6月2日(日)に参加した哲学カフェ〈「わかる」って何?〉のレポートの最終回を、これよりお届けします。一昨日・昨日の記事までで、哲学カフェの中で話し合った内容についての振り返りは終了しました。しかし、今回の哲学カフェでは、話し合いとは別にもう1つやったことがありました。それは、話し合った内容をもとに、〈今日一番疑問に思ったこと〉を書き出し、発表するというものです。進行役の男性曰く、「わかる」は非常に手強いテーマなので、哲学カフェを終えた後も色々と考えを膨らませられるように、敢えてこの時間を用意したとのことでした。というわけで、この記事では、最後にどのような疑問が出たのかということを書き出していこうと思います。

◇     ◇     ◇

 疑問を出し合う時間は30分程度でした。それに先立つ90分間の議論を振り返り、「これだ!」と思う疑問が浮かんだ人から手を挙げて発表します。それを進行役の方が紙に書き出していき、テーブルに並べて共有しました。あくまで疑問の発表が目的なので、出された疑問についての話し合いは行いません。ただし、出てきた問いの意味が分かりにくい時には、発表者に意図を尋ね、参加者全員がわかる言葉に洗練していきます。

 短い時間ではありましたが、全部で18個の疑問が出てきました。それでは、ざっと見ていくことにしましょう。

IMG-9761

▶わかったつもりにならないためにどうすればいいか?
▶知るかボケとひらきなおらないためにはどうすればいいか?
▶「知りたい」の根源とは何か?
▶「わかる」と「わからない」の境界線はどこか?
▶地球上から「わからない」がなくなったら、世界はどうなるのか?
▶そもそも「わかる」必要はあるのか?
▶「気持ちがわかる」の正体は何?
▶「わかる」ことで生じるストレスとは何か?
▶言葉の定義は誰が決めるか?
▶効率よくわかる為にはどうすればよいのか?
▶ある人が「わかっている」と誰が決める?
▶「わかる」は人間だけのものか?
▶「わかっている」と人に認められるために何が必要か?
▶「わからない」から「わかる」になる為には何が必要か?
▶わかった先であなたは何を成し遂げたいのか?
▶人はどうやったらわかりあえるのか?
▶「わかる」には体験が必要なのか?
▶「わかる」ほうが「わからない」よりもいいのか?

 どれも面白そうな疑問ばかりですね。とはいえ、ここで全ての疑問について考えようとすると大変なことになってしまうので、印象に残った疑問を幾つか取り上げてみたいと思います。

 ▶「わかる」ほうが「わからない」よりもいいのか?——議論の中でも、「わかる」が善で「わからない」が悪だと言い切れるのか、という疑問が挙がっていました。実際にわかるかどうかを問題にするのであれば、世の中にはわからなくていいこともあるし、生き死にに関わらない限りは興味や必要に応じて「わかる」ことと「わからない」ことを取捨選択すればいいと思います。ただ、物事に対する態度を問題にするのであれば、「わかろう」という姿勢は、最初から「わからなくていい」と決めつけるよりいいことじゃないかなと、僕は思います。

 ▶ある人が「わかっている」と誰が決める?——これは難しい問題だなあと思いました。自分では「わかっている」と思っていても、周りの人は「お前はわかってない」と感じていることがある。はんたいに、自分では「わからない」と思っているけれど、周りからは「わかってんじゃん」と思われることもある。うーん、どうなんだろう? 全然考えが浮かんでこないので、いつかまた話し合ってみたいテーマです。

 ▶「気持ちがわかる」の正体は何?——わたしとあなたは別の人。別の人の気持ちを完全に「わかる」はずなどないのに、僕らはしばしば「あなたの気持ちわかるよ」と口にします。似たような経験から気持ちを推し量っているのではないかというのが僕のさしあたっての考えですが、この疑問から考えることはまだまだありそうです。例えば、「あなたの気持ちわかるよ」と言われてどう感じるか。自分の心に勝手に踏み込まれた気分になってイラッとすることがある一方で、「知らないよ」と言われるよりずっと嬉しいと感じることもあります。こうした感情の機微にも注目しながら、考えを膨らませていきたいテーマです。

 ▶人はどうやったらわかりあえるのか?——挙げられた時、思わず「ああ、いい!!」と言ってしまった疑問です。「気持ちがわかる」とも通じるものがある気がしますが、実際どうやったらわかりあえるのか。この疑問を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、平田オリザさんの『わかりあえないことから』という本でした(Amazonの本の紹介ページはこちら)。が、数年前にテキトーに読んだきりなので、内容は全く思い出せず。近々読み返してみようと思います。

 ▶地球上から「わからない」がなくなったら、世界はどうなるのか?——挙げられた瞬間、「SFぽくて面白い」と絶賛を浴びていた疑問です。続いて起こったのは、「つまらない世界になるんじゃないかな」という何人かのつぶやきでした。確かに、何もかもわかってしまうというのは、退屈なことのような気がします。「わかる」ことは大切ですが、「わからない」ことがあるというのも大切なことなんだなあと改めて気付ける疑問でした。

 ちなみに、僕が挙げたのは、「知るかボケとひらきなおらないためにはどうすればいいか?」でした。僕はやっぱり、「知らなくていい」と決めつけてかかることに悪いイメージがある。僅かな知識と経験をもとに物事を決めつけがちだと勘付いているからかもしれません。だからといって、具体的な打開策を練っているわけではない辺り、相変わらず怠け者ですが、とにかく、興味関心は幅広く持っていきたいと思います。

 というわけで、哲学カフェレポート・みんなの疑問編はここまで。以上をもちまして、3回にわたった哲学カフェのレポートも締めくくりたいと思います。自分で言うのもナンですが、長かったですね。この間に月初の大仕事は終わるし、南キャンの山ちゃんは結婚するし……はあ、もう、ついていけん。そんなレポートを最後まで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。