「今週は何事もなく終わった?」

 帰りのロッカールームの中、スーツに着替え終わったところで、先輩からそう尋ねられた。先輩は今週出張に出ていて、事務所の様子は知らないのである。

「そうですね」と私は答えた。
「上司に怒られることもなく?」と先輩がちょっと笑いながら尋ねる。
「はい、おかげさまで」

 私は苦笑いであった。今週は確かにつつがなく終わった。が……

「ちょっと週明けバタつきそうなんで心配なんですよね」
「そうなん?」
「今日作りたかったデータが全然できなくて」
「まあ何とかなるやろ」

 私たちはそのままロッカールームを出る。会話はなお続く。

「週明け会議があるんで急がないといけないのわかってたんですけどね」

 私がそう言った瞬間、先輩は何かを悟ったらしかった。

「やばいな」

 私は沈黙した。どう返すべきかわからなかった。

 暫くして、先輩が口を開いた。

「データ、午前中に作れたらいけるんちゃう?」
「あー」
「それで回覧したら間に合うやろ」
「そうですね」

 事務所を出る前、私は全く同じことを予定表に書き込んでいた。週明けもつつがない日々が続くためには、そうするしかない。問題は、予定通りことが進むかどうかだ。あまり余裕のないスケジュールであることに、私は既に気付いている。しかし、現実的な問題はともかく、今は先輩からアドバイスを受けられたことが嬉しかった。

 通用口から外へ出るところで、また別の先輩とすれ違った。先輩は屋根の外へ手をやりながら、

「雨降ってるで」と言った。

「ほんまですか」私の口を突いて出たのはそんな言葉だった。

「雨の匂いがする」

 先輩はそんな風に言う。確かに、濡れたアスファルト独特の匂いがした。今日は特にビニール臭い気がする。ビニールチューブを鼻に詰めて息を吸ったら、こんなニオイがするだろうか。

「全然気づかなかったですね」

 私はそう答えた。実際、部屋の中で仕事をしていると、天気の変化に疎くなる。とはいえ、通用口から外に出て、この匂いを嗅いでなお、雨の気配を感じ取れなかったのは不覚であった。

 私は「お疲れ様です」と挨拶してから、ひとまず外へ出た。なるほどそこそこ降っている。鞄から折り畳み傘を出して差し、すっかり暗くなった外へ歩を進めた。

 こうして週末が始まる。