昨日に続き、京都で行われた彩ふ読書会の記録をつけたいと思います。昨日は午前の部「推し本読書会」の模様をお伝えしました。本日は午後の部「課題本読書会」の話をいたしましょう。
読書会参加5回目、そして、京都会場立ち上げと同時にサポーターになった私ですが、午後の部に参加するのは今回が初めてでした。だって、「課題」という言葉に敏感な自由人……というのは冗談、当方ただの怠け者ですが、これから京都会場を盛り上げていく一人として、課題本に挑戦することにしました。もっとも、課題本読書会は初めてということもあってか、進行役ではなく、一参加者としてグループトークに呑気に参加させていただきました。
今回の課題本はこちら。
読書会参加5回目、そして、京都会場立ち上げと同時にサポーターになった私ですが、午後の部に参加するのは今回が初めてでした。だって、「課題」という言葉に敏感な自由人……というのは冗談、当方ただの怠け者ですが、これから京都会場を盛り上げていく一人として、課題本に挑戦することにしました。もっとも、課題本読書会は初めてということもあってか、進行役ではなく、一参加者としてグループトークに呑気に参加させていただきました。
今回の課題本はこちら。
南海キャンディーズの山ちゃんこと、山里亮太さんの『天才はあきらめた』です。
さあ見てください、この帯の言葉。
あの実力があって慕われていないとなると、よっぽど人望がないのだろう。
よっぽどってどれほどよ。そんなことを思いながら私は本書を読みました。
そして読書会当日、私を待っていたのは、一人の芸人相手に「クズ」という言葉を惜し気もなく投げつけて盛り上がる大人たちでございました。なるほど、これはよっぽどですわ。
それにしてもヒドイ話です。会場は貸切状態のカフェ。開放感のある窓がついているとはいえ、部外者は誰一人として入って来ない、ある種の密室です。その密室に集い、欠席裁判で一人の男を吊し上げる8人のならず者。あんたらに人をクズと呼ぶ資格があるのかね。って、私もそのうちの1人なんですけどね。
序盤から飛ばし過ぎてしまいました。もう少しちゃんとお話ししましょう。
午後の部は13時半過ぎに始まり、15時半ごろまで続きました。参加者は、Aテーブル8名、Bテーブル7名の計15名。1時間以上たっぷり時間を使ってグループトークを行い、最後に参加者全員に向け、テーブルごとの議論の中身や、一人一人の新たな発見などを発表する形式でした。
私はAテーブルにおりました。向かいのBテーブルは、進行役が哲学カフェに関心を持っておられる方で、うさぎのぬいぐるみを持った方が発表するという方法を取り入れて、和やかなトークをしていたようです。一方のAテーブルで何が起きたかは既述の通り。もちろん、悪いのは進行役ではなく、酒がなくても話で酔える強くて悪い大人どもでございます……おっと、またもやこんな話を。
冷静に振り返りたいと思います。どうしてこうなったのか。
自己紹介を終えた後、進行役がランダムに話を振り、振られた人が感想を話すというようにして、グループトークは始まりました。最初に、大阪のサポーターをやっている女性の方が感想を言います。〈山ちゃんは自己分析が上手いと思った〉〈自己肯定感の高め方を10代で知っているのは凄い〉〈人に勝手に壁を作ってしまうところは、自分にもあるなと思った〉〈千鳥の大悟さんめっちゃいい人やん〉等々。
ここで私のメモを見てみましょう。この後、進行役が、読書会の2日前に放送されたしくじり先生で泣いたという話をしたと書かれています。ところが、その下に、別の方がすかさずこう言ったと書かれているんです。
「そんなもん計算や」
おやおや、早くも不穏な空気が漂ってきましたよ?
この後3人の方が続けて感想を話されます。〈そんなに頑張らなくてもと思うところまで頑張ってしまう山ちゃんはストイックだと思った〉〈子供の頃の嘘つき山ちゃんを褒めるお母さんの言葉が印象的だった〉〈人に嫉妬できる山ちゃんは、自分はそこに届くと思っているわけで、それはお母さんの言葉などに自己肯定感を支えられるからこそできることだと思った〉あれ、なんだかいい話。
山ちゃんの泣ける話に「そんなもん計算や」と噛みついていたベテラン男性も話されています。その内容を見てみると、〈昔から山ちゃんは天才やと思ってて、天才はいかにして生まれるのかと思ってこの本を読んだ〉〈自己肯定感が低いからこそ、満足を知らず、恐ろしいほどの努力を続けるのだと思った〉〈ノートにムカつくヤツへの復讐を書き綴っていたけれど、それをガソリンにして努力するのは苦しいのではないかと思った〉——めちゃくちゃ読みが深い!
わからなくなってしまいました。なぜ、Aテーブルでは「山ちゃんはクズ」の言い合いになったのでしょうか。
5人目の感想を見てみましょう。午前の部から参加されていた男性の方です。
〈クズやけど、がんばってる〉
皆さん、私は遂に犯人を突き止めました。この人です。
この男性、本当はとてもいい話をされていたんです。〈周りに「お笑いやってみたら?」と言われたからという理由で、特に思い入れもないのにお笑いの世界に入った山ちゃんが、最後に、自分のやりたい漫才を見つける。それがとてもいいなと思った〉。しかし、彼は言ってしまいました。〈クズ〉と。
そして、この流れが続いてしまうのです。6人目の方の感想を見てみましょう。
〈山ちゃんより、昔の相方のM男君や富男君が印象に残った。もういい人すぎて、こんないい人たちが虐げられてきたのかと思うと腹が立った〉
山ちゃんもはや逃げ場なし。
こうしてAテーブルでは、「1人が3回はクズと口にした」と言われるほどの「クズ」の大合唱が起きてしまったのでした。
そろそろアフターケアに入りましょう。
こんな悪ノリぶりを呈した私たちですが、終盤に入ると少しずつ落ち着いてきました。そして、山ちゃんがレンジャーもの映画の悪役で出た時、芸能界に復帰したばかりのしずちゃんを連れて記者会見に臨んだ話などをしながら〈プロデューススキルの高い山ちゃん〉〈場や人をよく見て立てられる天才山ちゃん〉について話し合、ったものでした。
南海キャンディーズをデビュー当時から知っていて、ネタをよく見ていたという人も何人かいて、具体的なネタの話で盛り上がる場面もありました。〈ツッコミのワードチョイスが凄い〉〈ドツき漫才じゃないから好き〉結局、みんな山ちゃんが好きなんだと、私は思ったものでした。
さて、ここでしれっと、『天才はあきらめた』に関する私の感想を書こうと思います。言いたいことは幾つかあるのですが、上で紹介した感想にはなかったものを1つだけ書いておこうと思います。
実を言うと、私にはどうしても、山ちゃんがそこまでのクズだとは思えませんでした。むしろ、山ちゃんのクズエピソードを見ていると、自分も似たところがあるなあという気さえしたのです。
読書会の席でも話したのですが、山ちゃんの人の見下し方と、私のそれは、とても似ている気がします。例えば、NSCの入学式でボケやツッコミを披露する同期を見て、「余計なことして、逆に損してるわ」と思う山ちゃん(p.50)。それから、ゴングショーにエントリーするため劇場に並ぶ自分たちの横で、酒を飲み談笑する笑い飯と千鳥のことを、「絶対こんな人たちは売れない」と思い「疎ましく見ていた」山ちゃん(p.88)。そんな山ちゃんの人を見下す視線を見ていると、いつしかそれが自分の視線にダブって見えてくるのです。
大学生の頃の私は、黄色い声をあげながら群れて遊びに出掛ける人たちが嫌いでした。流行やキラキラ感だけを追って漂うなんてバカバカしい、もっと大事なことがあるだろうと家路を急ぐ、そんな学生でした。しかし、家路を急いだ私がやったことと言えば、ニコ動のMAD動画を見ることだけでした。私は勤勉ではなかったし、当時は趣味で本を読むこともありませんでした。そうやって、私がありったけの暇を持て余している間に、キラキラ大学生たちはそれぞれに、誰も知らないところで何かに打ち込んでいました。勉強だったり、趣味だったり、社会活動だったり。彼/彼女らは、誰の目もなくても頑張れる人たちで、なおかつ、自己研鑽の時間をもちつつも遊びの時間を確保できるだけの行動力、効率性、マネジメントスキルを兼ね備えた人たちでした。
振り返ってみれば、私は他人の見えない努力を知ることもなく、上っ面を見てバカにし、なおかつ彼/彼女らのモテっぷりに嫉妬するという、最も内っ面の醜い人間でした。
『天才はあきらめた』を読んで、私は「自分の中のクズを見つめ直したい」と思いました。
私は7人目の発言者でした。「山ちゃんと似てるトコあるなあと思った」と言うと、グループの全員に、「え、この流れでそれ言って大丈夫!?」と笑いながら心配されました。幸いにしてクズ呼ばわりは免れたうえ、進行役の方が、「山ちゃんほどひどいことはしないけど、相方に嫉妬する気持ちとかわかる気がした」と話してくださり、私はホッと胸を撫でおろしたものでした。
以上、「課題本読書会」の記録をつけて参りました。「推し本」の時と違って自由に書いたら、まとまりがなくなってしまいました。これではシマラナイので、強引にまとめさせていただきます。
「課題本読書会」では、とにかく、ありとあらゆるぶっちゃけトークができます!
実際にやってみてハッとしたのですが、「課題本読書会」では、課題本を読まなくてはならない代わりに、トークをする際にはあらすじの説明がいらないんです。だから、いきなり感想から語りだし、そこから話を飛躍させることができる。これって結構自由なことだと思います。Aテーブルの盛り上がりは、この自由が生んだ時間の余裕から湧き出たものに違いないでしょう。
加えて、これは「課題本読書会」に限らず、彩ふ読書会全体に言えることですが、本当に何を話しても大丈夫という雰囲気があるんです。だからこそ、私は自分のイヤな部分を開陳することができた。ここでなら言っても大丈夫だという安心感がありました。
初めての「課題本読書会」でしたが、とても楽しいものになりました。今後も参加して、読書会を一緒に盛り上げていきたいなと思います。
というわけで、2回にわたる長いレポートはここまで。お付き合いくださりありがとうございました。明日からはまた日記を書き綴って参ります。
さあ見てください、この帯の言葉。
あの実力があって慕われていないとなると、よっぽど人望がないのだろう。
よっぽどってどれほどよ。そんなことを思いながら私は本書を読みました。
そして読書会当日、私を待っていたのは、一人の芸人相手に「クズ」という言葉を惜し気もなく投げつけて盛り上がる大人たちでございました。なるほど、これはよっぽどですわ。
それにしてもヒドイ話です。会場は貸切状態のカフェ。開放感のある窓がついているとはいえ、部外者は誰一人として入って来ない、ある種の密室です。その密室に集い、欠席裁判で一人の男を吊し上げる8人のならず者。あんたらに人をクズと呼ぶ資格があるのかね。って、私もそのうちの1人なんですけどね。
序盤から飛ばし過ぎてしまいました。もう少しちゃんとお話ししましょう。
◇ ◇ ◇
午後の部は13時半過ぎに始まり、15時半ごろまで続きました。参加者は、Aテーブル8名、Bテーブル7名の計15名。1時間以上たっぷり時間を使ってグループトークを行い、最後に参加者全員に向け、テーブルごとの議論の中身や、一人一人の新たな発見などを発表する形式でした。
私はAテーブルにおりました。向かいのBテーブルは、進行役が哲学カフェに関心を持っておられる方で、うさぎのぬいぐるみを持った方が発表するという方法を取り入れて、和やかなトークをしていたようです。一方のAテーブルで何が起きたかは既述の通り。もちろん、悪いのは進行役ではなく、酒がなくても話で酔える強くて悪い大人どもでございます……おっと、またもやこんな話を。
冷静に振り返りたいと思います。どうしてこうなったのか。
自己紹介を終えた後、進行役がランダムに話を振り、振られた人が感想を話すというようにして、グループトークは始まりました。最初に、大阪のサポーターをやっている女性の方が感想を言います。〈山ちゃんは自己分析が上手いと思った〉〈自己肯定感の高め方を10代で知っているのは凄い〉〈人に勝手に壁を作ってしまうところは、自分にもあるなと思った〉〈千鳥の大悟さんめっちゃいい人やん〉等々。
ここで私のメモを見てみましょう。この後、進行役が、読書会の2日前に放送されたしくじり先生で泣いたという話をしたと書かれています。ところが、その下に、別の方がすかさずこう言ったと書かれているんです。
「そんなもん計算や」
おやおや、早くも不穏な空気が漂ってきましたよ?
この後3人の方が続けて感想を話されます。〈そんなに頑張らなくてもと思うところまで頑張ってしまう山ちゃんはストイックだと思った〉〈子供の頃の嘘つき山ちゃんを褒めるお母さんの言葉が印象的だった〉〈人に嫉妬できる山ちゃんは、自分はそこに届くと思っているわけで、それはお母さんの言葉などに自己肯定感を支えられるからこそできることだと思った〉あれ、なんだかいい話。
山ちゃんの泣ける話に「そんなもん計算や」と噛みついていたベテラン男性も話されています。その内容を見てみると、〈昔から山ちゃんは天才やと思ってて、天才はいかにして生まれるのかと思ってこの本を読んだ〉〈自己肯定感が低いからこそ、満足を知らず、恐ろしいほどの努力を続けるのだと思った〉〈ノートにムカつくヤツへの復讐を書き綴っていたけれど、それをガソリンにして努力するのは苦しいのではないかと思った〉——めちゃくちゃ読みが深い!
わからなくなってしまいました。なぜ、Aテーブルでは「山ちゃんはクズ」の言い合いになったのでしょうか。
5人目の感想を見てみましょう。午前の部から参加されていた男性の方です。
〈クズやけど、がんばってる〉
皆さん、私は遂に犯人を突き止めました。この人です。
この男性、本当はとてもいい話をされていたんです。〈周りに「お笑いやってみたら?」と言われたからという理由で、特に思い入れもないのにお笑いの世界に入った山ちゃんが、最後に、自分のやりたい漫才を見つける。それがとてもいいなと思った〉。しかし、彼は言ってしまいました。〈クズ〉と。
そして、この流れが続いてしまうのです。6人目の方の感想を見てみましょう。
〈山ちゃんより、昔の相方のM男君や富男君が印象に残った。もういい人すぎて、こんないい人たちが虐げられてきたのかと思うと腹が立った〉
山ちゃんもはや逃げ場なし。
こうしてAテーブルでは、「1人が3回はクズと口にした」と言われるほどの「クズ」の大合唱が起きてしまったのでした。
◇ ◇ ◇
そろそろアフターケアに入りましょう。
こんな悪ノリぶりを呈した私たちですが、終盤に入ると少しずつ落ち着いてきました。そして、山ちゃんがレンジャーもの映画の悪役で出た時、芸能界に復帰したばかりのしずちゃんを連れて記者会見に臨んだ話などをしながら〈プロデューススキルの高い山ちゃん〉〈場や人をよく見て立てられる天才山ちゃん〉について話し合、ったものでした。
南海キャンディーズをデビュー当時から知っていて、ネタをよく見ていたという人も何人かいて、具体的なネタの話で盛り上がる場面もありました。〈ツッコミのワードチョイスが凄い〉〈ドツき漫才じゃないから好き〉結局、みんな山ちゃんが好きなんだと、私は思ったものでした。
◇ ◇ ◇
さて、ここでしれっと、『天才はあきらめた』に関する私の感想を書こうと思います。言いたいことは幾つかあるのですが、上で紹介した感想にはなかったものを1つだけ書いておこうと思います。
実を言うと、私にはどうしても、山ちゃんがそこまでのクズだとは思えませんでした。むしろ、山ちゃんのクズエピソードを見ていると、自分も似たところがあるなあという気さえしたのです。
読書会の席でも話したのですが、山ちゃんの人の見下し方と、私のそれは、とても似ている気がします。例えば、NSCの入学式でボケやツッコミを披露する同期を見て、「余計なことして、逆に損してるわ」と思う山ちゃん(p.50)。それから、ゴングショーにエントリーするため劇場に並ぶ自分たちの横で、酒を飲み談笑する笑い飯と千鳥のことを、「絶対こんな人たちは売れない」と思い「疎ましく見ていた」山ちゃん(p.88)。そんな山ちゃんの人を見下す視線を見ていると、いつしかそれが自分の視線にダブって見えてくるのです。
大学生の頃の私は、黄色い声をあげながら群れて遊びに出掛ける人たちが嫌いでした。流行やキラキラ感だけを追って漂うなんてバカバカしい、もっと大事なことがあるだろうと家路を急ぐ、そんな学生でした。しかし、家路を急いだ私がやったことと言えば、ニコ動のMAD動画を見ることだけでした。私は勤勉ではなかったし、当時は趣味で本を読むこともありませんでした。そうやって、私がありったけの暇を持て余している間に、キラキラ大学生たちはそれぞれに、誰も知らないところで何かに打ち込んでいました。勉強だったり、趣味だったり、社会活動だったり。彼/彼女らは、誰の目もなくても頑張れる人たちで、なおかつ、自己研鑽の時間をもちつつも遊びの時間を確保できるだけの行動力、効率性、マネジメントスキルを兼ね備えた人たちでした。
振り返ってみれば、私は他人の見えない努力を知ることもなく、上っ面を見てバカにし、なおかつ彼/彼女らのモテっぷりに嫉妬するという、最も内っ面の醜い人間でした。
『天才はあきらめた』を読んで、私は「自分の中のクズを見つめ直したい」と思いました。
私は7人目の発言者でした。「山ちゃんと似てるトコあるなあと思った」と言うと、グループの全員に、「え、この流れでそれ言って大丈夫!?」と笑いながら心配されました。幸いにしてクズ呼ばわりは免れたうえ、進行役の方が、「山ちゃんほどひどいことはしないけど、相方に嫉妬する気持ちとかわかる気がした」と話してくださり、私はホッと胸を撫でおろしたものでした。
◇ ◇ ◇
以上、「課題本読書会」の記録をつけて参りました。「推し本」の時と違って自由に書いたら、まとまりがなくなってしまいました。これではシマラナイので、強引にまとめさせていただきます。
「課題本読書会」では、とにかく、ありとあらゆるぶっちゃけトークができます!
実際にやってみてハッとしたのですが、「課題本読書会」では、課題本を読まなくてはならない代わりに、トークをする際にはあらすじの説明がいらないんです。だから、いきなり感想から語りだし、そこから話を飛躍させることができる。これって結構自由なことだと思います。Aテーブルの盛り上がりは、この自由が生んだ時間の余裕から湧き出たものに違いないでしょう。
加えて、これは「課題本読書会」に限らず、彩ふ読書会全体に言えることですが、本当に何を話しても大丈夫という雰囲気があるんです。だからこそ、私は自分のイヤな部分を開陳することができた。ここでなら言っても大丈夫だという安心感がありました。
初めての「課題本読書会」でしたが、とても楽しいものになりました。今後も参加して、読書会を一緒に盛り上げていきたいなと思います。
というわけで、2回にわたる長いレポートはここまで。お付き合いくださりありがとうございました。明日からはまた日記を書き綴って参ります。
コメント