昨日の読書会の話を書こうと思う。

 なぜ昨日書かなかったんだというお叱りはごもっとも。私自身反省している。しかし、まさかあそこまで飲むとは思っていなかったのだ。量の話ではない。時間の話である。1周年記念の読書会兼懇親会が終わったのが15時。その後カフェで2次会をして解散したのが17時。その後、私は「3次会へ行こう!」と盛り上がる人たちに付いて、天満の奥の奥にあるおでん屋へ入った。その3次会が、なんと5時間に及んだのだ。天満から梅田まで歩き、さらにそこから電車に乗った私が、熱燗にノボせながら家に辿り着いたのは、23時半を回ろうかという時間だった。

 もちろん、私は恨み節を言っているわけではない。最後の5時間の飲み会は、ここ最近の飲み会の中でもダントツで楽しかった。この時酒混じりに交わした会話の数々、嘘か本気か判然としないそれらのやり取りを掬い上げていけば、幾つもの話が書けると思う。「伝聞・東西読書会事情」とか、「逆恨み文化論」とか。残念ながら書く時間はないけれど。

 何の話をしているんだっけ……そう、読書会の話である。酒の話は忘れて、肝心の読書会本編の話をしようじゃないか。

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 1周年記念読書会は、50名近い人が参加する大きな読書会だった。普段参加している会は20名程度で行われているから、ざっとその倍以上。それだけあって、賑やかで華やかな会だった。会場も、普段は梅田の近くのカフェだけれど、昨日は南森町の近くにあるイベント会場だった。それも、入口が本棚でできていて、スイッチの本を押すと本棚が自動ドアのように開き、秘密の部屋へ入れるという仕様。読書会にこれ以上うってつけの場所があるのかと思えるほどの場所だった。見つけた人は凄いと思う。

 この日の読書会は、各自持ってきた本を紹介し合う形式。普段はまったく好きな本を持ち寄るのだが、この日は1周年記念ということで、テーマが用意されていた。それは、「私を変えてくれた本」というテーマである。

 私たち参加者は、事前に8つのグループに分けられている。1グループの人数は6人程度だ。会場に入ると、私たちは自分のグループのテーブルに付く。そして、主催者の挨拶ののち、テーブルごとに自己紹介をする。それから本の紹介が始まる。それぞれのグループの中で、1時間程度、互いの持ってきた本について、紹介しあい、質問しあう。私が思うに、ここが一番濃い時間である。しかし、グループごとの話し合いだけで終わっては、大勢が集まった意味がない。そこで、一定の時間になると、全体発表が行われる。1人1分程度で、自分の持ってきた本について紹介する。全員がそれを終えたところで、読書会はおしまいとなる。この後に懇親会もあったわけだが、話が長くなりそうなので割愛しよう。

 以下では、全体の感想をごくごく大雑把に書くことにしたい。

 私がとにかく面白いと思ったのは、「私を変えてくれた本」というテーマの解釈が、人によって様々だったことだ。私自身は、大学院生の頃、スゴイ人間になろうとすることよりも、本心に正直であることが大事だと教えてくれた本を紹介した。私はこの本との出会いは人生の転換点だと本気で思っている。つまり、「人生を変えてくれた本」を紹介したわけである。けれども、誰もがそんな重い話をしたわけではない。

 まず印象的だったのは、「私が本を読むきっかけになった本」の紹介。本が好きにならなかったら、読書会に来ようとは思わないわけだから、深掘りして考えれば、自分がいまここにいるきっかけを紹介しているようなものである。子どもの頃にこんな本を読んだ。それのここが面白かった——私自身は中学生になるまで一切読書をしなかった人間なので、そんな小さいときにこんな分厚い本を読んで感動していたんだということに対する純粋な驚きが続いた。

 次に印象的だったのが、「私が一番好きな本」の紹介。「私を変えてくれた本」というテーマ設定の深さを別ベクトルにアレンジして解釈したんだなという感じを受けた。私いたグループのリーダーも一番好きな本を紹介していた。その時に、「2位、3位ら辺って考え出すと分からなくなるけれど、1位はダントツじゃないですか」と話していたのが記憶に焼き付いている。言われてみればそうかもしれない。それだけ強く印象づいた本、共に生きる時間をもった本、それに対する思いの深さを垣間見るのは、楽しいというより、光栄なことである。

 数の上で多かったのは、悩んだり落ち込んだりしたときに救いになった本だったように思う。仕事に疲れた時、すごく気分が落ち込んでいた時、人が許せなくなった時。そんな時に出会い、考え方を変えてくれた本。そういう本はやはり、「私を変えてくれた本」というテーマと結びつきやすいのだと思う。だから、紹介された本の中には、自己啓発本や、ライトに翻訳された哲学書がしばしば見られた。

 あとは、よくわからないけれどとにかく忘れられないでいる本。それは往々にして、読後感の悪いもの、却って気が沈むようなものである。遠藤周作の『沈黙』を紹介した方が2人いたのだが、『沈黙』はまさにこういう本の典型だろうと思う。

 発表者の年齢や職業の影響を感じる発表もあった。私の参加している読書会は、20代・30代が多いものの、年齢層に偏りがあまりなく、様々な人が集まっている。余談であるが、読書会をはしごしている人たちの話によると、年配の方が多く若い人が入り込みにくい読書会もあるそうなので、年代層に偏りや抜けがないというのはありがたいことのようだ。ともあれ、それだけ色んな人がいると、長年の苦労の襞を感じる発表があったり、逆に初々しさを感じる(平均より年下の私でさえそう思うような)発表があったりする。忘れられないのは、ある学生さんの発表だ。脳科学に基づく勉強法の本を紹介した最後に、彼は一言、「この本のお陰で、私は大学に受かりました」と言ったのだ。なるほど、それは確かに人生の転機にちがいない。しかし、その転機のなんとフレッシュなことか。そんな風に思ったものだ。

 何やらとりとめもなく書いてしまったが、それは今回の読書会が充実した会だったことの表れだと思う。私は思う。本の紹介には、その人の個性が出る。分けても、テーマが設定された状態での本の紹介、それも「私を変えてくれた本」というカチッとしたテーマに沿っての本の紹介となると、その人の持っているものがストレートに出やすい。自分の知らない本を知ることももちろんだが、自分の経験しえない生き方に出会うのも、読書会の醍醐味ではないか。それは出会うというより垣間見るという程度のものだろうし、或いはすれ違うと表現した方がいいくらい微かなものかもしれない。けれども、それらをふと感じた瞬間、私は自分が凄く豊かな時間を過ごしている気分になって、嬉しいのである。

 そんなところで、私の読書会レポートは終わりにしようと思う。

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 散会する前に主催者に許可をいただいたので、参加している読書会のホームページのURLを貼っておこうと思う。読書会があると毎回必ずイベントレビューが上がるから、公式のちゃんとした記録はいずれここに上がるはずである。紹介された本も全てコメント付きで掲載される。はっきり言って、こんな個人の感想より、そっちを見てもらった方が話は早い。気になる方は、ぜひのぞいてみてほしい。

彩ふ読書会 https://iro-doku.com/