ないグループで、開口一番ふにゃふにゃしたことを口走った者がいた。「進め方なんですけどね、いつもやったら順番に感想を言っていただくんですけれど、ちょっと今回どうしようかなあと迷っていて」云々……優柔不断なその進行役の名はひじき氏という。すなわち僕である。
僕にとって、『有頂天家族』は単なるオモチロイ作品であった。あまりにオモチロ過ぎるので、逆に感想を言うのに困る作品であった。したがって、僕は当初、読書会でも込み入った話は避けて、推しキャラ披露大会でもやろうと目論んでいた。ところが、読書会を前に『有頂天家族』を再読して、僕は気付いた。この作品は深い。人物関係が非常に複雑で、読めば読むほど思うところが出てくる。ゆえに考え直した。これはやはり、ちゃんと感想を話し合った方がいいのではないか。だが待てしばし。推しキャラ披露大会をかなぐり捨てるのは、あまりにも惜しい。
読書会が始まってなお、僕は話の進め方を決めかねていた。そして、己が逡巡を打ち明け、さらに迷い迷った挙句、「とりあえず、我々ちょうど7人なので、今から『金曜倶楽部』と名前を変えましょう。誰がどの役やりますか」という、限りなくどうでもいい話から読書会を始めようとした。
慌てて宥めに入った者がいた。隣の席に座っていた、歴史好きの男性である。「まあまあ。それやったら、全員に感想を聞いていって、その時に好きなキャラクターも言うてもらったらええんちゃいます?」
「そうだ。それが先決だ」と僕は思った。「では俺が指揮をとろう!」——危なっかしきこと、下鴨兄弟の長兄・矢一郎の如し。ともあれ、何とか読書会が始まった。
◆参加者の感想
というわけで、ここからは参加者7名の感想を順番にみていくことにしよう。話す順番は、上述の歴史好きの男性から始まり、最後が僕であった。感想と同時に推しキャラについても話していただいたが、その話は別でまとめることにしたい。
歴史好きの男性は、今回初めて森見作品を読んだと言った。思考をまくし立てる文章で、風景描写がゴーッと起こる独特の文体だと感じたそうである。男性の話の中で興味深かったのは、「なんで狸の物語にしたのか」という問いかけであった(僕は一度も気にしたことがなかった)。そして曰く、狸は身近な動物であり、ゆえに書きやすかったのではないかとのことであった。——以上の話をする間、男性は傍らにスマホを置き、画面を覗き込みながらスクロールしていた。おそらく喋る内容をメモしていたのであろう。几帳面な方である。
続いて話したのは、「11ぴきのねこ」のTシャツを着た男性だった。参加2回目の男性とはこの方のことである。男性はまず森見節の魅力について語った。その魅力を一言で表して曰く、「声に出して読みたい日本語」であるという。森見節に傾倒し、「マネちゃいたいほど好きなのだもの」とばかりパクったりアレンジしたりしている僕にとっては、全く頷ける感想であった。作品の内容については「家族っていいな」と思ったそうである。「いま一人暮らししてるんですけど、家族に会いに行きたいなって思いましたぁ」というその喋りは、語尾がふわりと広がる独特なもので、ですます調の堅さから語尾一点でもって逃れんとするかのようであった。
3番目に話したのは、常連の男性であった。この方は森見作品を読んだのは初めてだったが、「すごく楽しかったです」と話していた。一方で、話の内容については「感想を絞りづらい」「深読みできない」と言っていて、すぐに推しキャラの話に移ってしまった。読んでいる間、男性はずっと狸の姿をイメージしていたとのことであった。
4番目に話したのは、初参加の女性であった。「私は『有頂天家族』を読むのはもう何回目かになるんですけど、何度読んでも河原町に行きたくなるなあと思いました」そんな話であった。印象に残った場面としては、4章の名前が挙がった。4章は、矢三郎が初恋の相手である人間かつ半天狗・弁天に捕まって金曜倶楽部で芸をさせられる章であるが、途中で矢三郎は弁天に誘われて会合を抜け出し、寺町通の屋根の上を月を見ながら歩き出す。ワイワイした場面からしんみりした場面への転換ぶりが鮮やかで、ぐっとくる話のようであった。
5番目に話したのは、京都読書会の副リーダーを務める女性であった。「私は今回読むの2回目なんですけど」女性は言った。「本を取り出した瞬間、あれ、ブアツイなと思って。だからちゃんと読んでなくて」大胆な告白である。もっとも、これには事情がある。女性は『有頂天家族』のアニメ版を見たことがあり、そのため、登場人物の台詞や主人公・矢三郎の語りがアニメの声で再生されてしまい、どうしても読み進めるのに時間がかかってしまったらしい。同じ現象に陥り、1ページ2分という遅さで読み進めた僕は、そりゃあ仕方がないと思った。
6番目に話したのは、普段は大阪に参加している常連の女性であった。この方は森見作品が初めてであるばかりでなく、ファンタジーを読むのも珍しく、新鮮な思いで読み進めたそうである。その感想は「とにかくかわいい」であった。キャラがかわいいばかりでなく、表現もいちいちかわいい。怒ることを「ぷりぷり」と表現するのが面白かったそうである。なお、森見作品に触れたことのなかったこの方は、アニメ版も知らない。そのため、「平成狸合戦ぽんぽこのイメージで読んでました」とのことであった。
その時である。3番目に話した男性が急に「あ」と言った。どうしたんだとばかりに我々の目線が集中したところで、彼は語った。「さっき、狸の姿をイメージしながら読んだって言ったんですけれど、すいません、僕がイメージしてたのアライグマでした」我々はしばしポカンとして、それから笑い出した。なにゆえ気付いたのか、そしてなぜここで気付いたのか、一切は男性のみぞ知るところである。とにかく、一度気付くと撤回の余地はないようで、男性はその後しきりに「アライグマ」を連呼した。
さて、僕である。僕は初めて読んだ時と、今回改めて読んだ時の印象の違いについて話した。その概要は前節で書いた通りであるが、多少詳しく話したのでその一部を書き留めておく——登場人物の中に、矢三郎たち狸のかつての師匠であり、現在は力を失って出町柳のアパートに隠遁している老天狗・赤玉先生という者がいる。天狗だけにエラそうであるが、その実自分では何もできないので、矢三郎が面倒をみることになったというキャラである。先生は狂言回しとして相当コケに書かれている。初めて読んだ時には、ただただ可笑しくて仕方がなかった。ところが、改めて読むと、先生を描写する文章の中には、矢三郎の尊敬の念がきっちり入っているのである。尊敬や憧れの念があるからこそ、落ちぶれた先生の姿が情けなく映る。笑いは、その落差から生まれている。この回りくどい感情こそは、物語世界を優しいものにする重要なポイントである。かつて我が友人は語った。愛のない森見節はただの悪口であると。愛あるところに笑いは生まれるのだ。
参加者の感想については以上である。流れるように振り返ってきたので、これらがどうまとまるかはイマイチわからない。ただ、七者七様に作品を面白がっていたことだけは確かである。それは僕にとって、何より喜ばしいことであった。
さて、続いては推しキャラの話である。と、言いたいところだが——
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案の定感想の振り返りが長くなったので、続きは次回に回したいと思います。次回も“あの人”が名言を生みます。そして、ある参加者が趣味全開で突っ走り始めます。さらに、僕は僕で作品の深層を敢えて複雑に語り出します。
初心者とファンと多趣味人の三つ巴。それがこの読書会の小さな車輪をぐるぐる廻している。廻る車輪に巻き込まれるのが、どんなことより面白い。とはいうものの、事態はどこへ収束するのか。全ての結末は次回。どうぞご期待ください。
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