5月12日・日曜日、大阪の桜橋交差点の近くにあるオックスフォードカフェの貸切部屋にて、今月の彩ふ読書会@大阪が開催されました。遅くなってしまいましたが、この記事にてその振り返りを行いたいと思います。

 読書会はいつも、①午前の部=それぞれ好きな本を紹介する「推し本披露会」と、②午後の部=事前に課題本を読んできて感想などを話し合う「課題本読書会」の二部構成で行われます。今回僕は②午後の部=課題本読書会のみの参加でしたので、振り返りは午後の部に限定して書いていこうと思います。なお、全体の振り返りは彩ふ読書会のHPに上がっておりますので、こちらも是非ご覧ください。
(URL→https://iro-doku.com/archives/4606

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 今回の課題本はこちら。

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 メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』です。

 「フランケンシュタイン」という名前を知っている人はめちゃくちゃ多いと思います。あの有名な怪物の姿を思い浮かべた方もきっとおいででしょう。しかし、元の本に手を伸ばしたことのある人は少ないのではないでしょうか。かくいう僕もその一人。課題本にならなかったら、きっと死ぬまで読まなかったことでしょう。そんな〈自力じゃゼッタイ読まない本〉を読む機会を得られるのは、課題本読書会の良い所の1つだと思います。

 小説『フランケンシュタイン』は、ざっくり申し上げれば、科学に陶酔し生命の創造を試みた若き天才ヴィクター・フランケンシュタインと、彼の実験によって生を受けた(受けてしまった)醜い怪物との因縁の対決を描いた物語です。よく誤解されていますが、「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく、怪物を生み出した科学者の名前です。彼は、生命の創造に成功したはいいものの、自分の生み出した怪物の醜さに恐れをなし、実験室を去ってしまいます。その間に外へ出た怪物は、その醜さゆえ誰からも受け容れられず、己の運命を呪い、生みの親・フランケンシュタインへの復讐を着々と進めていくのです。

 物語は、ヴィクター・フランケンシュタインの独白という形で進み、間に、怪物がフランケンシュタインに自らの生い立ちを語る別の語りが挿入されています。また、フランケンシュタインの独白そのものも、彼の独白を聞き取ったウォルトンという船乗りの書簡の一部ということになっています。つまり、ウォルトン、フランケンシュタイン、怪物という3人の語りによって物語が進行しているということです。こうした作品の構成も、僕にとっては意外でした。

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 さて、課題本読書会は13時40分頃に始まり、1時間半余り続きました。司会から読書会の流れや注意事項について説明があった後、参加者は自分のいるグループの中で感想などを話し合います。今回は17名の参加者がおり、3つのグループに分かれて話し合いを行いました。15時を回ったところでグループでの話し合いは終わり、全体発表に移りました。これは各グループでの話の内容を共有するためのもので、代表各1名(読書会サポーターまたは常連)が発表します。全体発表の後、次の読書会やサークル活動などのお知らせがあって、読書会は終了となります。

 今回僕のいたテーブルには6名の参加者がおりました。僕以外の参加者は、4月から京都サポーターになった女性、初参加で午前の部から来ていた女性、前回京都に来ていた英文学好きの女性、最近よく大阪の読書会に来ている女性、そして、初参加の理系男子学生という顔ぶれでした。グループの進行役は僕が担当しました。

 進行の仕方は人によって異なりますが、僕が課題本読書会の進行をするときは、参加した皆さんに本の感想を順番に話してもらうようにしています。ただ、1人が感想を言うと別の誰かがつられて喋りたくなるのが自然な成り行きというもの。なので、最近は強引に話を回さず、1人が感想を話し、その話で暫く盛り上がる、そして話が沈静化したり、次に話す予定だった人の発言が盛り上がったりしたところで緩やかに場を回していくという風にしています。なので、感想が一巡するだけでほぼ時間いっぱい使ってしまうこともあります。

 今回はまさに、感想一巡に時間いっぱい使う回でした。どなたの感想を巡っても様々な意見の応酬があり、色んな話を聴いたり、自分も話をしたりと、とにかく充実した話し合いになりました。出た話を全て順番に紹介していくと大変なことになりそうなので、今回は全員に共通していた話と、印象に残った話に絞ってご紹介しようと思います。

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◆ヴィクター・フランケンシュタインについて

 話し合いの中でよく出た感想の1つは、「ヴィクターまじムカつく」というものでした。のっけから物騒な感想になってしまいますが、これは僕も同感です。

 先に書いた通り、ヴィクターは生命の創造を試みたうえで、いざ生まれたものが醜い怪物になったと知るや、実験室から逃げ出しています。さらにタチの悪いことに、その後実験室に戻ったヴィクターは、怪物が部屋から消えているのを見てホッと安心するのです。いや、怪物を追えよと思ったのは僕だけではないはずです。事実、「この時ヴィクターが部屋から逃げていなければ、その後の悲劇は何も起きなかったんじゃないか」という意見が出た時、全員一斉に頷いていました。また、このシーンについては「赤ちゃんを見殺しにするようなものだ」という意見もありました。

 ヴィクターの始末に負えなさは挙げていけばキリがありません。怪物が復讐を始め、身近な人物が次々に殺され始めた時、ヴィクターは事の真相に気付きますが、自分が狂人扱いされることを恐れ、怪物の存在を誰にも打ち明けることなく一人で勝手に苦しみます。そんな中、フランケンシュタイン家の使用人の女性が犯人と疑われ死刑判決を受けてしまうのですが、ここでもヴィクターは真実を語らず、無実の女性を見殺しにしてしまうのです。この辺りで読者の「おのれヴィクター」という怒りは頂点に達します。その後も、怪物を仕留めるための直接対決に臨みながら、突然「失せろ」と叫ぶなど、その無茶苦茶ぶりは枚挙にいとまがありません。

 『フランケンシュタイン』を繰り返し読んでいるという京都サポーターの女性は、ヴィクターのことを「自分がやったことから目を背けて逃げるヤツ」「美しいものしか見ようとしない幼稚なヤツ」と話していました。どちらも全くその通りという感想でした。

 ただ僕は、この話をしている間、「そうだそうだ」と思いつつも、胸の奥がキリキリと痛むような思いを覚えていました。過去を振り返れば思い当たることも幾つかあって、身を正さなきゃなあという思いに駆られるのでした。

◆怪物について

 続いて、ヴィクターが生み出した怪物について出た意見を見ていきたいと思います。

 「怪物のおぞましい姿っていうのがイメージできない」という意見が、初参加の女性から出ました。これも僕は同感です。怪物はおぞましいという記述が繰り返し登場する一方で、その造形について具体的な描写は殆ど出てきません。想像するのはなかなか難しいと思いました。具体的なビジュアルを巡っては、「顔がブサイクなのか」「巨体というのもおぞましさに関係しているんじゃないか」など、様々な意見が出ました。また、だいぶ後になってから、「映像にせず小説として書くことで、自分の一番気持ち悪いものをそれぞれに想像させることができるのがいいんじゃないか」という意見も出ました。

 怪物への恐怖を巡っては、英文学好きの女性から次のような話もありました。「この小説が生まれた頃って、産業革命や啓蒙思想の時代で、理性を信じて生きるっていう前向きさと、未知のものへの恐怖があったと思うんです。なんかその恐怖の表れなのかなって思いました」確かに、この未知への恐怖というのはポイントだと思います。あるものが、自分がそれをただよく知らないからというだけで怖いものに思えてしまう。そんなことを考え直すきっかけにもなるのかなと思いました。

 一方で、「怪物が周りから受け容れられる方法はなかったのか」という疑問も出てきました。これについては「実際に姿を見せる前に手紙を書けばよかったんじゃないか」という至極まっとうな意見から、「犬を手なずけている描写があるので、飼育士か農場主として生きていく選択肢もあったのではないか」という変化球まで様々な意見が出ました。個人的には、農場主として慎ましく生きるがベストアンサーのように思えました。悪ノリかもしれませんが。

◆ヴィクターと怪物の関係について

 ここまで、ヴィクターと怪物という2人の登場人物について色々書いてきましたので、続けて、2人の関係について出た意見をご紹介しようと思います。この話の火付け役になったのは、最近大阪の読書会によく来ている女性の方でした。

 彼女が注目したのは、物語の終盤に出てくる、ヴィクターと怪物が北極圏で追いかけっこをするシーンです(余談ですが、このシーンは、怪物がヴィクターの周囲の人間への復讐を果たし終えた後の場面で、そこから感想や考察が膨らんだこと自体、僕らにとっては刺激的なことでした)。怪物を亡き者にするため極地まで追っていくヴィクターは、そこで何度も死にそうになるのですが、彼が死にそうになるたび、何者かが食べ物を用意しているのです。ヴィクターはそれで生気を養いつつ、怪物への憎しみを募らせて、また追いかけっこを続けます。ここで怪物がヴィクターに食べ物を用意していることについて、先の女性は、「屈折した愛の形なのかな」「子の父に対する愛情のような気がする」と話していました。

 それを聞いた時、アッと思ったことがありました。『フランケンシュタイン』に寄せられた序文の中に、この物語の主題の1つは家族の愛情を描くことであるという一節があります。怪奇譚であるはずの『フランケンシュタイン』と家族の愛情というテーマが不釣り合いに思えたので印象に残っていたのですが、ここでいう家族の愛情には、ヴィクターと怪物の間の関係も含まれているのだと、上述の話を聴いて気付きました。それまで、テーマになっている家族の愛情とは、フランケンシュタイン家の仲睦まじい様子を指しているのだとばかり思っていた僕は、雷に打たれるほどのショックを覚えました。

 この話に続けて、初参加の女性から次のような話がありました。「怪物は、追いかけてくれる人がいないと困るんですよね。それでやっと社会とつながれるので。でもヴィクターの方には憎しみしかないんですよね」父へのいびつな愛を寄せる怪物と、子を愛することなく憎しみ続けるヴィクター。2人のねじれた関係を見ていると、なんとも言えない悲しい思いが湧いてくるのでした。

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 さて、物語の中心部分に迫る主な感想・意見を振り返ったところで、一度記事を区切ろうと思います。まだ紹介しきれていない感想があるので、次回続きを書こうと思います。それでは。