昨日に引き続き、4月13日に心斎橋で開かれた、読書会哲学カフェ部の記録をつけていこうと思います。トークのテーマは「あなたにとって“読書”とは?」。哲学カフェ部長Cさんが初めて進行役を務めるハンドメイドの哲学カフェは、小休憩を終え、後半へと向かいます。

 はじめに開催概要を確認しておきましょう。今回の哲学カフェは、読書会参加者を対象に開かれたものでした。参加者は、男性6名・女性4名の計10名。哲学カフェ初参加の方もいらっしゃいましたが、どなたも会話に参加し、またそれぞれの話に耳を傾けておられました。会場は心斎橋にあるレンタルスペース。時間は10時半から12時半過ぎまでの2時間少々でした。

 前半では、「読書とは逃避であり、かつ救いである」、すなわち、目の前の現実を一度離れて違う世界へ自分を解放すると同時に、訪れた別世界で自分の悩みや辛さを解決する手立てを見つけ、再び現実に戻って前へ進む力を与えてくれるものが読書であるという話が参加者の間で大きな共感を呼んでいました。また、〈読書をする理由は、つまるところ好きだから〉〈逆に、本を読んでるってエライねとか、自分を高めてるねって言われるのは、違和感がある〉という話も飛び交いました(詳しくはこちらをご覧ください)。

 さて、後半は随分テイストの違う話からスタートします。読書家たちの妄想打ち明け話をとくとご覧ください。

◆しんどい時には本は読めない?

 会が再開して間もなく、ある男性参加者から次のような話がありました。「僕は本当にしんどい時は本は読まないんです。それこそ音楽を聴いたりしていて。元気な時に本を読んでます」前半の話が〈読書は救いである〉というカラーに染められていたことを思うと、男性の話はまた違う立場から読書について語る契機になるように僕には思えました。

 実は僕も、しんどい時はあまり本を読む気がしないタイプの人間です。それどころか、なんでもない時でも、数日にわたり本を開かないことさえある。なんともものぐさな人間ですが、会の途中で僕はふとあることに気付いたのです。

 ついつい読書をサボってしまうのは、そして、しんどい時に本が読めなくなるのは、読書にはある程度エネルギーが要るからではないか。

 著者の言いたいことを考えたり、登場人物の心情を読み取ったり。それらは楽しいことですが、結構くたびれることでもあります。だから、本を読むにはそれなりに元気が要ると、僕は思います。そして、しんどい時には音楽を聴いたり、見慣れた動画を観たりする方がいいとも思います。

 もっとも今書いた意見はブログ用にちょっとアレンジしたものです。会の途中で実際に思い付いた「エネルギーのいる読書」とは、文章で書かれた内容を頭の中で映像にするようなそれでした。僕はアニメっ子なので、本を読んでいるとしばしばアニメーション映像が流れ始めます。そして、一度映像が流れ出すと、ついつい、アングルや色彩、登場人物の造形や声まで想像を巡らせてしまいます。なかなか大変ですが、それでも好きだからなんやかんやでやってしまいます。

 という話を実際にしたところ、何人かの参加者の心に思わぬ火が点いたようでした。本を読みながら想像・妄想を巡らせていたのは、僕だけではなかったのです。

◆読書と想像、そして妄想

 まず話を切り出したのは、前回京都読書会後の哲学カフェでもご一緒した女性の方でした。

「キャスティングを考えてしまうのわかります。私も結構アテ読みするんです。アニメもそうだし、ドラマも想像するので、誰が演じたらいいかなとか考えてます。あと、登場人物の中に推しができてきて、本編とは関係なく彼らの物語を勝手に作っちゃったりとか。二次創作しちゃってます」

 嬉々としてアツく語り出す女性を前に、会場中が「なんだこれ面白いぞ」という前傾姿勢を取り始めたように僕には見えました。

「私は別に何か書いたりとかしないんで脳内二次創作なんですけど、あの、ピクシブっていう二次創作とかの投稿サイトがあって、それを見にいくと同じようなことを考えてる人がやっぱりいて、もうめちゃくちゃ嬉しいですね。ってもう本編関係ないんですけど」

 堰を切ったように飛び出すディープな読書経験に、全員わくわくしながら聴き入っておりました。

 ここでもう1人話に加わった方がいました。大阪サポーターをされている女性の方です。

「私も本を読みながら配役とか考えてます。本って映像とかと違って文字だけの世界なので、自分で好きなように色んなことが想像できますよね。それもホントに自由に考えられるので、実際のドラマだったら絶対に出演しないようなアーティストとかをアテられて、めちゃくちゃ楽しいです」

 なるほどなあ。と思っていたその時でした。

「そうやって考えてると、だんだん登場人物がイケメンだらけになってきて、気付いたら脳内イケメンパラダイスになってるんですけど」

 凄い単語が飛び出ました。脳内イケメンパラダイス。参加者一同大笑いでした。進行役のCさんはこの言葉がツボにはまったらしく、後日「脳内イケメンパラダイス」をこの日の名言大賞に認定していました。

 ここへ更に僕が加わって、読書家想像・妄想トークはますます白熱していきました。もっとも、僕はこの時笑いながら、一口に想像・妄想と言っても、その形は人それぞれなんだなあということを感じていました。お二方の想像が二次創作やスピンオフへと膨らんでいくのに対し、僕の想像は、書かれたものを忠実になぞって映像に組み上げる方にばかり突き進んでいく。2つの会話文の間にどれだけ尺を取るかとか、この会話のシーンでカメラは登場人物を写すのか周りの風景を写すのかとか、僕はいつもそんなことばかり考えています。その違いに触れられたのは、とても面白い経験でした。

◆読書と刺激~別世界から帰って来られない~

 妄想トークが落ち着いたのち、「年齢によって読み方や好みは変わる」という話や、「自分がただ生きているだけでは知りえなかったことを知るのが読書の良さ」という話などを経て、「現実→別世界→現実」という前半で話題になった図式が再びトークの中心的なテーマになりました。前半の記録で書いていた「別世界は実は幅広い」という話は、実際にはここで展開した内容です。

 そうして幾つかの話をしていた時、ある参加者から次のような発言がありました。

「でも、時々別世界から帰って来られなくなることないですか?」

 これがまた色んな方の共感を呼びました。具体的にどんな話が展開したのかあいにく思い出せないのですが、本の世界から帰って来られなくなったエピソードが幾つも紹介され、会場が再び盛り上がっていきました。

 僕も身に覚えがあります。本の世界から帰って来られなくなったこと、あるいは、読書という経験から帰って来られなくなったこと。それらのことを思い出していると、帰って来られない理由が見えたような気がしました。

「ちょっと強引なまとめになるかもしれないんですけど、現実に戻れなくなるのって、本の世界が刺激的だからじゃないかなと思うんです。僕も経験あるんですけど、本の世界が面白すぎて、現実が逆に平板でつまらないなと思うことがあって、そうなると本の世界から抜け出せなくなる気がします」

 ——書きながらふと気付いたのですが、刺激を求めて本の世界に溺れ、現実をつまらないと思い始めたら、本は現実の救いにはならないかもしれない。現実もまた面白いものであることを、そして、現実を面白く生きる術を身に付けられることを、つとに願いたいと、僕は思います。

 トークはこの後、「刺激を求めるならゲームもそうですよね」という話から、ゲーム・映像といった他のメディアと読書との比較へと移っていきました。参加者の中には、ゲームにもテレビにもマンガにも殆ど接してこなかったという、今時分ここまで徹底したらレッドデータではと思われる方もいて、「他のメディアも同時に楽しむのは、感覚の違いを味わいたいからなのかなと思ってるんですけど」といった話も出てきました。一方で、言語表現の幅広さや面白さに関する話も飛び交い、海外小説の翻訳の面白さに関するアツい話なども出てきました。

 といったところで、あっという間に2時間が過ぎてしまい、哲学カフェはお開きになりました。

◆それから

 哲学カフェが終わった後のことを少し書いておこうと思います。会場は14時までお借りしていたので、時間のある人はそのまま残ってお昼を食べることになりました。2班に分かれてコンビニへ行こうという話をしていると、気付いたら女性陣だけが見事に部屋からいなくなっていて大笑いしてしまいました。その時、ある男性が「ジャンクなものが食べたい」と言ったので、僕らは入れ替わりに外へ出ると、コンビニではなくマクドナルドへ向かいました。が、向かう途中で、「バーガーキングもありますよ」と言われ、「じゃあバーガーキングにしよう」と思い付きで動き出しました。

 その時、折角ファストフード店に行くのなら、みんなで食べられるようにポテトなどを買って帰りたいなという気がしてきました。Cさんに提案すると、「いいですね、そうしましょう」とあっさりOKが出て、ポテトとチキンナゲットを2つずつ買うことになりました。それ以外にバーガー単品を頼んで、僕らはまたレンタルスペースへと戻りました。

 とても気持ちのいい昼下がりでした。気温は程よい暖かさで、空は抜けるように青く、界隈には、店頭に、そして行き交う人々の間に、鮮やかな色が溢れていました。

 会場へ戻った僕らは、それぞれに話を咲かせ、お昼を頬張りながら、真ん中に置かれたポテトとナゲットをつついていました。その時、僕はとても満ち足りた気分でした。こんな光景に憧れていたのかもしれない。ジャンクなスナックをみんなで食べながらくつろいで談笑する、こんな光景に。僕はここで、ささやかな夢を1つ叶えたのかもしれない。そんな気がして、ずっとわくわくしていました。

◇     ◇     ◇

 以上で哲学カフェの振り返りを終わりにしようと思います。最後で急にセンチメンタルモード全開になってしまいましたが、書きたかったんです、ご容赦ください。

 振り返ってみればみるほどに、平和な哲学カフェだったという気がします。意見の潰し合いはまるでなく、緩やかな共感の上に少しずつ違う意見を並べ重ねていく。そうするうちに、話が膨らんでいく。理想的な哲学カフェが実現した気がします。皆さま本当にありがとうございました。

 強いて言うなら、だからこそ、「読書はスゴイ」「読書はエライ」といった違和感を覚える言葉がなぜ出てくるのかということを、敢えてこだわって考えてみても良かったのかなと思います。その場にいないタイプの人を想像することで、思考の幅が広がったのかなという気がするからです。とりあえず、僕自身はこれを期限なしの宿題として持ち帰ることにします。

 ところで——哲学カフェは終わりましたが、4月13日の彩ふ読書会日誌はこれでは終わりません。心斎橋の会場を14時まで借りていたのは、実はその後恵美須町でもう1つ別の部活動に参加する予定があったからなのです。と、いうわけで、次回はもう1つの活動、謎解き部の様子を振り返りたいと思います。皆さま引き続きお楽しみください。