昨日に引き続き、5月12日に大阪で開催された彩ふ読書会・午後の部「課題本読書会」のレポートをお届けしたいと思います。
今回の課題本は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』。科学に陶酔し生命の創造を試みながらも、生まれてきた怪物に恐れをなして逃亡した科学者ヴィクター・フランケンシュタインと、その醜さゆえ誰からも受け容れられず、自らの生を呪い、創造主への復讐を誓う怪物との因縁の対決を描いた物語です。「名前は知ってるけど読んだことないや」という人も少なくないのではという気がします。かくいう僕も、課題本だったからこそ手に取れた作品だなあと思っています。

昨日の記事では、課題本の概要・読書会の概要・僕が参加したグループの様子などを紹介したうえで、物語の中心人物であるヴィクターと怪物に関連する話し合いの内容を振り返ってきました。今回の記事では、ここで書き切れなかった幾つかのトピックについて述べていきたいと思います。これまでの話が気になる方は、昨日の記事からお読みください。
それでは、早速話を進めていきたいと思います。
◆初読者たちの驚き
上述の通り、僕は今回初めて『フランケンシュタイン』を読んだのですが、初めて読んだという方は他にもいました。そうした人たちの感想の中には、素朴ながら面白いものがありました。
ある参加者は「フランケンシュタインって怪物の名前だと思ってたので、まずそこから驚きました」と言っていました。昨日の記事でも「よくある誤解」として紹介しましたが、フランケンシュタインは怪物の名前ではなく怪物を生んだ科学者の名前です。なお、上の意見が出た時、別の参加者から、「『怪物くん』っていうマンガにフランケンっていう怪物が出てくるんですよね」という声があがっていました。後世のキャラ転用で誤解が生まれた可能性は大いにありそうです。
フランケンシュタインの名前について話していた方はさらに、この名前が本文でなかなか出てこないことに驚いたという話もしていました。2015年に出た新潮文庫の新訳版『フランケンシュタイン』でいうと、フランケンシュタインの名前が初めて登場するのは91ページ。それまではヴィクターというファーストネームだけが登場します。この話をして初めて、それは『フランケンシュタイン』について一切予備知識のない状態で読む人に、タイトルの謎を追わせるための策だと気付きましたが、それにしても名前がなかなか出ないというのは同感です。
この〈名前が出てこない問題〉で思い出したのですが、僕も読んでいた時「あれはいつ出てくるんや」と思っていた一節がありました。メアリー・シェリーが書いた序文の中に、物語を書き始めた時のエピソードと共に、「それは、十一月のとある寒々しい夜のことでした」という一文が登場します。これを読んだ時、僕はてっきりこの一文から物語が始まるのだと思っていました。ところが、この一文が出てくるのはなんと109ページ。読んだ時「ああ、やっと出た」と思ったものでした。
ちなみに、本文は実際のところ、ヴィクター・フランケンシュタインの独白を聞き取ったウォルトンという船乗りの手紙から始まります。そういえば「お前誰やねん」って思ってたなあと、今になって思い出します。
◆リピート読破者の華麗なる読解
初読者たちの感想を紹介したところで、今度は『フランケンシュタイン』を繰り返し読んでいるという京都サポーターの女性の話をご紹介しましょう。
この方が『フランケンシュタイン』を読んだのはこれで4度目。初めて読んだのは小学生の時だったそうです。小学生で『フランケンシュタイン』が読めるのなんてスゴイですよね。ちなみに、その時の感想は「人を見た目で判断してはいけない」だったそうです。物語の中盤で、怪物がある家族に自分を認めてもらおうと陰ながら親切を働くものの、その姿を露わにした瞬間追われる身となったというエピソードが出てくるのですが、そこから出てきた感想なのだとか。その後繰り返し読むうち感想はどんどん変わっていき、ひたすらフランケンシュタインをアホくさいと思ったこともあれば、逆に怪物の言動がメチャクチャだと思ったこともあったそうです。
繰り返し読んでいることに加え、大学の授業で扱ったこともあったからなのでしょう、この方の読みはとにかく精緻で、作品の構造を見抜いたうえで分析を深めているという感じがしました。中でも印象的だったのは、ヴィクター・怪物・ウォルトンという3人の語り手がそれぞれ対比関係にあるという話です。例えば、生命の創造を試みる科学者ヴィクターと、前人未到の北極航路を探検するウォルトンは、いずれも人類未踏の地へ行く者として描かれています。しかし、ヴィクターが実際に生命を想像したのに対し、ウォルトンは途中で航海を断念します。また、怪物とウォルトンは、友だちが欲しいと思っているという点で共通しています。しかし、ウォルトンがヴィクターという友に巡り合えたのに対し、怪物は最後まで友だちを見つけることができません。このように、語り手の対比関係を見ていくことで、物語の理解が深まるとのことです。
今回の課題本は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』。科学に陶酔し生命の創造を試みながらも、生まれてきた怪物に恐れをなして逃亡した科学者ヴィクター・フランケンシュタインと、その醜さゆえ誰からも受け容れられず、自らの生を呪い、創造主への復讐を誓う怪物との因縁の対決を描いた物語です。「名前は知ってるけど読んだことないや」という人も少なくないのではという気がします。かくいう僕も、課題本だったからこそ手に取れた作品だなあと思っています。

昨日の記事では、課題本の概要・読書会の概要・僕が参加したグループの様子などを紹介したうえで、物語の中心人物であるヴィクターと怪物に関連する話し合いの内容を振り返ってきました。今回の記事では、ここで書き切れなかった幾つかのトピックについて述べていきたいと思います。これまでの話が気になる方は、昨日の記事からお読みください。
それでは、早速話を進めていきたいと思います。
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◆初読者たちの驚き
上述の通り、僕は今回初めて『フランケンシュタイン』を読んだのですが、初めて読んだという方は他にもいました。そうした人たちの感想の中には、素朴ながら面白いものがありました。
ある参加者は「フランケンシュタインって怪物の名前だと思ってたので、まずそこから驚きました」と言っていました。昨日の記事でも「よくある誤解」として紹介しましたが、フランケンシュタインは怪物の名前ではなく怪物を生んだ科学者の名前です。なお、上の意見が出た時、別の参加者から、「『怪物くん』っていうマンガにフランケンっていう怪物が出てくるんですよね」という声があがっていました。後世のキャラ転用で誤解が生まれた可能性は大いにありそうです。
フランケンシュタインの名前について話していた方はさらに、この名前が本文でなかなか出てこないことに驚いたという話もしていました。2015年に出た新潮文庫の新訳版『フランケンシュタイン』でいうと、フランケンシュタインの名前が初めて登場するのは91ページ。それまではヴィクターというファーストネームだけが登場します。この話をして初めて、それは『フランケンシュタイン』について一切予備知識のない状態で読む人に、タイトルの謎を追わせるための策だと気付きましたが、それにしても名前がなかなか出ないというのは同感です。
この〈名前が出てこない問題〉で思い出したのですが、僕も読んでいた時「あれはいつ出てくるんや」と思っていた一節がありました。メアリー・シェリーが書いた序文の中に、物語を書き始めた時のエピソードと共に、「それは、十一月のとある寒々しい夜のことでした」という一文が登場します。これを読んだ時、僕はてっきりこの一文から物語が始まるのだと思っていました。ところが、この一文が出てくるのはなんと109ページ。読んだ時「ああ、やっと出た」と思ったものでした。
ちなみに、本文は実際のところ、ヴィクター・フランケンシュタインの独白を聞き取ったウォルトンという船乗りの手紙から始まります。そういえば「お前誰やねん」って思ってたなあと、今になって思い出します。
◆リピート読破者の華麗なる読解
初読者たちの感想を紹介したところで、今度は『フランケンシュタイン』を繰り返し読んでいるという京都サポーターの女性の話をご紹介しましょう。
この方が『フランケンシュタイン』を読んだのはこれで4度目。初めて読んだのは小学生の時だったそうです。小学生で『フランケンシュタイン』が読めるのなんてスゴイですよね。ちなみに、その時の感想は「人を見た目で判断してはいけない」だったそうです。物語の中盤で、怪物がある家族に自分を認めてもらおうと陰ながら親切を働くものの、その姿を露わにした瞬間追われる身となったというエピソードが出てくるのですが、そこから出てきた感想なのだとか。その後繰り返し読むうち感想はどんどん変わっていき、ひたすらフランケンシュタインをアホくさいと思ったこともあれば、逆に怪物の言動がメチャクチャだと思ったこともあったそうです。
繰り返し読んでいることに加え、大学の授業で扱ったこともあったからなのでしょう、この方の読みはとにかく精緻で、作品の構造を見抜いたうえで分析を深めているという感じがしました。中でも印象的だったのは、ヴィクター・怪物・ウォルトンという3人の語り手がそれぞれ対比関係にあるという話です。例えば、生命の創造を試みる科学者ヴィクターと、前人未到の北極航路を探検するウォルトンは、いずれも人類未踏の地へ行く者として描かれています。しかし、ヴィクターが実際に生命を想像したのに対し、ウォルトンは途中で航海を断念します。また、怪物とウォルトンは、友だちが欲しいと思っているという点で共通しています。しかし、ウォルトンがヴィクターという友に巡り合えたのに対し、怪物は最後まで友だちを見つけることができません。このように、語り手の対比関係を見ていくことで、物語の理解が深まるとのことです。
さらに、怪物が友だちを求めているという話に関連して、こんな豆知識を紹介していただきました。作中ヴィクターが怪物を悪魔と呼ぶシーンがあるのですが、英語の原著ではここで「fiend」という単語が使われているそうです。そして、ここにrを一文字加えると「friend」つまり「友だち」という言葉になるというのです。こうした仕掛けによって、友を得ることや、友がいない孤独といったテーマがより際立っているのではないかと、先の女性は話していました。知らなかったこと、気付かなかったことをたくさん紹介していただき、ありがとうございました。
◆現代の寓話としての『フランケンシュタイン』
最後に、今回初参加だった理系男子学生の意見をご紹介したいと思います。彩ふ読書会には時々学生さんが来るのですが、どういうわけか学生は理系が多いような気がします。それはともかく、この方の意見はすごく理系的といいますか、キャラクターの人物像や物語の構造を追っていた僕らとは全く違った視点からのもので、とても面白かったのです。
「自分理系なのでわかるんですけど、こういうの今できるんですよね。人間や生命の創造とか」
彼がそう言った時、他の参加者は一斉に「そうなんだ!」と思っていました。SFだと思っていた話がいま、現実味を帯びつつあるということが新鮮だったのです。
考えてみれば、クローン技術の話は僕が高校生の頃には既に倫理の教科書に載っていましたし、遺伝子操作の話もそれ以前からずっと出ていたように思います。生命を生み出したり操作したりする技術は、現代むしろ議論すべき問題としてすぐそこまで来ているのかもしれません。
また、今回参加した学生さんは工学系の方だったのですが、この分野では現在、高性能の義手や義足の開発などが進んでいるそうです。もし、性能のいい義手が開発されて本来の腕よりも優れた能力を発揮するようになったら、人間は自分の腕を捨てて義手に切り替えるのだろうか。そんな問いが投げかけられた時は思わずぞっとしたものでした。
そんな話をしたうえで、学生さんはこう結んでいました。
「フランケンは、技術はあるのだけれど考えがなかったから悲劇を生んだんだと思います。現代でも、技術はあるけれど、倫理がなかったら、技術が知らないうちに悪用されることがあると思うんです。そういう意味で、これは現代に通じる話だなと思いました」
——少し話が逸れますが、この話と前後して、技術的な見地からみるとヴィクターってやっぱりすげえという話が出ていたので書いておきます。
例の怪物ですが、作中では身体能力も知能も優れた者として描かれています。身体能力について言えば、その巨体にもかかわらず俊敏に動くさまや人間では登攀できない岩壁を移動する描写が繰り返されています。そして、知能について言えば、隠れて人間を観察しながら言葉を習得した過程が紹介されていますし、そもそも怪物の語り自体理路整然としています。つまり、ヴィクターの生んだ生命は、能力的には恐ろしく優れた存在だったのです。さらにヴィクターは、怪物から伴侶を作れと迫られこれを断るシーンで、怪物同士が結婚し子どもを産むことを恐れています。ここから怪物に生殖能力があることが伺えます。それだけの生き物を生み出したヴィクターは、天才には違いなかったのだと思います。ただ、何人もの参加者が指摘した通り、彼は幼稚な天才だったのでしょう。
◇ ◇ ◇
以上、『フランケンシュタイン』課題本読書会の模様をお届けしてまいりました。第1回の記事でも書きましたが、今回は本当に自由闊達に議論が進みました。お陰様で、自分が気付かなかった角度から物語に迫れたり、この物語が現代持っている意味などを考えることができました。
今回の振り返りはかなり真面目なテイストになりましたが、実際の話し合いの中では笑いが起こる場面もしばしばありました。実際この作品色々とツッコミどころは多いんです。「死期が迫っている人間にしては、ヴィクターの独白は勿体ぶりすぎていて早く結論を喋れよと思った」とか、「怪物に子どもができるんじゃないかという想像が働くなら、そもそもの段階で怪物が生まれてくることぐらい予想しろよ」とか。もっともツッコミを入れ出すとヴィクターがフルボッコに遭うので、このくらいで止めておきましょう。面白いといえば、前の記事で紹介した、「飼育員か農場主になれば怪物も社会で受け容れられたのではないか」という意見も、ユニークで笑いを誘っていましたね。
あれこれ振り返ってみると、笑いあり真面目ありの今回の話し合いは本当に良いものだったんだなあという思いが一層強くなります。参加された皆さまに改めて御礼申し上げます。
といったところで、課題本読書会の振り返りを締めようと思います。ここまで読んでくださった皆さまも、ありがとうございました。
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