「6月16日、京都北山で読書会が開かれた。よって、これから暫くその振り返りを書こうと思う」今ごろ私はそう書いているはずではなかったか。

 現状をお伝えしよう。私は今日、朝から眠くてたまらず、退社するなり何度も仮眠を取った。いよいよ仮眠と本眠の区別がつかなくなる頃に漸く起きる気になったが、あいにくそれからでは全うなレポートを書くだけの時間が取れない。よし、今日は休養日である。そう私は断じて、もう一度寝た。妙な悪夢にうなされて非常に寝付きが悪かった。夢の中で幻術にかけられ、タネを明かされる。そんなことをされると起きた気になるが、タネ明かしもまた夢の中の話で、現実はそのさらに外にあった。もっとも、お陰で助かった。幻術には1つだけ幻ならざるものが混じっていて、夢の中で覚めた私は153万ものクレジットカード不正利用請求を前にわななき焦っていたところだった。

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 よく寝た話をした後に言うのも些か妙な言葉だろうが、今日1日、私は夢から醒めたみたいな日だなと感じていた。

 『有頂天家族』の読書会を前に、私はわくわくを抑えきれず、その感情の昂ぶりは当日に絶頂を迎えた。しかし、読書会が終わり、今日になってみると、興奮は潮が引いたように去ってしまった。ぼんやりとした頭に流れ込んでくるのは、打って変わって真面目な考えばかりだ。

 興奮に駆られた私は、とにかくオモシロオカシイことが言いたくてぎゃあぎゃあ騒ぎ立てており、時には自虐に走ることさえ厭わなかった。そのことを、冷静になって振り返る。「自分を大切に、何事も丁寧に」あの誓いはどこへ行ったのか。まず思ったのはそれであった。さて心を入れ替えよう。私は落ち着かねばならぬ。反省の弁を心中で繰り返す度、興奮は引きに引いていく。

 こんなことは珍しい。読書会翌日の私は、たいてい興奮を引きずっていて、半日から1日かけて「平日に帰ってきたのだぞ」という事実を受け容れていく。しかるに、今日、私は最初から平日の中にいた。読書会の一切は、幻影のようにあやふやになって、その映像は記憶の中でゆらゆら波間に漂った。

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 面白く生きるとはどういうことであろう。

 それはただオカシイということではないのだろうと私は思う。正確に言えば、最近になって、そのように考えを改めた。

 真に面白く生きるには、時に苦労を厭わぬことも必要だし、知恵を巡らすことも肝要だ。時々の感情に素直であることは大事だけれども、感情に身を任せるだけでは、享楽に流れ着くのがオチだ。

 樹木希林さんの語録の中に、人生は楽しむよりも面白くということが書かれているらしい。26の誕生日に母からこのことを聞いて以来、その意味するところをぼんやりと考え続けている。むろん、未だに答えは出ない。そもそも、性急に答えを出そうという気もない。

 『有頂天家族』の興奮から醒めた今、改めてそんなことを思う。