最近なかなかいいネタが出てこないなぁ……そんな困り事を心の中でぶつくさ唱えながら会社へ向かっている途中、幅2mほどの浅い水路沿いの道に出たところで、数日前、そこでザリガニ釣りをしている少年たちを見たことを思い出した。

 ちょうど会社から帰る時だった。3人くらいの少年が短い釣り具のようなものを水路に垂らしていた。脇には虫取り網や虫かごが置かれている。すると、横を通り過ぎようとした瞬間に、1人の少年が釣竿を上げた。糸の先に、お手上げのポーズ(実際には威嚇の体勢なのだろう)をしたザリガニが1匹ぶら下がっていた。

 僕は「ええっ⁉」と思った。もう2年近く同じ水路の脇を通っているが、こんなところでザリガニが釣れるとは思ってもみなかった。雨の度に水かさが増し、その際落ちたと思しき傘がこんぶやわかめのようにゆらゆらと沈んでいるだけの水路ではなかったのだ。

 ずっと昔、まだカエルやバッタを気持ち悪いと思うようになっていなかった本当に小さな子どもの頃、一度だけザリガニ釣りに出掛けたことがある。家にあった生き物図鑑を読んで興味を持ち、必要な道具やエサを揃えて、近所の田んぼまで歩いて行った。僕の実家の周りは、今でこそすっかり住宅地になっているが、僕が子どもの頃には、家々の間に小さな田畑が点在していた。だから、田んぼへ出掛けていくくらい、わけはないことだった。

 今でもその場所は覚えている。大人の足なら家から5分もかからず着くだろうが、当時はどれくらい時間がかかったのだろうか。とにかく、期待に胸を膨らませ田んぼまで歩いたことだけは確かである。

 ところが、いざ田んぼについてみると、そこは、水が枯れ、土がひび割れた、およそ水生生物など1匹たりと棲んでいないような場所だった。

 期待を裏切られた僕はボロボロ涙を流しながら今来たばかりの道を引き返した。家に着くより先に親に会ったような覚えがあるから、おそらく後から来る約束にでもなっていたのだろう。とにかく、とてもザリガニなんていそうな場所じゃなかったと訴えながら僕は泣き、鼻をぐずらせながら家まで帰ったのだった。

 以来、僕にとって、ザリガニ釣りはすっかり縁遠いものになってしまった。それはどこか遠い田舎か、あるいは僕が生まれるより前の、まだ自然が生活に密着していた世界でしかできないもののような気がしていた。

 だから、住宅地と工業地の境に位置するコンクリートに覆われた水路にザリガニがいるのは、僕には衝撃的なことだった。

 夏が近づき、朝の空は青の色を少し濃くしている。陽も十分高く、辺りはすっかり明るい。そんな中、僕は件の水路の脇を歩いて行った。よく見ると、虫取り網が2本ほど置き去りにされていた。少年たちはきっとまたここへ来るのだろう。

 そんなことをぼんやり思っていると、たったそれだけのことで、これから始まる1日が少し豊かになるような気がして嬉しかった。実際に待っていたのは、体力的に幾分しんどい1日だった。それでも、「よし!」と思った一瞬は、沈殿せずにこうして残る。