ひじきのごった煮

こんにちは、ひじきです。日々の四方山話を、時に面白く、時に大マジメに書いています。毒にも薬にもならない話ばかりですが、クスッと笑ってくれる人がいたら泣いて喜びます……なあんてオーバーですね。こんな感じで、口から出任せ指から打ち任せでお送りしていますが、よろしければどうぞ。

 またしても読書会絡みの話になるが——読書会の初詣企画に参加し平安神宮を訪れ、さらにその足で、神宮からほど近い「京都勧業館みやこめっせ」で開催された第4回文学フリマ京都に足を運んだ。

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 平安神宮は、参道に天高く立つ朱塗りの大鳥居で有名な神社である。1895年に平安遷都1100年を記念し、平安京をつくった桓武天皇を祀り、当時の建造物の復元を試みて創建されたもので、神社としては比較的新しいものである。その歴史の短さゆえに、なんとなく奥ゆかしさが足りないと決めつけてしまっていたため、これまで中に入ろうと思ったことはなかった。そういうヘタな拘りを捨てるには、人と行動を共にするのが一番である。

 平安神宮詣でに参加したメンバーは、僕を含め7名だった。本当はもう少し大所帯になるはずだったのだが、体調不良の方が続出したためこの数に落ち着いたのである。前々から読書会に参加されている方が多かったが、久しく会っていない方が殆どだったので、懐かしさと新鮮さが合わさったような気分であった。

 近付いてみると、平安神宮は鳥居だけでなく門も大きかったし、境内も随分広々としていた。神社には本殿以外にも様々な神様を祀るお社があるところが多いが、平安神宮には拝殿である大極殿の他にお社はなく、そこまでは白い砂利を敷き詰めた空間が広がっていた。それがまた、神宮の壮大な雰囲気を作り出しているように思われた。

 ところで、僕には神社に来ると人が書いた絵馬を見るというあまり行儀の良くない趣味がある。どういうわけか知らないが、人の願掛けというのは気になるものだ。大極殿へ向かう前にも絵馬が掛けられているところがあったので、暫く眺めていた。健康・受験・結婚・出産といった定番の願いが殆どで、全体的に平和な願いが掛けられている印象があった。時々「あの人が不幸になりますように」という呪詛のような絵馬が掛かっていて気味の悪い思いをすることがあるが、平安神宮には幸いそのような絵馬はなかった。興味深かったのは、「Kinki Kidsの2人が健康でありますように」といった、自分が推している有名人の幸せを願う絵馬が少なくないことだった。「自分以外の人、それも第三者のことを願えるってとてもいいことですよね」とある方が言ったので、「本当にそうですね」と僕は言った。

 そのためだろう、大極殿に着き、二礼二拍手をしたところで、僕が真っ先に願ったのは「皆が笑って暮らせますように」であった。最近この願いを唱えることは随分減っていたから、本当に久しぶりにそう願った気がした。僕はなんだか可笑しくなりながら、「怖いものを恐れず、新しいことにチャレンジできますように」という自分自身に関する願いを続けた。

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 それから僕らは神宮の庭園を巡ることにした。観光サイトなどで調べると、平安神宮は庭園が見どころと出るのだ。その庭園は、神域である大極殿を囲むようにぐるりと作られている、かなり広いものであった。あいにく季節の関係で殆どの草木は枯れていたり枝だけになっていたりして、些か寂しい気もしたが、松の枝ぶりの立派さなどは見る者の目を惹き付けるに十分であった。幸い天気には恵まれていたので、写真を撮るのは楽しかった。

 思っていたよりずっと広い庭園だったため、足を止めるところはなかったにもかかわらず30分以上は居たように思う。庭園を出たところで、僕らはめいめい御朱印を頂戴して、平安神宮を後にした。時刻は11時を回ったばかりだったが、お腹が空いたというメンバーもいたため、みやこめっせの中にあるレストラン「浮舟」に入り、早い昼食を摂った。

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 昼食を終えた後、文学フリマの会場の手前で、僕らは解散することにした。フリマへの興味・関心の度合いは人によって違うので、気の済んだ人から連絡を入れて帰ることになったのである。結果、初詣目当てで来ていた人は早々に帰っていき、後には僕を含め2、3名だけが残った。フリマから参加するメンバーもいたため、僕はなるべく長くいるようにしたが、折悪しく前の日に梅田の紀伊国屋書店で散財したばかりだったので、財布の紐を締めようという意識が強く、ウロウロしているだけのことが多かった。

 文学フリマは、小説や詩歌をはじめとする文学をテーマにした同人誌即売会である。全国各地で有志が開催しており、関西では1月に京都で、そして9月に大阪で開かれている。京都の会場はみやこめっせの大きなイベントスペースの1つで、その中にブースがずらりと並んでいる。販売ブースとは別に見本誌コーナーというのもあり、今回は会場の中央に一文字に設置されていた。

 僕は一般客としてよく文学フリマに足を運んでおり、訪問はこれでかれこれ6度目となる。最近では、まず会場全体をぐるりと回ってから見本誌コーナーへ行き、気になる本を見つけたらそれが売られているブースをチェックして買いに行くというのが定番になっている。もっとも、今回は会場を回っている間に「これだけはぜひ!」という本が見つかったので、まずはそれを買うことに決めた。そして、それとは別に、見本誌コーナーで見て面白そうだと思った本を1冊だけ買った。折角なので紹介しておこう。

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◆①『関西魂~かにたま~①』

 文学フリマに足を運ぶようになって以来、僕はずっと、「関西作家志望者集う会」というサークルが出している短編集『関西魂』シリーズを買い続けている。初めて訪れた文学フリマで買った「恋」の巻を読んだのがきっかけで、その面白さにすっかり魅了されたのだ。昨年9月に読書会メンバーと共に大阪の文学フリマに参加した際、願ってもないことに、2名の方の協力を得ながら『関西魂』シリーズを彩ふ読書会で買い揃えようという動きが起こった。そして、その日売られていた本は全て我々の元に揃うことになった。しかし、記念すべき創刊号だけは、既に完売したとのことで買えず、あと一歩のところで全巻制覇は見果てぬ夢となってしまった。

 ところが、その完売したはずの創刊号が、京都会場で売られていたのである。

 僕はどうしていいかわからないくらい興奮した。そして、まずこのブースに向かった。最新作である「ラブコメ」の巻にも寄稿されていた方がブースで本を売っていた。「1巻は売り切れたって聞いてたんで驚きました」と正直に言うと、「私たちも完売だと思ってたんです。そしたら、この前本棚を整理してた時に何冊か出てきて」という話が返ってきた。偶然が生んだ奇跡とはこのことだと思った。

 中身も殆ど確認せず即買いした。これにより、彩ふ読書会には『関西魂』シリーズが完全に揃ったことになる。

◆②『文豪の小腹メシ』

 日本の文豪が実際に食べていた食事の一部を、作品などを手掛かりに再現したレシピ本である。とにかく着眼点が面白いと思ったのと、料理の写真が美味しそうだったのが、買おうと思ったきっかけである。ブースで立ち読みしながら話を聞いてみると、どれも実際に作って食べたそうだ。それを聞いて猶更買いたくなった。

 姉貴分に当たる作品として『文豪の奇妙なレシピ』『文豪の家メシ』という本もあり、どれも面白そうだった。最終的に『小腹メシ』を買ったのは、レシピ以外の文豪こぼれ話が充実していたからである。『奇妙なレシピ』や『家メシ』で取り上げた料理は比較的有名なものばかりだったのに対し(とは言っても、森鴎外がまんじゅう茶漬けを食べていたなんて、聞いたこともなかったけれど)、『小腹メシ』では前2作をつくる過程で新たに見えてきたマイナーな料理を取り上げたので、解説を充実させたそうだ。僕としては、料理もさることながら、そういった人となりが見えるエピソードこそ好物なので、それならこれだ、という気分になったのである。

 姉妹本のタイトルを確認しようとしていたところ、サークルのホームページが見つかったので、勝手ながらリンクを貼っておこうと思う。文豪メシシリーズ以外の本も面白そうである(京都の桜の本など、読書会の谷崎潤一郎氏に献上したいくらいだ)。また1つ、気になるサークルに出会った。



 結局、文学フリマの会場は14時過ぎに出てしまった。滞在時間は短かったが、その分濃い経験もあったので、良かったのではないかと思う。

 その後、僕は日頃から凝り固まった身体をほぐすべく、東山から八坂まで歩き、河原町界隈をぶらぶらし、16時半頃になって漸く帰路に着いた。

 先日来つけております、112日の京都・彩ふ読書会の振り返り、最終回をお送りしたいと思います。前々回は午前の部=推し本披露会の模様を、前回は午後の部=課題本読書会の模様を、それぞれ紹介しました。読書会本編の話は以上になりますが、彩ふ読書会では読書会終了後も会場を借りて、参加メンバー同士の交流の場を設けています。この時間は「ヒミツキチ」と呼ばれたり「オトナの学童保育」と呼ばれたりしています。一応正式名は後者のようですが、僕はある時期から「ヒミツキチ」の方を積極的に使っているので、ここでも「ヒミツキチ」と呼ぶことにしましょう。

 ヒミツキチの時間はやることが決まっているわけではないので、メンバーはそれぞれ思い思いの活動をしています。DVD鑑賞会や哲学カフェなど、メンバーから企画が持ち込まれることもありますが、今月は会場が新しくなったこともあり、企画の持ち込みはなく、それぞれ好きなことをやる時間になっていました。

 このようなフリーの時間になると、読書会メンバーは最近、こぞってあるものをやりたがります。ボードゲームやカードゲームです。昨年も何度かボドゲ会の模様をお伝えした覚えがありますが、年を越してもその人気が衰えることはなく、この日も何人ものメンバーがゲームを持ち寄り、みんながそれで遊ぶという光景が生まれていました。もっとも、僕もゲームを持ち寄った1人なので、みんなで遊ぶように仕向けたといった方が適切かもしれません。

 それでは、僕らが遊んだゲームの紹介をしながら、ヒミツキチの様子を見ていくことにしましょう。なお、ヒミツキチには9名のメンバーが参加していました。このうち2名(主催者であるのーさんと、なぜかよくスーツ姿で現れる大阪サポーターの男性)は、最初のうち新会場への案内図をつくるため外出していたので、途中までは7名でゲームをしていました。

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 最初にやったゲームです。3枚配られた手札を、順番に1枚ずつ、盤上の数字が101を超えないように出していくというもの(101まではOK102以上になると負け)。110までの数字が書かれたカードのほか、「-1」「-10」「50」のカード、合計を無条件で101に塗り替えてしまう「101」のカード、さらには「リターン(順番を逆にする)」「パス(自分の番を飛ばす)」「ショット(次にカードを出す相手を指名する)」「ダブル(次の人に2枚出させる)」といった特殊カードがあり、自分の手札を上手く使って、負けないようにカードを出し続けることが重要になります。カードの種類はUNOに似ていますが、手札を出し切ることが目的のゲームではないという点が大きく異なります。むしろ、プレイヤーはカードを1枚出したら、次の人がカードを出すまでに山から新しいカードを1枚引かなければなりません。これを忘れると、手札が減った状態でプレイすることになるので、俄然不利になります(今回は殆どの方が初挑戦だったので、カードの引き忘れはその場で指摘していました)。

 今回は、4人負けるまでゲームを続けるという方法で遊びました。もう101が出来上がっている状態でプレイしなければならないので、後半はなかなか苦しい展開でした。とはいうものの、ルールもプレイスタイルもシンプルなので、場を温めるにはちょうどいいゲームでした。逆にいえば、シンプル過ぎて運ゲーの要素が強いため、何度もゲームをしている人たちはもっと頭を使うものに手を出したがっていた感じがしました。

◆「犯人は踊る」

 彩読ゲーム会の定番メニューが今回も登場しました。「犯人は踊る」は、ざっくり言えば、「探偵」のカードを持っている人が「犯人」のカードを持っている人を当てるゲームです(当てられれば探偵の勝ち、当てられなければ犯人の勝ち)。正体不明の犯人を捜すというコンセプトは「人狼」と似ていますが、「犯人は踊る」の場合は「人狼」と違って、探偵・犯人それぞれのカードがプレイ中に動くという特徴があります。ネットのまとめなどではしばしば、人狼とババ抜きの要素を兼ね備えたゲームと評されています。

 プレイヤーには予め手札が4枚配られます。そして、「第一発見者」というカードを持っている人から順番に時計まわりでカードを1枚ずつ出していきます。カードには複数の種類があり、それぞれに「左隣の人にカードを1枚渡す」「右隣の人の手札からカードを1枚ババ抜きする」「誰か1人を指名して全ての手札をこっそり見せてもらう」といった指示が書かれています。カードが1枚出される度に、プレイヤーはその指示に従って行動することになります。この動きをもとに、自分が持っていた犯人のカードがどこへ行ったかなどを推理することが勝利の鍵を握ります。探偵で勝とうとするのが王道ですが、犯人のカードを持ったまま逃げ切ろうとする猛者もしばしば現れるのが面白いところです。なお、カードの中には「アリバイ」というものがあって、犯人のカードとアリバイのカードが手元に揃っている時には、探偵から指名されても言い逃れをすることができます。

 4ターン以内に決着がつく短時間のゲームですが、結構頭を使うので、一度ハマると抜け出せなくなります。過去にはロイホで2時間半ぶっ通しでプレイしたなんてこともありました。この日は他にもゲームが沢山あったため、3ゲームくらいで切り上げましたが、いつも通り盛り上がりは十分でした。個人的には、7人という大人数で「犯人は踊る」をやるのは初めてだったので、予測の難しさも味わいました。

 ちなみに、僕はかれこれ半年以上“踊り”続けているので、最近ではゲーム本編とは違う内容で楽しむことが増えています。先ほど書いた通り、このゲームは第一発見者のカードを持った人から始まるのですが、第一発見者はその際に、自分が見た事件の内容を即興で作って話すことになっています。この事件の概要と、犯人の正体とを関連づけてストーリーを想像するのが、僕の密かな楽しみなのです。実際、ゲームの都合上かなり無理のある展開が生じることがあって、その時はコントのような面白さがあります。

 この日の第2ゲームでは、「読書会から帰ろうとしたら、ひじきさんのメガネがなくなっていた」という事件が起きたことになったのですが、その回の犯人はなんと僕。「自分で自分のメガネなくすって、俺何やってるんですか!?」とセルフツッコミを入れると、大笑いが起きました。そこへ、頭の回転の速いBさんが「頭にかけたまま『メガネがない!』とか騒いだんじゃないですか?」と言ったので、ますます笑いが大きくなりました。さらに、このゲームでは「たくらみ(共犯)」というカードを出し、犯人と共に負けた人がいたのですが、自分のメガネをなくしただけの事件の共犯者って何をするんでしょう。何から何までムチャクチャで、暫く笑いが止まりませんでした。

 その後のゲームでも、「持ってきた差し入れが食べられた」と言った第一発見者が結果的に犯人になり、つまみ食いの自作自演というオチがついたなんてことがありました。ゲームに熱中すると事件の設定が忘れ去られることがよくあるそうですが、そんなの勿体ないと僕は思います。本当に!

◆タイムボム

 以前にボードゲーム部の部活動で盛り上がったというゲームが、京都会場に初登場しました。プレイヤーは警察・犯罪者・スパイのどれかの役割につきます。犯罪者が仕掛けたタイムボムという爆弾を、爆発する前に全て解除することができれば警察の勝ち、解除完了前に爆発が起きれば犯罪者の勝ちというゲームです。

 プレイヤーの前には最初5枚ずつカードが配られます(7人でプレイする場合は、したがって最初35枚のカードが盤上に出ていることになります)。このうち7枚が「解除」のカード、1枚が「爆発」のカードになっています。各プレイヤーは自分の手元のカードの内容だけ確認し、それを裏返して再び自分の前に置きます。そして、プレイが始まると、どこに何のカードがあるかを話し合いによって探り、誰の持ち札を表返す(=導火線を切る)かを決定していきます。警察としては、爆発のカードを引くことなく7枚の解除カード全てを当てなければなりませんから、解除カードの所在を探ろうとします(と同時に、爆発カードを引くことのないよう、その所在にも気を遣います)。一方、犯罪者とスパイの側は、警察の捜査の裏をかき、解除のカードがある振りをして、爆発のカードを引くよう誘導していくことになります。これを一切のカードが裏返った状態でやると、高度な騙し合いが可能になります。発言に注目し、状況を読みながら、どの配線を切るかを考えることが重要になるという、かなり頭を使うゲームです。

 なお、各ターンで11枚ずつ自分以外のプレイヤーのカードを表返していきます。その際、1人のプレイヤーの手元のカードを集中的に開けることも可能です。1ターン終了すると、盤上のカードは一度全て集められ、今度は全員に4枚ずつ配られます。そのターンも終了すると、今後は全員に3枚……といったように、1ターンごとに手元のカードの配り直しがあるので、解除・爆発の各カードの所在は都度変化することになります。そのため、各ターンで騙し合いが展開することになるのです。

 僕は警察側だったのですが、解除カードが2枚来た際正直に申告したところ、「怪しい」と疑われたので、それだけは心外でした。が、それ以外について言えば確かに面白いゲームでした。結果的に警察側の勝利に終わったので、あらぬ疑念もオイシイ話で終わらすことにしましょう。

◆人狼

 会場案内図作成班が戻ってきたところで、最後に全員で人狼をやりました。スーツマン氏が進行役になり、残る8名で3回ほどプレイしました。

 人狼についてはご存知の方も多いと思いますが、市民(村人設定の時もある)を夜な夜な食い殺す人狼を、プレイ中の会話から探り当て処刑していくゲームです。人狼を全員処刑することができれば市民の勝ち、処刑誤りと人狼の人狩りの結果、市民が人狼と同数にまで減ってしまうと人狼の勝ちということになります。今回は市民と人狼のほかに、占い師(生きている人が人狼かどうかを占うことができる)、ボディーガード(毎晩1人を人狼から保護することができる)、裏切り者(市民だが人狼の味方をして話し合いを撹乱する、勝敗を人狼と共にする)という3つの役回りがありました。

 毎度色んなゲームをプレイしている僕ですが、実は人狼をちゃんとやったことは殆どありません。定石的な役割特定の方法もわかっていませんし、まして戦略を立てることなんてできっこない。人狼になどなろうものなら処刑されるに決まっているぞ……と思っていたら、1ゲーム目で人狼になってしまい、そして1日目にあっさり処刑されます。申し開きの場が与えられましたが、「し、市民です……!」と震え声で言うより他になす術もなく、死せる狼としてその後の成り行きをただただ眺めつづけることになりました(もっとも、全てを見渡せる特権的地位にいるのはとても面白かったです)。もう1人いた人狼も後々処刑されてしまい、1ゲーム目は市民の勝ちに終わりました。

 続く2ゲーム目も、僕は人狼になってしまいます。溜息つきたいのをぐっと堪え、プレイ開始。1ゲーム目の反省を踏まえ、2ゲーム目から人狼同士がハンドサインを使って打ち合わせをする時間が設けられたので、多少有利な展開になりました。結論から言うと、このゲームではさほど怪しまれることなく生き残り、人狼の勝利に貢献しました。2ゲーム目で思わず笑ってしまったのは、処刑されたり人狼に食べられたりした人が、「さようなら~」と言いながら軽やかに席を離れていったことでした。未練がないのは大いに結構ですが、それにしても呆気なくて拍子抜けしてしまいました。

 最終3ゲーム目。ここで僕は念願の市民になります。すると、自分でも驚くほどプレイ中の口数が増えました。もう僕悪くないもーんと思うや否や、人が変わったように強気になる辺り、我ながら異常なまでの小物感ですね。ところが、この饒舌ぶりゆえに逆に疑いの目を向けられてしまいます。どうやら、ニコニコ笑いながら勢いよくまくし立てる時の僕は、相当胡散臭いオーラを放っているらしい。幸い、口数の変化は役割の変化ゆえだという抗弁が聞き入れられ、僕は最後まで処刑を免れることになります(若干1名、本気で「こいつ怪しい」と思った主催者がいたようですが)。それは良かったものの、ゲーム的には人狼の勝利に終わってしまいました。この時人狼役になったのは、午後の部から参加されていたダンス講師をしている方と、午前の部で「浜辺美波様、万歳!」の雄叫びをあげたリピーターの方だったのですが、第1ターンで後者が前者を切り捨てるという離れ技をやってのけて疑いの目を逸らし、最後まで生き抜いて勝利を収めたのでした。もしかしたら、“女神の御加護”があったのかもしれません。

◇     ◇     ◇

 以上でヒミツキチの話は終了となります。ただ、この後場所を変えてゲームを続けた一隊がおりましたので、今しばらくその話を続けようと思います。言うまでもなく、僕はその一隊に紛れておりました。

 元々、ヒミツキチの後に飲みやご飯に行くのは珍しいことではないですし、行った先で引き続きゲームが行われることもよくあります。ですから、それだけならば書き立てるほどのことはないのですが、この日はちょっと違ったのです。

 時間が来て会場を後にし、以前にも使ったことのある京都駅ビル地下のフードコートへ行きませんかという話をしていたところ、よく推し本披露会に児童書を持ってきてくださる女性の方が、「私ちょっとヨドバシに寄りたいんですけど」という。よくよく話を聞いてみると、ヨドバシにボードゲームやカードゲームの売り場があるので、良いゲームがないか見に行きたいというのです。なんとこの方、ボードゲーム部に所属していて、いつの間にかガチゲーマーになっていたのでした。

 そして、ゲームを見にいくという話が出たところで、僕はふと、手に入れたいゲームがあったことを思い出しました。昨年11月に大阪会場のヒミツキチの時間に「インサイダーゲーム」というゲームで遊んだのですが、これがめちゃくちゃ面白かったので、自分でも買ってあちこちで遊べるようにしたいと思っていたのです。早速ヨドバシのサイトで調べてみると、京都店には在庫があるではありませんか。これは是非ともご一緒しなくてはならない。そして、インサイダーゲームをやって、食事に入った店でプレイするのだ!

 かくして、僕は初めてヨドバシのゲームコーナーを訪れ、そして、人と一緒にゲームを買うというこれまた初めての経験をしたのでした。僕を含めて5人のメンバーが残っていました。

 お目当ての「インサイダーゲーム」はすぐに見つかったので、他の皆さんがゲームを見ている間に、僕も色んなゲームを見て回りました。これまでは東急ハンズで買っていたのですが、ヨドバシの方がゲームの種類は豊富でした。見たことのないゲームも沢山あり、色々あるんだなあと思いました。もっとも、ルールをパッと見ただけで面白そうだと直感できるものはなかったので、結局買ったのは「インサイダーゲーム」だけでしたが。

 その後、ヨドバシの上階にあるレストラン街の1店に入り、食事を摂ったところで、再びゲームタイムが始まりました。最初にやったのは、ヨドバシに行きたいと話していた女性が買った「ボブじてん」というゲームでした。これは、カタカナ語をカタカナを使わずに説明するというゲームで、説明を聞いて最も多くのお題を当てた人が勝者となります。正解者はお題の書かれたカードを獲得するので、実際にはカードを一番多く持っている人が勝者となります。ただし、カードの獲得条件にはもう1つ、説明の際誤ってカタカナ語を使ったのを指摘するというのがあるので、こちらでポイントを稼ぐこともできます(実際、僕はこの手で2枚手に入れました)。

 ゲームとしてはシンプルなものですが、意外と説明しづらい言葉があるため、言い換え力や語彙力が試されるゲームだなあと感じました。さらに言えば、説明者が言い辛そうにしている時にお題を推測する力も必要に思えました。ともあれ、予想以上に面白いゲームだったので、近いうちに買おうと思いました。

 そして最後に「インサイダーゲーム」をやりました。「インサイダーゲーム」については以下の記事で詳しく書いているので、ルールや進め方についてはそちらをご覧ください。気付けばインサイダーゲームだけで1時間くらいプレイしていたので、やはりこのゲームの求心力はダテじゃないことが証明されました。「犯人は踊る」と並んで、僕の飛び道具に加えようと思います。



 解散したのは22時過ぎでした。それから僕はJRの改札へ向かう皆さんと別れ、地下鉄と阪急を乗り継いで独房へ向かったのでした。

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(今回プレイしたゲームのうち、ひじき持参[購入]分)

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 というわけで、ゲーム三昧になったヒミツキチ、そしてアフターの振り返りを締めくくりたいと思います。そして、以上をもちまして、112日の京都・彩ふ読書会の振り返りは完結です。ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

 お待たせいたしました。前回に引き続き、112日に開催された京都・彩ふ読書会の振り返りをお送りしたいと思います。前回は午前の部=推し本披露会の様子を振り返りました。今回は午後の部=課題本読書会の模様をご紹介したいと思います。

 課題本読書会は、予め決められた課題本を読んできて、感想などを話し合うタイプの読書会です。毎回1340分ごろに始まり、15時過ぎまで続きます。参加者が多い時は幾つかのグループに分かれて話し合いを行うのですが、今月は参加者が11名と少なかったため、大きなテーブルを1つ作り、全員で話し合いを行いました。

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 今月の課題本は、渡瀬けんさんの『悲しくも笑える左利きの人々』。全人口の10%と言われる左利きの人々が抱える、右利きにはわからない苦労話などを集めたエッセイです。はさみが元々右利き用にできていたというのは有名な話ですが、ほかにも、急須、パソコンのマウス、カメラのシャッター、自動販売機のコインを入れるところなど、意外なものが右利きに合わせてできているようで、左利きの人は苦労が絶えないそうです。一方で、スポーツなどは左利きだと有利なこともあります。そういった“左利きあるある”を集めたこの本は、日々の生活に何気なく潜んでいる問題に気付かせてくれる面白い本でした。

 ちなみに、本書の刊行は10年以上前で、現在書店では入手困難になっています。今回参加した方々は、アマゾンやブックオフで何とかこの本を見つけて買い集ったようでした(なお、一部地域の図書館に所蔵されているという情報もありました)。何を隠そう、アマゾンで売られていた新刊の最後の1冊を購入したのはワタクシでございました。そのため、あるサポーターの方が、アマゾンで新刊が売り切れているので参加を断念したという話を聞き、些か申し訳ない気分にもなるなんてこともありました(どうかご勘弁ください。出たかったんです……)。

 それほど入手が難しいにもかかわらず、なぜ『左利きの人々』が課題本だったのかと申しますと、それはこの本が、昨年末に行われた「彩読京都推し本大賞2019」で3位に輝いた本だったからです。元々は大賞作品を課題本にしようということになっていたのですが、1位になった『わたしの名は赤』は文庫本で上下巻に分かれている大作であり、時間や金銭面での負担が大きい。そして、2位になった『I LOVE YOUの訳し方』は大阪会場で課題本になっている。そのため、3位である『左利きの人々』に白羽の矢が立ったのでした。この経緯については、話し合いの中でも質問に上がりました。以上の通りお答えすると、質問された方は「なるほど」と言ってから、「自分では手に取らないような本だったので、こういう形で読めて良かったです」と話しておられました。

 それでは、話し合いの内容についてもっと色々と見ていくことにしましょう。なお、進行役は僕が担当しました。今回は感想を順番に言っていく時間などを特に設けず、発言したい人は挙手をして話すという、哲学カフェに近い進行スタイルを採りました。発言量にばらつきは出たものの、無理に話さなくてもいい状態に持っていけた分、皆さん自然体で参加しておられたのかなと思っております。

◆「この中に、左利きの方って何人おられます?

 京都サポーターであるBさんのこの質問から、課題本読書会はスタートしました。言われるまで全然気付きませんでしたが、確かに、この本で読書会をするならまず聞いておきたいポイントですよね。

 参加者11人中左利きの方は僅か1名でした。左利きは全体の10%ですから、割合的にはぴったりくらいですね。本のタイトルから、左利きの人が大勢集まるのではないかと予想していた方もいたようですが、そのような展開にはなりませんでした。

 さらに、この方は左利きから右利きに矯正した経験を持ち、ペンや箸などは右でもつため、この本で書かれている苦労話の中には実感の湧かないものもいくつかあるとのことでした。左利きにも程度があるようで、全く左しか使えないという人と、「書くのは右、投打は左」というように場合によって使い分けている人とでは、受け止め方が違うのではないかという話も出ていました。

 ちなみに、自身は左利きではないけれど、家族や知り合いに左利きの人がいるという参加者は何名かいらっしゃいました。そのため、「席を決めるときに、まず自分の場所を決める(腕などの接触を避けるため)」など、本書で紹介されていた幾つかの内容については「わかる」という声が挙がっていました。また、肩凝り予防のためにマウスを左手で使うようになったという方からは、「その時に、種類少ないなあと思ったので、マウスに限らずものを選ぶのは大変だろうなあと思っていた」という話がありました。

◆印象に残った箇所、えっと思った箇所

 話し合いの中で、課題本で印象に残った箇所について訊く機会がありましたので、その前後のやり取りの中から印象に残ったものをご紹介したいと思います。「そうなんだ」と思った箇所だけでなく、「ここは本当にそうなのかなあ」と疑問が寄せられた箇所も幾つかありました。とりあえず、列挙してみましょう。

 ▶左右を混同する人は左利きに多い——本書の126ページにそのような話が出てくるのですが、これについて「確かにそうだと思う」という意見がありました。一方で、「左右混同に利き手は関係あるのだろうか」という意見も出ました。確かに、左に曲がりたいのに「右」と言ってしまったという経験は誰しもあると思います。『左利きの人々』では、左利きの人は左右を逆にして考えるクセがついている(野球やゴルフの教則本を読むときなど)という説明がありましたが、皆さんはどう思われますか?

 ▶テレビゲームのコントローラーのくだりはこじつけ?——本書175ページに、テレビゲームのコントローラーは左利きに不利にできているという話が出てくるのですが、自己紹介で「本を読む以外はひたすらゲームしてます」と語るほどゲーム狂の参加者から、「ここはこじつけだと思う」という意見が出ました。ゲームによっては(例えばテトリスなどは)コントローラーの左側のボタンしか使わないので、むしろ右利きに不利だというのです。これについては、別の参加者から「通常の動作では問題はないけれど、利き手じゃないほうだと連打がしんどい。操作性に差は出る」という話がありました。なお、ゲーム禁止家庭に育ったレッドデータアニマル・ひじき氏は、この話の間珍しく黙りこくっていました。

 ▶人間は左回転が得意という話は疑わしい——本書180ページに、人間は左側に回るのが得意な生き物という話が出てくるのですが、これに対し、ダンス講師をされているという参加者から疑問の声が挙がりました。「バレエは右・左の動作を均等にやりますし、ダンスは右利きが右回り、左利きが左回りで回転の向きが違うんです」すると別の方から、「これは利き目が関係しているんじゃないでしょうか」という声が挙がりました。人は左右の目の片方を無意識によく使うようになっていて、細い筒状の物で目標物を覗き込もうとしたときに、ちゃんと見たいものが見えるかどうかで、利き目を見分けることができます。なんて話が出たので、じゃあ利き目を調べてみようという流れになりました。まあそれはいいんですが、その結果みんなが一斉に僕を覗いてきたのには困りました。

 ▶スポーツは左利きが有利——本書では教則本を読むときに左右を反転させないといけないので、スポーツは全般的に左利きに不利ということになっているのですが、一般にはスポーツは左利きの方が有利と言われています(「むしろ左利きが羨ましい」という方もいました)。特に対面するスポーツでは、利き手が逆だと有利なことが多いようです。にもかかわらず、スポーツは卓球以外左利きに不利という話になっているのはなぜか。そこから、作者運動音痴説が浮上しましたが、勝手な想像はやめておこうと思います。

 ▶ガスコンロの章は文章として完成度が高い——最後に、僕が印象に残った箇所を紹介しようと思います。29ページにガスコンロの話が出てきます。つまみや蛇口など、何かを回転させる動作に関する話が『左利きの人々』にはよく出てくるのですが、ガスコンロを点火させる動きは左利きの方が得意なのだそうです(手首の動かし方と関係があるらしい)。しかし逆に、コンロの火を消す動作は苦手ということになります。ガスコンロの章は、この本の中で初めて左利きに有利な動作が登場する記念すべき箇所で、僕は読んだ時「おおよかった」と思ったのですが、その直後に「消火は苦手なので、万一の事故の際には左利きが逃げ遅れる」というバッドエンドが到来。持ち上げて落とす展開で、思わず悲しい笑いが漏れてしまいました。ともあれ僕は、この文章の巧みさについて力説したのですが、残念ながら話は盛り上がりませんでした。

◆矯正すべきもの?~利き手と方言~

 ところで、僕にはもう1つ、本書の中で印象に残った話がありました。それは、昔は左利きに対する風当たりが今より厳しく、特にペンと箸は必ずと言っていいほど右手使いに変えるようしつけられていたというものです(p.53-54)。当時はそういうものだったとなんとなく知ってはいたものの、こうして改めて読むと、生まれ持ったものを否定される理不尽さにモヤモヤとしてしまいますね。

 それと同時に、ふと思い出したことがありました。学生時代にゼミの飲み会で、方言を使わないように親や祖父母からしつけられてきたと話している同期がいたことです。僕だって関西弁丸出しの世界に育ってきたわけですが、それを直せと言われたことは一度もありませんでしたし、むしろ関西弁が喋れるのはステータスだくらいに思っていましたから、方言を直せとしつけられること、それも多様性やら地域の個性やらが叫ばれて久しいこのご時世にそんな指導が入るなんてことは、当時の僕にとって信じられないことでした。その思いは今でも変わらないと感じます。

 方言の話を切り出したところ、それから暫く利き手そっちのけで方言の話で盛り上がりました。病院など特定の場所では関西弁は今でも嫌われるという話を身内の経験談として語ってくれた方もいましたし、関西以外の多くの地方出身者は確かに標準語で喋れるように教育されてきているという話も出ました。また、関西の中でも発音に地域差があるため、訛りを直し語尾を「や」にするくらいに改めている人もいるのではないか、という話もありました。

 方言の話は結構盛り上がり、読書会後のアフタートークでも言葉の話が続きました。余談ですが、その話はだんだん我が家でしか通じない独特の言葉などの話につながっていきました。「私の祖母は一度、ひじきのことをメェと言っていた」「ソーセージのことをポーと言うのはどこの家でも同じだと思っていた」など、珍発言続出でとても面白かったです。また、じゃんけんの掛け声が地域や時代によって違うという話もあって、こちらも楽しめました。

 ともあれ、矯正させられるものつながりで、話は利き手から方言へと飛んでいきました。再び利き手の話に戻ってきたところで、ある参加者から、「直すという表現は好きではないけれど、子どもができる時にもし左利きだったらどうしようっていうのは割と悩んだ」という話がありました。矯正の風潮が収まった今もなお、左利きを待ち受ける環境には厳しいものがあるのかもしれないということを、改めて感じる発言でした。

◆結果的に、ユニバーサルデザインに向かっていければ

 矯正が話題になる一方で、こんな話もありました。「でも、だんだん右利き左利きの差はなくなってきてますよね。左利き用のはさみもそうですけど、他にも、ガスコンロはつまみじゃなくてボタンを押せばいいだけになってますし、あと計量カップの目盛りが読みづらいって話がありましたけど、最近数字が上から読める計量カップっていうのが出ていて、この本で言われてることがだんだん気にならなくなってるのかなあって」

 最初にも書いた通り、『左利きの人々』が刊行されたのは2009年です。それから10年の間に、左利きを巡る情勢は変わってきているのかもしれません。それらは必ずしも、左利きの人たちのことを考えた変化ではないかもしれません。しかし、様々な変化が結果的に誰に対しても優しいデザインを実現していくのであれば、それは望ましいことに違いないと、僕は思います。

 社会の中で少数派と呼ばれる人たちにアプローチしていく際、大きく2つの方法が考えられるということが、話し合いから見えてきました。1つ目の方法は、個別対応を図るというものです。左利き用にデザインをカスタマイズするのもそうですし、例えば障がいのある方にその障がいの程度に応じて必要なサポートをするというのもそうでしょう。もちろん、それらが必要になる場面も出てくるわけですが、それには手間がかかりますし、殊にモノの次元で考えると、商業主義が幅をきかせる社会の中では、需要の少ないものはなかなか生み出されないという問題を抱えることになります。

 2つ目の方法は、誰もが困らないようなモノや環境を生み出していくこと、いわゆるユニバーサルデザインを目指すことです。『左利きの人々』の中でも、「公共の乗り物や施設などは、もう少し左手を使う人への配慮があってもいいと思う」ということが書かれていました(p.103)。特急列車などにあるトレイのくぼみ(お茶などを置くところ)を左右両側につけるとか、自動改札のシステムを高速道路のETCレーンさながらのものに変えていくとか、右にしか付いていないものを減らして別のものに置き換える手立てはあるだろうということです。また別の事例になりますが、ある参加者からは、職場に知的障がいのある方や外国人労働者が増えてきたので、社内の注意書きや看板の全ての漢字にふりがなをつけるようにしたという事例紹介がありました。ささやかなことかもしれませんが、誰に対しても優しいデザインを目指すというのはそういうことなのかもしれません。

 ふと、障がいの社会モデルという考え方があるのを思い出しました。障がいは個人が抱えているものではなく、環境的要因により生み出されるものであるという考え方です。20世紀の後半にこの考え方が登場したことにより、世の中にあるバリアをなくそうという動きは加速したと聞いています。学生時代に何度も耳にする機会のあった考え方なのですが、僕は未だに、個人の特性というものの見方に縛られがちです。環境を見つめるという視点をいかにして持つか。課題本読書会の最後に、大きな問いが投げ掛けられたように思いました。

              ◇     ◇     ◇

 といったところで、『左利きの人々』課題本読書会の振り返りを締めくくりたいと思います。“左利きあるある”の話から始まった今回の課題本読書会は、最終的に、矯正の問題やユニバーサルデザインの話といった、大きな話題を扱うところに辿り着きました。話が広かった分、教科書的なまとめで終わってしまった話題もあったかもしれませんが、本の内容などを踏まえつつ、具体例を交えて話ができたのは良かったように思います。また、左利きは普段マイノリティとして意識することがないテーマだったので、身近だけれど気付けない問題を見つめるきっかけにもなるのかなと思いました。

 以上で、午前の部・午後の部の振り返りは終了ということになります。が、次回も引き続き、メンバー同士の交流の時間「ヒミツキチ」の様子をご紹介したいと思います。あっという間に次の週末が来てしまいましたね。実を言うと、ワタクシ最近肩凝りが激しくて集中が切れやすいんです……長く書いていられないのに話が長いというのは因果なものですな。まあ、ぼやいても仕方ありません。皆さま、最後までどうぞお付き合いください。

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