みなさま、たいへんお待たせいたしました。これより、彩ふ読書会レビュー・課題本読書会『宝塚ファンの社会学』第二幕を開演いたします。
前回第一幕は、難産の末、読書会の概要と、今回の課題本読書会を陰で操っていた秘密結社「ヅカ社実行委員会」について説明するところで終わってしまいました。そこで切っておいて言うのもナンですが、話し合いに一切触れないのはどうかしていると思います。というわけで、今回はテーブルトークの中身をたっぷり紹介いたしましょう。
なお、前回の最後で、第二幕は別の日記を1回挟んでから書くと言いましたが、よくよく振り返ってみると、『ヅカ社』の話をしないと次に進めない事情があったので、先にこちらを書こうと思います。
さて、テーブルトークの話をするにあたり、読書会の概要と僕のいたテーブルの雰囲気をざっとおさらいしておきましょう。読書会は13時40分に始まり、1時間半程度続きました。参加者は12名で、2つのテーブルに分かれて課題本の感想などを自由に話し合います。今回はヅカ仕様で、テーブルにはそれぞれ「花組」「月組」の名がついておりました。
僕は花組に入り、進行役も担当しました。組子、もとい参加者は全部で6名。僕のほかにいらっしゃったのは、①午前の部で進行役を担当された京都サポーターの男性、②いつも胸キュン小説をお持ちになる男性、③ヅカ歴4ヶ月で読書会ヅカ部2番手へ躍進した大物女性、④とにかく幅広い興味関心をお持ちの男性、そして、⑤現役でタカラヅカのファンクラブに所属されている飛び入り参加の女性でした。
テーブルトークでは、『ヅカ社』の中で紹介されていた宝塚ファンのシステムに関する話と、タカラヅカそのものの魅力や実際のファン活動の様子についての話がバランスよく展開しました。特に女性陣が宝塚ファン、わけても飛び入り参加の女性がファンクラブ経験者ということで、僕らの知らない色んなことを話してくださり、とても充実したトークになりました。
今回は、出た話を順番に振り返るのではなく、幾つかのトピックにまとめて振り返ることにしたいと思います。それでは、参りましょう。
◆「序列」「競争」という仕掛け
テーブルトークの中で繰り返し話題にのぼったテーマの1つは、宝塚歌劇・宝塚ファン双方のシステムのうちにある序列や競争でした。「全てのタカラジェンヌは序列の中に組み込まれているというのが一番印象に残りました。宝塚は夢の世界だけれど、中にいるととても大変そうだと思いました」(ヅカ部2番手の女性)。
『ヅカ社』で詳しく説明されていますが、宝塚歌劇にはトップスターを頂点とする序列があります。そして、ファンクラブの側にも、それに従う形で序列が存在しています。その序列が確固たるもので、ファンクラブ同士でも活動にあたってトップスターの会に都度お伺いを立てなければならないなど、『ヅカ社』の記述には驚くことが沢山ありました。
序列があるということは、その列のトップへ登るための競争もあるということです。そして、劇団内で展開するこの競争に、ファンもまた加わっていくことになります。自分の推しの生徒(ジェンヌさん)が活躍する姿を見たいという思いは、舞台でより輝ける地位=序列の上位へ生徒を押し上げたいという思いに結びつくからです。そのため、ファンの間で、推しの生徒を序列の上位にするための応援競争が展開することになるのです。
さらに、ファンクラブの内側にも、誰がより応援活動に専念したかを巡る序列・競争が存在します。ここでいう応援活動への専念は、あくまでファンクラブの活動にどこまで貢献したかによって見極められます。貢献度の高いファンには、より良い席のチケットを手に入れられたり、生徒とのツーショットを許されたりという特典が待っている。ゆえに、その数少ない特典を手に入れようという競争が発生するのです。
あらら、本の要約になってしまいました。今しばらく、序列・競争を巡るトークの様子を見ていくことにしましょう。
◆「序列」「競争」の諸相
「宝塚ファンの人たちが自分から序列や秩序を作り出しているのが凄いなと思ったんですけど、何を原動力にそこまでやるんですか?」京都サポーターの男性が、トークの序盤でこのような質問をされていました。この方は、上で述べた特典(良い席のチケットなど)が競争を仕掛けるという読みをされたうえで、どうもしっくりこないと思われていたようです。
この質問に答えたのは、飛び入り参加の女性でした。「私元々舞台が好きなんですけど、舞台の役者さんって、チケットをさばくノルマがあるんですね。いくらチケットをさばけるかによって次の役にも影響があったりするんですけど、それって結構人気に左右されるんです。特定のジェンヌさんを応援してファンクラブに入っていると、その人の名前でチケットを買えるので、それでノルマに反映されるんだと思います」
この答えからわかるのは、宝塚ファンが競い合って活動するのは、旺盛なファン活動が生徒=ジェンヌさんの応援につながるからだということです。特典の話は確かにおもしろく目を引きますが、そもそもファン活動の根底にあるのは、その人を応援したい、その人の活躍を見たいという気持ちのはず。これは重要なポイントだと思います。
チケット捌きの話にはもう1つ、僕にとって大きな発見がありました。それは、ファン活動は極めて直接的に生徒の活動支援につながっているということです。『ヅカ社』の中では、ファン人気は劇団の人事に必ずしも影響しないと書かれていたので、僕は正直、積極的なファン活動によって生徒を応援するというのは精神論的な話なのかなと思っていました。しかし、上の話を聞いて、ファン活動は生徒自身の活動や、生徒への劇団の評価に直接的な形で結びつくものだとわかりました。もっとも、こんなことはファンの間では常識のようで、僕は後でヅカ部長に「ちゃんと本読みましたか」と怒られたんですが。
序列・競争を巡っては、「序列やルールがイヤな人もいるのでは?」(胸キュン小説の男性)という質問もありました。実際そういう人もいて、次第にファンクラブからは遠ざかり一般のファンになるのだと、女性陣から説明がありました。
また、「序列や競争は、実際のファンクラブ活動の中でそんなにハッキリ見えてるんでしょうか?」(僕)という話もしました。この点についても飛び入り参加の女性からお話があったのですが、「ファン同士の緊張感は確かにありますけど、それを気にしたらファン活動は楽しめないので」とのことでした。実際にファン活動をしている時には、競争心はそれほど表に出るものではないようです。
以前別の記事で書いた通り、僕は『ヅカ社』読書会の前日にファン活動の1つ「入り待ち」の様子を見に行ったのですが、その際印象に残った光景の1つに、宝塚ファンは動きこそ整然としているけれど、ジェンヌさんが前を通っていても結構平気で雑談しているというものがありました。その光景には、ファンの人たちは決められた活動さえちゃんとしていれば後は結構自由で、むしろ趣味や関心を同じくする人たちと一緒に活動したりおしゃべりしたりすることを楽しんでいるんだなと思わせるものがありました。「競争を気にしたらファン活動は楽しめない」という話を聞きながら、自分が実際に見て感じたことがそれほど間違っていなかったことに気付き、ホッとしました。
◆「相互監視」という仕組み
今書いた通り、ファン活動は楽しくないと続かないわけですが、一方で、女性の言葉を振り返りますと、ファン同士の間に緊張感が漂っているのも確かなようです。その緊張感は必ずしも競争の産物ではないのかもしれません。僕がこう考えるのは、テーブルトークの中でファン同士の「相互監視」ということが度々話題にのぼっていたからです。
これまでの記述でも触れているように、宝塚ファンの活動には一定のルールがあり、そのルールに基づく秩序が存在します。その秩序を支える要素の1つとして、ファン同士の相互監視があるのではないか。そう話されていたのは、様々な趣味をお持ちのリピーターの男性でした。
この話に、皆さんうんうんと頷いていたのですが、特にヅカ部2番手の女性が共感を寄せていたようです。「ファンクラブに入っている人たちには特定のご贔屓さんがいて、勝手なことをやるとその人に迷惑がかかると思っているから、人目を気にして、ファンクラブのルールや秩序に従うようになるんだなと思います」先にみたように、宝塚ファンの活動の根底には生徒を応援しその活躍を見たいという思いがあるはずですが、ここではその思いが、活躍する生徒の足を引っ張ってはいけないという意識に転化し、ファン同士の勝手な行動を抑制する方向に働いているのかもしれません。
そんな話をしていると、飛び入り参加の女性から驚くような話が飛び出しました。「ファンクラブの代表の方やスタッフさんって、よく来るファンの顔と名前をよく覚えてるんですよ」ある時この方は、大劇場でファンクラブからのチケット受け取りの列に向かっていた際に、「あ、〇〇さんはこの列です」と、名乗りもしないうちに誘導されたというのです。この話を聞いて僕たちは、凄いというべきか怖いというべきか、反応に困ってしまいました。顔と名前まで割れていたら、下手なことはできない。宝塚ファンの社会にはこのような側面もあるようです。
◆ファンがスターを「育てる」
少し話を変えましょう。『ヅカ社』の感想を話し合っている時に、「ベテランのファンが新人のジェンヌさんに演じ方や歌い方を指導するという話が凄いと思いました」という話が出ました。この話、僕も『ヅカ社』を読んでいてとてもめちゃくちゃ面白いと思ったポイントの1つでした。宝塚ファンは時に、母が娘を育てるように、推しの様子を見守りアドバイスをするというのですから。
この話を聞きながら、僕は、ファンがジェンヌさんのことを「生徒」と呼んでいることを思い出していました。実際、ジェンヌさんは全員宝塚音楽学校で2年間勉強してから研究生として劇団員になるのですが、劇団員になった後のジェンヌさんのことも、ファンはしばしば「生徒」と呼ぶようです。この呼び方のうちには、生徒は指導し育てる対象であるという意識が込められているような気がします。『ヅカ社』の中でもファンの活動はしばしば育成ゲーム的であるという風に書かれていました。
もっとも、ファンによる指導的なかかわりの持ち方は人それぞれのようです。話の中で、京都サポーターの男性が「売れてない頃から応援してた子が売れたっていうのは、ファンにとって優越感につながるものなんですかね」と話したのに対し、飛び入り参加の女性が「それもありますけど、中にはジェンヌさんが売れてくると、もう私の知ってるあの子じゃないって言って、また別の新人さんを応援するようになる人もいます」と答える一幕がありました。これもめちゃくちゃ面白い話でした。
この女性によると、ファンの生徒の追いかけ方は本当に様々で、1人の生徒を新人時代から追いかけ大成するまでを見届ける人もいれば、ひたすら若手を追いかけたがる人や、「勝ち馬に乗りたい人」つまりトップクラスのスターの応援ばかりする人など、色んな人がいるそうです。勝ち馬ファンに至っては、生徒を育てる気はあまりなさそうですね。ともあれ、この女性によると、序列と競争の仕組みがかっちりしているタカラヅカは、このような様々なファンの思惑に応えることができるといいます。これはとても重要なポイントだと、僕は思いました。
テーブルトークはもう少し続くのですが、長くなってきたのでここで一旦話を区切ることにしましょう。
やってしまいました。宝塚歌劇では長尺ものの演目でも二幕で終わるというのに、僕の読書会レビューは第三幕へ突入してしまいます。これじゃあまったく反則です。
うう、許してください皆さま。というより、そこあまり気にしないでいてください。
もっとも、トークの内容も半分以上は振り返れたと思いますので、あとは一気に書き出して、そして怒涛のラストを迎えるのみとなります。次回、今回全く登場しなかった「ヅカ社実行委員会」が再登場、そして、読書会は大団円を迎えるのでございます。どうぞ皆さま、乞うご期待!
前回第一幕は、難産の末、読書会の概要と、今回の課題本読書会を陰で操っていた秘密結社「ヅカ社実行委員会」について説明するところで終わってしまいました。そこで切っておいて言うのもナンですが、話し合いに一切触れないのはどうかしていると思います。というわけで、今回はテーブルトークの中身をたっぷり紹介いたしましょう。
なお、前回の最後で、第二幕は別の日記を1回挟んでから書くと言いましたが、よくよく振り返ってみると、『ヅカ社』の話をしないと次に進めない事情があったので、先にこちらを書こうと思います。
さて、テーブルトークの話をするにあたり、読書会の概要と僕のいたテーブルの雰囲気をざっとおさらいしておきましょう。読書会は13時40分に始まり、1時間半程度続きました。参加者は12名で、2つのテーブルに分かれて課題本の感想などを自由に話し合います。今回はヅカ仕様で、テーブルにはそれぞれ「花組」「月組」の名がついておりました。
僕は花組に入り、進行役も担当しました。組子、もとい参加者は全部で6名。僕のほかにいらっしゃったのは、①午前の部で進行役を担当された京都サポーターの男性、②いつも胸キュン小説をお持ちになる男性、③ヅカ歴4ヶ月で読書会ヅカ部2番手へ躍進した大物女性、④とにかく幅広い興味関心をお持ちの男性、そして、⑤現役でタカラヅカのファンクラブに所属されている飛び入り参加の女性でした。
テーブルトークでは、『ヅカ社』の中で紹介されていた宝塚ファンのシステムに関する話と、タカラヅカそのものの魅力や実際のファン活動の様子についての話がバランスよく展開しました。特に女性陣が宝塚ファン、わけても飛び入り参加の女性がファンクラブ経験者ということで、僕らの知らない色んなことを話してくださり、とても充実したトークになりました。
今回は、出た話を順番に振り返るのではなく、幾つかのトピックにまとめて振り返ることにしたいと思います。それでは、参りましょう。
◆「序列」「競争」という仕掛け
テーブルトークの中で繰り返し話題にのぼったテーマの1つは、宝塚歌劇・宝塚ファン双方のシステムのうちにある序列や競争でした。「全てのタカラジェンヌは序列の中に組み込まれているというのが一番印象に残りました。宝塚は夢の世界だけれど、中にいるととても大変そうだと思いました」(ヅカ部2番手の女性)。
『ヅカ社』で詳しく説明されていますが、宝塚歌劇にはトップスターを頂点とする序列があります。そして、ファンクラブの側にも、それに従う形で序列が存在しています。その序列が確固たるもので、ファンクラブ同士でも活動にあたってトップスターの会に都度お伺いを立てなければならないなど、『ヅカ社』の記述には驚くことが沢山ありました。
序列があるということは、その列のトップへ登るための競争もあるということです。そして、劇団内で展開するこの競争に、ファンもまた加わっていくことになります。自分の推しの生徒(ジェンヌさん)が活躍する姿を見たいという思いは、舞台でより輝ける地位=序列の上位へ生徒を押し上げたいという思いに結びつくからです。そのため、ファンの間で、推しの生徒を序列の上位にするための応援競争が展開することになるのです。
さらに、ファンクラブの内側にも、誰がより応援活動に専念したかを巡る序列・競争が存在します。ここでいう応援活動への専念は、あくまでファンクラブの活動にどこまで貢献したかによって見極められます。貢献度の高いファンには、より良い席のチケットを手に入れられたり、生徒とのツーショットを許されたりという特典が待っている。ゆえに、その数少ない特典を手に入れようという競争が発生するのです。
あらら、本の要約になってしまいました。今しばらく、序列・競争を巡るトークの様子を見ていくことにしましょう。
◆「序列」「競争」の諸相
「宝塚ファンの人たちが自分から序列や秩序を作り出しているのが凄いなと思ったんですけど、何を原動力にそこまでやるんですか?」京都サポーターの男性が、トークの序盤でこのような質問をされていました。この方は、上で述べた特典(良い席のチケットなど)が競争を仕掛けるという読みをされたうえで、どうもしっくりこないと思われていたようです。
この質問に答えたのは、飛び入り参加の女性でした。「私元々舞台が好きなんですけど、舞台の役者さんって、チケットをさばくノルマがあるんですね。いくらチケットをさばけるかによって次の役にも影響があったりするんですけど、それって結構人気に左右されるんです。特定のジェンヌさんを応援してファンクラブに入っていると、その人の名前でチケットを買えるので、それでノルマに反映されるんだと思います」
この答えからわかるのは、宝塚ファンが競い合って活動するのは、旺盛なファン活動が生徒=ジェンヌさんの応援につながるからだということです。特典の話は確かにおもしろく目を引きますが、そもそもファン活動の根底にあるのは、その人を応援したい、その人の活躍を見たいという気持ちのはず。これは重要なポイントだと思います。
チケット捌きの話にはもう1つ、僕にとって大きな発見がありました。それは、ファン活動は極めて直接的に生徒の活動支援につながっているということです。『ヅカ社』の中では、ファン人気は劇団の人事に必ずしも影響しないと書かれていたので、僕は正直、積極的なファン活動によって生徒を応援するというのは精神論的な話なのかなと思っていました。しかし、上の話を聞いて、ファン活動は生徒自身の活動や、生徒への劇団の評価に直接的な形で結びつくものだとわかりました。もっとも、こんなことはファンの間では常識のようで、僕は後でヅカ部長に「ちゃんと本読みましたか」と怒られたんですが。
序列・競争を巡っては、「序列やルールがイヤな人もいるのでは?」(胸キュン小説の男性)という質問もありました。実際そういう人もいて、次第にファンクラブからは遠ざかり一般のファンになるのだと、女性陣から説明がありました。
また、「序列や競争は、実際のファンクラブ活動の中でそんなにハッキリ見えてるんでしょうか?」(僕)という話もしました。この点についても飛び入り参加の女性からお話があったのですが、「ファン同士の緊張感は確かにありますけど、それを気にしたらファン活動は楽しめないので」とのことでした。実際にファン活動をしている時には、競争心はそれほど表に出るものではないようです。
以前別の記事で書いた通り、僕は『ヅカ社』読書会の前日にファン活動の1つ「入り待ち」の様子を見に行ったのですが、その際印象に残った光景の1つに、宝塚ファンは動きこそ整然としているけれど、ジェンヌさんが前を通っていても結構平気で雑談しているというものがありました。その光景には、ファンの人たちは決められた活動さえちゃんとしていれば後は結構自由で、むしろ趣味や関心を同じくする人たちと一緒に活動したりおしゃべりしたりすることを楽しんでいるんだなと思わせるものがありました。「競争を気にしたらファン活動は楽しめない」という話を聞きながら、自分が実際に見て感じたことがそれほど間違っていなかったことに気付き、ホッとしました。
◆「相互監視」という仕組み
今書いた通り、ファン活動は楽しくないと続かないわけですが、一方で、女性の言葉を振り返りますと、ファン同士の間に緊張感が漂っているのも確かなようです。その緊張感は必ずしも競争の産物ではないのかもしれません。僕がこう考えるのは、テーブルトークの中でファン同士の「相互監視」ということが度々話題にのぼっていたからです。
これまでの記述でも触れているように、宝塚ファンの活動には一定のルールがあり、そのルールに基づく秩序が存在します。その秩序を支える要素の1つとして、ファン同士の相互監視があるのではないか。そう話されていたのは、様々な趣味をお持ちのリピーターの男性でした。
この話に、皆さんうんうんと頷いていたのですが、特にヅカ部2番手の女性が共感を寄せていたようです。「ファンクラブに入っている人たちには特定のご贔屓さんがいて、勝手なことをやるとその人に迷惑がかかると思っているから、人目を気にして、ファンクラブのルールや秩序に従うようになるんだなと思います」先にみたように、宝塚ファンの活動の根底には生徒を応援しその活躍を見たいという思いがあるはずですが、ここではその思いが、活躍する生徒の足を引っ張ってはいけないという意識に転化し、ファン同士の勝手な行動を抑制する方向に働いているのかもしれません。
そんな話をしていると、飛び入り参加の女性から驚くような話が飛び出しました。「ファンクラブの代表の方やスタッフさんって、よく来るファンの顔と名前をよく覚えてるんですよ」ある時この方は、大劇場でファンクラブからのチケット受け取りの列に向かっていた際に、「あ、〇〇さんはこの列です」と、名乗りもしないうちに誘導されたというのです。この話を聞いて僕たちは、凄いというべきか怖いというべきか、反応に困ってしまいました。顔と名前まで割れていたら、下手なことはできない。宝塚ファンの社会にはこのような側面もあるようです。
◆ファンがスターを「育てる」
少し話を変えましょう。『ヅカ社』の感想を話し合っている時に、「ベテランのファンが新人のジェンヌさんに演じ方や歌い方を指導するという話が凄いと思いました」という話が出ました。この話、僕も『ヅカ社』を読んでいてとてもめちゃくちゃ面白いと思ったポイントの1つでした。宝塚ファンは時に、母が娘を育てるように、推しの様子を見守りアドバイスをするというのですから。
この話を聞きながら、僕は、ファンがジェンヌさんのことを「生徒」と呼んでいることを思い出していました。実際、ジェンヌさんは全員宝塚音楽学校で2年間勉強してから研究生として劇団員になるのですが、劇団員になった後のジェンヌさんのことも、ファンはしばしば「生徒」と呼ぶようです。この呼び方のうちには、生徒は指導し育てる対象であるという意識が込められているような気がします。『ヅカ社』の中でもファンの活動はしばしば育成ゲーム的であるという風に書かれていました。
もっとも、ファンによる指導的なかかわりの持ち方は人それぞれのようです。話の中で、京都サポーターの男性が「売れてない頃から応援してた子が売れたっていうのは、ファンにとって優越感につながるものなんですかね」と話したのに対し、飛び入り参加の女性が「それもありますけど、中にはジェンヌさんが売れてくると、もう私の知ってるあの子じゃないって言って、また別の新人さんを応援するようになる人もいます」と答える一幕がありました。これもめちゃくちゃ面白い話でした。
この女性によると、ファンの生徒の追いかけ方は本当に様々で、1人の生徒を新人時代から追いかけ大成するまでを見届ける人もいれば、ひたすら若手を追いかけたがる人や、「勝ち馬に乗りたい人」つまりトップクラスのスターの応援ばかりする人など、色んな人がいるそうです。勝ち馬ファンに至っては、生徒を育てる気はあまりなさそうですね。ともあれ、この女性によると、序列と競争の仕組みがかっちりしているタカラヅカは、このような様々なファンの思惑に応えることができるといいます。これはとても重要なポイントだと、僕は思いました。
◇ ◇ ◇
テーブルトークはもう少し続くのですが、長くなってきたのでここで一旦話を区切ることにしましょう。
やってしまいました。宝塚歌劇では長尺ものの演目でも二幕で終わるというのに、僕の読書会レビューは第三幕へ突入してしまいます。これじゃあまったく反則です。
うう、許してください皆さま。というより、そこあまり気にしないでいてください。
もっとも、トークの内容も半分以上は振り返れたと思いますので、あとは一気に書き出して、そして怒涛のラストを迎えるのみとなります。次回、今回全く登場しなかった「ヅカ社実行委員会」が再登場、そして、読書会は大団円を迎えるのでございます。どうぞ皆さま、乞うご期待!
コメント