3月3日・日曜日、大阪・桜橋交差点の近くにあるカフェの貸会議室にて、今月の彩ふ読書会@大阪が開催されました。だいぶ遅くなってしまいましたが、この記事ではその様子を振り返りたいと思います。読書会は毎回、①午前の部=好きな本を紹介し合う「推し本読書会」と、②午後の部=事前に読んだ課題本について話し合う「課題本読書会」の2部構成で行われていますが、今回僕は午後の部から参加しましたので、この振り返りでも午後の部だけを取り上げたいと思います。また、午後の部では3つのテーブルに分かれて話し合いが進められましたが、ここでは僕のいたテーブルの様子をお伝えしようと思います。

 今回の課題本はこちら。
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 吉本ばななさんの小説『キッチン』です。

 往年のベストセラーですし、国語の資料集でも馴染み深い作品なので、「読んだことある」「名前は知ってる」という方は多いのではないでしょうか。彩ふ読書会で『キッチン』への注目が高まったのは、昨年11月に開催された1周年記念・拡大推し本読書会の際に、2人の方がこの本を紹介されたからだったように思います。翌月の忘年会で行われた課題本決定投票で本作は2位に輝き、課題本になったわけでございます。

 「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」という、印象的かつ不思議な一文で始まる『キッチン』は、「私」=桜井みかげと田辺雄一の2人を中心に、大切な人を亡くし、喪失感や孤独に苛まれながらも、大切な何かを掴んで生きる希望を見出そうとする人の姿を描いた作品で、「キッチン」と「満月——キッチン2」の2編から成ります。

 「キッチン」では、大学生のみかげが育ててくれた祖母を喪いみなしごになったところへ、祖母の知り合いでもあった雄一が現れ、言われるままに彼の家で暮らしながら、危機的状況から立ち直ろうとする様子が描かれます。そして、「キッチン2」では、雄一の母親である(実際には元父親で、実母が亡くなってから”女になった”)えり子さんが亡くなり、身内を喪った雄一に、大学を辞め料理教室で働き始めたみかげが手を差し伸べ、共に生きていこうと呼びかける様子が描かれます。重いテーマを扱ってはいますが、台所・料理・食事をはじめ、人の生活の中に隠れた些細な場面を丁寧に紡いでいくその文章は、むしろ、静かな温かさや優しさに満ちていて、読んでいると穏やかな気持ちになれる作品でした。

 さて、課題本読書会は13時40分ごろに始まり、1時間半余り続きました。参加者は総勢20名で、先述の通り3テーブルに分かれて感想や印象に残った場面などについて話し合いが行われました。終了前には全体発表の時間があり、各テーブルの代表の話をもとに他のテーブルの様子をうかがうこともできました。

 僕が参加したテーブル7名の方がおりました。男性は、僕と、1月から大阪の課題本読書会に連続で参加してくださっている方の2名。女性は、大阪と京都のサポーターがそれぞれ1名ずつおられ、あとの3名は今回初めて彩ふ読書会に来られた方でした。

 テーブルトークは、①まず順番に、感想や印象に残った箇所について紹介し、その流れで気になることについて話し合う、②続いて順番関係なく発言したい人が自由に話す、という風にして進みました。トークの進行役は僕の担当でした。今回の僕はかなり物言う進行役でした。皆さんが感想を話されたり本文の一節を紹介される度に、そこでふと思い付いたことを言っていました。やりすぎたかなという反省もありますが、そこから話が広がる場面もあったので、ひとまず何とかなったのかなと思っています。もっとも、これから僕の発言を全て書き出していくとタイヘンなことになってしまうので、以下の振り返りでは大胆にカットしようと思います。

 それでは、トークの内容に話を進めていきましょう。今回は、①の感想・印象に残った箇所の紹介が非常に厚みのある内容でしたので、それぞれの方の発言を順にご紹介しようと思います。

◆ひじき:心理描写の丁寧さと、空間描写の巧みさ

 まず僕から、感想等を紹介させていただきました。お話したことは2つ。1つは、心理描写が丁寧で自然だと感じたこと。これに関連して、「キッチン」で、みかげが祖母と暮らした部屋を退居し、バスで雄一の家へ帰るシーンを紹介しました。この時みかげは、ひとりでいることの淋しさと、ひとり自由になったという高揚感を共に抱いているのですが、バスの中でおばあさんと孫のやり取りを目の当たりにするうち、その気持ちは淋しさの方へ、更には喪失感の方へと寄っていき、遂に彼女はバスを降りて涙を流し続けます。このシーンは、人の感情の繊細さが、その移ろいを生む小さなきっかけも含めて仔細に描かれていて、オーバーな表現は1つもないにもかかわらず、読んでいて悲しみが胸に迫る思いのした箇所でした。

 もう1つお話したのは、空間描写を通じて心理描写をする手法が巧みで驚いたということ。ここで取り上げたのは、みかげが祖母との暮らしを振り返りながら、「部屋のすみに息づき、押してくるそのぞっとするような静けさ、子供と年寄りがどんなに陽気に暮らしていても、埋められない空間がある」と述懐するシーンです。ここを読んだ時、部屋のすみにある何も物のない空間から、孤独や淋しさが滲み出るのをみかげが感じている姿が思い浮かび、ゾッとするほど繊細な感性を感じました。1つの空間にこのような意味や感情が見出せるということに、僕はただただ驚きました。

◆大阪サポーターの女性:「いろいろな表現がビリビリくる」

 続いて話されたのは、大阪サポーターの女性でした。この方は以前から吉本ばななさんの作品が好きだそうですが、本作についても、「いろいろな表現がビリビリ来て、どこを紹介していいかわからない」「みかげは私かなと思った」「これは売れるわ」と、感想序盤から熱い思いを迸らせておりました。

 数あるビリビリくる場面の中から、ここでは2つ特に紹介していただきました。1つは、「キッチン」の中で、みかげが雄一に対して「私は今、彼に触れた、と思った」というシーン。心の描写の中で「触れる」という言葉が用いられているのがとても印象的だったそうです。確かに、「触れる」という表現には、おそるおそる差し出したその手がふと何かを確かに感じた時の安心感などをやさしく伝えてくれる気がします。

 もう1つは、「キッチン2」の終盤、東京を飛び出しI市の宿屋に身を寄せている雄一のもとへ、みかげが仕事旅行先から駆け付け、カツ丼を届けるシーン。雄一はここで「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな」と言い、その言葉に触発されるように、みかげは雄一に「二人してもっと大変で、もっと明るいところへ行こう」と語り掛けます。紹介の際、サポーターの女性はこう言っておられました。「美味しいものを食べたり、洗濯をしたり、そんな小さな幸せを大切にして生きていこうっていう気持ちが表れていて、なんか、ああ、いいって思いました」

◆初参加の女性:生活音がもたらす安心感

 3番目に話されたのは、初参加の女性の方でした。「以前は本を読んでたんですけど、最近あまり読めてなくて、これをきっかけにまた読書を始められたらいいなあと思ってます」と、自己紹介の時に話しておられました。

 この方の感想のポイントは「生活感」でした。台所の描写にしても、雄一とえり子さんの部屋を埋め尽くすモノや植物の描写にしても、とにかく人の生活を感じさせるもので、死をはじめ重い話が続くのだけれど、そう感じないと話していました。

 特に印象的だったのは、居候生活を始めたばかりのみかげが、えり子さんが台所で立てる物音で目を覚ますシーンを挙げながら、「生活音に安心する気持ちがよくわかる」と話されたことでした。この話を聞いてハッとしたのですが、『キッチン』を読んでいる間、僕はしばしば、学生時代に初めて一人暮らしをした部屋を思い出していました。たぶん、僕にとって、空間としての家を初めて意識した場所だからでしょう。しかし、一人暮らしの部屋はとかく物音が少なく、夜などは淋しくて、外を行き交う車の音や、低く唸る冷蔵庫の音などに助けられていたものでした。

 僕がそんな話をすると、この女性もいま一人暮らしをされているそうで、「確かに音がないですよね」と応じてくださいました。一方で、同じテーブルにはずっと実家暮らしをされている方もいて、その方々からは「逆に音があり過ぎて落ち着かない。一人暮らしの無音ってどんなものか気になる」という感想が寄せられました。その意見の違いが、僕には面白く感じられました。

◆初参加の女性:なぜ『キッチン』というタイトルなのか?

 続いて話されたのも初参加の女性でした。この方と3番目に話された方はご友人だそうで、最初は「誘われて来ました」とおっしゃっていましたが、後で「私も本を読み直すきっかけが欲しいと思って」と話されていました。

 先ほどの方もそうですが、この方も、初参加とは思えないくらい積極的に色んな感想を話してくださいました。登場人物の心情が丁寧に描かれていて、話に飛躍がないのでとても読みやすかったこと。それから、みかげには自分を客観的にみられる一面もあって、とても強い子だなと感じたこと、などなど。

 しかし、この方の感想と言えば、何を置いても次の話をしなければなりません。

「読んでいる間、なんで『キッチン』っていうタイトルなんだろうってずっと考えてたんですけど」

 そしてこう続けました。キッチンは私たちの食べ物を作る場所で、私たちが食べ物を口にするのは生きていくため。だから、キッチンは生がうまれる場所なのだと。そして、死と生の対比が描かれるこの作品において、主人公たちが生きる希望を見つけ、前向きにいきていこうとすることの象徴なのだと。

 この話が出た瞬間、テーブル中がどよめきました。「なるほど!」「そういうことか!」「今日来た意味があった!」という言葉が次々に飛び出し、暫く興奮が冷めませんでした。僕に至っては、とんでもなく大きな声で「おおーっ!!」と言ってしまい、他のテーブルの方々を一斉に振り向かせてしまいました。すみません、こんな進行役で。

◆初参加の女性:大人になって読んでみて——

 5番目に話されたのは、今回が読書会初参加で午前の部から来られている女性でした。自己紹介の際に「読む本は図書館の返却コーナーから気になる本を選んでいます」と話され、周りから「面白い」と言われていた方です。

 この方は『キッチン』を読むのは2回目だったそうです。初めて読まれたのは中学生の時で、児童文学を卒業してカッコいいものを読もうとしていたとのことでした。が、その時はあまり面白くなかったそうです。「キッチンが好きな理由がわからなかったから」、また、児童文学やマンガと違い「山場がわからなくて平坦な感じがしたから」、とっつきにくいと感じられたようでした。

 大人になって再び出会った『キッチン』は、当時より面白く感じる作品だったと、この方は話しておられました。そして続けて、次のような感想を述べてくださいました。「自分の生活と親しい人の死って、実際には同時進行するものなんですよね。その時に、子どもは死のことでいっぱいいっぱいになってしまうけど、大人は後に続く手続きのこととか考えていて。でも、だからって、大人が悲しんでいないかっていうとそういうわけじゃなくて、ただ、歳と共に悲しみ方が変わっていくっていうことなんだろうなと思います」僕はこの感想を聞きながら、大人って辛いなあとしみじみ思ったものでした。

◆午後の部連続参加の男性:「もう1回読みたい」

 6番目に話されたのは、大阪の午後の部に続けて参加されている男性でした。この方の感想は端的に、「共感できなかった」でした。大切な人の死を乗り越える話だというのはもちろんわかったそうですが、それ以上心に深く刺さるものはなく、これまで出てきた感想に耳を傾けながら、なるほどなあと思っておられたそうです。

 この方、普段は自己啓発本やビジネス書を中心に読まれているそうなので、感じるような読み方ではなく、新しい知識や情報を仕入れて発見を楽しむような読み方をされているのかなと思います。実際、僕らが感想を話している間も、よく「なるほど!」「そうかー!」と感嘆をあげながら本に付箋を貼っておられたのですが、その感嘆は、知らなかったことに気付いた喜びの表れだったように感じました。

 新たな発見を自分の目で確かめたくなったのでしょうか。トークも終盤に入る頃、この方は繰り返し話しておられました。「もう1回読みたい」と。

◆京都サポーターの女性:「どうしよう、わからん」??

 最後に話されたのは、京都サポーターでいつもお世話になっている女性でした。この方は開口一番、前に話された男性がいてくれてよかった、「私も読み終えてから、どうしよう、わからんと思った」と話されていました。表現が独特でキレイだなと感じはしたものの、スーッと読んでいたこともあり細かいところまで追えなかったのだそうです。

 しかし、この方が続けて述べられた感想は、僕にはとても刺さるもので、引き継ぐようにしてあれこれ喋り出す端緒となるものでした。

 それは、「大切な人の死を描いているところが印象に残ったんですけど、感情を外に出すんじゃなくて、内にずっと抱えているのって、とても苦しいことなんだなと感じた」という感想でした。そこで僕が話したのは、「死に限らず、その人にとって本当に辛いこと・苦しいことって、実はなかなか表に出せないと思うんです」ということでした。僕も身に覚えがあるのですが、本当に辛いことは言葉にできない。それが形になって見えてしまうことが怖いから。だから、僕らはそれをもやもやした何ものかに留めておく。このことは、当人にとっては得体の知れない苦しみを引き受けることに他ならない。けれども、そういうふうにしか対処できないこともある、と。

 予定外に重い話をしてしまい、後で慌てて取り繕ったのですが、頷いてくださる方もいらっしゃって、少し救われる思いがしました。サポーターの方も、「なるほど」と繰り返しつぶやいておられました。

◆フリートーク

 テーブルトークの振り返りの最後に、フリートークの内容を幾つかご紹介しようと思います。それぞれ膨らませ甲斐のある内容だと思いますが、既に色んなことを書いてきた後ですので、サッと書き出す程度に留めようと思います。

 まず、上述の死や辛いことの話を受けて、「私はこの作品を読んでて、死よりも生きていく姿勢の方が印象に残った」という話が出ました。確かに、トーク全体を振り返っても、死と生のどちらがより心に刺さるかは、読む方によって異なるという印象を受けます。生にまつわる話はさらに、ご飯やお茶の話に繋がっていきました。

 続いて、「この作品は絶望を前向きにとらえていると感じる」という意見が出ました。絶望の中で、自分にとって捨てることのできない大事なものを人は見つけていく。それがその人の生きる希望になる。『キッチン』はそんなことを教えてくれる小説だという話でした。この話を受けて、「趣味がないと自分が空っぽになったようで淋しい」「みかげにとっての料理と同じくらい大切にできる何かを見つけたい」といった話が相次ぎました。

 一方で、楽しさの中にある切なさといったものに関する話もありました。みかげが祖母と暮らしていた頃を述懐して「私は、いつもいつでも『おばあちゃんが死ぬのが』こわかった」と述べるシーンがあるのですが、同じような気持ちを経験した/経験しているという方がいらっしゃったのです。この気持ちは、思うこと自体も怖いもので、だから見ないようにしていたと、その方は話しておられました。

 また、料理教室で働くみかげのもとへ、雄一の前の彼女がやってくるシーンについて話題にのぼりました。最初はみかげの強さや冷静さについて話していたのですが、途中から女性陣がヒートアップし、「男1女2の三角関係になった時、女性って浮気した男を責めないで相手の女を責めますよね」「男は女を責めるんだけどね」という話へ発展していきました。僕は「ほへー」と思いながら、なんだろうこの昼ドラ感、やっと話の内容と時間帯が噛み合ってきたのかなとバカみたいなことを考えていました。

 最後に、僕はどうしても気になることがあって、5番目に話された女性に、「中学生で初めて読んだ時、男でも女でもあるえり子さんって衝撃的じゃなかったですか」と尋ねてみました。すると、『ふしぎ遊戯』というマンガに「ぬりこ」という女装した男の子のキャラクターがいて、それで知っていたので違和感がなかったという、意外な答えが返ってきました。このやり取りに続けて、「男でも女でもあってどちらも受け止められる人って、最強すぎてずるい」といった声が上がりました。

◆全体発表:なんでカツ丼の是非話し合ってんの??

 テーブルトークの振り返りは以上になりますが、最後の最後に、全体発表の様子を取り上げたいと思います。というのも、これがまた凄い話だったんです。

 僕らのテーブルの発表順は2番目で、前と後に1テーブルずつ発表がありました。先に発表があったテーブルでは、「キッチン」は何の象徴なのかという問いや、吉本ばななさんの表現についてトークが展開したそうで、うんうんと思いながら発表を聞いておりました。

 問題は後のテーブルです。発表の最初の方は普通の話だったのですが——

「あと、最後にみかげが雄一にカツ丼を持っていく場面の話になって、そこから、カツやカツとじは丼にして食べるのがいいか、ご飯とは別々に食べるのがいいかという話になりました」

 ……ん??

 その時、「いや、これは」と喋り出したのは、総合司会を担当しているサポーターの女性でした。どうやらこのテーブルでカツ丼の話を主導したのはこの方だったようです。この方はアンチ丼派でご飯とおかずは分けて均等に食べるべきと主張されたのだとか。って何の話やこれ。

 と思っていたら、「でも〇〇さんは」と、同じテーブルにおられた男性の名前を挙げて話を続けられる。その瞬間、「え、俺!?」とその方が反応。こうして司会不在のまま、全体発表は一時騒然としてしまいました。ちなみに、反応した男性曰く、「いやだって、俺は丼でもいいって言っただけだし、ご飯と具別々にしたら、雄一のところに持ってくまでにグチャグチャになるでしょ」とのこと。後半正論だけどツッコミになってねえ。

 最後の最後にとんでもない話題が投下されましたが、まあ、料理の話なんで良しとしましょう……ダメ??

◇     ◇     ◇

 といったところで、今回の読書会振り返りを締めたいと思います。長い文章に目を通していただき、ありがとうございました。